播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

鶉野(うずらの)飛行場跡地で「紫電改」の実物大模型見学

重要 2022/4/18追記

紫電改の実物大模型と、新たに作られた九七式艦上攻撃機の実物大模型は、防災備蓄倉庫の北にオープンした「soraかさい」で常設展示されることになりました。

お知らせ

この記事は、紫電改の実物大模型公開初日の様子を書いたものです。通常の定期公開の様子については、以下の記事をご覧下さい。

2019年6月8日の神戸新聞朝刊によると、兵庫県加西市に残る鶉野飛行場跡で、紫電改の実物大模型の一般公開が6月9日から始まるとのこと。

実物大模型は、1,500万円の費用をかけて新明和工業(旧川西航空機)のOBや広洋社(零戦の実物大模型の製作実績がある)らが協力して一から作られたものです。

実機をレストアしたわけではありませんが、戦時中に紫電改が実際に離発着していた日本軍の基地跡で、当時紫電改を作っていた川西航空機(現在の新明和工業)の関係者が制作に協力して作られた模型を見ることに価値があります。 

2019年6月9日の公開時間は13:00~16:00。
場所は、鶉野飛行場跡の北端にある防災備蓄倉庫です。

本日は昼頃まで予定がありますが、用事を済ませてから行っても間に合いそう。
というわけで、紫電改の実物大模型を見るために出かけてきました。 

注:今後は、毎月第1、第3日曜の10:00~15:00に公開されます。 

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▲紫電改の実物大模型 

鶉野(うずらの)飛行場とは

 「鶉野飛行場」は昭和18年10月、兵庫県加西市(当時は加西郡)の南東部、鶉野台地にパイロットを養成するための「姫路海軍航空隊」が開設されたことに始まります。翌年、川西航空機鶉野工場が併設され、局地戦闘機「紫電」「紫電改」が生産されました。昭和20年には神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、沖縄戦のために出撃し、前途有望な若者が大空に散っていきました。終戦までのわずか2年に満たない時間の中で、青春をかけた多くの若者の姿があったのです。

 戦後、地元の人々は総称して「鶉野飛行場」と呼んでおり、現在も長さ1200メートルの滑走路跡をはじめ防空壕、対空機銃座など数多くの戦争遺跡が残されている全国でも珍しい場所です。

(後略)

(出典:パンフレット「鶉野飛行場」一般社団法人鶉野平和祈念の碑苑保存会)

川西航空機姫路製作所でどれくらいの数の紫電や紫電改が作られていたかは、米軍の資料に詳しく記載されています。

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▲米軍の資料をもとに、当ブログ管理人が作成した表  

12:05
姫路市街の自宅を車で出発。

国道372号線を東へ進み、北条鉄道の線路を越えて200mほどのところにある「鶉野南」交差点を左折。

「鶉野南」交差点から2kmほど北上したところで、左側に滑走路跡地が姿を現し、右前方に飲み物の自販機がいくつか並んでいるお店がある交差点(信号はない)に出会います。

それを左折して滑走路跡を横切り、またすぐに左折。
滑走路跡を左手に見ながら南へ進むと、間もなく道は右へカーブしますが、そのカーブの途中から滑走路跡地へ入る道が南へ延びているので、そこへ入って下さい。

12:50
舗装道路を離れて200m弱ほどの距離を滑走路と平行に南に進んだところに、平和祈念の碑と仮設トイレのある駐車場があるので、そこに駐車しました。

(注:本日は公開初日ということで、防災備蓄倉庫の駐車場が満車になっていることを予想してこちらに車を止めました。通常は、防災備蓄倉庫の北側に車を止められると思います。)

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▲平和祈念の碑の近くに駐車した

車を置いたら、滑走路跡を右に見ながら500mほど北へ歩きます。
滑走路跡地の北端付近に立っているのが、本日の目的地である防災備蓄倉庫。 


▲防災備蓄倉庫の位置

13:00
防災備蓄倉庫に到着。

防災備蓄倉庫は、旧日本軍の建造物をモデルに木造トラス構造で建てられています。

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▲防災備蓄倉庫の外観

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▲防災備蓄倉庫は木造トラス

防災備蓄倉庫の北側の空き地が駐車場になっていましたが、すでにほぼ満車。
記念碑横に止めてきて正解でした。

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▲防災備蓄倉庫北側の駐車場(仮設トイレもあった)

「鶉野平和祈念の碑苑保存会」の方がマイクを通して話して下さる紫電改や当時の日本軍戦闘機についての説明を聞きながら、紫電改の復元模型を色んな角度から堪能。

「形と大きさだけが復元された模型かな」と思っていましたが、機体のパネルやリベットも見事に再現されていて、(本物は見たことがありませんが)模型だと知らなければ「飛べるんじゃないか」と思えるほどのリアルさです。

翼端灯は点灯しているし、フラップも可動式(時々動いていました)。

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▲2階へ上がる螺旋階段の途中から見た紫電改

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▲右主翼の機銃(兵装のつり下げ部も再現されている)

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▲翼端灯は点灯する(右は緑、左は赤に点灯)

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▲コクピット周辺の手掛、足掛、燃料積入口、滑油積入口などもマーキングとともに再現されている

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▲機体尾部のマーキング

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▲左から見た機体前部

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▲プロペラスピナー

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▲操縦翼面を動かすためのロッドや、アンテナも再現されている

防災備蓄倉庫は南側の両側に螺旋階段があって、そこから2階へ上がれるようになっています。
人が多いためか、本日は東側の螺旋階段が上り専用、西側が下り専用になっていました。

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▲防災備蓄倉庫の2階からも機体を眺められる

「これを眺めながらご飯三杯は食べられるな」とバカなことを考えつつ、再現度の高さに感心しながら備蓄倉庫の1階と2階を行ったり来たり。

30分ほど実物大模型の周囲をウロウロした後、防災備蓄倉庫前のテントに行きました。
そこは、紫電改の模型展示等にかかる費用の寄付を集めるための受付場所。

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▲寄付を受け付けていたテント

千円以上寄付をすると、「紫電改」公開記念品セット(紫電改のタオル、紫電改の紙飛行機、「姫路海軍航空隊白鷺隊」の遺書・遺詠集)がもらえ、五百円以上の寄付だと「姫路海軍航空隊白鷺隊」の遺書・遺詠集がもらえます。

私は千円を寄付し、公開記念品セットをいただきました。

このテントの横には、鶉野飛行場関連の団体について書かれた立て看板がありました。 

◎『紫電改』製作、展示に対し、加西市と(株)広洋社に全面的に協力したのは、「鶉野平和祈念の碑苑保存会」と「紫電改製作プロジェクトチーム」です。

◎広洋社による『紫電改製作』に反対してきた「うずらの飛行場未来プロジェクト」や「うずらの遺産ツーリズム推進協議会」は、この展示とは全く関係ありません。
(出典:現地の立て看板) 

ここでふと道路を見ると、防災備蓄倉庫北側の駐車場の空きを待つ200mほどの車の列が出来ていました。
「紫電改」ってそんなに人気があったのか。

13:45頃
防災備蓄倉庫を後にし、駐車場所へ向かって歩いていると、モーターパラグライダーが滑走路跡地を南から北へ飛んできました。

なにやらピラピラと帯を引っ張っているのでよく見たら、「祝紫電改」と書かれていました。

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▲紫電改の実物大模型公開を祝うモーターパラグライダー

駐車場所に戻ってくると、私が来たときよりも格段に車の数が増えていました。

14:35
自宅に到着。

鶉野飛行場跡の周辺には、戦争遺跡が多く残されています。

興味のある方は、鶉野飛行場跡地だけでなく他の戦争遺跡も見て回ることをお勧めします。

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