播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

鶉野飛行場が受けた空襲 Part 3(1945年7月30日の2回目)

2021年6月11日付の神戸新聞「わがまち」のページに、「1943年の鶉野飛行場周辺 復元図ネットで公開」と題する記事が掲載されました。

その鶉野(うずらの)飛行場は、太平洋戦争中にアメリカ軍空母艦載機による空襲を複数回にわたって受けています。

私がインターネット検索で見つけたアメリカ軍の戦闘報告書は5種類(作戦は少なくとも5回実施されたことになる。1回目は1945年3月19日、残り4回は1945年7月30日に実施された。)。

この記事では、1945年7月30日に鶉野飛行場(姫路海軍航空隊鶉野飛行場)が受けた2回目の攻撃を、米軍側の報告書で見てみることにします。

米軍の戦闘報告書を読むのに必要な予備知識を別の記事で紹介していますので、まだの方はまずそちらの記事からお読みください。

参考にした戦闘報告書は「Aircraft Action Report No. 26 1945/07/30 : Report No. 2-d(58): USS San Jacinto, USSBS Index Section 7」です。

この記事の内容は、基本的に報告書の内容を当ブログ管理人がおおざっぱに翻訳したものです。

以下の点にご注意下さい。

  • この記事のレイアウトは、米軍の報告書の様式を再現しています。
  • 判読できない文字は文脈から推測し、推測できないほど文字がかすれていれば、文章そのものを省略している場合があります。
  • 報告書の記載内容にそもそも誤りがある可能性もありますが、当ブログ管理人では判断が付かないので、そのまま訳しています。
  • 記載されている時刻は協定世界時ではなく現地時間、つまり日本時間です。
  • アメリカ軍の文書なので、単位が日本と異なっています。1マイルは約1.6km、1フィートは0.3mです。マイルは1.5倍すればおおよそのキロメートルの数値に、フィートは3で割ればおおよそのメートルの数値になります。

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▲1945年7月30日の2回目の作戦に関する戦闘報告書の冒頭部分

https://goo.gl/maps/7iPgtgJoCme9eCjx8

▲軽空母サン・ジャシントの位置(北緯33度23分 東経137度57分)

1.概要

(a)報告部隊 VT-49 (b)配備基地 軽空母サン・ジャシント*1 (c)報告書#26
(d)離陸時刻 1945年7月30日 時刻 07:38 緯度 北緯33度23分 経度 東経137度57分
(e)任務 爆撃(由良、加古川、姫路航空基地のいずれか) (f)帰投時刻 12:20

参考資料

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▲軽空母サン・ジャシント (CVL-30)
出典:不明, photographed from a Squadron ZP-14 blimp. - U.S. Navy photo 80-G-212798, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=118711による

2.報告対象の航空機

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参考資料

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▲函館を爆撃するTBMとSB2C(手前のグループがTBMアヴェンジャー。主翼下に追加の燃料タンクを付けている。)
出典:U.S. Navy (photo 80-G-490232) - This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520989., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54486による

3.作戦に参加した他部隊の航空機

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4.発見または交戦した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)

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(h)発見した敵機の行動理由(推測)  
(i)雲の中で会敵したか?    その場合は雲の状態を記載。  
(j)雲の中での会敵時刻と太陽または月の明るさ    (k)視程   

5.空中で撃破した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)

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6.戦闘中または作戦行動中の味方の損失または損害(2.に記載した機体に限る)

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7.犠牲者(2.に記載した機体の搭乗員に限る)

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8.帰還した機体の飛行距離、燃料、弾薬に関する情報

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(当ブログ管理人による注釈)アヴェンジャーの燃料タンクは3つあり、中央の主燃料タンクは容量141ガロン(641リットル)、左右の主燃料タンクがそれぞれ80ガロン(364リットル)で小計160ガロン(727リットル)なので、燃料搭載量は合計301ガロン(1,368リットル)です。

爆弾を搭載しない場合は、爆弾倉に270ガロン(1,227リットル)の増槽タンクを搭載できますが、鶉野を攻撃した際は爆弾を搭載していますので、爆弾倉内に装着する増槽タンクは使っていないと考えられます。

アヴェンジャーの燃料消費量は、1時間当たり45ガロン(182リットル)以上です。

これらの情報は、米軍のTBFパイロット教育用動画*2で説明されているので、信頼性が高いと思います。

主翼には58ガロン(264リットル)の増槽タンクを左右に1本ずつ吊り下げられるので、爆弾を搭載するために爆弾倉内の増槽タンクが使えない場合でも、機体内の301ガロン(1,368リットル)に加えて、(58ガロン×2本で)116ガロン(527リットル)の合計417ガロン(1,896リットル)の燃料を搭載できます。

米軍の戦闘報告書では燃料の単位が記載されていませんが、機体内と主翼下の増槽タンクを合わせると400ガロン以上搭載できるので、単位はガロンと思われます。

9.敵の対空砲火(該当する行にチェック)

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10.自軍および敵軍の戦力比較

会敵しなかった。

11.敵艦艇または地上目標への攻撃(2.に記載した機体によるものに限る)

(a)攻撃目標および位置 姫路航空基地、神戸地域
(b)目標到達時刻 09:40 (c)目標上空の雲の状態 高度2,500~7,000フィートに積雲が散在
(d)目標の見え方 部分的に雲に覆われていた (e)視程 15~20マイル
(f)ロケット弾/爆弾投下方法 降下爆撃 使用した爆撃照準器 1機は使用せず。8機はMk.8光学照準器を使用。
 1行程あたりのロケット弾/爆弾投下数 1~6発;7~12発 投下間隔 100~150フィート
 投下高度 3,500~3,000フィート
(g)地上の敵航空機に与えた損害: 破壊 1 破壊(不確実)0 損傷 0

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(o)結果

1.資料AはK-20航空偵察カメラで撮影した北部の掩体壕の写真で、掩体壕内の航空機が炎上して煙が上がっているのが分かる。損害が分かる唯一の写真。
5.資料Cは攻撃前、資料Dは攻撃後の、Livingston大尉が基地の爆撃に失敗した後に攻撃した航空機工場と思われる建造物の写真。
6.資料BはCoffey少尉の機体と、機銃掃射を受ける直前の貨物船の写真。停泊中だった貨物船は激しく煙を上げ、後で実施された掃討作戦の参加部隊によりさらに攻撃を受けた。

(p)写真撮影の有無 有り

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▲資料A(当ブログ管理人による注釈:赤丸の中に煙が見えています。当時の誘導路の形状と池の配置などから推測すると、煙が上がっているのは、田次郎池と上深池の間に当時あった無蓋掩体壕と思われます。*3

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▲資料B

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▲資料C

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▲資料D(当ブログ管理人による注釈:赤枠の中に煙が立ちこめているのが分かります。)

(当ブログ管理人による注釈)資料C、資料Dに写っている工場は、日本毛織の工場です。資料Dは、現在のJR加古川駅の南東上空から北西向きに撮影された画像だと考えられます。資料Dの中央下で左右に延びているのは加古川。加古川に架かっている橋が2本写っていますが、左の白っぽいのは国道2号線で、右の黒っぽいのは旧国鉄の鉄橋。中央やや左の山は高御位山、中央右上は大藤山。

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▲資料A~Dの撮影に使われたK-20航空カメラ
(出典:Lt Richard G. Arless. Canada. Department of National Defence. Library and Archives Canada, PA-163920, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons)

12.戦術および作戦情報

 厳重な防空体制が敷かれた呉海軍基地への一連の攻撃の後、休息日を1日とってから神戸地域北西部と淡路島に存在する8つの航空基地(そのうち3つは主要目標)の掃討作戦が行われた。
 第49雷撃隊(VT-49)の9機は、主要目標とされる3つの基地のどれでも攻撃できるよう準備を整えた状態で、7月30日午前7時30分に発艦。以前にこれらを攻撃した部隊の指揮官とのやりとりで、8箇所のうち多くは攻撃する価値がないことが分かっていたため、今回の指揮官は瀬戸内海から数マイル入った所にある姫路航空基地(鶉野飛行場)を攻撃することを決定。本州最南端の紀伊半島を越えて攻撃目標へ向かった。
 神戸地域の海岸線に接近すると、大阪陸軍造兵廠 播磨製造所*4付近から正確な対空砲火を受けたが、幸いにも被害は免れた。散在していた積雲のため航法が困難で、基地を見つけたのは部隊が基地の真上に来たときだった。Peters大尉は、僚機であるPruitt中尉とCoffey少尉の機体とともに270度の右旋回を行い、北部にある掩体壕を南向きに飛行しながら爆撃。投下された100ポンド爆弾により、少なくとも1機の航空機が炎上した。6発の爆弾を残した状態で、大尉は北西向きに爆撃を実施。少なくとも1発が滑走路南西部の工場に命中した。
 MacCollister中尉、Richards中尉、Ferbert中尉、Poulson少尉は駐機場と西側の格納庫に爆弾を投下。以前の攻撃で破壊され、修理中だった格納庫1棟から火の手が上がった。Seckinger少尉は、事前の写真偵察で3機の航空機があることが判明していた南部の誘導路に、搭載していた爆弾12発全てを投下。しかし、爆撃効果判定用の写真撮影をしていないため、損害は確認できない。
 MacCollister中尉の機体は、撤退時に被弾。しばらくの間エルロンの動きが不調になった。Peters大尉も、2回目の爆撃行程後に西へ撤退する際、主翼の付け根に被弾。いずれも25mm機銃弾(炸薬を搭載した通常弾頭)による被害だが、これは基地の西部から発射されたものと思われる。
 Livingston大尉は、基地上空での爆撃行程の際に爆弾倉の扉が開かないトラブルがあったが、加古川市内の航空機工場と思われるノコギリ屋根の工場*5に爆弾を命中させた。爆弾の搭載方法や信管の設定に問題があったが、この後VF-49の部隊が上空を飛行した際に、工場から火の手が上がっていたことを確認している。
 江井ヶ島から少し離れた合流地点へ向かう際、Coffey少尉は停泊中の商船を発見。機銃掃射を行い、合流地点からでも見えるほどの煙が船から上がった。この5,000トンほどの商船は、4時間後にVF-49の掃討部隊がロケット弾と機銃掃射で攻撃を加えた際も、煙を上げ続けていた。
 部隊は高度6,000フィートの雲底の下を飛行し、空母に帰還。被弾した2機は、4時間半以上の飛行を終えて、胴体着陸(着艦)した。

13.資料(機器や装備の動作や任務への適性などについて)

なし。


報告書作成者

Charles N. Fuller中尉
アメリカ合衆国海軍予備役 航空戦闘情報局(ACIO)

報告書承認者

Carl H. Peters大尉
アメリカ合衆国海軍予備役 司令官(Comdg.)

承認日
1945年8月4日

*1:後のアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏がアヴェンジャーのパイロットとして乗艦していた空母。ブッシュ氏は、VT-51(第51雷撃隊)所属。

*2:https://youtu.be/gId18EYl2kU 全編英語音声。自動生成の英語字幕がありますが、音声認識に誤りがあるため音声を聞き取る必要があります。

*3:煙が上がっている無蓋掩体壕の位置:Googleマップ https://goo.gl/maps/314gS2oCh3k63ZvJ8

*4:現在の神戸製鋼所高砂製作所。

*5:この戦闘報告書の写真と、国土地理院のWebサイトにある当時の加古川駅周辺の航空写真を見比べると、写っているノコギリ屋根の建物は日本毛織の工場だと分かります。