播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

神戸空襲でB29が墜落した再度山(ふたたびさん)

終戦の日にちなんで、第二次世界大戦にまつわる記事を掲載します。

今回紹介するのは、神戸市の再度山(ふたたびさん)にある大龍寺(たいりゅうじ)

3回行われた神戸市への空襲は「神戸大空襲*1」と呼ばれており、その1回目の空襲がおこなわれた1945年3月17日、緒方醇一(じゅんいち)大尉が操縦する戦闘機「飛燕(ひえん)」の体当たり攻撃を受けて、アメリカ軍のB29爆撃機が1機、再度山に墜落しました。

緒方大尉とB29の搭乗員11名のうち9名は墜落時に死亡。
B29からパラシュートで脱出した2名のアメリカ兵は、後に日本軍によって処刑。

その緒方中佐(戦死により1945年3月17日付で大尉から中佐へ二階級特進)の慰霊碑と、撃墜されたB29の搭乗員について記載したプレートが大龍寺にあるとのことで、見に行くことにしました。


▲「陸軍中佐 緒方醇一戦死之地」の碑

大龍寺には駐車場もあって車で行けるのですが、姫路から車を運転して行くのは面倒なので、JRと神戸市営バスを使うことにしました。


▲大龍寺境内の地図(出典:地理院地図(電子国土Web)。当ブログ管理人が建物などの名称や引き出し線、位置を示すための円を追記し、文字が読みやすいように文字と重なる部分の等高線を削除した。)

この記事は、2023年7月30日(日)に出かけた時の記録です。
当ブログでは、原則として行動した当日にその内容を記事にしていますが、終戦の日にちなんだ内容のため、終戦の日である本日公開しました。

掲載している写真は、すべて2023年7月30日に撮影したものです。

2023年7月30日(日)
08:24
JR姫路駅を近江塩津行の新快速電車で出発。

09:05
JR三ノ宮駅に到着。運賃は¥990です。

「大竜寺」バス停を通る路線バスは、JR三ノ宮駅の東に隣接する商業ビル「ミント神戸」の1階にあるバスターミナルの4番乗り場から発車する25系統の路線。

重要:25系統の路線バスは、4月1日~11月30日の間の土日祝のみの運行です。

東口改札を出たら右へ曲がり、ポートライナーの駅へ上がる階段の左側を通って駅の東側へ出ます。

今回利用する路線バスが発車する4番乗り場は、三ノ宮駅の2階とミント神戸の2階をつなぐ陸橋の下にあります。


▲ミント神戸にある4番乗り場(並ぶときはカラーコーンに貼られた指示に従う)

神戸市バスの乗り方は、後ろのドアから乗車して前のドアから降車し、降車時に運賃を支払う方式です。運賃の支払いは現金、または交通系ICカード(乗車時と降車時の両方でカードリーダーにタッチ)です。

09:20
神戸市営バスの25系統「森林植物園前行」が三宮バスターミナルを発車。

出発してからしばらくは神戸の市街地を走りますが、やがて再度山ドライブウェイに入ります。

ドライブウェイは曲がりくねっており、斜度もなかなかのもの。
乗り物に弱い方は、酔うかもしれません。

09:42
「大竜寺」バス停で下車(地図中「森林植物園方面バス停」)。
運賃は¥380です。

自家用車の場合は、山門の前に駐車できます


https://goo.gl/maps/j3zEkjSVE91CedQy7
▲大竜寺バス停の位置


▲大竜寺バス停と山門(山門の前が参拝者向け駐車場になっている)

坂道を登るため轟音を上げて走り去る路線バスを見送り、山門をくぐります(地図中「山門」)。

山門の先には急角度の車道がありますが、片側に歩行者用の階段が付けられているので、その階段を登りました。


▲山門をくぐった先の参道の様子

階段は上の写真で道が右へカーブする場所で終わり、その後は車道を歩いて登ることになります。

階段が終わって車道を少し登ると、飲み物の自動販売機がある広場に出ました(地図中「広場」)。


▲広場の様子(飲料の自販機がある)左奥に少し写っている石段の先が仁王門

広場の手前と広場の途中から道が南へ延びていますが、これは「大竜寺」バス停の一つ手前の「二本松」バス停から延びる登山道や、猩々池(しょうじょういけ)方面から登って来る道です。

参道とは関係ありませんので、間違えて入り込まないようにしてください。

広場から石段を登った先にあるのは、仁王門(地図中「仁王門」)。


▲広場から石段を登ったところに仁王門がある(石段の左の道は、再度越を経由して修法ケ原池へ続く道)


▲仁王門

仁王門をくぐった所に手水があり、道は直進と左折に分かれています。
直進が一般向けの参道に見えるので、そちらを登ることにしました。


▲仁王門の先で道は二手に分かれる

「西国三十三観音」の石仏前を通り過ぎると、引き続き「弘法大師八十八ケ所」の石仏が並ぶ緩やかな坂道を登ります。


▲石仏が並ぶ参道を進む

最後に石段を登ると、本堂前に出ました(地図中「本堂」)。


▲大龍寺本堂

 神護景雲二年、称徳天皇の勅をうけた和気清麻呂公が、摂津の国に寺塔建立の霊地を求めて当地の山中まで来られたときのことであります。公を暗殺しようとしてつけ狙っていた僧道鏡の刺客は、忽然と現れた一匹の大蛇に驚いて一目散に逃げ帰ってしまいました。
 危ないところを助けられた清麻呂公があたりを見まわしてみますと、大蛇が消えた跡に「聖如意輪観世音菩薩」が立っておられたのであります。霊験を感じられた公は、早速この地に伽藍を建立され寺名を「大龍寺」と名付けられました。
(中略)
 又延暦二三年、入唐される弘法大師は、旅の所願成就を御本尊に祈願されました。その甲斐があって唐の長安で青龍寺の恵果和尚より秘密の大法を授けられ、大同元年に無事帰国されたのであります。そして、帰朝報告奏上のため上京の途中、ふたたび当山に参籠され本尊に報恩謝徳のため七日間秘法を勤修されました。
 弘法大師が再び登山されたというので「再度山(ふたたびさん)」と呼ばれるようになり、修法された場所を「修法ケ原行場」と呼ぶようになりました。
(出典:大龍寺のパンフレット)

本堂の前に「大師堂」と書かれた石碑があるため、これが大師堂だと勘違いされるかもしれませんが、この石碑は大師堂がここから右へ一丁上がった所にあることを示す道標です。

本堂に向かって左には毘沙門堂があり、その向かいに鐘楼があります。
本堂の右にあるのは、護摩堂


▲左から毘沙門堂、本堂、護摩堂

鐘楼の横には、板状の岩に彫られた石仏や、岩窟に祀られたお稲荷さんもあります。


▲権倉稲荷大明神(左)と板状の岩に刻まれた石仏(右)

「緒方中佐の碑はどこにあるのかな」と本堂周辺をウロウロしましたが見つけることができず、気を取り直して上にある大師堂にお参りすることにしました。

護摩堂の前を通り、何に使うかわからない古びた四角い建物を回り込むと、山道が始まります。

護摩堂の前からは下にある納経所が見えるのですが、何やら気配を感じてそちらを見たら親子のイノシシがいました。
さすが六甲山塊です(イノシシは六甲山の名物)。


▲納経所前にいたイノシシの親子(手前の葉にピントが合ってしまいました)


▲大師堂へ続く道(写っているのは、再度山山頂を目指すハイカー)

本堂から5分ほどで大師堂に到着(地図中「大師堂」)。


▲大師堂(ここから右へ延びる道に入ると再度山山頂へ行ける)

木陰で涼しいのですが、やはりこの気温の中で山道を歩くのは無謀でした。
「再度山山頂へも行けるかな」と期待していましたが、すでにこの段階で汗だくです。

再度山山頂を目指すハイカーさんを見送ったら、私は山頂に行くのをあきらめて護摩堂前まで下り、イノシシがいた納経所で休憩をさせていただくことにしました。

護摩堂まで下ってきたら、猫に遭遇。
そういえば、猫も六甲山塊では名物ですね。


▲護摩堂の近くで出会った猫

納経所は立派な建物です(地図中「納経所」)。


▲納経所の玄関

多くの仏像がお祀りされていますし、他の参拝者の方もおられたので、内部の写真は撮っていません。

納経所内でお参りをさせていただき、おみくじを引いたり、冷たいお茶を御馳走になったり、お手洗いをお借りしたり、しばらく休憩してから緒方中佐の碑について質問をしてみました。

すると、鐘楼の少し南にあるとのご回答。

お礼を言って納経所を出たら、毘沙門堂の向かいにある鐘楼へ(地図中「鐘楼」)。

鐘楼から南へ延びる道へ入ります。


▲鐘楼から南へ延びる道へ入る(矢印の方向)

鐘楼横の鳥居(上の画像の鳥居)を1つ目とした場合、2つ目の鳥居をくぐった先で右を見てください。
そこに緒方中佐の碑が建っています(地図中「緒方中佐の碑」)。


▲2つ目の鳥居の先で右を見る


▲鐘楼と碑の位置関係


▲「陸軍中佐 緒方醇一戦死之地」の碑全景


▲碑誌(楕円の中にある戦闘機は「飛燕」)

碑誌

 この碑は昭和20年3月17日未明、米空軍B29の編隊による神戸大空襲の際、防空任務にあたりし第56戦隊・飛行隊長緒方醇一大尉が体当たりして墜落し、そのB29の機体の中に小型の日本戦闘機が交ざっていて緒方大尉『飛燕』が確認された場所であり、平成11年、元第56戦隊隊長・古川良治少佐が建てられたものである。

 緒方の赫々たる武勲は個人感状授与と共に軍神として全軍に布告されたものである。迎撃戦闘を目撃した再度山大龍寺・井上仁性住職は『燃え盛る神戸だけが赤々と浮かび、その他は真っ暗な空と海の方から編隊は隊形を崩す事なく頭の上を通過していく。B29は一機も落ちない。神戸の海から六甲の山を悔しく眺めるだけであった。その時、突然閃光と共に一機が飛び散った。寺から再度山と再度谷にかけて寺の西側に広範囲に散ってきた。撃墜されたB29の機体の中に小型の日本の戦闘機が交ざっていて、操縦者が確認された。それが緒方大尉である。壮絶な光景以外に何も考えられなかった』と。

 緒方醇一中佐の年譜
大正八年一月一日生まれ 熊本県出身
昭和12年 陸軍士官学校53期生 入校
昭和15年 陸軍航空士官学校卒業 戦闘 少尉
     明野飛行学校・乙種生終了後、北満・龍鎮の第77戦隊
昭和16年 中尉 マレー・ビルマ作戦に参加
昭和17年 中・北部マグエ航空撃滅戦
昭和18年 大尉 第77戦隊 インド・雲南作戦
昭和19年 第56戦隊・飛行隊長 本土防衛作戦
昭和20年 3月17日 神戸市再度山上空にて体当たり壮烈な戦死(26歳)
     個人感状を受領 2階級特進 陸軍中佐

平成19年3月17日、遺族と共に、陸軍士官学校第53期生など有志が集い、緒方中佐の慰霊を行い、その玉垣などを整備した。

(出典:現地のパネル 原文まま)

緒方大尉が操縦していた飛燕がどんな戦闘機だったのか分かる動画がYouTubeにありましたので、転載します。


www.youtube.com

当ブログ管理人は、2016年に実物の飛燕が一般公開されたイベントに出かけ、その様子を記事にしたことがあります。
興味のある方は、こちらをご覧ください。


▲撃墜されたB-29についてのプレート

緒方醇一中佐が六甲上空にて体当たり撃墜したB-29機

42-24849号(機長・Robert J.Fizgerald少佐)
所属 第20米軍 XXI撃墜コマンド 第73爆撃隊 第500爆撃群 第881爆撃隊
垂直尾翼の【Z】は第500爆撃群、【□】は第73爆撃隊、【8】は機体番号を示す

【米空軍大学歴史分析庁より寄贈】
怨親平等

 恨みを忘れ、敵、味方を超え仲良くするようにと教える仏教の言葉である。緒方中佐の残した文に『葉隠』についてのものがある。私は佐賀・葉隠の士族出身であり、またこの碑を建てられた第56戦隊・戦隊長古川良治少佐も同じく佐賀・葉隠出身、武人、軍人として戦闘相手を称える精神を踏まえ緒方中佐が体当たりしたB-29の11名の米空軍の勇士を探し求め、その名を記録してこの地に残したいと願い『陸軍中佐緒方醇一戦死之地』の碑の傍らに建てた。

陸軍士官学校第53期 元57師団参謀 従六位勲五等 陸軍少佐 松本 重夫
 
戦死した搭乗員11名の勇士の芳名

Aircraft Commander :Major Robert J.Fizgerald
Co-Pilot :Second Leutenant Robert E.Copeland
Bombardier :First Leutenant Erwin A.Brousek
Navigator :Second Leutenant Robert W.Nelson
Flight Engineer :Second Leutanant James C.Bond
Radar Operator :Staff Sergeant Algy S.Augunas
Radio Operator :Staff Sergeant Robert D.Cookson, Senior
Central Fire Control Officer :Sergeant David W.Holley
Left Waist Gunner :Sergeant John L.Culter
Right Waist Gunner :Sergeant John T.Barry
Tail Gunner :Sergeant Ruben A.Wray
(出典:現地のプレート 原文まま)

緒方中佐が戦死した3月17日ではありませんが、1945年6月5日の神戸空襲に参加したB-29の爆撃手のインタビューがYouTubeにありましたので、転載します。

この爆撃手は、搭乗していたB-29が日本軍機の迎撃を受けて4基あるエンジンのうち2機が損傷し、出撃したテニアンの基地に戻れず、硫黄島の基地に不時着したと語っています。


www.youtube.com

碑に手を合わせてから、鳥居が並ぶ参道を下りました。

この参道は、往路で仁王門をくぐったすぐ先で左へ分岐する道でした。

山門まで下り、汗で濡れた服を乾かしながらバスを待つことに。

11:10
大竜寺バス停に、25系統「三宮センター街東口行」の神戸市営バスが到着。
私も含めて3人が乗車。

11:44
終点の三宮センター街東口バス停に到着。運賃は¥380。
JR三ノ宮駅からは少し南に離れた場所です。


https://goo.gl/maps/WMo1ZgvHzLFfhp2M7
▲三宮センター街東口バス停の位置

 


交通アクセス

自家用車の場合、南側から行く時は阪神高速3号神戸線の京橋インター、北から行く時は阪神高速7号北神戸線の蓑谷インターが最寄りの出口です。

公共交通機関を使われる場合は、この記事で紹介した神戸市バスをご利用ください。
ただし、運行期間、曜日が限られていますし(4月1日~11月30日の間の土日祝のみ運行)、曜日によってダイヤも異なりますので、事前の確認が必要です。


▲三ノ宮駅前を発車する路線バスが大竜寺バス停に到着する時間(ここに書かれている時刻の二十数分前に三ノ宮駅前の乗り場から発車します)


▲三宮センター街東口方面へ帰るときに乗るバスの発車時刻

 


関連情報

JR三ノ宮駅の南には、「ガリバートンネル」と通称される地下街への入口ありますありました。
同名のドラえもんの秘密道具に似ているから名付けられたもので、戦前から存在する古い出入口です。

三ノ宮駅前の再開発によって取り壊されました取り壊される予定ですので、興味のある方は工事が始まるまでに見学してください*2


▲在りし日の通称ガリバートンネル(正式名称は地下道連絡口「A14」)


https://goo.gl/maps/8SNpn3gzFPkMniVT9
▲ガリバートンネルの位置

JR三ノ宮駅の西端南側には、第二次世界大戦中に米軍機の機銃掃射によって付けられた弾痕が今も残っています。

戦争遺跡に興味のある方は、こちらをご覧ください。

戦争とは関係ありませんし、私は路線バスだったため立ち寄っていませんが、自家用車で大龍寺を訪れる場合は、山の南麓近くにあるビーナスブリッジと、その名前の由来となった金星台(金星を英語で「Venus(ヴィーナス)」と言います)を訪れてみてはいかがでしょうか。

金星台は、1874年12月9日にフランスの天文学者のチームが金星の太陽面通過を観測した場所で、この観測により当時の技術でも太陽と地球との距離を測ることができ、日本もその最先端の技術を学んだそうです。


https://goo.gl/maps/RJQuKKAJaSRpH1cD7
▲金星台の位置(金星台の北にビーナスブリッジがあり、ビーナスブリッジから少し登ったところに駐車場がある。)

*1:総務省のWebサイトにある「神戸市における戦災の状況(兵庫県)」のページに「こうして、3月17日、5月11日、6月5日の3回の大空襲によってほぼ神戸市域は壊滅した。」と書かれています。Wikipediaでは、「1945年(昭和20年)3月17日と、東半分および阪神間の町村を壊滅させた同年6月5日の爆撃を指して用いられることが多い。」とあります。

*2:2023年6月28日23:00付神戸新聞NEXTの記事「神戸・三宮の「ガリバートンネル」、駅前再整備で撤去? 幾多もの苦難かいくぐった隠れた名所」によると、2023年11月に閉鎖され、それ以降に取り壊されるそうです。