播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県加西市に残る戦争遺跡:鶉野飛行場跡周辺散策

「終戦の日」に戦争関連遺構を見に行きたいなと思っていたのですが、今年のお盆休みはいろいろと用事があって出かけられませんでした。
 
代わりに本日、兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡に出かけてきました。
 
鶉野飛行場の施設概要
姫路海軍航空隊基地施設概要
・基地名 姫路海軍航空隊其他(陸上)
・所在地 兵庫県加西郡九会村・下里村
・創設年月 昭和17年12月
・航空隊開設 昭和18年10月1日
・完成年月 昭和19年5月
・面積 2.531.040平方m
     飛行場滑走路1.200M×60M1本
        (転圧1.500M × 60M2本 土質粘土)
     運搬路(誘導路)8.000M × 30M 終戦時 15.000M
     掩体壕 中型10箇所 小型45箇所
・主要機種 中・小型練習機(97式艦攻、93式中練)
・格納庫 (木造)9.157平方m 40M × 120M 2棟(4×4)
・兵舎 約8.919平方m
・収容施設 庁舎2.092平方m 送信所179平方m
        講堂 1.756平方m 移住施設60200平方m
        工業場 1.580平方m 倉庫1.454平方m
・防空施設 対空機銃25mm連装4ケ所・単装2ケ所
・電波探信儀 桑原田
(出典:「平和祈念の碑」近くの看板。原文まま。「基地名」の「其他」は「基地」の誤植か。4桁以上の数字にある「.(ピリオド)」は「,(コンマ)」の誤植か。
このブログでも過去に何度か紹介していますが、何度も見に行っている場所なのに、また見に行こうと思ったのには理由があります。
 
それは、今年の5月に見たニュース。
鶉野飛行場跡を楽しむためのスマホ用アプリが公開されたという内容でした。
 
アプリの名前は、「加西市歴史遺産群散策ナビ REKINAVI」(アプリは無料。利用にはインターネット接続とGPS機能が必要で、通信費は利用者負担。)。
 
iPhoneならAppストア、AndroidならGoogle Playストアで「rekinavi」と検索すれば、簡単に見つかります。
 
このアプリでは、鶉野飛行場跡地周辺スポットの他、青野原俘虜収容所跡地、加西観光名所も紹介されています。
 
ちなみに、青野原俘虜収容所跡地は2015年に見学しています。
興味のある方は、以下の記事をご覧下さい。
「青野原(あおのがはら)俘虜(ふりょ)収容所開設100周年記念ウォーク 」

https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2015/12/12/192811 

アプリで紹介されている鶉野飛行場跡地周辺スポットは、以下の通りです。
 
注:それぞれのスポットの名称は、アプリ内(2018年8月時点のバージョンのもの)の文言に合わせています。現地の看板と文言が一致していない場合がありますので、あらかじめご了承下さい。
 
防空壕などの内部は原則見学不可ですが、ボランティアガイド同伴の場合(加西市観光協会に要予約。2名以上で申し込む必要あり。)は見学が可能です。
  1. 北条鉄道法華口駅(飛行場の最寄り駅なので、鶉野飛行場関係者がよく利用していた)
  2. 爆弾庫
  3. 防空壕(素掘り) (現地の看板の表記は「防空壕(素掘)」)
  4. 門柱・衛兵詰所跡地
  5. 防空壕(衛兵詰所前) (現地の看板の表記は「防空壕(コンクリート)」)
  6. 対空機銃座 (現地の看板の表記は「機銃座」)
  7. 巨大防空壕
  8. 防空壕(コンクリート) (現地の看板の表記は「地下防空壕(コンクリート)」)
  9. 滑走路跡地
  10. 平和祈念の碑
  11. 鶉野飛行場資料館
  12. 防災備蓄倉庫(建設予定地)
  13. 北条鉄道網引駅(この駅の近くで戦時中、紫電改が不時着の際に線路を損傷し、そこを通った列車が脱線転覆、多数の死傷者を出した)
アプリをインストールし、鶉野飛行場跡へ。
 
公共交通機関を利用する場合は北条鉄道の法華口(ほっけぐち)駅が最寄り駅ですが、そこから鶉野飛行場跡の平和祈念の碑までは片道2~3kmあります。
 
涼しい季節なら問題なく歩けますが、姫路から鉄道で法華口駅に行くのは面倒ですし、暑いので歩きたくありません。
というわけで、車に自転車を積んで出かけることにしました。
 
鶉野飛行場跡に車を止めて、そこからアプリに紹介されているスポットを自転車で順番に見ていくというわけです。
 
姫路市街から鶉野飛行場跡を目指す際は、国道372号線を東進して加西市に入り、北条鉄道の踏切を越えてまもなくの「鶉野南」交差点を左折。
 
田んぼの中をまっすぐ北に延びる道を2kmほど北上すると、道は右に小さく曲がります。そのすぐ先で信号のない交差点を左折し、40m先にある次の交差点をまた左折してください。
 
道は右へカーブしていきますが、そのカーブの途中で左へ分岐する道があるので、そちらへ入ります。
 
▲右カーブの途中から、標識に従って分岐に入る
 
そのまま200m弱進んだ所に平和祈念の碑が立っており、その北側に車を置けるようになっています。
手を洗う設備はありませんが、簡易トイレがありました(和式・洋式各1)。
以下のURLをクリックすると、平和祈念の碑の位置がGoogleマップで表示されます。
https://goo.gl/maps/arxxjdqEgey
▲平和祈念の碑の横に車を置いた
 
碑の前には南北に細長い砂利の空き地が広がっていますが、これが鶉野飛行場の滑走路跡地。
 
車に積んできた自転車を降ろし、アプリで最初に紹介されている法華口駅へ。
アプリで経路検索ができるので、道に迷うことはないでしょう。
 
私は車で北上してきた道を南下し、「鶉野南」交差点を右折して国道372号線に入って、西へ350mほど進んだ所にある三叉路(「法華口駅→」の標識がある)を右折して法華口駅にたどり着きました。
 
車を止めた場所から法華口駅までは、3km弱です。

(1)北条鉄道法華口駅 (駐車場・トイレ・飲料自販機あり)

改修はされていますが、基本的な外観は戦時中と変わらないレトロな駅舎。
駅舎は木造ですが、よく見ると外に立っている電柱も木製です。
 
駅舎内には米粉のパンを売りにしているパン屋さんとテーブルがあるので、パン屋さんが開いている時間帯(月・金除く10:00~16:00)なら、買ったパンをその場で頂くこともできます。
 
▲北条鉄道法華口駅の駅舎
 
▲昔の雰囲気が色濃く残るホーム(ホームに入るのに入場券などは不要)
 
▲駅名標は、昔のもの(右から左へ文字が書かれている)を書き換えて使われている
 
▲枕木は寄付されたものらしく、このような銘板の付いた枕木が並んでいた
 
次のスポットである爆弾庫を目指しましょう。
 
線路を横切って北へ行けないので、また国道372号線に戻り、「法華口」交差点を左折して県道716号線へ入ります。
 
途中で踏切を越えて300mほど進んだ所(セブンイレブンのすぐ先)にある三叉路を右折し、物流センターへ上がる坂道の左側の道へ。
 
▲物流センターへ上る道の隣にある細い道へ入る
 
ここから鶉野飛行場跡地への散策路が整備されており、道標が立っていて路面には「鶉野飛行場跡1.4km」の標示があります。
以下のURLをクリックすると、散策路起点の位置がGoogleマップで表示されます。
https://goo.gl/maps/jFwDbvs8Wn52
▲鶉野飛行場跡地への散策路起点(?)
 
散策路の起点から170mほど進んだ所で、右後ろへ分岐するコンクリート舗装の新しい道に出会います。
その道を百数十メートル進んだ先にあるのが、2番目のスポットである爆弾庫。

(2)爆弾庫 (駐車場・トイレなし)

壁が70cm、天井は1mの厚さのコンクリートで出来ており、当初は3つありましたが、今はここしか残っていないそうです。
 
▲爆弾庫へ続く道(公式には駐車場はないが、この分岐前に車を置けなくもない)
 
▲爆弾庫(内部の見学は不可)

(3)防空壕(素掘り) (駐車場・トイレなし)
  (現地の看板の表記は「防空壕(素掘)」)

爆弾庫を見学したら、元の道へ戻って北へ進みますが、すぐ先(路面に「鶉野飛行場跡1.2km」の標示のある場所)の右側に3番目のスポットである防空壕(素掘り)を見ることが出来ます。
 
▲防空壕(素掘り)の位置
 
▲防空壕(素掘り)の入口(内部の見学は不可)
 
この周辺は、他にも防空壕らしき穴が斜面にぼこぼこと開いていますが、いずれも危険なため中には入れません。

(4)防空壕(衛兵詰所前) (トイレあり。駐車可能な空きスペースあり)
  (現地の看板の表記は「防空壕(コンクリート)」)

防空壕(素掘り)から200mほど北へ進むと、4番目のスポット「防空壕(衛兵詰所前)」があるのですが、それよりもまず目に飛び込んでくるのは、復元された門柱や衛兵詰所、面会所を模したトイレ。
 
ここから先が基地だったということですね。
 
▲防空壕(衛兵詰所前)外観

(5)門柱・衛兵詰所跡 (トイレあり。駐車可能な空きスペースあり)

▲門柱・衛兵詰所跡には門柱(左)、衛兵詰所(右)、面会所(奥)が復元されている
 
門柱・衛兵詰所跡から200mほど北へ進むと、「鶉野飛行場跡0.8km」の標示に出会いますが、この位置で道は二股に分岐しています。
 
左は未舗装の道で、右は散策路の標示のある舗装道路。
次の目的地である「対空機銃座」へは、左の未舗装の道に入ります。
 
▲分岐の様子

(6)対空機銃座 (駐車場・トイレなし)
  (現地の看板の表記は「機銃座」)

未舗装の道に入って間もなく、爆弾庫のところにあったのと同じような新しい道が見つかるので、そこに入ると6番目のスポット「対空機銃座」があります。
 
飛行場内にあった機銃座と合わせて、対空機銃座は合計5箇所あり、今でも残っているものは4箇所。
この対空機銃座には、25mmの連装機銃が設置されていたそうです。
 
地下の弾薬庫もそのまま残っていますが、扉にカギが掛かっており中には入れません。
 
▲対空機銃座(全景)
 
▲対空機銃座(中心部)
 
Ricohの全天球パノラマカメラ「THETA S」でパノラマを撮影してみました。以下のリンクからご覧下さい。
対空機銃座で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2018年08月19日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/uzurano20180819/virtualtour.html
先ほどの分岐に戻り、散策路のマーキングのあるアスファルト舗装の道を進むと、道はすぐ左へ曲がります。
左へ曲がってから70mほどの場所に、今まで見た遺構と同様の新しい道が出来ています。
 
その道へ入ると、7番目のスポットである「巨大防空壕」です。

(7)巨大防空壕 (駐車場・トイレなし)

ここには当時発電機が設置されていて、内部は高さ5m、幅5m、奥行き14.5m。
 
▲巨大防空壕(外観)断面がかまぼこ形の本体両側に出入口がついているのが分かる(内部の見学は不可)
 
2020/8/11追記
この巨大防空壕は2020年6月から「巨大防空壕シアター」として使われるようになり、毎月第1・第3日曜に(防災備蓄倉庫で紫電改の実物大模型が公開されるのと同じ日程で)、特攻隊員の遺書の映像展示が行われています。先着順の事前申し込みが必要です。詳細は、北条鉄道のWebサイトをご覧ください。
http://www.hojorailway.jp/sidenkai
追記ここまで

(8)防空壕(コンクリート) (駐車場・トイレなし)
  (現地の看板の表記は「地下防空壕(コンクリート)」)

道路に戻り70mほど北へ進んだ場所(「鶉野飛行場跡0.6km」の地点)で、左手に8番目のスポットである「防空壕(コンクリート)」が見つかります。
 
▲防空壕(コンクリート)の位置
 
▲防空壕(コンクリート)の入口(内部の見学は不可)
 
防空壕(コンクリート)を見たら、元の道を北に進んで道なりに右へ曲がります。
すると、今まで道路沿いに塗られていたマーキングが途切れてしまいました。
 
▲散策路のマーキングはここで途切れる
 
マーキングに従ってこの分岐を左に入り、400mほど進むと突き当たりに出ますが、ここには何の案内もありません。
 
しかし、スマホで地図を見れば大丈夫。
突き当たりを左に進むと、滑走路跡地の南端付近に出ます。

(9)滑走路跡地 (駐車場・トイレは平和祈念の碑にある)

「滑走路跡地」は、アプリで9番目に紹介されているスポットです。
 
滑走路は全長1200m、幅60mのコンクリート製。
滑走路脇の組立工場で完成した紫電や紫電改の試験飛行に使われていたそうです。
 
▲滑走路跡地(南端から北向きに撮影)
 
▲大半は砂利に覆われているが、一部には当時のものと思われるコンクリートの路面が残っている

(10)平和祈念の碑 (駐車場・トイレあり)

滑走路跡地の南端から400mほど滑走路沿いに北へ進むと、10番目のスポット「平和祈念の碑」があります。
最初に車を置いた場所です。
 
平和祈念の碑は平成11年10月に建立されたもので、この飛行場から特攻隊として飛び立って戦死した神風特別攻撃隊護皇白鷺隊の隊員63名の名前が刻まれているとのこと。
 
▲平和祈念の碑(全景)
 
この碑の左には、紫電や紫電改の整備に使われたと言われている整備台が置かれています。
 
2020/8/11追記
この整備台は現在、滑走路跡北端の防災備蓄倉庫内に紫電改の実物大模型とともに保管されています。 
追記ここまで
 
▲整備台
 
局地戦闘機『紫電・紫電改』の整備に使われた
【整備台】
この『整備台』は、大東亜戦争中『川西航空機鶉野組立工場』で製作された局地戦闘機『紫電・紫電改』の発動機の整備に使われ、昭和18年(1943年)に作られたものです。
戦後飛行場の施設は解体されましたが、『整備台』は昭和22年4月に加西郡の各小学校に払い下げられました。しかし年月が経ち他の学校では廃棄処分にされましたが、賀茂小学校ではその後、長い間大切に使われていました。
 そして、平成26年(2014年)5月27日、賀茂小学校の皆さんに見送られ、ふるさとの鶉野に戻ってきました。
(出典:現地のパネル)
碑の右側には、滑走路の建設に使われたとされる大きな石のローラーも置かれています。
 
▲転圧ローラー
 
平和祈念の碑から滑走路跡地沿いに北へ300mの交差点を右折し、100mほどまっすぐ進んだ所に、11番目のスポット「鶉野飛行場資料館」があります。

(11)鶉野飛行場資料館 (駐車場・飲料自販機あり。トイレなし。)

以下のURLをクリックすると、鶉野飛行場資料館の位置がGoogleマップで表示されます。
https://goo.gl/maps/6SDcfm14Rdq
ここは第1・第3 日曜日の10:00~15:00の間だけ開館している資料館。
「今日は第3日曜日なので開館しているはず」と思っていましたが、加西市街地で特別展をおこなっている関係で、8月の開館はないと張り紙がしてありました。
 
▲鶉野飛行場資料館

(12)防災備蓄倉庫 (建設中は駐車場・トイレなし)

12番目のスポットである防災備蓄倉庫(建設中)は、資料館の北に残っている滑走路跡地です。
 
鶉野飛行場に建っていた航空機格納庫の外観と構造を復元する計画だそうです。
完成は平成31年1月の予定。
 
実物大の紫電改の模型も現在制作中とのことで、この中に展示されるのかな。
 
2020/8/11追記
2019年6月9日から、紫電改の一般公開がこの防災備蓄倉庫で始まりました。原則として毎月第1・第3日曜に公開されています。詳細は、以下のリンクでご覧いただけます。

追記ここまで

 
▲建設中の防災備蓄倉庫
 
最後(13番目)のスポットは、北条鉄道網引駅。
 
網引駅は紫電改が不時着して線路を歪め、そこを通った列車が転覆した事故の舞台にはなりましたが、慰霊碑があるわけでもありません。
 
当時の駅舎が残っているわけでもないし、行ってもしかたがないかなと考えて、代わりに加西市街地のショッピング施設「アスティアかさい」で開かれている「平成30年 加西・鶉野飛行場展 旧国鉄北条線脱線転覆事故」を見に行くことにしました(資料館に貼られていたポスターでたまたま知った)。
 
カーナビに「アスティアかさい」の住所をセットし、加西市街地へ。
アスティアかさいの立体駐車場に車を置き、3階の展示室へ向かいました。
 
▲アスティアかさい内「平成30年 加西・鶉野飛行場展 旧国鉄北条線脱線転覆事故」展示会場の様子
 
網引駅近くで発生した脱線転覆事故について、当時の新聞記事などが多数展示されていましたが、それらを読む限り、事故の原因が日本軍戦闘機の不時着であることは一切書かれていません。
戦争中だったので、軍の不祥事は公にしなかったようです。
 
展示されている記事を読んでいると、網引駅にこの事故に関する看板が設置されたという記事が目に留まりました。
 
「それなら、その看板を見に行こう」と思い直し、再び車で鶉野飛行場跡地まで戻り、そこから南下して「鶉野南」交差点を直進。
最初の十字路(信号はない)を左折し、県道81号線に入ります。
 
県道81号線を東進し、万願寺川を渡ってから400m進んだ所にある十字路(網引駅へ案内する標識がある)を右折。
そして踏切の直前を左に入ると、網引駅にたどり着きます。

(13)北条鉄道網引駅 (駐車場・トイレ・飲料自販機あり)

以下のURLをクリックすると、網引駅の位置がGoogleマップで表示されます。
https://goo.gl/maps/vi1AK9L9rLw
列車の転覆事故の舞台は、この駅の300mほど西側。
昭和20年3月31日の出来事でした。
 
▲北条鉄道網引駅
 
▲北条鉄道網引駅前に設置されている列車事故についての看板
 
列車転覆事故殉難の地
 それは1945年(昭和20年)3月31日のことだった。静かな田園地帯を揺るがす大惨事が起こったのである。
 国鉄加古川線北条支線北条駅を15時50分に出発した610列車(天田機関士)が16時12分網引駅西方300米付近にさしかかった、折しも、川西航空機鶉野工場で完成した局地戦闘機「紫電改」(操縦五田栄上飛曹、20歳)が試験飛行をするために鶉野飛行場を離陸し、飛行場周辺を飛行し南より西北に向って着陸態勢をとり高度を下げエンジンを絞った、その時エンジンが停止した。
 法華口駅を5分遅れて出発した列車の目前を飛行機が滑るように降りてきた。そして尾輪が線路を引っ掛けもんどり打って田地に墜落し、線路が1米ばかり北に移動して傾いた。
 ここで悲劇が起こった。列車には途中に停車した駅から乗車した人々で満員であった。列車は脱線し、蒸気機関車は180度転覆、客車は転覆折損し、死者12名(乗客11名と飛行機搭乗員1名)重軽傷者104名を出す惨事となったのである。
 救助のため、軍、消防団、地元の人々が活躍した。その日、のどかな春の夜のしじまを破る槌音が不気味な響きを帯びて鳴り続けたという。夜を徹しての復旧作業が行われたのである。
 ここに加西市における戦前戦後を通じた最大の交通事故の顛末と、その惨禍を後世に伝え残し、併せて犠牲者への鎮魂の思いを込め、郷土の歴史にその事実の概要を留めんとするものである。
(出典:網引駅前の看板)
▲網引駅のすぐ西にある網引第4踏切から列車の転覆事故現場方面を見る
 
これでアプリに紹介されているスポットは全て回れたので、達成感を味わいながら帰路に就きました。
 
鶉野飛行場跡周辺の遺構について紹介するブログやWebサイトは多くありますが、詳細な位置や移動手段に触れられていないものが多く、「こんな遺構が残っているのか」と知ることはできても、実際に行こうと思った場合にはそれらのブログやWebサイトの多くは参考になりません。
 
しかし、今年になって加西市が公式に出したアプリは、遺構を紹介するだけでなくそれらの詳細な位置情報や、立ち入りできない遺構の内部の様子の画像も紹介するもので、非常に参考になります。
 
戦争遺跡がお好きな方は、是非アプリをインストールし、現地を回ってみて下さい。
 
私の場合は、自転車を使っても網引駅以外のスポット全てを回るのに90分かかりました。
徒歩の場合は、さらに長い時間がかかると思いますので、行かれる場合はしっかりと計画を立てて下さい。
 
今回は内部を見学出来なかった防空壕などは、二人以上で申し込むとボランティアガイドさんの案内により内部を見学出来ます。ただし、2週間以上前に加西市観光案内所に予約しておく必要があります。
 
おまけ
加西市のアプリの機能を使うと、スマホのカメラ越しに見る滑走路から紫電改が離陸する動画を見られます。
(背景が透明の動画で、ARと呼ぶには大げさだと思いますが…)
 
この機能を使うには、平和祈念の碑の前で滑走路の中心に立つ必要があるのですが、滑走路跡は基本的に立入禁止になっています。
 
加西市公式アプリの機能とはいえ、滑走路に入るのは気が引けました(平和祈念の碑の前のバリケードにはアプリを紹介する案内も貼ってありましたし、そこだけ通れるようになっていたので、滑走路に入ってもよいはず…)。
 
▲アプリのAR機能で見た紫電改(ラジコンくらいのサイズに感じます)