兵庫県の北部は天気が悪そうですし、気温が下がって低山歩きも快適になってきたので、兵庫県南部の善防山(ぜんぼうやま)にマイナーなルートで登ることにしました。
善防山は、ハイカー用に駐車場が開放されている善防公民館から歩く方が多く、公民館の近くの登山口から登るのが一般的。
登山者用SNSで山行記録を検索しても、たいていの方は同じようなルートを歩かれています。
そこで、駐車場から遠いところにあって使用する人が少ない「善望山東櫓登山口」から山頂を目指すことにしました。
▲「善望山東櫓登山口」からのルート(出典:善防公民館の駐車場に立つ「加西アルプス(善防山~笠松山)トレッキングマップ」。当ブログ管理人が「東櫓登山口からのコース」の文字を書き加えた。)
ここは過去に一度歩きましたが、その時は途中で意図的にルートを外れて薮漕ぎをしたため、今回はまじめにルートをたどることにします。
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「笠原」
▲カシミール3Dで作成したルートの断面図
09:45
姫路市街の自宅を車で出発。
国道372号線を東へ進み、姫路市と加西市の境界を越えておよそ3.5kmにある「善防(ぜんぼう)」交差点を左折します。
「善防」交差点から約1kmにある「王子町」交差点(三叉路)を左へ。
「王子町」交差点から500mで右手に加西市善防公民館が見えてくるので、その駐車場に車を止めました。
https://maps.app.goo.gl/9e56ryaJ67AJ7xkH7
▲加西市善防公民館の位置
10:25
善防公民館の駐車場に到着(地図中「P」)。
公民館の中にお手洗いと飲料の自動販売機があるので、お手洗いをお借りし、飲料を購入してから準備を整えました*1。
▲善防公民館の駐車場(中央に写っている家族連れも善防山へ登るハイカー)
10:38
準備が整ったので、善望山東櫓登山口へ向けて徒歩で出発。
今回の入山地点である「善望山東櫓登山口」は、「善防」交差点のおよそ250m北にあるため、「善防」交差点方面に向けて県道(高砂北条線)を南へ進みます。
途中で「烏帽子岩登山口」や「本丸登山口」前を通り過ぎ、公民館からおよそ1.3kmにある下の画像の場所で右折。
ここまでの車道は大半の区間で(道路の片側だけですが)歩道があるため、安心して歩けます。
▲善望山東櫓登山口の道標に従って右折
50mほど歩いたところで下のような場所に出会ったら、道標に従って左折すると登山口です。
▲善望山東櫓登山口直前の分岐
10:58
善望山東櫓登山口に到着しました(地図中「東櫓登山口」)。
▲善望山東櫓登山口
公民館からここまで歩く間、悪目立ちしないように長袖の服を着ていたのですが、暑い!
というわけで、ここで半袖に着替えました。
歩く人が少ないからか道は踏み固められておらず、マーキングも目立ちすぎない黄色いテープのため、マイナー感たっぷりで気分よく歩けます。
逆に言うと、整備された道を好む方にとっては不安になるような道。
▲東櫓登山口から谷を登る道の様子
11:06
「ウマ岩展望台」と書かれた道標に出会いました(地図中「ウマ岩展望台分岐」)。
良い景色を見るのも私の山歩きの目的の一つですから、登山道を離れてウマ岩展望台への細いトラバース道へ。
11:09
ウマ岩展望台に到着(地図中「ウマ岩展望台」)。
北東向きの展望を楽しめます。
▲ウマ岩展望台からの眺め
前回来たときはここから尾根を南西にたどって薮漕ぎをして稜線に出ましたが、今回は素直に登山道へ引き返し、正規のルートを歩きました。
11:14
谷を上り詰めた所は丁字路になっていました(地図中「東山頂分岐」)。
道標では左(東)へ行くと東山頂、右(西)へ行くと善防山城址となっています。
▲丁字路の道標
ここは当然「善防山城址」方面(右)へ進みます。
190.6m三角点ピークへの上り始めは、トラロープが垂れた露岩。
その先にもトラロープのある岩場があったり、ロープが手すり代わりに張られた急斜面です。
▲手すり代わりのロープが張られた急斜面を登る
標高170mまで登れば、あとはなだらか。
11:27
登山道をふさぐ壁のような岩に遭遇(地図中「衝立岩」)。
この記事では、勝手に「衝立岩」と呼ぶことにします。
▲衝立岩
善防山には山城がありましたから、この岩も城を守るために使われていたのかも知れません。こうやって妄想するのは、城跡歩きの楽しみの一つ。
11:29
四等三角点標石(点名:山ノ上)のあるピークを通過(地図中「点名:山ノ上」)。
ピーク感はなく、登山道のちょっとした盛り上がりに埋まっているという印象でした。
▲四等三角点標石(点名:山ノ上)
11:34
祭壇のような岩の段差の上に、怪獣の背びれのような奇岩がそびえる場所がありました(地図中「奇岩」)。
戦いの勝利を願って、この岩に願を掛けたりしていたのかも。
▲奇岩
11:41
奇岩からぐんぐん高度を下げて、鞍部に到着しました(地図中「支援学校分岐」)。
鞍部からは、東の支援学校方面に下山できるようです。
▲支援学校への分岐がある鞍部の様子
鞍部からの上り返しは、今回のルートのハイライト。
展望の良い岩尾根です(地図中「岩尾根」)。
▲鞍部から登り返す岩の斜面(鞍部に到着する直前に撮影)
岩は滑りにくく、両側に展望が開けていて最高。
この岩尾根で2016年3月に全天球パノラマを撮影したことがあるので、その際の画像を掲載します。
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/zenbosan20160321-1/virtualtour.html
▲岩尾根の様子(撮影日:2016年3月21日)
岩尾根は展望が良いので、東側にある巨大な砂防ダムもよく見えます。
▲巨大な砂防ダム
展望の良い岩尾根が終わると、今度は岩場の急斜面が連続して出てきました。
楽しい~。
▲例えばこんなのや…
▲こんな岩場がある
11:56
岩の急斜面を登りきると本丸登山口からの登山道が右から合流し(地図中「本丸登山口分岐」)、そのすぐ先で中央にCRTディスプレイのような形をした岩が鎮座する小さな削平地(山城の一部かな?)に出会いました。
▲岩が鎮座する削平地(小さな郭*2)
この小さな削平地の上にある広い削平地は、通称「第二頂上」。
山城としては四の郭(四の丸)の主部です(地図中「四の郭」)*3。
▲四の郭の最高地点にある削平地(第二頂上)
四の郭の西側には、石積みが残っています。
▲四の郭の西に残る石積み
四の郭と三の郭の間には、崖と巨岩に挟まれた細い道がありますが、これは山城らしい防御の工夫の痕跡だと思います。
▲崖と巨岩に挟まれた細い道を通らないと進めない
三の郭はプレートも展望も何もない小ピークなので、素通り。
石柱のようなものが見えたら、間もなく一の郭(善防山山頂)です。
▲石柱のようなもの(石垣の角の部分の残骸?)
12:03
標高251mの山頂に到着(地図中「一の郭」)。
▲善防山山頂(一の郭)の様子
こちらも2016年に全天球パノラマを撮影したので、参考のため掲載します。
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/zenbosan20160321-2/virtualtour.html
▲善防山山頂の全天球パノラマ(撮影日:2016年3月21日)
▲山頂に設置されている縄張図
善防山城
善防山城は、善防山(標高251m)の山頂にある。この山は、凝灰岩の岩質であるが、一の郭は、いわば城の主郭にあたる所で、腰郭が渦巻状に周囲を二重・三重に取り巻いている。そして、その郭の下に三カ所ほど石垣の一部が残っており、井戸らしい所も一か所残っている。また二の郭と一の郭との間には、削平地が二か所と、小堀切が残っており、三の郭も削平地だけが残っている。この三の郭は一の郭への連絡場所ではなかったかと思われる。さらに四の郭は小さく三段ぐらいに分かれているようにみうけられるが、低い所に石垣が一か所と虎口らしきもの一か所のほか、土塁も残っている。この四の郭は街道の押さえではなかったかと思われる。
室町時代の応永年間(1394~1428)に築城されたらしいが、史料不足のため、はっきりしたことがわからない。城主は赤松刑部(左馬介)則繁という。赤松義則の八男で、満祐の弟である。則繁は若い時から乱暴者で、応永31年3月、京都の細川持之の邸内で安藤某を殺害するという事件を起こし、将軍足利義持は激怒して則繁に切腹を命じたが、逐電し、義持の死後、ようやく許されて出仕したという前科がある。嘉吉の乱(嘉吉元、1441)で将軍足利義教の暗殺に成功すると、兄義雅も則繁も京都の邸を自焼して満祐に従って播磨に帰った。則繁は満祐からもっとも信頼されていた弟で、兄の命を受けて備中井原庄善福寺に足利直冬の孫が僧となって世を忍んでいたのを迎えに行き、書写東坂本の定願寺を仮御所とした「井原御所」義尊の擁立に成功した。則繁は追討軍に備えて美作口を守るはずであったが、実際に美作口を固めていたかどうかよくわからない。満祐と共に城ノ山城で全体の指揮をとっていたらしいふしもある。善防山城の城主が則繁だとしても、嘉吉の乱以前は京都にいることが多かったし、乱中は城ノ山城にいて、城にはわずかの留守部隊しか残っていなかった。城主のいない善防山城は山名軍に簡単に破られ、落城した。落城した時、則繁は室津に落ち延び、さらに倭寇となって朝鮮に渡り、清水将軍と名のって沿岸を荒らしたが、やがて九州に帰って少弐教頼と共に大内政弘を攻めたが、敗れ、播磨に帰った。が、すでに山名領国となっていてどうすることもできず、河内の畠山氏を頼った。これを知った幕府は、細川持常を派遣して則繁を討たせた。文安5年(1448)8月8日、則繁はその隠れ家の当麻寺を囲まれて無念のうちに自殺し、その首は京都で梟された。嘉吉の乱後、7年もたっている。
善防山城は山名氏が代わって城主を入れたのか、または落城後、廃城となったのか、それもわからない。
出典:日本城郭大系 第12巻 昭和56年3月15日初版第1刷発行 pp.404-405
発行所:株式会社 新人物往来社 編集所:株式会社 創史社
往路では誰にも出会わなかったのに、山頂には何人もの方が入れ代わり立ち代わりやってきます。
ハイカーさんが現れる方向から考えると笠松山方面、あるいは公民館前の登山口から登って来る方ばかりの様子。
山頂(最高地点)は人が多いので、そこから東へ一段下った削平地で昼食をとることにしました。
▲山頂から一段下った削平地で、北の山並みを眺めながら昼食休憩
本日の昼食は、モンベルで買った「パスタキット きのこ」。
▲パスタキットと、調理に必要な水とオリーブオイル*4
▲完成した「パスタキット きのこ」
エスプレッソパスタのような即席パスタも美味しいですが、こちらはもっと高級感のある仕上がり。
ワインが欲しい…車で来てるから、あっても飲めませんが…
パスタの後は、デザートに缶詰のチーズケーキ。
▲缶詰のチーズケーキ
本日は強風注意報が出ていたためドローンを持ってきませんでしたから、空撮は無し。
代わりに、2017年にドローンで撮影した善防山山頂の画像を紹介します。
▲善防山山頂(一の郭)の空撮画像(撮影日:2017年2月12日)
食事を楽しんだ後は、明神山や七種山塊、笠形山、千ケ峰、三草山、六甲山塊といった山並みを眺めながら、のんびりと贅沢なひと時を満喫。
13:04
幸せなひと時を十分に味わったので、下山開始。
私は「下山に時間を掛けたくない(早く帰って休みたい)」という考えなので、短い距離で公民館に直接降りられる「大手門登山口」への道で下山することにしました。
山頂の西端にある分岐を右(北)へ入ります。
▲笠松山方面への道と、公民館へ下る道の分岐(右が公民館への道)
標高220m付近までは一の郭(山城の一部)のため、階段状に削平地が並ぶ中を下ることになります。
山城好きの方なら楽しめるはず。
城域を出ると、トラロープが張られた急斜面で下ることになります。
つまり、善防山城は麓からこの尾根を登ってきた場合、急斜面をよじ登らないと城に入れなかったというわけです。
▲トラロープが張られた急下り
なだらかな部分と急斜面が出てくるのは、山城跡ならではだと思います。
少しでもお城に興味がある方は、こういった防御の工夫を体感しながら歩いてみると、いっそう山歩きを楽しめるのではないでしょうか。
13:14
道端に丸っこい岩があるのに出会いました(地図中「丸い岩」)。
善防山城は一の郭と二の郭にも同じような丸い岩がありますし、他の山城跡でもこのような岩が見られることがあります。
何のためのものなんだろう。
▲丸っこい岩
麓が近づいてくると、突然空が開けたザレザレの斜面に出ます。
少し道が分かりにくいのと滑りやすいことから、この斜面は要注意。
▲公民館を見下ろしながらザレた斜面を下る
▲公民館の向かい側(大手門登山口)に降りてきた
13:28
公民館の駐車場に到着。
14:15頃
自宅に到着。
参考情報
善防公民館内に、飲み物の自動販売機があります。
お手洗いは善防公民館内のほか、皿池と駐車場の間にも公衆トイレがあります。
公民館内のお手洗いは靴を脱がないといけませんが、公衆トイレは登山靴のまま使用できるため便利かも知れません。
▲駐車場と皿池の間にあるお手洗い
交通アクセス
公共交通機関では、北条鉄道の播磨下里駅が最寄り駅です。
今回紹介した東櫓登山口までの距離は、およそ1.5km。
神姫バスも登山口周辺を通っていますが、本数が少なく、利便性は鉄道ほど高くありません。