今日の神戸新聞を見ると、龍野城で甲冑展が開催されているとのこと。
現代の武器兵器も(見た目が)好きですが、日本刀や甲冑といった中世の武具も興味があるので、見に行くことにしました。
現代の武器兵器も(見た目が)好きですが、日本刀や甲冑といった中世の武具も興味があるので、見に行くことにしました。
イベント名称: 龍野城甲冑展
開催日: 2016年2月5日(金)~2月7日(日)
開催場所: 龍野城
時間: 9:00~16:00
料金: 甲冑展の見学は無料 お茶席は有料
開催日: 2016年2月5日(金)~2月7日(日)
開催場所: 龍野城
時間: 9:00~16:00
料金: 甲冑展の見学は無料 お茶席は有料
ついでに、龍野城の北側、鶏籠山(けいろうさん)の上にある中世の龍野城跡も見学することにします。
新聞に掲載されたら見に行く人は多いだろうと思い、車は揖保川左岸(東側)、龍野新大橋の南側にある駐車場(←クリックすると、Googleマップで河川敷の駐車場の位置が表示されます)に止めることにしました。
そこから龍野城へは、車に積んだ自転車で移動します。
そこから龍野城へは、車に積んだ自転車で移動します。
龍野新大橋の南東にある駐車場に車を止めたら、自転車で龍野新大橋を渡り、揖保川右岸を北上。
この揖保川沿いの道路にあるガードレールのようなコンクリート製構造物は、畳堤(たたみてい)。
畳堤について両岸の窓を開けたような堤防は、有事の際に洪水を防ぐため住民が畳を横にして差し込みます。畳は水を含むと膨張し強度を増し水圧に耐え特殊堤防となります。全国で九州延岡市の五ヶ瀬川、岐阜市の長良川との三箇所にあります。昭和二十二年、川の眺望を残してほしいと住民が要望し、施工されました。普段は畳堤の窓からも揖保川の景観を眺め楽しむことが可能です。霞城文化自然保勝会(出典:龍野観光駐車場内の看板)
途中、県道5号線沿い(ローソンの少し北東)にある龍野観光駐車場(←クリックすると、Googleマップで龍野観光駐車場の位置が表示されます)の前を通りましたが、満車でした。
観光客が大勢街中を歩いていたので、甲冑展が新聞に載っていなくても満車だったはず。
自転車なので多少遠回りをしても苦になりませんから、うすくち龍野醤油資料館やその別館の前を通ったり(前を通っただけ)、古い街並みを見ながらウロウロとサイクリング。
うすくち龍野醤油資料館と別館は過去にブログで紹介しています。(注:内容はブログ掲載当時のものです。現在は変わっているかも知れません。)
観光地巡りは、天気が良い場合に限りますが、自転車が最高です。
車は駐車場探しや駐車料金が負担ですし、徒歩だと遠回りするのがイヤになってしまいます。
車は駐車場探しや駐車料金が負担ですし、徒歩だと遠回りするのがイヤになってしまいます。
11:00
たつの市立歴史文化資料館の駐車場の隅に自転車を止め、龍野城の本丸御殿内部へ(地図中「龍野城」)。
たつの市立歴史文化資料館の駐車場の隅に自転車を止め、龍野城の本丸御殿内部へ(地図中「龍野城」)。
龍野城の埋門や本丸御殿は、過去にブログでパノラマを掲載していますので、興味のある方はどうぞ。(注:内容はブログ掲載当時のものです。現在は変わっているかも知れません。)
本丸御殿には靴を脱いで上がります。
入ってすぐの廊下にも甲冑が展示されていて驚きましたが、大半は昭和と平成の作品。
でも、写真撮影が自由で触ってもOKという、かなり開放的な展示です。
でも、写真撮影が自由で触ってもOKという、かなり開放的な展示です。
通常、展示されている甲冑はガラスケースの中などにあり、背面を見ることが出来ませんが、今回の展示は360度どこからでも見られます。
▲戦国期の甲冑の背面
龍野城本丸御殿内の甲冑展示スペースで撮影した全天球パノラマ(撮影日:2016年2月6日。使用機材:Ricoh Theta S)
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/tatsuno20160206/virtualtour.html
この展示会で、初めて「鎧」「甲冑」「具足」の違いも知りました。
・鎧・・・胴体部分の防具
・甲冑・・・鎧と甲だけを表し、小手やすね当てなどは含まない
・具足・・・「足りて具わる」という意味で、甲冑の他に小手やすね当て、佩楯(はいだて:太ももから膝の前面を守るパーツ)などを一式として製作されたもの
・甲冑・・・鎧と甲だけを表し、小手やすね当てなどは含まない
・具足・・・「足りて具わる」という意味で、甲冑の他に小手やすね当て、佩楯(はいだて:太ももから膝の前面を守るパーツ)などを一式として製作されたもの
11:20
本丸御殿の西には公衆トイレがあり、そのすぐ横に「鶏籠山 龍野古城登り口」と書かれた道標が立っています。
本丸御殿の西には公衆トイレがあり、そのすぐ横に「鶏籠山 龍野古城登り口」と書かれた道標が立っています。
それに従って登山口へ。
11:25
少し登ると龍野古城の復元図が描かれた案内板のある丁字路に突き当たりました。
道標は左を指して「紅葉谷登り口」、右を指して「龍野城登り口」となっています。
少し登ると龍野古城の復元図が描かれた案内板のある丁字路に突き当たりました。
道標は左を指して「紅葉谷登り口」、右を指して「龍野城登り口」となっています。
「龍野城登り口」と書かれた右側の道を進むことにしました。
この道は、現地に立つプレートによると「古城大手道」だそうです。
この道は、現地に立つプレートによると「古城大手道」だそうです。
鶏籠山龍野古城原生林に包まれた「鶏籠山」は、鶏の伏せ籠に似たような山だったので、その名がつけられたといわれ、山頂には、今もなお風雪に耐えてきた城の石垣などが残っています。山頂の城は、明応八年、(一四九九)に赤松一族によって築かれ、赤松村秀が最初の城主となり、この地方を治めていました。 赤松氏は政秀、広貞、広英と城主になり、四代七八年続きます。天正五年(一五七七)、天下統一をめざしていた織田信長は、播磨、中国地方を平定するため、家臣の羽柴秀吉に播磨攻めを命じます。秀吉軍は、二万の大軍で揖保川まで攻め寄り、この様子を眼下に見た赤松広英は、赤松の滅亡を憂い、城を明け渡し秀吉の軍門にくだります。(のちに、赤松広英は、但馬の国和田山、竹田城主となる)龍野城は、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉の最も信頼する重臣たちが代々城主となります。その後、一五九八年頃に山頂の城を取り壊して、ふもとの現在の地に城が築かれたといわれています。(徳川時代となり、ふもとの城は、元和三年(一六一七)龍野藩主として本田政朝が入城し、藩主が入替わりながら、藩主脇坂安斐、明治四年(一八七一)廃藩置県まで続く)龍野古城には本丸跡、二の丸跡、竪堀り跡、八幡宮跡、土塁跡、削平地跡などがあり、弓矢に利用されていた矢竹が群生しています。霞城文化自然保勝会 兵庫森林管理署(出典:現地の案内板)
▲案内板に描かれた龍野古城復元図
▲5mメッシュの地形データを見ると、山の上にあった頃の龍野城の形状がよく分かります。上の復元図と見比べてみて下さい。
麓に近いこの付近では細長い削平地の中を登りますが、やがて郭跡は無くなり、急な斜面をつづらに登っていくことになります。
11:40
小規模な削平地が階段状に並ぶ場所を通過。二の丸南東の尾根の肩です。
小規模な削平地が階段状に並ぶ場所を通過。二の丸南東の尾根の肩です。
11:41
「二の丸跡」と書かれた大きめの削平地に到着。218m標高点南東にある小ピークです。
殆ど展望はありません。
「二の丸跡」と書かれた大きめの削平地に到着。218m標高点南東にある小ピークです。
殆ど展望はありません。
二の丸から北へ少し下って本丸へ登り返すわけですが、本丸への道は直登するようには付けられておらず、東側から北へいったん回り込むような形に見えました。
ただ、下の画像の石垣へは、画像にも写っていますが「立入禁止」の幕のある方向から出てきたので、私が道を間違えたのかも知れません。
本丸の北東へ回り込むと、切岸には石垣が少し残っており、石畳と石段もあります。
石畳は、本丸北側にあった八幡宮の参道です。
石畳は、本丸北側にあった八幡宮の参道です。
石畳の上を進んでいくと、土留めの石積みや石垣に出会えます。
11:50
八幡宮跡地に向かって左側に土嚢で作られた道があり、それを進むと本丸跡に出ます。
八幡宮跡地に向かって左側に土嚢で作られた道があり、それを進むと本丸跡に出ます。
本丸跡は瓦片が散乱した広い削平地で、木々が生い茂って展望はありません。
本丸南側には、少しだけ矢竹がはえていました。
これで一通り城跡を見たことになるかなと思い、下山することにします。
往路をたどって龍野城へ下っても良いのですが、せっかくなので北西の両見坂への道も見てみることにしました。
11:56
本丸の北東へ戻り、石段を下ります。石段を下りたら左へ。
本丸の北東へ戻り、石段を下ります。石段を下りたら左へ。
▲古城石段と名付けられた石段を下った
本丸の北側へ下ったところにある郭跡にも、歴史を感じさせる石垣がいくつか残っていました。
本丸跡から北西へ下る道は砂が浮いて少し滑りやすいですが、それを除けば快適な尾根道です。
所々で北方面の展望が木々のすき間から望めました。
所々で北方面の展望が木々のすき間から望めました。
12:06
巨大な石灯籠のある両見坂に下りてきました(地図中「両見坂」)。
巨大な石灯籠のある両見坂に下りてきました(地図中「両見坂」)。
ここからは、地形図の通りほぼまっすぐに南へ下っていきます。
この道は舗装されているので、快適そのもの。
この道は舗装されているので、快適そのもの。
道の両側には削平地が残っていますが、道の左側、両見坂に近い場所は番所跡で、右側は侍屋敷跡のようです。
12:19
両見坂へ続く道の入口まで下りてきました(地図中「両見坂入口」)。
両見坂へ続く道の入口まで下りてきました(地図中「両見坂入口」)。
この後は、自転車を止めた資料館へ。
地図がなくても、道標が立っているので迷わずたどり着けます(龍野城方面を目指す)。
地図がなくても、道標が立っているので迷わずたどり着けます(龍野城方面を目指す)。
12:30
自転車を止めた資料館へ戻ってきました。
自転車を止めた資料館へ戻ってきました。