播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

戦跡

太平洋戦争に関連する戦争遺跡や、太平洋戦争に関連する記事をまとめています。

神戸空襲でB29が墜落した再度山(ふたたびさん)

1945年3月17日、神戸市西部を空襲するために飛来したB29の1機が、日本軍機の体当たりによって撃墜されました。その日本軍機とB29の墜落地点にある慰霊碑を紹介します。

神戸に残る戦争の痕跡

終戦の日にちなみ、神戸市の街中に今も残る第二次世界大戦の痕跡を紹介します。

紫電改と九七式艦攻の実物大模型が見られる:soraかさい

紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型を展示する施設「soraかさい」が2022年4月18日にオープンしました。 この記事では、「soraかさい」について紹介します。

兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の記録について

兵庫県加西市に残る旧日本軍の鶉野飛行場跡。そこが受けた空襲に関する米軍側の記録を日本語訳した記事へのリンク集です。当時の米軍機や兵器についても簡単に紹介しています。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 5(1945年7月30日の4回目)

太平洋戦争中に兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の詳細について、米軍側の資料を訳した記事の第5弾です。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 4(1945年7月30日の3回目)

太平洋戦争中に兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の詳細について、米軍側の資料を訳した記事の第4弾です。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 3(1945年7月30日の2回目)

太平洋戦争中に兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の詳細について、米軍側の資料を訳した記事の第3弾です。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 2(1945年7月30日の1回目)

太平洋戦争中に兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の詳細について、米軍側の資料を訳した記事の第2弾です。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 1(1945年3月19日)

太平洋戦争中に兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の詳細について、米軍側の資料を訳した記事の第1弾です。

紫電改の実物大コクピット模型展示@鶉野飛行場跡

加西市の鶉野飛行場跡で、紫電改のコクピット模型(実物大)の展示が始まったとのことで、出かけてきました。

鶉野(うずらの)飛行場跡の展示:無蓋掩体壕とSNJ(T-6テキサン)

加西市の鶉野飛行場跡には、無蓋掩体壕が残っています。その掩体壕の中に、日本軍機ではありませんが実物の機体が展示されているので、見学してきました。

鶉野(うずらの)飛行場跡地で「紫電改」の実物大模型見学(2度目の見学)

重要 2022/4/18追記 紫電改の実物大模型と、新たに作られた九七式艦上攻撃機の実物大模型は、防災備蓄倉庫の北にオープンした「soraかさい」で常設展示されることになりました。 かつて兵庫県加西市に存在した姫路海軍航空隊。その滑走路は、鶉野(うずらの…

姫路空襲と姫路市周辺の戦争遺跡について(再掲)

終戦の日にちなんで、このブログで紹介してきた太平洋戦争関連の記事をまとめたリンク集を掲載します。 まずは姫路空襲。 ▲1回目の姫路空襲に関して記載された米軍の戦術作戦報告書の表紙 ▲1回目の姫路空襲で投下された500ポンド爆弾(出典:Harrington Avia…

鶉野(うずらの)飛行場跡地で「紫電改」の実物大模型見学

重要 2022/4/18追記 紫電改の実物大模型と、新たに作られた九七式艦上攻撃機の実物大模型は、防災備蓄倉庫の北にオープンした「soraかさい」で常設展示されることになりました。 お知らせ この記事は、紫電改の実物大模型公開初日の様子を書いたものです。通…

兵庫県加西市に残る戦争遺跡:鶉野飛行場跡周辺散策

「終戦の日」に戦争関連遺構を見に行きたいなと思っていたのですが、今年のお盆休みはいろいろと用事があって出かけられませんでした。 代わりに本日、兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡に出かけてきました。 鶉野飛行場の施設概要 姫路海軍航空隊基地…

兵庫県姫路市の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

終戦の日なので、姫路市にある慰霊のための施設を紹介します。 それは、姫路市の手柄山(てがらやま)にある「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」。 ▲太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(撮影:2017年8月13日) 慰霊塔の構造 鉄筋コンクリート外部…

姫路市平和資料館:姫路空襲体験談を聞く会

山に行くどころか、普通に出かけるだけでも嫌になるほどの暑さなので、涼しそうな公共施設でのんびり過ごすことにしました。 本日出かけてきたのは、姫路市の手柄山山上にある姫路市平和資料館です。 普段は¥200の入館料が、第2次世界大戦中に2回目の姫路空…

加西・鶉野飛行場展(於アスティアかさい)

兵庫県加西市には、今も第2次大戦中に使われていた滑走路、鶉野(うずらの)飛行場や地下壕が残されています(詳細は文末のリンク先参照)。 そのため、加西市では毎年この時期になると鶉野飛行場に関する展示が行われます。 以前は役所で展示をしていたと思…

本日オープン:鶉野(うずらの)飛行場資料館

今日は姫路駐屯地の創立記念行事の日ですが、地区の防災訓練に参加しないといけないため見学には行けません。 しかし、その防災訓練はお昼頃に終了する予定なので、午後は自由に動けます。 どこへ行くか何も思いつかず、何か面白そうなところは無いかと神戸…

神戸市西区の戦争遺跡:明石受信所跡

重要!(2020年5月追記) この記事で紹介している鉄塔は、2019年に3本とも解体・撤去されてしまいました。(追記ここまで) 以前明石の免許試験場に行ったとき、バスを降りて試験場の入口へ向かうまでのわずかな距離ですが、キョロキョロしながら歩いている…

第2次世界大戦関連記事リンク集

今日は終戦記念日なので、2012年に私のブログに掲載された記事の中から、第二次世界大戦に関係のあるものを集めたリンク集を掲載します。 凡例 記事タイトル:掲載日時 URL 姫路市の京見山で高射砲台跡地探し:2012/2/26(日) 午後 5:32 https://dfm92431.hat…

兵庫県加西市の鶉野飛行場跡地

2022年4月 追記鶉野の飛行場に関する資料は、飛行場跡地の北側にある「soraかさい」で展示されるようになりました。 この記事に記載している防空壕は、見学の14日前までに加西市観光協会に申し込まないと見学はできません。 追記ここまで 2011年8月13日付の…

第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 4 of 4)

Part 3「2回目の姫路空襲」から続く ※この章はTMRの内容と関係ありません。 2回の空襲による被害は、以下の通りです。(出典:姫路空爆の記録-恐怖の昼と夜-、姫路空襲を語りつぐ会編、1973) 戦災直前の状況 戸数:24,236 人口:107,643人 市域面積:14,7…

第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 3 of 4)

Part 2「B-29はどのような航空機だったのか」から続く 引き続き、2回目の姫路空襲についてのTMRの概要を載せておきます。 記載されている時刻は世界協定時なので、日本時間に直すには9時間を足してください。 2回目の姫路空襲については、作戦番号(Mission …

第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 2 of 4)

Part 1「1回目の姫路空襲」から続く ※この章はTMRの内容と関係ありません。 ここで、B-29がどのような爆撃機だったのかを見ておきましょう。 B-29にはSuperfortress(スーパーフォートレス)、「超空の要塞」の愛称がつけられていました。Wikipediaによると…

第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 1 of 4)

私が住んでいる姫路市は、第二次世界大戦中に空襲を受けました。 祖父母から子どもの頃に聞いた空襲の話の印象が強く、姫路空襲についてはずっと興味を持っていましたが、詳細を知る術はありませんでした。 当時を知る人たちの証言は、当時の心理状態の影響…

姫路市平和資料館の特設展示:姫路空襲とその復興

今日は山に行く気力が湧かなかったので、せめてMTBで坂を走る練習でもしようと思い、姫路市の手柄山へ行ってきました。上り坂の練習なら、姫路の場合広峰山や随願寺への舗装道路が考えられますが、手柄山を選んだのには理由があります。実は、手柄山の上にあ…

兵庫県加西市の戦争遺跡:鶉野飛行場跡地

私の職場の夏休みは今日で終わり。せっかくなので、平日でないと行けないところで、終戦記念日(もう過ぎましたが)にちなんだところは無いかなと思っていたら、新聞で加西市役所での展示についての記事があり、行ってみることにしました。 展示は、加西市に…