播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

神戸市西区の戦争遺跡:明石受信所跡

重要!(2020年5月追記)
この記事で紹介している鉄塔は、2019年に3本とも解体・撤去されてしまいました。(追記ここまで)

以前明石の免許試験場に行ったとき、バスを降りて試験場の入口へ向かうまでのわずかな距離ですが、キョロキョロしながら歩いていると、3本の鉄塔が東に見えました。

 
▲明石市東朝霧丘15付近から見た鉄塔
 
鉄塔の位置は、こちらをクリックするとGoogleマップで表示されます。
 
送電線鉄塔かと思ったのですが、他とは形が違いますし、そもそも同種の鉄塔はその3本しかなく、鉄塔間は1本または2本の線が張られているだけ(送電線なら1回線が3本なので、3の倍数の本数だけケーブルがあるはず)。
 
短波の放送局かなとも思ったのですが、帰宅後に調べても明石にそのような送信所はなさそう。
さらにWebで検索すると「アンテナの見える風景」(http://home.p04.itscom.net/yama/index.html)というサイトが見つかり、それによると昭和12年に完成したもので、現在はNTTの施設であることが分かりました。
 
私はミリタリーマニア(誤解のないよう書いておきますが、兵器や装備品の機能美が好きなだけで、戦争が好きというわけではありません)ですから、戦前に出来ている点、現在はNTTが使っているという2点から、「ひょっとしたら昔は軍隊か自衛隊が使っていたものかも」等と考えてしまうわけです。
 
そこで、古い公文書や新聞記事を検索してみました(※)。
※公文書の検索には「アジア歴史資料センター」のWebサイト、新聞記事の検索には神戸大学附属図書館Webサイト内「新聞記事文庫」を利用させて頂きました。
 
すると、以下の記事が見つかりました。
 
昭和11年8月30日付 大阪朝日新聞
完成の日近し
東亜電波の“港”
 明石受信所の輪郭整ふ
中略
受信所の建築地は明石郡伊川谷村漆山(明石市北方で海抜五十メートルの高台)で敷地約七千坪である、五月二十八日から着工し既に鉄筋コンクリート、平家造りT字型四百三十余坪の局舎は竣工した、無電局の生命である大鉄塔も十一基のうち八基まで建設され残る三基の建設とアンテナ架設工事は九月二十一日までに完成の予定である、
中略
アンテナ架設の鉄塔は高さが四十五メートル、海上からは約百メートルの高さだ、下部の大きさは十一メートル平方、上部は一メートル五十、これに九メートル十のアームが取つけてある、塔の構造は四本の鉄骨親柱を網形の鉄鎖で連絡し上部を漸次に細めている、この大鉄塔が百メートルの間隔で局舎を中央にしてニョキニョキと十一基、これにアンテナを蜘蛛手に張り繞らす、鉄塔から鉄塔をアンテナで連絡はするが一塔ごとに断線され第一号と第二号は奉天、第二号と第三部がハルピン、第三号と第四号が大連といふやうに対局がはっきりと区別されている
(旧字体の文字を現在の文字に置き換えた以外、原文のまま。文中の「第三部」は「第三号」の誤りか)

東アジアの無線を傍受する重要な設備が軍事拠点や大都市近くではなく、なぜ明石(現在は神戸市西区)に作られたのか疑問に思ったので、さらに調べてみました。
 
(注)この付近は神戸市西区と明石市の境界線が入り組んだ地域で、明石受信所という名前ですが、現在の市境で分けると、神戸市西区にあります。
 
すると、逓信次官から陸軍次官に宛てた昭和9年5月3日付「大阪無線局送信所及受信所位置変更ニ関スル件」という文書が見つかりました。
 
大阪無線局送信所ノ位置ハ現在大阪市住吉区喜連町、同局受信所ハ同市北区堂島浜通二丁目ナルモ昭和十年度ニ於テ送信所ヲ大阪府泉北郡深井村小谷ニ受信所ヲ兵庫県明石郡伊川谷村下條ニ移転ノ予定ニ有之候處貴省支障ノ有無御回報相煩シ度
尚送信方式及空中線電力ハ従前通リノ見込ニ有之
(旧字体については、現在の文字に置き換えた)
 
逓信省が陸軍に対して、大阪にある受信所を明石に移しても良いかと確認を取る文書です。(これに対し、同年5月10日付で陸軍省から「異存無し」の旨の回答が出されています。)
 
元は大阪にあった設備ということですが、何故明石に引っ越したのかはこの文書では分かりません。
しかし、昭和8年11月7日付の大阪時事新報の記事で、当時の大阪無電局長の話として次の文章が掲載されていました。
大阪無電局の移転問題は以前からの懸案で新京との無電が開始されるについても機械が据つけられるかどうかも判らないので早く何とか決定して欲しいと思っている。ご承知の通り大阪無電局は受信所が他局のように完備していないので、無電局としては、云はば片輪で、それに送信所も最近ではアンテナの高さも低くなり場所をとるので、今迄の平野発信所では狭く、買広げる余地もないので、他の場所に完全な送信所が設けられるのを願っていたわけで、今度の移転により理想的なものが出来るわけです
(旧字体については、現在の文字に置き換えた)

よく考えてみると、大阪に受信所があってもノイズが多くて受信業務に支障を来しそうですし、平野部よりは標高が適度に高い場所の方が良いでしょうから、あまり人が多くない高台ということでこの場所を移設先に選んだのでしょうか。
 
元は大阪にあった受信所の設備が不十分だったので、陸軍の許可を得て明石(当時は明石郡、現在は神戸市西区)に移転。
戦後も一部は撤去されずに使用され続け、現在はNTTが使用(目的は不明)という歴史が分かりました。
 
しかし、まだ疑問は残っています。それは開設当初の鉄塔の位置。
 
大阪朝日新聞の記事によると全部で11本あった鉄塔ですが、現在は3本しか残っていません。(これら3本の鉄塔は、地形図にも記載されています。)
 
 
▲カシミール3Dで表示した国土地理院の地形図(中央付近に電波塔を示す記号が3つある)
 
残り8本がどこにあったのか、古い航空写真で探してみました。
 
国土地理院のサイトで検索すると、この近辺を1946年11月20日に米軍が撮影したモノクロ航空写真(USA-M324-A-6-36)があったので、それを詳しく見ることにします。
 
分かる範囲で鉄塔と思われるものの根元に矢印を付けてみました。
合計11本、鉄塔のようなものが見つかりましたが、本当に正しいかどうかは分かりません。
 
 
 
▲古い航空写真で鉄塔の位置を推定してみた(丸数字1~8とA~Cの合計11本)
 
鉄塔は英語アルファベット小文字の「y」の字型に並んでいて、現在は「y」の2本の線が交わる辺りから南西にかけての3本(鉄塔A、B、C)が残っています。
 
 
▲鉄塔があった場所と局舎を現在の地図(Googleマップ)と重ねたもの(丸数字1~8とA~Cの合計11本)
 
逓信省が設置した設備ではありますが、軍事的にも重要な役割を果たしていたようなので、ある意味では戦争遺跡と呼べるかも知れません。
 
というわけで、終戦の日が近いこともあり、かなり強引ではありますが、戦争遺跡巡りとして3本の鉄塔を見に行ってきました。
 
JR姫路駅から新快速で明石駅に向かいます。
 
JR明石駅から鉄塔へ行くには、明石駅の北側に並ぶバス停の西端(1番乗り場)から免許試験場経由で神戸学院大学、あるいは学園都市駅、伊川谷駅に行くバスに乗り、石塚バス停(免許試験場の2つ先)で下車すると便利。
 
バスの右側の風景が見える席に座ると、免許試験場を過ぎた辺りからバスの進行方向右側に件の鉄塔が見え隠れします。
 
前述のバスは大半が石塚バス停を通りますが、一部のバス(生田経由と方向幕に表示されている)は別の道路を通るため、不安な方は明石駅でバスに乗るときに運転手さんに確認するか、神姫バスのWebサイトで石塚バス停を目的地とした経路検索を行い、どの便を使えば良いか予め調べておくと良いでしょう。
 
石塚バス停でバスを降りたら、バス道を東へ進み、最初の角を右に曲がります。
 
 
▲バス停を下りて東へ歩いたら、ここで右へ曲がる(2014年8月現在Googleマップではエスケー食品(株)有瀬工場のある角ですが、すでに取り壊されて住宅に変わっています)
 
やがて突き当たり(微妙にずれた十字路)に出会うので、そこを右に曲がってください。
 
 
▲この突き当たりを右折
 
すると、前方に鉄塔が見えます。
 
現在も残っている鉄塔は、上の図で示した鉄塔A~Cの3本ですが、鉄塔Cは久光製薬スプリングス体育館のすぐ南西、鉄塔Bはそのすぐ北東、鉄塔Aはさらにその北東にあり、Googleマップでも鉄塔の形状が描画されています。
 
鉄塔Aは民家に囲まれた中に立っているように見えましたが、北西側に回ると根元から頂部まで全体を見ることが出来ました。
 
 
▲鉄塔A
 
鉄塔Aの根元を見ると、先端に滑車が付いた柱が複数本立っていました。
 
 
▲鉄塔Aの根元にある滑車付きの柱
 
その内の1本を見ると、鉄塔Bに向かってワイヤーが伸びていたので、他の柱も現役当時は他の鉄塔に向けてワイヤーを伸ばしていたのでしょう。
同様の滑車は、鉄塔Bの下にもありました。
 
面白いことに鉄塔Bは道路をまたぐように立っているため、鉄塔を真下から見上げることが出来ます。
 
 
▲鉄塔B
 
鉄塔Cは鉄塔Aと同様、フェンスで囲われているため下には入れません。
 
 
▲鉄塔Cの根元
 
 
▲鉄塔Cに残っていた銘板(大阪駒井鐵工所)
 
鉄筋コンクリート造りのT字型局舎は、1990年代の航空写真まではその存在を確認することが出来ますが、現在は久光製薬スプリングス体育館になっています。
 
 
▲久光製薬スプリングス体育館(明石受信所局舎跡地)
 
鉄塔間のケーブルをよく見ると、張り方がそれぞれ異なっているのが分かります。
これについては、前述の「アンテナの見える風景」(http://home.p04.itscom.net/yama/index.html)に詳しい空中線(アンテナ)の呼び名が掲載されているので、無線に興味のある方は是非ご覧下さい。
 
鉄塔Bの南側には受信局がありますが、開設当初のような立派なものではなく、無人のコンテナのようなものです。
 
その隣には鉄塔と関連があるのかどうか分かりませんが、奇妙な形をしたアンテナもあります。
 
 
▲現在のNTT明石受信所(コンテナ状の設備と奇妙なアンテナがある)
 
せっかく現地に来たので、撤去された8本の鉄塔のあったと思われる場所も見てきました。
いずれの場所も、鉄塔があったような形跡はまったく感じられませんでした。
 
 
▲残り8本の鉄塔跡地の様子(丸数字は、上のGoogleマップ上の数字と対応しています)
 
受信所の跡地を思わせるようなものは何もありませんでしたが、この付近は高台で南東方面に展望が開けているため、明石海峡方面を眺めて気持ちよい景色を楽しむことが出来ます。
 
特に丸数字8番の跡地を見に行くときに通った東朝霧丘付近では、下のような「鉄塔」「朝霧の街並み」「明石海峡大橋」を一望出来ました。
 

f:id:dfm92431:20200629212927j:plain

▲東朝霧丘付近から南東方面の眺め」(拡大表示出来ます)
 
明石の免許更新センターや運転免許試験場に行く機会があり、こういったものに興味のある方は(かなりマイナーな趣味なのでほとんどいらっしゃらないと思いますが)、一度見物に行かれてはいかがでしょうか。