播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市平和資料館:姫路空襲体験談を聞く会

山に行くどころか、普通に出かけるだけでも嫌になるほどの暑さなので、涼しそうな公共施設でのんびり過ごすことにしました。
 
本日出かけてきたのは、姫路市の手柄山山上にある姫路市平和資料館です。

普段は¥200の入館料が、第2次世界大戦中に2回目の姫路空襲があった7月3日は免除されます(1回目の姫路空襲があった6月22日も無料入館日)。
 
 
▲平和資料館
 
施設名称: 平和資料館
所在地: 姫路市西延末475番地(手柄山中央公園内) 住所をクリックすると、Googleマップで位置が表示されます。
開館時間: 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 毎週月曜、国民の祝日の翌日(土日祝日の場合を除く)、年末年始
観覧料: 常設展示は大人ひとり¥200、企画展は無料(無料入館日もあります)
備考: 館内は撮影禁止
 
今日は無料だから出かけたわけではなく、空襲を実際に体験した方の話を聞けるイベントがあったのが理由です。
 
行事名: 姫路空襲体験談を聞く会
日程: 7月3日(日) 午後2時~
語り部: 黒田 権大さん
 
 
▲平和資料館玄関脇の案内表示
 
少し早めに平和資料館に行き、涼しい館内で展示を見ながら「姫路空襲体験談を聞く会」の開始時刻を待つことに。
 
講演は、まず館長さんによる黒田さんの紹介から始まりました。
黒田さんは御年87才。教員をされていたと言うことで話し方が明快で分かりやすく、とてもそんなお歳に見えません。
 
当時の時代背景の説明から始まり、1回目の姫路空襲(標的は川西航空機姫路工場)の話へ続きます。
1回目の姫路空襲は鉄骨造りの工場を破壊するために通常爆弾が使われたので、亡くなった方々の遺体は凄惨な状態(内蔵が飛び出していたり、体がちぎれていた)で、空襲の後、被害に遭った工場のすぐ東にある市川の河原に遺体が積み重ねられ、油をかけて荼毘に付したとのこと。
 
ただ、黒田さんご自身は1回目の空襲の被害を直接受けていないので、今回のお話は当時罹災した方々から聞いた内容だそうです。
 
1回目の空襲は当時跡地を見に行っただけと言うことでしたが、2回目の空襲は直接被害に遭われているのでお話の内容が生々しい。
 
当時黒田さんがお住まいだった家は母屋と離れがあり、祖父母が離れに、黒田さん達は母屋で暮らしていたとのこと。
 
空襲警報が発令されると、寝たきりに近い祖母は自分を置いて逃げるよう他の家族に言い、黒田さんは近くの田んぼの用水路に隠れたそうです。
 
空襲が始まると、黒田さんが隠れた田んぼにもM69焼夷弾が降り注ぎ、田んぼに焼夷弾が林立するような状態(※)。
※M69焼夷弾は断面が六角形の鋼鉄製のチューブで、まっすぐ地面に刺さって着弾すると、尾部から火の付いた焼夷剤(ゲル化したガソリン)を撃ち出します。そのため、鋼鉄製のチューブは原型を留めたまま着弾地点に残ります。

空襲が収まって自宅へ戻ると、祖父母が居た離れは焼け落ち、母屋は天井が燃え始めていたので、消火を諦めてタンスの引き出しを抜き出して外へ持ち出したそうです。そのお陰で、着る物には困らなかったとのこと。
 
その後、焼け落ちた離れから祖母の遺体を掘り出し、近所の墓地に穴を掘って埋めたそうです。
祖父は最後まで祖母の傍におられたらしく、大やけどを負い、それがもとで4日後に亡くなりました。
 
空襲の後では、家島や太子町など周辺地域の住民から「姫路の空襲は今まで見たどんな花火よりも綺麗だった」と言われたとおっしゃっていました。
 
黒田さんのお兄様は徴兵されて戦死されています。
疎開先へ持っていった荷物の中からお兄様の遺書が出てきたとのことで、その遺書を実際に広げて見せて下さいましたが、あれにはかなりのインパクトがありました。
具体的な文面は差し控えますが、身内でも何でもない人間が読んでも心を動かされます。
 
最後は、終戦から50年後にB29搭乗員が姫路市を訪れ、姫路空襲で亡くなった方々の遺族と会うイベントを特集した当時のニュース映像が流されましたが、「B29の搭乗員も、国のために任務をこなしただけだから、特に何もいうことはない」という当時の遺族や元日本兵の言葉が印象的でした。
 
なお、姫路空襲については2012年に当ブログで4回シリーズで紹介していますので、興味のある方はどうぞ。
 
・第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 1 of 4):第1回目の姫路空襲について
 
・第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 2 of 4):B29について
 
・第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 3 of 4):第2回目の姫路空襲について
 
・第二次世界大戦中の姫路空襲(Part 4 of 4):今も残る空襲の痕跡等
 
講演の後も私はしばらく会場に残り、黒田さんの席に置かれていたM69焼夷弾の実物(もちろん発火済)やガスマスク、水筒等を手にとってじっくり鑑賞させて頂きました。
 
 
▲最後にじっくり見物させて頂いた品々(これらは撮影可能でした。中央の細長い物が焼夷弾。)
 
 
▲M69焼夷弾の信管(M1 Bomb Fuse)は、弾頭側面にある
 
M69焼夷弾がどのように機能するのか、以下の米軍の資料映像をご覧下さい。
 
 
 
▲十七年式防空用防毒面(ガスマスク)と水筒
 
十七年式防空用防毒面に貼られている注意書きの状態が比較的良かったので、その文章を写真に納めました。
よほどのマニアでないと興味はないでしょうが、資料として引用します。
 
1 本防毒面ハ防空用以外ノ用途ニハ絶対ニ使用セサルコト
2 使用及貯蔵ノ際ハ其ノ取扱ヒヲ丁寧ニシ特ニ吸収缶及覆面(めがね及貼合部)ヲ損傷セサル如ク注意スルコト
3 使用ノ際ハ吸収缶ノ上下ノ口栓ヲ取リ外シテ装面シタル後必ス掌ヲ以テ吸収缶ノ底ヲ塞キテ吸気ヲ行ヒ気密ノ可否ヲ点検スルコト
4 使用後ハ直チニ堅ク絞リタル濡手拭ヲ以テ覆面内部ヲ沸拭シ乾カシタル後収納スルコト
5 ○○ノ際ハ成ル可ク湯気火気及塵埃ヲ避ケ直射日光ノ当タラサル場所ニ保存スルコト
6 ○○○○ニハ曇止ノ為めがねノ内○○石鹸○○○○○○シテ装面スルコト
 
出典:十七年式防空用防毒面の注意書きラベル(○はラベルの剥がれにより判読できなかった文字)