播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

三角点標石の生まれ故郷:香川県の小豆島

山歩きをしていると時々見かける三角点(測量に使う基準点)標石。
花崗岩でできたその標石は、大半が香川県の小豆島(しょうどしま)で作られました。

小豆島北部、道の駅 大坂城残石記念公園の近くに三角点標石を作るための岩を採取していた採石場があり、道の駅には一等三角点標石が展示されているとのこと。

日本の近代化を支えた小豆島産三角点
 測量に使用される基準点(三角点・水準点の総称)は、国土地理院が日本全国に設置していますが、そのほとんどが小豆島産の花崗岩です。その理由は、小豆島産の花崗岩は見た目の美しさだけではなく、風化しにくく耐久性に優れているほか、石工の技術力も高いため、基準点には小豆島産を使用することが明治時代に定められたからです。そんな大切な基準点標石は、当情報館の眼前にある谷沿いの採石場から産出されているものです。
(出典:現地の看板)

小豆島は私が住んでいる兵庫県姫路市から日帰りで遊びに行ける距離なので、「三角点標石の生まれ故郷」を見に行くことにしました。

姫路港からフェリーで小豆島の福田港へ行き、福田港から北廻りの路線バスで大阪城残石記念公園バス停へ移動。目的を果たしたら逆のルートで姫路港へ帰って来るという行程です。


▲姫路港で出航を待つフェリー(第三おりいぶ丸)

フェリーですから車も乗せられますが、車ごと行けばフェリーの運賃だけで片道8千円ほどになる(1名分の旅客運賃込)ため、車で行くのは諦めて小豆島内は路線バスで移動することにします。

注:この記事に記載されている公共交通機関の時刻や運賃は、記事掲載時点のものです。

09:00
姫路駅の北1番のりばから94系統「姫路港行」の路線バスが発車。

09:20
終点の姫路港バス停に到着。運賃は大人ひとり¥280です。

姫路港のポートセンタービル(乗船券うりば)に入り、右奥にある「小豆島(福田)ゆき」切符売り場で乗船券を購入します。

姫路港から福田港への旅客運賃は大人ひとり片道¥1,710ですが、往復で買うと5%引きで¥3,250になります(人だけで乗る場合は予約不要。先着順。)。

日帰りで乗船券を買われる際は、往復にすることをお勧めします。

注:フェリーですから車ごと乗船できますが、その場合は車両の全長に応じた運賃(旅客1名分の運賃込み。例えば全長4m未満の車両で片道¥7,910、4m以上5m未満で¥9,850。)を支払わないといけません。また、車ごと乗船する場合は事前の予約が必要です(空きがあれば予約なしでも乗れます)。


▲ポートセンタービル

乗船が可能な時刻になったらポートセンタービルを出て左前方、屋根のある通路を歩いてフェリーの脇へ向かい、係員さんに乗船券を渡してタラップから乗船。

09:50頃
定刻は09:45ですが、少し遅れてフェリーが姫路港を出発しました。

フェリーは船首を岸壁に付けて姫路港に停泊していました(車両は船首からフェリーに乗り込む)から、姫路港を出るときはいったんバックしてからぐるりと反転し、小豆島へ向かうことになります。

船内で一般の乗客が出入りできるのは3つのフロアで、最下層は駐車場(航行中は立ち入り禁止)、その上に客室があり、一番上は展望デッキ(屋外)です。

11:25
1時間40分かけて福田港に到着。

フェリーは福田港の直前で前後を反転させ、船尾から着岸しました。
姫路港でフェリーの船首から乗り込んだ車は先頭が船尾を向いていますから、船尾から着岸することで車は方向転換することなくフェリーから降りられるわけです。

私の場合、ここからの移動は路線バス。
私は個人的に「路線バスの利用は難しい」と考えています。

というのも、路線バスは運賃の支払い方法が会社によって違ったり、バスの進行方向によってバス停の位置が大きく異なっている場合があったり、標柱が片側の車線にしかなくて反対車線のバス停が見つからず、問い合わせると「見えているバス停の向かい側に立っていてください」と言われるようなバス停があったりするからです。
初心者には厳しい…

北廻り福田線の福田港バス停も、事前情報がないと見つからないかも。

北廻りの終点や南廻りの始発になる場合の福田港バス停は福田港の目の前にあるのですが、北廻りで福田港から出発する場合のバス停は、福田港を出て県道26号線を北へ120m進んだところにあるのです。


https://goo.gl/maps/W3f4Fn2uNw4ssFfN6?coh=178572&entry=tt
▲北廻り始発時の福田港バス停の位置


▲福田港バス停(北廻り始発)

11:50
福田港の北およそ120mにある「福田港」バス停から「北廻り福田線」の4系統「小豆島中央病院行」路線バスが発車。

小豆島の路線バスの乗り方は姫路市周辺を走る神姫(しんき)バスと同じで、後ろのドアから整理券を取って乗り込み、前ドアから降車するとき、整理券番号に応じた運賃を支払う方式です。

支払いには、現金の他に交通系ICカードが使えます(ICカード利用時は、乗車時にもカードリーダーにタッチしないといけません)。

12:20頃
「大阪城残石記念公園」バス停で下車。福田港から17kmも離れているのに、運賃は大人ひとり¥300です。距離に比べて安い!

ここから福田港方面の次の路線バスの発車時刻は14:12ですから、2時間近く滞在できます(それを逃すと16:32までバスがありません)。


▲大阪城残石記念公園

お腹が空いていたので、とりあえず休憩所でコンビニおにぎりを食べながら*1休憩所内を見渡すと、本日の目的の一つである「一等三角点標石の展示」がそこにありました。

資料館ではなく、休憩所の片隅にあったとは。


▲一等三角点標石(実物)の展示(全体)

一等三角点の場合、地表に出ている部分の高さが21cmで、十字が刻まれた上端の一辺は18cm。
地中に埋まっている部分は高さが61cmもあります。

盤石(ばんせき)は一辺が41cmで、高さは12cm。


▲展示されている一等三角点標石と盤石(合計重量は約140kg)向かって左側面に「国地院」、右側面に「基本」と刻まれている。

一等三角点標石は万一標石が亡失しても位置を復元しやすいように、下方盤石という目印の石を地中に埋めているのですが、ここの展示に下方盤石はありません。

地下1mほどに埋めた下方盤石の上30cmに盤石を置き、その上に標石を立てますが、下方盤石、盤石、標石の中心に刻まれている十字が一直線にそろうようにすることで、標石を交換するときも盤石の十字に合わせるだけで正確に標石の位置を復元できるわけです。

おにぎりを食べながら、普段は地中に埋まっていて見られない三角点標石をじっくり観察。

 展示されている三角点は一等三角点の柱石と盤石で、重量はあわせて約140kgあります。柱石下部や盤石は、当情報館のほかに「地図と測量の科学館(茨城県つくば市) 」でご覧いただけます。
 基準点を使用した測量は、建設工事等において、最初に実施されるため、小豆島の石が日本の近代化を支えていると言っても過言ではありません。
(出典:現地の看板)

「そもそも三角点ってなんやねん?」という方も多いと思います。
三角点については過去にこのブログで紹介したことがあるので、名前の由来や昔の測量方法について興味がある方は、下のリンク先の記事をお読みください。

三角点を一言で説明すると「位置がめちゃくちゃ正確に求められている地点」で、測量の際の基準として使うために標石(金属標の場合もある)が埋められています。

最近はGPS(GNSS)測量*2が一般的ですが、その際にも三角点は活躍します。

GPS(GNSS)測量と聞くと、位置を求めたい場所にGPS(GNSS)測量機器を設置するだけで三角点は無関係と思われるかも知れませんが、正しい位置を求めるために三角点は必要です。

例えばスマホやカーナビは、正しくない場所が現在地として表示される場合があります。
GPS(GNSS)は衛星からの電波を受信して現在地を求める仕組みですが、電波は様々なものの影響を受けやすい(誤差が出やすい)ため、必ずしも正確な位置が求まるわけではないのです。

過去にはGPS(GNSS)の仕組みを説明する記事も作っています。興味のある方はどうぞ。

精密に位置を求める必要があるGPS(GNSS)測量の場合は、最低でも「正確な位置が分かっている場所」「位置を知りたい場所」の2か所で測位を行い、それぞれの相対的な位置関係を求める相対測位と呼ばれる方法が使われます。

相対測位とは、簡単に説明すると次のようなものです。

①正確な位置を知りたいX(エックス)地点(求点)と、X地点の近くにある三角点(あるいはその他の正確に位置が分かっている場所。既知点。)にGPS(GNSS)測量機器を設置します。

②三角点とX地点で同時にGPS(GNSS)を使った測位(位置を測定すること)を行い、それぞれの座標を求めます*3

例えば、本来の座標が(0,0)の三角点と同時にX地点の座標を測位した結果、GPS(GNSS)衛星からの電波が大気などの影響を受けて誤差が発生し、三角点の座標が(1,1)、X地点の座標が(6,6)になったとします。

③座標をもとに、三角点とX地点の位置関係を計算で求めます。
この例では、X地点は三角点からX軸方向へ+5、Y軸方向へ+5の位置にあります。


▲GPS(GNSS)測量の結果、本来は座標が(0,0)の三角点の座標が(1,1)になったとする

④三角点とX地点が③で求めた位置関係になるように、三角点の正しい座標を基準にしてX地点の座標を計算で求めます。

今回の例では、三角点の座標を正しい値(0,0)にすると、X地点の正しい座標は(5,5)だとわかります。


▲三角点とX地点の位置関係を保ったまま三角点を本来の座標にずらすと、X地点の正しい座標が分かる

衛星からの電波が何らかの影響を受けて誤差が出たとしても、「その時の測位で得られた座標」と「三角点の正しい座標」の差を計算すれば誤差が分かるため、求点の位置を正確に知ることができるのです*4

このように、三角点は位置を求めるための基準として重要な役割を果たしています
決して「山頂の目印」ではありません。(←そう思っている人が多いらしく、登った山に三角点がないことに対して文句を言う人やら、「なんだ、四等三角点か」などと意味不明な感想を言うハイカーさんがいたりしてモヤモヤした気持ちになることがあるので、唐突ですがこんなことを書きました。)

最近は、既知点として三角点の代わりに電子基準点(日々変化する座標値がオンラインで公開されています)を使った相対測位が行われているようです。
電子基準点の座標を利用すると、求点に測量機器を設置するだけで相対測位ができるので、効率よく測量ができるというわけ。

「なぜ測量に詳しいの?」と疑問に思われるかも知れませんが、当ブログ管理人は山歩きで見かけた三角点から測量に興味を持ち、(仕事に全く必要ないのに)測量士補の資格*5を取った変人だからです(遠い昔の話で、勉強したことをかなり忘れてます)。

脱線しすぎたので本筋に戻りましょう。


休憩所の隣にあるきれいなお手洗いで用を足してから、続いては大阪城残石資料館の見学です。(道の駅には、北から順に大阪城残石資料館、売店、休憩所、お手洗いがあります。)


▲大阪城残石資料館

昔々、人力だけで大きな岩を切り出して遠くへ運んだ技術に興味があったので、この資料館を見るのも楽しみにしていました。

展示を見ると、特に高度な技術があったわけではなく、とにかく膨大な労力と時間をかけていたことを思い知ることになります。


▲岩を割るのに使われていた矢(くさび)私の手は、サイズ比較のために写しました。

時代が下ると、今でいう発破のようなことを行っていたようです。
岩に深い穴をあけ、その中に黒色火薬を詰め込んで爆発させるというもの。

岩に深い穴をあけるための道具も展示されていましたが、ぱっと見はただの長い鉄の棒です。


▲火薬を詰めるための穴をあけるための煙硝(えんしょう)ノミ

煙硝ノミ
火薬を入れる穴を掘るノミである。まずマルノミで一寸ばかり掘り、そのあとエンショウノミで掘る。ノミの長さは一尺から基本的には一尺刻みに一丈をはるかにこすものまである。鍛冶をして自分で作る。購入した鋼棒を必要な長さにタガネで切り、一方の端を火床で焼いてテットウで蛤状の刃先を打ち出し、ナラシで締め込む。最後に、ヤキを入れる
(出典:現地のパネル)


▲煙硝ノミの先端(刃先)

切り出した石を運び出すのも当然人力ですが、小さな石は今でいうリヤカーか台車のようなもので運んでいたようです。

現代人の間隔で「持ち手」と思われる部分が細くとがっているのが不思議です。持ちづらそうですが、そもそも使い方が私たちの想定と違うのかな。


▲石を運ぶための車

他にも石を加工するための工具や道具が数多く展示されていましたが、見れば見るほど「昔の人はすごい」とありきたりの驚き方しかできなくなります。

大きな岩を運ぶための「修羅(しゅら)」は、資料館の外(北側)に展示されていました。


▲修羅

今でいう「ウィンチ」に相当する「ロクロ」も修羅の隣に置かれています。


▲ロクロ

残石資料館の北には、大阪城へ運ばれずに残置された石を一列に並べた場所があります。


▲小海残石群

香川県指定文化財
 史跡 大阪城石垣石切とび越丁場跡および小海残石群

昭和四十六年四月三十日指定

 これより東方、とび越神社西隣に大阪城再築石垣用の巨石を切り出した丁場跡が残っている。
 古い記録には同様の石切丁場が、小海村だけで七ヶ所あったと記されており、ここはその一つである。旧港の防波堤上に並べられていた平石・四十個と海中にあった数個の平石は「残念石」と呼ばれ、元和九年(一六二三)ごろには既に積み残され各地に散在していたものを、明治初年にここへ集められたものである。
 この残石群にも各種の刻印や刻文が刻まれている。刻文は、大阪城千貫やぐらの水際角石などの細川家の普請丁場の石垣の刻文と同じものである。
 平成二十六年九月吉日

土庄町教育委員会

(出典:現地の看板)

資料館をじっくり見学しても、まだ13:00過ぎでした。
帰りのバスは14:12発ですから、まだ1時間ほどあります。

というわけで、大阪城残石記念公園の周辺に残っている丁場跡(石切場跡)を見て回ることにしました。

それらの丁場跡を見に行くと、三角点標石が切り出された採石場に近づくことになるので、ついでに「三角点標石の生まれ故郷」を近くから眺められます。

まず向かったのは、上で引用した看板で「これより東方、とび越神社西隣」と書かれている大坂城石垣石切北山丁場跡


https://goo.gl/maps/qaMuuWPYEgk8UsSE8?coh=178572&entry=tt
▲大坂城石垣石切北山丁場跡の位置


▲大坂城石垣石切北山丁場跡がある「とび越神社」(畑と田んぼの間のあぜ道状の道を通っていく*6


▲とび越神社の西に残置されている石(矢穴がある)

史跡 大坂城石垣石切北山丁場跡

平成六年二月四日指定

 元和六年(一六二〇)から始まる大阪城修築工事用の石垣石切丁場は、小海地区だけで、六ケ所あったと「三宅家古文書」に記されている。
 ここは、その中の一つ「北山」丁場跡の一部である。石垣石やそげ石など十数個が、雑木林の中に、こけ蒸して散在している。その中に、「八百九ノ内」と刻印されているものがある。(後略)
(出典:とび越神社内の看板。原文まま)

続いて、とび越神社の南東320mほどにある小豆島霊場第 78番 雲故庵へ向かいました。
ここは「大坂城石垣石切 とびがらす丁場跡」とされています。

残念ながら雲故庵の前に標柱が立っているだけで、石切場跡らしき雰囲気は分かりませんでした。


▲大坂城石垣石切 とびがらす丁場跡の碑

ここには、現存する江戸時代の高札場があります。


▲小海の高札場

建造物 小海の高札場

昭和四十三年二月二十五日指定

 高札場は藩政時代に庄屋が代官所の命令や布告事項を庶民に周知する掲示場である。木造本瓦葺切妻造の建物で、正面三m奥行一m。内部正面奥壁に五段の桟をつけて周知事項を掲示するようにし、両側面は壁、全面は連子子にしている。
 ここは旧小海郷庄屋三宅家の屋敷であるが高札場はこのような庄屋付近や人の集まる所に設置された。
島内では現存唯一の江戸時代のものである。
 平成八年三月吉日

土庄町教育委員会

(出典:現地の看板)

高札場から100mほど西へ行くと、大坂城石垣石切宮ノ上丁場跡の案内板があります。

案内板の地図に従って進むと、「大坂城石垣石切宮ノ上丁場跡」と刻まれた石柱に出合いますが、防獣柵の奥にあるため入ることはできません。


▲大坂城石垣石切宮ノ上丁場跡の碑

これらの丁場跡を3か所回っても、かかった時間は30分でした。

そうそう、三角点標石が生み出された採石場は、大阪城残石記念公園の休憩所内の展示によると、小海集落南部の谷間です。


▲標石の採石場の位置(出典:大阪城残石記念公園休憩所内のパネル)


▲小海集落から見た標石の採石場跡

これで、本日の目的はすべて果たしました。

大阪城残石記念公園に戻って売店でお土産を買い、休憩所で汗を乾かしながらふと腕時計を見ると14時。

14:12
お手洗いに行ってからバス停で待っていたら、時間通りに福田港行のバスがやってきました。


▲大阪城残石記念公園前にある福田港方面のバス停

14:40
時間通りに終点の福田港バス停に到着。運賃は往路と同じで¥300です。

先発のフェリーは15:30。
適当に時間をつぶしてから乗船しました。

15:30
福田港からフェリーが出航。

普段はなかなか見られない家島諸島の西島にある頂ノ岩(コウナイの石)も、フェリーからだと間近に見られます。


▲フェリーから見た西島の「頂ノ岩」(コウナイの石)(窓越しの撮影のため、色合いが少し変になっています)

17:10
姫路港に到着。

フェリーは船首から着岸し、福田港で船尾から乗り込んだ車は(方向転換することなく)そのまま船首から下船します。

17:35
ポートセンタービルの目の前にある姫路港バス停から94系統「姫路駅行」の路線バスが発車。

18:00頃
終点の姫路駅北口に到着。運賃は大人ひとり¥280です。

*1:道の駅には軽食を提供する売店がありますが、そのことを知らなかったので事前におにぎりを購入して行きました。

*2:GPS(Global Positioning System=全地球測位システム)は、GNSS(Global Navigation Satellite System=全地球航法衛星システム)と呼ばれるものの内、アメリカ軍が管理しているものだけを指し、スマホやナビでは「みちびき」や「GLONASS」などGPS以外の測位衛星も使われています。そのため、衛星を使った測位の仕組みは「GNSS」と呼ぶのが正しいと言えます。

*3:測量で使用する座標の場合は本来X軸が縦でY軸が横ですが、ここでは一般的な数学用の方式で座標を示しています。

*4:X地点の近くにある三角点を既知点にするのは、発生する誤差が同じくらいになるからです。遠く離れた場所の既知点を基準にしても、その場所の大気とX地点上空の大気の状態が異なれば、発生する誤差に違いが出てしまいます。

*5:私が合格した2011年度の国家試験の合格率は21.4%。私が取った資格は測量士補です。合格率だけ見ると難しい試験のように思えますが、受験者に高校生が多く、彼らが合格しないため合格率が下がっているだけで、実際はそれほど難しくありません。測量士の試験は本当に難しくて、同じ年の測量士の国家試験合格率は11.9%でした。

*6:Googleマップの標準表示では神社への道が表示されません。航空写真に切り替えると、あぜ道状の道が分かります。