播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

紫電改と九七式艦攻の実物大模型が見られる:soraかさい

兵庫県加西市には旧日本軍の滑走路跡(姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場)が残っており、日本海軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」の実物大レプリカの公開が定期的に行われていました。

加西市はさらに九七式艦上攻撃機*1の実物大レプリカも作成し、紫電改と九七式艦攻を展示するための専用施設を4月に開業させるというニュースを少し前に聞いたのですが、その開業日が本日2022年4月18日(月)です。

施設の名前は「soraかさい」*2

休日に出勤した分の振替休日を取得し、来館予約を済ませて早速出かけてきました。

施設概要


▲soraかさい


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/sorakasai/index.html
▲soraかさいと防災備蓄倉庫の間で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2022年4月18日)

施設名称: 加西市地域活性化拠点施設「soraかさい」
所在地: 兵庫県加西市鶉野町2274-11
指定管理者: 神姫バスグループ共同事業体
開館時間: 午前9時~午後6時
入館料: 無料
休館日: 毎月第2・第4月曜日(月曜が祝日の場合は翌平日)、12/29~1/3
URL: https://sorakasai.jp/
注意事項: 紫電改と九七式艦攻が展示されているエリア(技術ゾーン)は撮影可能ですが、三脚や自撮り棒などの使用は禁止されています。各種資料が展示されている歴史ゾーンは、撮影禁止です。
開業日: 2022年4月18日(月)
備考:バリアフリーに対応(段差無し・エレベーター有り・身障者用トイレ有り)

交通アクセス

車の場合

山陽自動車道の加古川北インターチェンジから北へ約7km。
中国自動車道の加西北インターチェンジから南へ約6km。

鉄道の場合

北条鉄道の法華口駅から3km。


https://goo.gl/maps/4kfAgNoZqy2qaHRf8
▲soraかさいの所在地


▲駐車場の様子

鶉野飛行場の滑走路跡の北側には、滑走路に沿うように新しい道路が作られており、「soraかさい」の駐車場はその新しい方の道路から出入りするようになっています(滑走路跡の南側の道路沿いにある出入口は封鎖されていますが、今後開放されるかも知れません)。


▲滑走路跡の北側に作られた新しい道路

駐車場はsoraかさいの北側にあり、車を駐めた後は建物を回り込んで南側のエントランスから出入りするようになっています。

そのエントランス前には、以前はもっと南にあった平和祈念の碑や、御影石で作られた転圧ローラーが展示されています。


▲平和祈念の碑


▲転圧ローラー

転圧ローラー
この転圧ローラーは、鶉野飛行場の滑走路の地盤を固める整地の際に使用されたものです。ローラーの両端金具に太いロープを結わえ、十数人がかりで引っ張って動かしました。御影石を円形に削って仕上げてある大変珍しい転圧ローラーです。
戦後は加西市立加西中学校で使用されていましたが、その後、鶉野平和祈念の碑苑保存会に譲渡され、2021(令和3)年に加西市に寄贈されました。
(出典:現地の看板)

エントランスからsoraかさいに入ると、受付で事前予約の確認が行われ、確認が取れると入館させてもらえます。
入館料は無料。

入ってすぐ目に飛び込んでくるのは、紫電改の実物大模型。
以前は南に隣接する防災備蓄倉庫内にあったものです。


▲技術ゾーンに展示されている紫電改(2階から撮影)

その真上には、九七式艦上攻撃機の実物大模型が天井から吊り下げられています。


▲技術ゾーンの天井から吊り下げられている九七式艦上攻撃機(2階から撮影)

九七式艦上攻撃機 一一型(B5N1)実物大模型
かつて姫路海軍航空隊が飛行練習で使用し、同隊で編成された特別攻撃隊「白鷺隊」が特攻作戦に使用した九七式艦上攻撃機の実物大模型です。防衛省防衛研究所所蔵の「九七式一号艦攻取扱説明書(草案)」やわずかに残る実機の写真などの資料を参照し、外観や形状、寸法を正確に再現しています。搭載しているのは特攻出撃時と同じ800kg爆弾の模型です。
(出典:現地の説明パネル)

普通の写真では2機が収まらないので、全天球パノラマを撮影しました。
パノラマ画面内左上のリストで、2ヵ所で撮影したパノラマを切り替えてご覧頂けます。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/sorakasai20220418/index.html
▲技術ゾーンの展示(撮影日:2022年4月18日)

技術ゾーンには階段があって2階の高さまで上がれるため、紫電改を斜め上から眺められますし、天井から吊り下げられている九七式艦上攻撃機も目の高さに近いところで楽しめます

エレベーターがあり、階段を上がるのが難しい方でも2階に上がれます。


▲2階へ上がる階段

鶉野飛行場では航空機搭乗員の訓練が行われていたほか、滑走路南西に隣接する川西航空機の鶉野工場には、川西航空機姫路製作所(姫路市の京口駅の東に存在していた)で作られた紫電紫電改馬車で運び込まれ、その試験飛行も実施されていました。

太平洋戦争末期には時代遅れとなっていた九七式艦攻も練習用として鶉野飛行場に配備されていたため、紫電改と共に実物大模型が作成され、鶉野飛行場跡地に建つ「soraかさい」に展示されているというわけです。

九七式艦攻は爆弾か魚雷のいずれかを搭載できますが、soraかさいに展示されているレプリカに積まれているのは800kg爆弾。これは、鶉野飛行場で編成された神風(しんぷう)特別攻撃隊「白鷺隊(はくろたい)」の機体を再現したもの。

白鷺隊は鶉野飛行場から九州の宇佐を経て串良へ向かい、串良から特攻のために飛び立ちました。


▲天井から吊り下げられている九七式艦上攻撃機は、特攻に向かうため800kg爆弾を搭載した姿になっている

九七式艦上攻撃機のコクピットには3名の搭乗員(操縦員、偵察員、電信員)の人形が乗せられていて、この1機が特攻に出撃することで3名の若者が命を落とすことになるのが分かります。


▲九七式艦上攻撃機のコクピット(3人が乗っていることが分かる)

なお、鶉野から出撃した特攻機は97式艦攻の他、天山もあったそうです。

それぞれの機体の細かい部分を紹介します。

まずは紫電改。
細かいですが、プロペラには銘板が貼られています。


▲紫電改のプロペラに貼られた銘板

紫電改の尾部には銘板代わりのステンシルが入っており、その前方には穴が開いています。

これも実機を忠実に再現したもの。


▲紫電改の尾部

尾翼の下の穴
地上でエンジンの稼働試験をする際にも使用していた穴です。尾翼の浮き上がりを防止するために、直径5cm程度の鉄パイプを差し、左右2つずつ合計4個の石臼を重石としてぶら下げるなどしていました。それでも浮き上がる場合は、水平尾翼の上に数人が乗ることがありました。
(出典:現地の説明パネル)

この穴については、「試製紫電改取扱説明書」(昭和19年12月 海軍航空本部)の第311-1図で「擔棒貫通孔」*3と表記されています。

同説明書によると、機体の作動試験の際など主翼の下に「機体支持台」を、尾部に「尾部受台」を置き、擔棒貫通孔に擔棒を通して説明書に記載の重量の重しを吊り下げることになっています。

また、紫電改を地上で運転する際に尾部が持ち上がらないよう、「揚力減殺翼」を取り付ける目的でも擔棒貫通孔が使われることになっています。


▲紫電改の降着装置(大きい車輪止めは、当時のものを再現した形状をしている)

車輪カバーのライン
車輪カバーの青黄赤のラインは、赤色にかかると、主脚の油圧シリンダーの油漏れなど異常があるという簡単な目安となっていました。
(出典:現地の説明パネル)


▲主翼付け根に開いたイナーシャ用の穴

イナーシャ
エンジンに取り付けられたはずみ車を回すため、クランク棒を差し込み、人力ではずみ車を回転させ、その慣性力でエンジンを始動する装置です。セルモーターが実用化する以前は、自動車も人力でエンジンを始動する装置が使われていました。
(出典:現地の説明パネル)

紫電改の左後方には、コクピットの実物大模型が展示されており、座れませんが、計器盤やレバーを間近に眺めらます。


▲紫電改のコクピット(実物大模型)


▲コクピット実物大模型内部の様子

紫電改に関連する展示として、変わったものがあります。それは整備台。


▲「紫電」「紫電改」の整備台

「紫電」「紫電改」の整備台について
この整備台は「紫電」「紫電改」の整備に使用されていたものです。
戦後、整備台は加西郡内の各小学校で朝礼台として使用されました。長い年月の間に他の整備台は交換処分されていきましたが、最後のものが加西市立賀茂小学校に残っていました。
そして2014(平成26)年5月27日、この整備台は賀茂小学校の皆さんに見送られ、鶉野に戻ってきました。
交渉を重ねて入手した鶉野平和祈念の碑苑保存会から、2020(令和2)年加西市に寄贈されました。
(出典:現地の説明パネル)

続いて九七式艦上攻撃機ですが、こちらは紫電改のような細かい説明が見当たらず。

個人的に気になったのは、艦載機だからこそ存在する着艦フック*4

華奢に見えますが、当時の機体の重さやスピードだと、これくらいで充分だったのかな。


▲九七式艦上攻撃機の着艦フック

艦載機らしい特徴がもう一つありました。それは、主翼の裏面にハッキリと見えている黒い線。


▲九七式艦攻の主翼裏面には黒い線が見えている

説明はありませんでしたが、これはおそらく主翼を折りたたむための「折り目」だと思います。

空母の広さは限られているため、搭載される航空機は主翼を折りたためるようになっているのです*5。九七式艦攻はこの位置で主翼を折り曲げていたのでしょう。

技術ゾーンで2種類の機体を穴が開くほど見つめてじっくり楽しんだ後は、歴史ゾーンへ。

歴史ゾーン内は撮影禁止のため、写真はありません。


▲歴史ゾーンの入口(床に描かれた紫電改のシルエットが矢印の代わり)

歴史ゾーンには、当時の航空機搭乗員の装備品紫電改の部品(実物)特攻隊員の絶筆が描かれた落下傘の布(複製)などが展示されており、壁面には鶉野飛行場の歴史を分かりやすく解説した動画がプロジェクタで投影されています。

歴史ゾーンを出たら、技術ゾーンを通って出口へ。

出口にはミュージアムショップカフェがあり、地元の特産品や鶉野飛行場関連グッズ(紫電改や九七式艦攻がデザインされたTシャツやトートバッグ、ステッカーなど)が売られているので、お金に余裕を持ってお越しください。


▲館内マップ

せっかくなので、最後はsoraかさいの南から南西へ延びる鶉野飛行場の滑走路跡を眺めてから家路につきました。

当時の滑走路跡が残っている場所は、極めて珍しいと思います。


▲鶉野飛行場の滑走路跡

関連情報

「soraかさい」の近くには、当時の掩体と機関銃座が残っており、掩体には自衛隊から借り受けた航空機が展示されて往時の姿がイメージしやすくなっています。

鶉野飛行場跡地の周辺には、機関銃座や防空壕など様々な遺構が残っています。
これらも併せて見学してみてはいかがでしょうか。

鶉野飛行場は、太平洋戦争中に何度もアメリカ軍空母艦載機の攻撃を受けました。
その時の米軍側の戦闘報告書の内容をまとめた記事も過去に掲載していますので、興味のある方は下のリンクからご覧ください。

米軍機に対し、上記の機関銃座が活躍したかも知れません。

*1:「九七式」は「きゅうななしき」と読みます。艦上攻撃機は、略して「艦攻」と呼ばれます。

*2:soraの「s」は「scenery(景色)」、「o」は「opportunity(機会)」、「r」は「region(地域)」、「a」は「activity(活動)」の頭文字です。

*3:「擔」は「担」の意味。

*4:空母に下りる際、減速するため空母の甲板に張られたワイヤーにフックを引っ掛けた。

*5:現代の艦載機も、主翼の先端付近が折れ曲がるように作られています。