姫路城のすぐ近くで生まれ育ったため、身近に濠(ほり)や石垣があって当たり前という生活を送っているのですが、少し前にふと「濠の水ってどこから引いているのかな」という疑問が起こりました。
姫路城の西側で船場川(せんばがわ)と中濠(なかぼり)が並行して通っているため、川から水を引いているんだろうと漠然と考えていましたが、どこから水を取り込んで、水がどんな風に流れて濠全体に行き渡っているのかが分からなかったのです。
▲外堀の役割も果たしていた船場川(左)と姫路城の中濠(右)(市之橋から北向きに撮影)(2023年9月撮影)
そんな時、お城の周りを散歩していたら清水橋の近くで濠の水の流れを示す図が貼りつけられた記念碑を発見。
https://maps.app.goo.gl/QRRiaGrtUKceaP5HA
▲記念碑の位置
ずっと前からその石碑の存在は知っていたものの、そこに書かれている内容をきちんと読んだことはなかったのですが、なぜかその時はたまたま石碑をじっくり見ようという気が起こったのです。
その図がこちら。
▲現在の姫路城の濠の流路(出典:清水橋北側の「姫路城濠水質浄化事業 竣工記念碑」)(2023年9月撮影)
▲上の図を地形図に当てはめて作成した図(赤は見えている水の流れ。茶色は地下を通る水の流れ。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川、施設等の名称、矢印、引き出し線を描き加えた。)
9月のある休日、やることが無くて退屈だったため、この図をもとに姫路城の濠を流れる水の動きをたどることにしました。
こんなことに興味をもつ方はいらっしゃらないと思いますが、せっかく調べてみたのでブログ記事として公開することにします。
姫路城の濠に水を供給する船場川
上の図の最上部を見ると、北部中濠に船場川から水が引き込まれていることが分かります。
その船場川の起点から見に行くことにしました。
「川の源流まで行くのか?」と驚かれるかも知れませんが、実は船場川は姫路市街地の東部を流れる市川(いちかわ)の支流になっているため、市川から船場川が分かれる場所が起点になるのです。つまり、姫路市街地からそう遠く離れていません。
船場川の起点は、姫路市保城(ほうしろ)にある「飾磨樋門(しかまひもん)」。
https://maps.app.goo.gl/LuT5Tovo7kySjG2A7
▲飾磨樋門の位置
飾磨樋門は、国道312号線の歩道から見ることができます。
現在の飾磨樋門は明治36年のもので、花崗岩とレンガで作られています。
ここが船場川の起点になっており、飾磨樋門の脇には「船場川起点」の標石が立てられています(歩道からは見えません)。
▲国道312号線(「ゆ鳥 砥堀店」のすぐ北)から見た飾磨樋門(2023年9月撮影)
飾磨樋門から船場川はJR播但線の線路の東を通って南下し、JR野里駅の南で西へ向きを変えた後、姫路城の北西に向けて再び南下します。
姫路城の濠について
姫路城は内濠、中濠、外濠の三重の濠に守られていますが、実はそれらの濠は一続きになっています。
姫路城の濠は、天守閣の北東から反時計回りに渦巻き状に広がるという特殊な構造になっており、城域を拡大したい場合は、渦巻きを外側へ延ばせばいくらでもお城を広くできるという利点がありました(渦巻き状の濠があるのは、姫路城と江戸城くらいかな。姫路城は左巻き、江戸城は右巻きです。)。
姫路城の天守閣北東からぐるっと反時計回りに姫路城の内曲輪を囲んでから清水橋まで伸びる区間が「内濠」。
姫路城の西側で船場川と並走しながら南下し、今は埋め立てられて東向き一方通行の国道2号線になっている場所を東に進み、総社の辺りから北へ曲がって野里門や現在の導水を経由して清水橋まで伸びている区間が「中濠」。
船場川が一部を兼ねていた外濠は、外堀川としてJR姫路駅の東から城の北東にかけて一部が残っています。*1
船場川から北部中濠へ
姫路城の北側、シロトピア記念公園の北で、南下する船場川は西へ直角に折れ曲がります。
ここに架かっているのが坊主橋で、その近くにある取水口が現在、濠を満たす水の供給元(導水)になっています。
▲導水の位置(赤枠内)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が水の流れを示す矢印や赤枠を描き加えた。)
▲赤枠内の拡大地図(赤矢印は地上で水が流れる方向、坊主橋と北部中濠をつなぐ青い線は、地下を通る水路を表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川の名称、矢印、引き出し線等を描き加えた。)
▲坊主橋(左)の近くにある取水口(現在の導水)の様子(右の水門が北部中濠に続いている)(2023年9月撮影)
船場川から地下の導水管を通った水は、北部中濠に入って東と南に流れていきます。
▲北部中濠に入ってきた水の流れが波紋になっている(矢印の方向へ水が噴き出している)(2023年9月撮影)
まずは南へ流れる水がどうなるか見てみましょう。
北部中濠から内濠へ
船場川から取り込まれて南へ流れた水は、「鷺の清水」付近の取水口から地中を通って清水橋近くの「取水ポンプ施設」に行き、そこからポンプの力によって北勢隠門跡(きたせがくしもんあと)近くから東向きに噴き出します。
注:北勢隠門跡の北の道路は土橋になっているため、濠はここで分断されています。
▲清水橋周辺の位置(赤枠内)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が水の流れを示す矢印や赤枠を描き加えた。)
▲赤枠内の拡大地図(赤矢印は地上で水が流れる方向。茶色の矢印は、地中または橋の下など路面の下を通る水の流れを表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川の名称、地名、矢印、引き出し線等を描き加えた。)
▲鷺の清水(中央奥)付近の取水口(水が多すぎるときに船場川へ逃がすための排水路もある)(2023年9月撮影)
▲取水ポンプ施設(2023年9月撮影)
▲北勢隠門跡から東へ水が噴き出している場所の様子(矢印の方向に水が噴き出しており、わずかに波紋が見えている)(2023年9月撮影)
取水ポンプ施設から送り出された水は、北勢隠門跡から東へ進み、美術館の西側を南下。
大半の水はそのまま南へ進み、大手門前の内濠を西へ流れていきますが、一部の水は姫路城の東側、喜斎門跡(きさいもんあと)のポンプに吸い上げられて地下を通り、姫路城の濠の起点である天守北東(内濠(北側)の東端)に送られています。
▲喜斎門跡周辺の位置(赤枠内)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が水の流れを示す矢印や赤枠を描き加えた。)
▲赤枠内の拡大地図(赤矢印は地上で水が流れる方向。茶色の矢印は、地中を通る水の流れを表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や門の名称、矢印、引き出し線を描き加えた。)
▲喜斎門跡の様子(矢印の位置にある箱からパイプが伸びているため、ポンプだと思われる)(2023年9月撮影)
▲内濠(北側)東端(渦巻き状の濠の起点)に流れ込む水の様子(2023年9月撮影)
このように、内濠では清水橋近くの取水ポンプ施設から取り込まれた水の大半が時計回りで流れ、喜斎門跡のポンプに取り込まれた水が内濠(北側)の起点から反時計回りに流れているわけです。
内濠(西側)から西部中濠へ
姫路城の内濠に入ってきた水は、増える一方だと濠があふれてしまいます。
どこかから水を逃がす必要がありますが、そのための取水口があるのは内濠(西側)です。
取水口の具体的な位置は、「南勢隠門跡(みなみせがくしもんあと)」のすぐ南。
▲内濠(西側)周辺の位置(赤枠内)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が水の流れを示す矢印や赤枠を描き加えた。)
▲赤枠内の拡大地図(赤矢印は地上で水が流れる方向。茶色の矢印は、地中または橋の下など路面の下を通る水の流れを表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川の名称、矢印、引き出し線等を描き加えた。)
▲内濠(西側)(南勢隠門跡の南側)の取水口(2023年9月撮影)
▲内濠(西側)の取水口に入った水が西部中濠に流れ出す場所の様子(水の流れは分かりづらい)(2023年9月撮影)
▲水位が下がったり草が枯れると、水が出る穴が分かりやすくなる(2023年12月撮影)
西部中濠から船場川へ
西部中濠には、内濠(西側)から地下を通って流れ込む水の他に、船場川から取り込まれる水も入ってきます。
船場川から水が入ってくるのは、取水ポンプ施設のすぐ南。
大野川と合流した船場川は少しの間だけ真南に進み、取水ポンプ施設の付近で南西に向きを変えます。
そのカーブの頂点(外側)に取水口があって、川の水が西部中濠に入って来ます
▲船場川側から見た取水口(矢印の方向に水が入っていく)(2023年9月撮影)
▲西部中濠側の水の出口(勢いよく流れ込んでくる水に向かって魚が集まっていた)(2023年9月撮影)
西部中濠に入ってきた水は南下し、市之橋の北側にある取水口から船場川に排出されます。
▲市之橋周辺の拡大地図(赤矢印は地上で水が流れる方向。茶色の矢印は、地中または橋の下など路面の下を通る水の流れを表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川の名称、地名、矢印、引き出し線等を描き加えた。)
▲市之橋の北にある取水口と周辺の様子(北から南向きに撮影)(2023年9月撮影)
▲市之橋の取水口(2023年9月撮影)
▲取水口に落ちた水が船場川へ流れ出す場所の様子(矢印の方向へ水が流れ出す)(2023年9月撮影)
西部中濠は市之橋の南側にもありますが、市之橋の下でつながっていません。
つまり、市之橋の南側の西部中濠は独立した池のような状態。
そこに水を供給しているのは、市之橋の南側で船場川と中濠を仕切っている土手の下にある穴だと思われます。
▲市之橋の南にある中濠への取水口(?)(2023年9月撮影)
ここから中濠に入った水は、およそ300m南にある「車門跡」北の排水口から船場川へ流れ出しています。
▲車門跡近くから船場川へ排水する溝(矢印の方向に中濠から船場川へ水が流れ出す。奥が中濠。姫路市龍野町1丁目東端付近で撮影。)(2023年9月撮影)
現在東向き一方通行の国道2号線になっている場所は、往時は中濠でした。
今は埋め立てられてしまったため、南へ進んできた中濠の水の流れの追跡はここで終了。
北部中濠から東部中濠へ
船場川から北部中濠に入ってきた水は南と東の二手に分かれ、ここまでは南へ流れた水の行方をたどってきました。
次は、北部中濠に入ってから東へ流れて行った水の行き先を見てみます。
導水から東へおよそ400m、県道518号線(野里街道)に突き当たって北部中濠はいったん途切れます。
▲北部中濠が途切れる場所(赤枠内)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が水の流れを示す矢印や赤枠を描き加えた。)
▲赤枠内の拡大地図(中央を南北に走っている道路が県道518号線(野里街道)。赤矢印は地上で水が流れる方向。茶色の矢印は、地中を通る水の流れを表している。)(出典:地理院地図。当ブログ管理人が濠や川の名称、矢印等を描き加えた。)
途切れた場所にあるのは、ポンプ。
このポンプで吸い込まれた水は、野里街道の地下を通って反対側にある東部中濠の中に噴き出しています。
▲北部中濠の東端の様子(道路から濠へ下りる階段の下にポンプの操作盤がある)(2023年9月撮影)
▲東部中濠に水が噴き出している様子(矢印の方向に水が噴き出し、波紋ができている。姫路野里門郵便局の南で撮影。)(2023年9月撮影)
ポンプの力で東部中濠に送り込まれた水は、そのまま1kmほど南へ流れていきます。
▲南へ延びる東部中濠(姫路市竹田町の竹田橋から南向きに撮影。左は住宅街、右の林の向こうには学校や病院がある。)(2023年9月撮影)
ゆっくりと水が流れる東部中濠は、姫路城のすぐ南を東西に走る道路(城南線)に突き当たって途切れます。
東部中濠南端の西側には取水口があり、冒頭で紹介した濠の流路の図によると、この取水口から取り込まれた水は地下を通って西へ送られ、姫路護国神社の西側付近から内堀に戻されるようです。
▲東部中濠の南端(北から南向きに撮影)矢印の位置に取水口(2023年9月撮影)
▲東部中濠南端の取水口(2023年9月撮影)
以上が、現在の濠の水の流れを私が実際に見てまとめたものです。
往時はまた違った水の流れがあったのだと思いますが、現在はここで紹介したようにポンプの力を使い、濠の水を循環させて水を清潔に保つと同時に、空堀化を防いでいるようです。
ちなみに、濠の水が循環するのにかかる時間は、姫路市のWebサイトによると約5日間だそうです。
姫路城周囲の濠の水は船場川から取水しています。取水ポイントは2箇所ありますが、北部中濠にある取水口が主なポイントです。北部中濠へ入った水は東西へ分かれ、移流ポンプにより水を循環させています。濠の水は約5日間で循環し、最後は西部中濠から船場川へと戻ります。
(出典:姫路公園|姫路市(https://www.city.himeji.lg.jp/kanko/0000004631.html)2023年9月閲覧)
「取水ポイントは2箇所ありますが、」と書かれているのが気になります。北部中濠の他はどこなんだろう?
往時の水源や水位の管理については、次の情報を見つけました。
(5)姫路城の堀の水はどこからきていますか
姫路城の堀の水は、湧き水と船場川の水を主に利用していました。 現在も船場川の水を利用していますが、堀が途切れているところがあるので、ポンプで循環させています。
(出典:「改訂版 姫路城のなに?なぜ?」しろまる会発行)
江戸時代の堀水位の調整は、遺構としては十分に解明されてはいないが、清水門南にある大型会所(集水枡)などがこれらの機能を持っていたとも考えられる。現在は、内堀を含め暗渠導水管とポンプ等により堀の水を機械的に循環させ、水位は深さ50㎝から2m程度に調整している。
(出典:「特別史跡姫路城跡整備基本計画 ― 保存管理と整備・活用の指針 ― 平成23年(2011年)3月 姫路市商工観光局城周辺整備室 発行)
注意事項
- 流路の図は簡略化されているため、取水口の位置や地下の流路については、私の推測が含まれています。
- 清水橋の北にある石碑に貼られた流路の図を写真に撮り、それを見ながら濠をたどりました。取水口や排水口を見落とさないよう、徒歩でのんびり移動して観察しましたが、ぼーっとしていて見落とした流路があったかも知れません。
- 確実な情報を知りたい方は、各自で問い合わせ先を調べ、そちらへお問い合わせください。姫路城は広大で様々な種類の遺構があるため、場所や遺構の種類によって管理部署が異なるだろうと思い、そもそも私は管理部署を調べることすらしていません。
*1:姫路城西側の外濠は船場川がその役割を果たし、船場川から引かれた水が現在のJRの線路の北側を東に延び、JR播但線の線路の西側を北上して野里堀留町まで延びていました。現在も一部は残っています。