播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県加西市の鶉野飛行場が受けた空襲の記録について

私が生まれ育った兵庫県姫路市は、太平洋戦争中に二度の空襲に遭いました。

その空襲について、当時の人の記憶ではなく正確な情報を知りたいと思っていたら、米軍の資料をインターネット上で見つけ、その資料から姫路空襲について様々なことが分かりました。

ちなみに、姫路空襲に関する当ブログの記事は以下のリンクからご覧頂けます。

米軍の詳細な資料が簡単に見られるなら、私にとって身近な他の場所の空襲についても調べてみようと思い、姫路市の北東に隣接する加西市の空襲を調べてみました。

鶉野飛行場(加西市)の空襲

私が住む姫路市の北東に隣接する加西市には、太平洋戦争中に作られた「姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡」、通称「鶉野飛行場跡」があります。

f:id:dfm92431:20210305213256j:plain▲鶉野飛行場の滑走路跡(2020年9月撮影)

ここには当時、「川西航空機姫路製作所鶉野工場」が併設され、姫路の「川西航空機姫路製作所」で製造された戦闘機の最終組立と試験飛行が行われていました。

軍用機の工場ですから、アメリカ軍にとっては重要な戦略目標です。
そのため、鶉野飛行場は複数回にわたって米軍による空襲を受けました。

f:id:dfm92431:20210305213325j:plain▲鶉野飛行場に併設されていた工場では、紫電や紫電改が作られていた。画像は鶉野飛行場跡で行われている紫電改(実物大レプリカ)展示の様子。(2020年9月撮影。2022年4月からは、「soraかさい」にて九七式艦上攻撃機の実物大模型とともに展示されています。)

鶉野飛行場を空襲したのは米海軍の艦載機*1。その米海軍部隊の戦闘報告書をWeb検索で5種類見つけたので、それらの内容を紹介することにします*2

私が見つけた米軍の記録は1945年3月19日に実施された1回の攻撃と、1945年7月30日に4回に渡って実施された攻撃の合計5回分の報告書です。

当時の報告書は、文字がにじんだりかすれたりして読みづらいものが大半。
それでも、自分が興味を持っている分野の資料なので、読むのはあまり苦になりませんでした。

f:id:dfm92431:20210305213358j:plain▲3月19日に実施された作戦に関する戦闘報告書の表紙の一部(これは読みやすい)

f:id:dfm92431:20210305213413j:plain▲今回見つけた5種類の内、7月30日の3回目の攻撃について書かれた戦闘報告書が最も読みづらい

こういったことに詳しい方は、報告書の内容を読むだけで「どんな航空機が」「どんな攻撃をした」か想像できると思います。

しかし、普通の方にはイメージしづらいと思いますので、事前に予備知識を身につけておくことをお勧めします。(普通の方はこの記事を読もうと思わないはずですが、念のため。)

詳しい方は、この記事の末尾に戦闘報告書へのリンクを付けているので、この先は読み飛ばして直接戦闘報告書をご覧ください。

鶉野を攻撃した航空機

鶉野を攻撃した航空機は、3種類あります。

  1. FG-1D「コルセア(Corsair=海賊)」(1945年3月19日の攻撃に参加)
  2. F6F-5「ヘルキャット(Hellcat=性悪な女性)」(1945年7月30日の1回目、3回目、4回目の攻撃に参加)
  3. TBM-3「アヴェンジャー(Avenger=復讐者)」(1945年7月30日の2回目の攻撃に参加)

コルセア

コルセアは、逆ガル翼と呼ばれる、飛行中のカモメを正面から見たシルエットを上下逆にしたような形の主翼をもった戦闘機です。

f:id:dfm92431:20200911225405j:plain▲アメリカ海軍のF4U-1D コルセア(1945年)(主翼下にロケット弾を搭載している)*3
出典:USN - U.S. Navy Naval Aviation News 15 April 1945, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3696001による

ヘルキャット

ヘルキャットは、ずんぐりむっくりした戦闘機

f:id:dfm92431:20200911224025j:plain▲F6F-5 ヘルキャット(もっとも手前の機体がヘルキャット。その奥はSB2C-5ヘルダイヴァー、TBM-3Eアヴェンジャーと続き、最奥はF8F-1ベアキャット。)
出典:U.S. Navy - U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.488.210.064, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15434408による

アヴェンジャー

アヴェンジャーは、戦闘機ではなく雷撃機です。雷撃機とは、魚雷をお腹に抱えて敵の船に向けて低空で接近し、魚雷を投下するための機体。敵艦に向けてまっすぐ飛行するので、その間に敵の戦闘機に撃ち落とされないよう、自分を狙って後ろから近づく敵機を攻撃できる後ろ向きの銃座が備わっています。

大きな魚雷を装備できる爆弾倉があるので、魚雷の代わりにそこに爆弾を搭載し、爆撃任務をこなすこともあります。

f:id:dfm92431:20200911224446j:plain▲函館を爆撃するTBM アヴェンジャーとSB2C ヘルダイヴァー(手前のグループがTBMアヴェンジャー。主翼下に追加の燃料タンクを付けている。)
出典:U.S. Navy (photo 80-G-490232) - This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520989., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54486による

鶉野の攻撃に使われた兵器

鶉野への攻撃では、以下の3種類の兵器が使われています。

  1. 機銃(航空機の翼に設置された機関銃。自動小銃とは威力が違います。)
  2. HVARロケット弾
  3. 爆弾

機銃

機銃は機関銃のことですが、戦争映画で見る「歩兵が持ち歩く機関銃」ではなく、戦車の砲塔やジープの後部に搭載されている重機関銃で、弾丸の直径は12.7mm(50口径=0.50インチ)もあります。

当時の戦闘機の場合、それが左右の主翼の中に3挺ずつ合計6挺も装備されていました。

12.7mmの弾丸がどれほどの威力をもっているか、鉄道用のレールを標的として撃った実験の動画がありましたので、ご覧ください。説明などは全て英語ですが、映像を見るだけでとてつもない威力だと分かります。


50 CAL VS TRAIN 🚂 TRACK RAIL

こんなものを発射する機関銃を6挺も装備した戦闘機が上空から撃ってくるわけです。しかも、上の動画と違って連射で。
撃たれる側の恐怖は、想像を絶するものだったでしょう。

空母からアヴェンジャーやヘルキャットが発艦し、空中戦やテニアンの日本軍基地に対して機銃掃射をするガンカメラ映像(2分14秒)を紹介します。

鶉野やその他の基地への攻撃も、このような感じだったのでしょう。


テニアン島でF6F戦闘機の機銃掃射ガンカメラや爆撃機空爆 太平洋戦争

HVARロケット弾

HVARHigh Velocity Aircraft Rocket)ロケット弾は、航空機(Aircraft)に搭載するために設計された高速(High Velocity)なロケット弾(Rocket)です。

f:id:dfm92431:20210305213848j:plain▲コルセアの主翼にHVARロケット弾を取り付ける様子
出典:By Unknown author or not provided - U.S. National Archives and Records Administration, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=92015525

P-38ライトニングとP-47サンダーボルトが射爆場でHVARロケット弾を発射する様子を撮影した当時のニュース映像がYoutubeにあるので、転載します。


P38L Lightning & P47 Thunderbolt Fighter Aircraft Rocket Firing Target Range WW2 Newsreel Footage

爆弾

鶉野の攻撃には100ポンド爆弾500ポンド爆弾の2種類が使われました。
これらの数値は爆弾の重さを表すもので、100ポンドはおよそ50kg、500ポンドはおよそ250kgです。

当時の爆弾の中に入っている爆薬の量は、爆弾の重さの半分ほど
具体的には100ポンド爆弾の爆薬はおよそ26kg、500ポンド爆弾の爆薬はおよそ120kg。

爆弾の威力については、ジュネーブ国際人道地雷除去センター(GICHD)の報告書「EXPLOSIVE WEAPON EFFECTS FINAL REPORT(2017)」に、詳細が書かれています。

書かれているのは現代の兵器の性能のため、太平洋戦争中の同種の兵器よりも殺傷能力が高くなっていると思いますが、この報告書に書かれている500ポンド爆弾*4の威力を参考のため紹介します。

500ポンド爆弾の危険範囲(RED 10)=250m

RED 10が250mというのは、爆弾が爆発した地点から250m離れた場所にいる「冬用の装備を身につけて伏せた状態の男性兵士」のうち10%が“無力化*5”される距離という意味で、「RED」はRisk Estimate Distancesの略、「10」は無力化される割合(%)を意味します*6

500ポンド爆弾が爆発した場合、250m離れて伏せていても、無事でいられる確率は90%ということです。

同報告書にはさらに詳しく威力が書かれており、それによると、飛散する破片は爆発地点から16mの距離で、厚さ20cmのコンクリートを貫通するそうです。
また、できあがるクレーター(爆発跡の凹み)は直径4.6m~10.7m、深さは0.76m~4.27mに達するとのこと。

現代のF-16戦闘機が、訓練で500ポンド爆弾の実弾を投下する様子の動画(4分41秒)がありましたので、紹介します。
一度に2発投下しています。

荒野に投下されているので、破壊力のイメージは分かりづらいかも。


F-16s Drop 500lb Bombs During Live Exercise

戦闘報告書で使われている用語について

鶉野を攻撃した米海軍部隊の報告書では、専門用語が使われています。

地名の表し方に違和感があったり、日常生活では使用しない言葉も多くあるので、代表的な物の意味をいくつか紹介します。

地名

報告書の中では、地名が独特な使い方をされています。例えば、姫路のことは「飾磨(しかま)」、明石のことは「江井ヶ島(えいがしま)」と表記されているのです。これは当ブログ管理人の推測ですが、「姫路」や「明石」は基地の名称として使われている(例えば鶉野は米軍では「姫路基地」と呼ばれていた)ので、地名としては使えなかったのだと思います。

戦闘機掃討(せんとうきそうとう)

戦術の一つで、敵の航空機を殲滅すること。飛行中の敵航空機を撃墜する他、地上にある航空機を破壊することも含まれます。

VF/VT

「VF-49」といった部隊名の先頭についている文字列。「V」は固定翼機、つまりヘリコプターのような回転翼ではない普通の飛行機を意味しており、「F」は戦闘機を意味する「Fighter」の頭文字なので、「VF」は「Fighter Squadron(戦闘飛行隊)」を意味します。「VT」の場合ですが、「V」は固定翼機を表し、「T」は魚雷を意味する「Torpedo」の頭文字なので、「VT」は「Torpedo Bombing Squadron(雷撃飛行隊)」を意味します。後に続く数字は部隊の番号なので、「VF-49」は「第49戦闘飛行隊」、「VT-49」は「第49雷撃飛行隊」となります。

階級

将校の階級は上から「将」、「佐」、「尉」の順で、それぞれの中に「大将、中将、少将」「大佐、中佐、少佐」「大尉、中尉、少尉」という具合に3つの階級があります。少佐と大尉を比べた場合「佐」の方が「尉」よりも上なので、少佐の方が大尉よりも上ということになります。

会敵(かいてき)

敵と出会うこと。ゲーム用語の「エンカウント」が同じ意味です。*7

被弾(ひだん)

弾丸を受けること。

発艦(はっかん)

空母から発進すること。

着艦(ちゃっかん)

空母に下りること。

掩体壕(えんたいごう)

航空機を敵の攻撃から守るために作られた空間。屋根のあるコンクリート製の頑丈なものや、周囲を土塁で囲っただけの簡易なものもあります。

戦闘報告書の内容

戦闘機や雷撃機、そしてそれらが搭載していた兵器の恐ろしさを理解した上で、米軍の戦闘報告書をご覧ください。

報告書の文章はおそろしく簡潔なので、上で紹介した動画などで知識を準備しておかないと、報告書の内容をイメージしづらいと思います。

逆に、上で紹介したYoutube動画のような恐ろしい状況が、戦闘報告書ではこんなに簡単な表現になってしまうのかという驚きもあります。

それぞれの行に航空機の種類と機数を書いていますが、機数は作戦に参加した機数であり、実際に鶉野を攻撃した機数とは異なる点に注意してください*8

Part 1:1945年3月19日の戦闘報告書(コルセア×22機)

Part 2:1945年7月30日 第1回目の攻撃の戦闘報告書(ヘルキャット×12機)

Part 3:1945年7月30日 第2回目の攻撃の戦闘報告書(アベンジャー×9機)

Part 4:1945年7月30日 第3回目の攻撃の戦闘報告書(ヘルキャット×8機)

Part 5:1945年7月30日 第4回目の攻撃の戦闘報告書(ヘルキャット×12機)

*1:空母に搭載されている航空機。

*2:当時の米陸軍航空軍の資料「Action Report, Commander Task Group 38.4, 2 July to 15 August 1945, Strikes Against Japanese Home Islands Report No. 2-d(3): Task Group 38.4, USSBS Index Section 7」の中にある「United States Pacific Fleet Air Force Pacific Fleet Carrier Division SIX 7 September 1945」の「PART 1 - Brief Summary(概要)」の項目では、「24 July HIMEJI Area Airfields(HONSHU)」の記載があります。これは1945年7月24日の鶉野飛行場に対する攻撃だと思われますが、この報告書にはそれ以上の詳細が書かれていません。そのため、当ブログの鶉野飛行場に対する空襲の記事においては、同日の空襲については触れません。あらかじめご了承ください。

*3:鶉野を攻撃したのはグッドイヤー・エアクラフト社製のコルセアで、それにはFGの制式名称が与えられていました。F4Uは、チャンス・ボート社製のコルセアに付けられた制式名称。ハイフン以降の文字列は、バリエーションを示すものです。

*4:Mk 82航空機搭載爆弾。

*5:「無力化」とは、米軍の定義によると「敵からの攻撃を受けて5分間は応戦できない状態」を意味します。

*6:REDは、軍隊で自軍の兵士が自軍の砲撃・爆撃地点にどの程度近づけるかを表すのに使われる数値です。

*7:「エンカウント」は和製英語。正しくは「エンカウンター(encounter)」ですが、最後に「er」が付いていると「~するもの(人)」という意味だと誤解する人がいて、勝手に「er」を取ってしまったのでしょう。

*8:米軍の攻撃部隊はいくつかのグループに分かれて、例えば1つのグループが上空で見張りをしている間に、他のグループが基地を攻撃するというような行動を取ります。