播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

兵庫県揖保郡太子町の城山(楯岩城跡)

2006年9月に一度だけ登ったことのある一等三角点の山、兵庫県揖保郡太子町(いぼぐんたいしちょう)の「城山」(楯岩城跡)に久しぶりに登ってみました。


▲若王子神社に設置されている、楯岩城について書かれた看板

楯岩城(太田城)
大岩が楯のように並ぶことからその名がついたといわれる楯岩城は、揖保郡と飾磨郡の境で、眼下に山陽道(西国街道)を望む重要な位置にあります。資料が少なく、具体的な姿はよくわかりませんが、江戸時代の地誌『播磨鑑』によると南北朝の頃(650年余り前)の赤松刑部少輔則弘(広岡氏の祖)が最初の城主で、その後、嘉吉から天正の頃(1440~1580年代)まで栄えました。戦国時代には広岡氏が居城し、永正18年(1521)、播磨国守護・赤松義村と守護代・浦上村宗の争いの最前線にあって緊迫した様子が、斑鳩寺に伝わる鵤荘政所の記録『鵤庄引付』に記されています。その後、羽柴秀吉が播磨の国を治めるようになって廃城になりました。
令和2年度 兵庫県・太子町
(出典:若王子神社に立つ看板)

当時は山頂の東に「聖園(ひじりえん)」という老人ホームがあり(今は取り壊されて太陽光発電所になっています)、そこから最短距離で山頂に立ちました。

最近になって西麓の若王子(にゃくおうじ)神社から遊歩道が整備されたと知り、その遊歩道を歩いてみたくなって本日は若王子神社から城山山頂へ往復することに。

本当は別のルートも歩きたかったのですが、この時期は家の近所でも蜂に出会うことが多くなり、山で人通りの少ないルートを歩くのは蜂(もちろん他の野生動物も)に出会う可能性が高くて危険だと判断しました(私は蜂が苦手なんです)。


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「龍野」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

09:30
姫路市街の自宅を車で出発。

姫路バイパスではない国道2号線を西へ進み、青山を過ぎてさらに西へ。
道路は途中、姫路バイパスをくぐったあたりで国道2号線から国道179号線に名前が変わります。

姫路バイパスをくぐって西へ進むことおよそ2km、「太田」交差点を右折します。
ここからは県道420号線です。

県道420号線は一部の道幅が狭いので、大きな車に乗っている方は要注意です。

「太田」交差点から北へ約1.5kmのところに「楯岩城跡→ 200m」と書かれた案内標識があるので、それに従って右折し、鳥居をくぐって車を進めます。


▲この標識が目印(奥に飲料の自販機が見えています。飲料を買い忘れても、ここで調達が可能。)

1車線幅の狭い道を進むと防獣ゲートがあり、左側に空き地もありますが、空き地には車止めがあって登山者の車はゲートの先、神社の境内に止めるよう看板に書かれています。


▲防獣ゲート(手前に開くので、車をゲートに近づけすぎてはいけない。)


▲ゲートの固定は閂やカギではなく鎖を使う

ゲートを開けて車を入れ、再度ゲートを閉じてから奥へ進むと、すぐに若王子神社の駐車場に出ました。


https://maps.app.goo.gl/w15eQhcYaDwHHVQL7
▲若王子神社の位置

10:04
若王子神社の駐車場に到着(地図中「P」)。
比較的清潔なお手洗いがあり、そのお手洗いの右に登山口があります。


▲若王子神社前の駐車場の様子


▲若王子神社

10:18
きれいなお手洗いで用を足し、仁徳天皇が御祭神になっている若王子神社でお参りをした後に出発。

「楯岩城址遊歩道」と書かれた看板と、楯岩城(太田城)について説明が書かれた看板(記事冒頭の画像参照)の間から始まる遊歩道へ入ります。


▲楯岩城址遊歩道の入口


▲道標によると楯岩城の本丸まで1.1km

序盤は自然林の広い谷間を緩やかに登っていきますが、200mほど進んだところで左に折れ、山肌を削って無理やり作った道に変わります。


▲序盤は広い谷間の道


▲途中から山肌を削って付けた道に変わる

この山のふもとには防獣ゲートがありましたが、それは山中に動物がいるから。
実際、今回は鹿に遭遇しました。鹿はこちらに危害を加えることがまずないため、特に問題はありません。イノシシとクマについては、そうは行きませんが…


▲鹿に出会った(山ではよく出会いますが、すぐ逃げるので写真を撮れるのは珍しい)

斜度が急なところには、角材で作られた階段もあります。


▲角材で作られた階段が一部の区間にある

遊歩道は木陰になっているため涼しいですし、それほど斜度がきついわけでもないからか、ドローンを含めて15kg近い荷物を担いでいてもほとんど汗をかかずに歩けました(私の個人的な感想です)。

右に谷を見る角材階段の道になれば、間もなく尾根の肩(標高160~170m付近)。

地形図を見ると、標高170m~180mほどの範囲が非常になだらかになっていますが、それは、楯岩城の三ノ丸跡です。


▲遊歩道から右に見える三ノ丸跡(郭*1跡が階段状になっている)

10:43
「楯岩城本丸へ 300m」と書かれた道標に出会いました(地図中「城山5号墳」)。
ここから先は二ノ丸で、その虎口(門)の役割を果たしていた場所らしく、道は右へ折れ曲がります。

右へ曲がったところにあったのは、古墳(?)
現地に看板はなく、兵庫県立考古博物館のWebサイトの「兵庫県遺跡地図」と比べると少しだけ位置がずれていますが、「城山5号墳」かな。


▲城山5号墳(?)

古墳から先は、岩が散らばった斜面を歩くことになります。
石垣が崩落したのかな。


▲二ノ丸は岩が多い

10:48
登山者に立ちふさがるかのような巨岩に出会いました(地図中「巨岩」)。
城が活躍していたころは、この巨岩も防御に活用されていたのでしょう。


▲尾根をふさぐ巨岩

この巨岩の左側に細い道が付けられているので、そこを通って先へ進みました。


▲巨岩の左に付けられた細い道

下山時に気づいたのですが、実はこの細い道は石積みで補強されています。


▲道を支える石積み

雰囲気的には、巨岩から先が本丸かな。
巨岩の脇を通って少し登ると、本丸を構成する複数の郭跡が姿を現しました。


▲楯岩城の本丸跡(最奥の最高地点にはNHKの中継所がある。その少し下の段にある茶色いものは、ベンチ一体型の机。)

楯岩城(たていわじょう)
標高250m/若王子神社から登る 所要時間3時間
曲輪跡、巨石、古墳等の歴史が多く残る山城

 楯岩城は巨石が楯(たて)のようにならんでいることからその名がついたと言われる。別名、太田城。赤松円心の孫の一人にあたる赤松則弘が、建武年間(1334~1338年)にこの城を築いたとされ、赤松一族の居城となるが、羽柴秀吉の播磨進攻で滅んだとされている。
 曲輪跡が非常に多く残っており、巨石も多く転がっていた。周辺には44基の古墳群もあり、城山付近からは須恵器の破片等も発掘できるそうだ。
 現在、本丸跡にはテレビ塔が設置されており、周囲の道はとても開けている。江戸時代は旗振り、狼煙の中継所であった。
 それほど難しい山ではない。山頂から下山の際の道間違いには注意を。また、若王子神社からの登山道は斜度が急なため、足全体を地面につける方法で登り降りするとよい(フラットフィッティング)。
(出典:「西播磨の山城を訪ねて-守護赤松の時代から秀吉の播磨進攻までの9山城跡-」西播磨地域ビジョン委員会~史跡と食を巡るチーム~ 令和元年12月発行)

10:55
昼食には早いので、城山山頂を目指してNHKの中継所横を通過(地図中「NHK中継所」)。


▲本丸最高地点に立つNHK太子デジタルテレビ中継放送所

中継所の東には幅の広い道がありますが、これは中継所の保守用の道路でしょう。


▲中継所の保守点検用道路を下る

10:59
アスファルト舗装されたこの保守用道路を東へ進み、下の写真の場所で道路を離れて山へ入ります。
目印は、「シロヤマ54」の電柱です(地図中「シロヤマ54電柱」)。


▲この場所から山道へ入る


▲電柱「シロヤマ54」のプレート

道ははっきりしませんが、山頂へのルートには赤テープが付けられていますし、高い方へ進んでいけば問題ないので、城山山頂へ行くのは比較的簡単です(個人的な意見です)。


▲城山山頂付近は岩が多い

城跡らしい階段状の地形が見えてきたら、城山山頂はもうすぐ。


▲階段状に削平地が並んでいる

11:06
大きな一等三角点標石が埋まった城山山頂に到着(地図中「城山」)。

ここも城跡だけあって広い削平地になっていますが、見晴らしは全くありません。

城山には一等三角点があります。
ということは、ここは周辺の一等三角点を見渡せる場所。

一等三角点は三角測量のために約45km間隔で設置されていますから、本来は木々が無ければ周囲45kmを見渡せる大展望の場所ということです。


▲城山山頂の様子


▲一等三角点標石(点名:大山)

Webサイトによっては、三角点ピークを大山構跡としているところもありますが、兵庫県立考古博物館のWebサイトで閲覧できる「兵庫県遺跡地図」では、おおむね標高150mの等高線より上の範囲全体が「楯岩城跡」とされており、楯岩城と大山構は区別されていません。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shiroyama20230930/index.html
▲城山山頂で撮影した全天球パノラマ(RICOH THETA Z1で撮影)

ちなみに、2006年9月に来たときは薮でした。
かなり整備されたのか、鹿による食害で植物が減ったのか、いずれにしても私にとってはありがたいことです。


▲参考:2006年9月に来た時の一等三角点標石(点名:大山)周辺の様子

11:15
城山山頂の雰囲気を満喫したので、楯岩城跡に向けて出発。
もと来た道を引き返します。

NHK中継所の手前で北の斜面を見ると、小規模な削平地や石積みのある小さな尾根がありました。これも城跡と関係があるのかな。


▲北側斜面で見つけた小規模な削平地と石積み

11:30
楯岩城の本丸に戻ってきました。
NHK中継所の2段下にあるベンチ一体型の机で昼食を頂くことにします。


▲本丸の様子(ドローンで撮影。切岸*2が急角度になっていることが良く分かる。私が立っている場所の右にあるのは、ベンチ一体型の机。)


▲ベンチ一体型の机がある削平地の様子


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/tateiwajo20230930/index.html
▲楯岩城本丸で撮影した全天球パノラマ(RICOH THETA Z1で撮影)

本日の昼食は、アメリカ軍の戦闘糧食「MRE」のメニュー番号1番「Chili with Beans」。スパイシーなソースの中に、ひき肉と豆が入ったものがメインディッシュです。


▲戦闘糧食「Chili with Beans」のパッケージ


▲Chili with Beans

歩いているときはほとんど出会わなかった蜂。

ところが、食事を始めると何匹もの蜂がどこからともなく現れて近づこうとしてきました。匂いに惹かれるのかな。

携帯防虫器から出る煙の威力なのか、一定の距離までしか近づいてこないため、蜂に威嚇されたり刺されることはありませんでしたが、やっぱり蜂は苦手…

この本丸からは、北側だけ展望が得られます。


▲本丸から見た明神山と七種山


▲本丸から見た広峰山塊


▲本丸からは白鳥城も見えた

12:40
昼食とドローン、景色を満喫したので、下山開始。
若王子神社へ向けて遊歩道を下ります。

ピストンだと面白くないかなと思っていましたが、往路と復路で城跡の見え方が全然違って楽しく歩けました。
巨岩の脇の細い道に石積みがあることに気づいたのも、下山時です。

途中では、遊歩道から見上げていた郭跡に入ってみましたが、郭の縁に土塁の痕跡のようなものが見られました。


▲一部の区間では遊歩道を通らず、郭跡を歩いた


▲郭跡と土塁の痕跡の間には溝のような窪みがあった

13:03
駐車場に到着。

13:35
往路を逆にたどって帰宅しました。


交通アクセス

自家用車の利用が一般的です。

公共交通機関で利用できそうなのは、神姫バス
国道179号線、「太田」交差点の100mほど西に「太田」バス停があります。

JR姫路駅の北口にある神姫バス3番のりばを発車する龍野行のバスが、「太田」バス停に止まります。

「太田」バス停から若王子神社へは、2km弱。
路線バスの本数は多くありませんので、バスを使われる場合はしっかりと予定を立ててください。

*1:郭は「くるわ」と読みます。山城で、斜面を削って平らにした場所のことをこう呼びます。

*2:きりぎし。郭と郭の間の段差のこと。