加西市にある鶉野(うずらの)飛行場に対する米軍の攻撃についての資料を5種類見つけたので、それらをこのブログで順次紹介してきました。
今回が最後の5つめの記録です。
かつて兵庫県加西市には、姫路海軍航空隊鶉野飛行場がありました。
ここは太平洋戦争中、複数回にわたってアメリカ軍艦載機による空襲を受けています。
その空襲の記録は、アメリカ軍側には戦闘報告書として残されており、インターネット検索で報告書を5種類見つけることができました*1。
この記事では、1945年7月30日に鶉野飛行場(姫路海軍航空隊鶉野飛行場)が受けた同日4回目の攻撃を、米軍側の報告書で見てみることにします。
米軍の戦闘報告書を読むのに必要な予備知識を別の記事で紹介していますので、まだの方はまずそちらの記事からお読みください。
参考にした戦闘報告書は「Aircraft Action Report No. ACA1#53 1945/07/30 : Report No. 2-d(58): USS San Jacinto, USSBS Index Section 7」です。
この記事の内容は、基本的に報告書の内容を当ブログ管理人がおおざっぱに翻訳したものです。
以下の点にご注意下さい。
- この記事のレイアウトは、米軍の報告書の様式を再現しています。
- 判読できない文字は文脈から推測し、推測できないほど文字がかすれていれば、文章そのものを省略している場合があります。読めない文字を「○」で示しているところもあります。
- 報告書の記載内容にそもそも誤りがある可能性もありますが、当ブログ管理人では判断が付かないので、そのまま訳しています。
- 記載されている時刻は協定世界時ではなく現地時間、つまり日本時間です。
- アメリカ軍の文書なので、単位が日本と異なっています。1マイルは約1.6km、1フィートは0.3mです。マイルは1.5倍すればおおよそのキロメートルの数値に、フィートは3で割ればおおよそのメートルの数値になります。
▲1945年7月30日の4回目の作戦に関する戦闘報告書の冒頭部分
https://goo.gl/maps/7iPgtgJoCme9eCjx8
▲軽空母サン・ジャシントの位置*2
- 1.概要
- 2.報告対象の航空機
- 3.作戦に参加した他部隊の航空機
- 4.発見または交戦した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)
- 5.空中で撃破した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)
- 6.戦闘中または作戦行動中の味方の損失または損害(2.に記載した機体に限る)
- 7.犠牲者(2.に記載した機体の搭乗員に限る)
- 8.帰還した機体の飛行距離、燃料、弾薬に関する情報
- 9.敵の対空砲火(該当する行にチェック)
- 10.自軍および敵軍の戦力比較
- 11.敵艦艇または地上目標への攻撃(2.に記載した機体によるものに限る)
- 12.戦術および作戦情報
- 13.資料(機器や装備の動作や任務への適性などについて)
1.概要
(a)報告部隊 VF-49 (b)配備基地 軽空母サン・ジャシント*3 (c)報告書#ACA-1-53
(d)離陸時刻 1945年7月30日 時刻 12:05 緯度 北緯35度11分 経度 東経136度05分
(e)任務 明石、三木、姫路航空基地の掃討 (f)帰投時刻 17:02
参考資料
▲軽空母サン・ジャシント (CVL-30)
出典:不明, photographed from a Squadron ZP-14 blimp. - U.S. Navy photo 80-G-212798, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=118711による
2.報告対象の航空機
参考資料
▲F6F-5(もっとも手前の機体がF6F-5ヘルキャット。その奥はSB2C-5ヘルダイヴァー、TBM-3Eアヴェンジャーと続き、最奥はF8F-1ベアキャット。)
出典:U.S. Navy - U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.488.210.064, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15434408による
3.作戦に参加した他部隊の航空機
4.発見または交戦した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)
(h)発見した敵機の行動理由(推測) ×
(i)雲の中で会敵したか? × その場合は雲の状態を記載。 ×
(j)雲の中での会敵時刻と太陽または月の明るさ × (k)視程 ×
5.空中で撃破した敵航空機(2.に記載した機体によるものに限る)
6.戦闘中または作戦行動中の味方の損失または損害(2.に記載した機体に限る)
7.犠牲者(2.に記載した機体の搭乗員に限る)
8.帰還した機体の飛行距離、燃料、弾薬に関する情報
(当ブログ管理人による注釈)F6Fの燃料搭載量は、容量87.5ガロン(398リットル)の主燃料タンクが2本で小計175ガロン(796リットル)、予備タンクの容量が78ガロン(355リットル)なので、合計253ガロン(1,150リットル)です。
なおF6Fの燃料消費量は、もっとも効率が良い状態で1時間当たり40ガロン(182リットル)です。武装をして戦闘行動を行う場合は、もっと多くの燃料を消費します。
これらの情報は、米軍のF6Fパイロット教育用動画*4で説明されているので、信頼性が高いと思います。
F6Fは機体内の燃料タンクに加えて、機体に吊り下げる形で取り付ける増槽タンクも利用できます。増槽タンクの容量は1本あたり150ガロン(682リットル)で、両翼下と機体の下に1本ずつの合計3本を搭載できました。
米軍の戦闘報告書では燃料の単位が記載されていませんが、機体内の253ガロンと増槽タンク1本(150ガロン)の合計が403ガロン(1,832リットル)になるので、機体に燃料を満載した上で機体の下に増槽タンクを1本抱えて飛んでいたと考えれば、単位はガロンと思われます。
9.敵の対空砲火(該当する行にチェック)
10.自軍および敵軍の戦力比較
飛行中の敵航空機は見られなかった。
11.敵艦艇または地上目標への攻撃(2.に記載した機体によるものに限る)
(a)攻撃目標および位置 姫路、明石および三木航空基地
(b)目標到達時刻 14:00 (c)目標上空の雲の状態 高度3,000フィートに積雲 雲量5/10
(d)目標の見え方 視界良好 (e)視程 10マイル
(f)ロケット弾/爆弾投下方法 降下爆撃 使用した爆撃照準器 Mk.8光学照準器
1行程あたりのロケット弾/爆弾投下数 1発 投下間隔 ×
投下高度 3,000フィート
(g)地上の敵航空機に与えた損害: 破壊 6 破壊(不確実)0 損傷 0
(o)結果
上の表の内容に加え、32発のロケット弾が北緯34度39分、東経134度35分*5にあった2,300トン程度の貨物船に向けて発射され、12発が命中。14発のロケット弾が北緯34度40分、東経134度55分*6にあったトン数不明の輸送船に向けて発射され、10発が命中。6発のロケット弾が北緯34度37分、東経134度57分*7にあったトン数不明の小型輸送船に向けて発射されたが、命中は確認できず。最初の2隻の輸送船は破壊された。
資料A~Dとして4枚の写真を添付した。
資料A:姫路航空基地(鶉野飛行場)の写真。資料B、Cは明石航空基地の掩体壕を撮影したステレオ写真。資料Dは江井ヶ島沖*8で炎上する輸送船。最初の3枚の写真は、本作戦と同じ日、別の任務で撮影されたもの。資料Dは攻撃直後の船の様子。
(p)写真撮影の有無 有り
▲資料A
▲資料B
▲資料C
▲資料D
(当ブログ管理人による注釈)資料A~Dの撮影に使われたのは、写真下端の表記から、K-17航空偵察カメラ(焦点距離12インチ≒300mm)だと思われます。
▲K-17航空偵察カメラ(出典:USAF, Public domain, via Wikimedia Commons)
▲セスナ195に搭載されたK-17航空偵察カメラ(出典:R6, State & Private Forestry, Forest Health Protection, Public domain, via Wikimedia Commons)
12.戦術および作戦情報
G.M. Rouzee少佐が率いる第49戦闘飛行隊のヘルキャットは、1945年7月30日12:05に空母サン・ジャシントから発艦。攻撃目標に向けて、厚い雲の上を飛行した。攻撃対象の神戸地域は比較的雲が少なかった。飾磨の西で海岸線を越えたが、このとき若干の大口径で不正確な対空砲火を受けた。部隊は姫路基地の西を目指して北寄りの進路を取った。L.A. Gundert大尉が率いる第8小隊は、高度20,000フィートから急降下し、姫路基地(鶉野飛行場)を西から攻撃。高度10,000フィートから浅い角度で南東の掩体壕に向けて降下し、右へ旋回して退避。北東部の格納庫前にあった単発航空機3機は、爆弾の直撃で破壊された。また、付近で別の2機が炎上するのが見られた。格納庫のあるエリアは念入りに機銃掃射したが、他の航空機は見られなかった。残り2つの小隊は、この間上空援護の任務に就いていた。第8小隊は高度を上げてそのまま上空援護に就き、残り2つの小隊が三木*9と加古川*10を同時に攻撃した。三木への攻撃は、姫路と同様。○.○. Pols大尉が率いる第5小隊は、横一列に並んで北から南に向けて三木基地を攻撃。格納庫北のエプロンにあった単発航空機1機は、○.A. Yancy少尉が発射した2発のロケット弾により破壊。基地南西部の掩体壕と格納庫には、12発のロケット弾が撃ち込まれた。しかし、損害は未確認。低空から基地全体を機銃掃射した。Rouzee少佐が率いる第1小隊は北東から明石基地*11を攻撃し、海上へ退避した。基地南西部の掩体壕に対し、爆弾を3発投下。そして、地上にあった航空機は徹底的に機銃掃射した。基地の西にある小さな工場と操車場に爆弾が1発投下されたが、被害は見られなかった。撤退時、明石(姫路の誤り?)と江井ヶ島の間で2隻の商船を発見。第8小隊がこれらを攻撃した。明石のすぐ西(東二見?)にあった小型の輸送船は、ロケット弾と機銃掃射を受けた。船はどう見ても被弾していたが、炎は上がらなかった。もう1隻の貨物船に対しても入念に機銃掃射を行った。この船は、本作戦の直前に、VF-49の別の部隊による攻撃を受けて煙を上げていたもので、今回の攻撃により炎上した。男鹿島西の入り江にあった中型の輸送船が第1小隊によって発見されたが、部隊の全機がロケット弾により攻撃を加え、船は破壊された。明石と姫路では、中口径の不正確な対空砲火があった。どちらも、格納庫周辺から発射されたもの。船を攻撃する際、江井ヶ島から中口径の対空砲火を受けたが、弾は届かなかった。紀伊水道を通って帰還した際は、何事も起こらなかった。
13.資料(機器や装備の動作や任務への適性などについて)
全ての装備は、良好に動作した。
報告書作成者
R.A. SMYTHE大尉
アメリカ合衆国海軍予備役 航空戦闘情報局(ACIO)
報告書承認者
G.M. ROUZEE少佐
アメリカ合衆国海軍 第49戦闘飛行隊指揮官(C.O.)
承認日
1945年7月30日
*1:鶉野飛行場を対象とした作戦が、少なくとも5回は実施されたことになります。1回は1945年3月19日、残り4回は1945年7月30日に実施されています。
*2:この報告書に書かれている空母の緯度、経度は正しくありません(書かれている緯度、経度は滋賀県近江八幡市のものです)。そのため、この直前の作戦時の空母の位置を掲載しています。
*3:後のアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏がアヴェンジャーのパイロットとして乗艦していた空母。ブッシュ氏は、VT-51(第51雷撃隊)所属。
*4:https://youtu.be/JUziAyx6hG4 全編英語音声。自動生成の英語字幕がありますが、音声認識に誤りがあるため音声を聞き取る必要があります。
*5:男鹿島の南付近。
*6:江井ヶ島の沖。
*7:明石海峡の西。
*8:この写真に写っている防波堤の形状を当時の航空写真で探すと、現在の東二見橋の東側に同じ形の防波堤が見つかりました。今は埋め立てにより当時の防波堤の形がほとんど分からなくなっていますが、Googleマップの航空写真で見ると、当時の防波堤の輪郭が少しだけ残っているのが分かります。
*9:三木陸軍飛行場。兵庫県三木市別所町。
*10:陸軍加古川飛行場。兵庫県加古川市。現在の神戸製鋼の北で、ラ・ムーやナフコがある辺り。
*11:明石飛行場。兵庫県明石市川崎町。現在は川崎重工の明石工場。