兵庫県に神崎郡(かんざきぐん)という地名がありますが、本日はその地名の由来となった神前山(かむさきやま)を歩いて来ました。
南麓の二之宮神社から登り、東の千束(せんぞく)登山口へ下るというルートです。
神前山 標高333m
およそ1300年前に作られた「播磨国風土記」に、宍粟市にある伊和神社の神様の子どもである建石敷命(たけいわしきのみこと)がこの山に降り立ち、神様がいる山ということで神前山と呼ばれ「神崎郡」の由来になったと書かれています。
山内には、建石敷命が降り立ったとされる大きな岩「磐座(いわくら)」があります。
(出典:二之宮神社境内の看板)
▲神前山の磐座
▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」
▲カシミール3Dで作成したルートの断面図
09:30
姫路市街の自宅を車で出発。
国道312号線を北上してJR福崎駅を目指します(「福崎新町」交差点を直進して県道405号線に入る)。
JR播但線を渡る手前(たばこの自販機を置いたお店のある交差点)で右折し、播但線の線路沿いに北へ進みます。
先ほどの交差点から線路沿いに北へおよそ750mほど行くと、左側に踏切(第二清水踏切)があります。この踏切で播但線の線路を越えたら、後は道なりに北へ集落の中の道を進んでいけば、およそ500mで二之宮神社の駐車場に突き当たります。
道路は細いので、要注意。
▲二之宮神社の入口
10:10
二之宮神社の駐車場に到着(地図中「P」)。
▲二之宮神社の駐車場(?)の様子
https://goo.gl/maps/jqVyECSK6m9FktFs7
▲二之宮神社の駐車場の位置
10:16
準備が整ったので、出発。
二之宮神社の鳥居をくぐり、石段を上がります。
▲鳥居をくぐって石段を上がる
参門をくぐったところは広場になっており、広場の東側には玉垣に挟まれた道があります。
そこに登山口の道標が立っていました。
▲登山口へ案内する道標
登山口の位置が確認できたので、広場の北端にある石段を上がり、二之宮神社の正殿でお参り。
▲広場の北にある石段を登ってお参りをした
由緒御祭神
中央正殿 建石敷命
東殿 二之宮大神・坂戸神・水神・大歳大神
西殿 女護神人皇四十三代元明天皇和銅六年(皇紀千三百七十三年)五月二日撰上の「播磨風土記」に「神崎郡右所以號神前者伊和大神之子建石敷命在於山使(按比使恐崎誤歟)村神前山乃因神在為名故曰神崎郡」とあり「山河を隔てて国県を分け阡陌に邑、国を定められた」のが皇紀七百九十四年でありこのときにはすでに祀られていた「南にシカマの沖を見晴るかしまし北に粟賀の里を見下します神崎山に在せませし」を崇神天皇の御代「皇紀五百七十年頃」山麓の現在地に移遷奉齋されていましたが、皇紀二千百四十八年湊川の戦いに敗れた楠木正成公の一族橋本四郎左衛門忠純此の地に来り直谷にお祀りしていた二之宮大神を迎え奉り氏神としてお祀り申し上げました。
このときから二之宮神社と稱せられ、本郡の鎮守様で領主大名地頭の崇敬篤く郡名起源の宮、本郡開拓の祖神として崇められてきました。平成十五年十月建立(出典:現地の看板)
正殿から石段を下りて広場に戻り、先ほど見つけた登山口への道標にしたがって玉垣の間の道を進みます。
道標では玉垣沿いに左へ曲がるように矢印が描かれていますが、正面に車が置かれた空間が見えました。「何だろう?」と思って道標に従わず直進すると、そこは民家の庭のような不思議な場所。しかし、公衆トイレらしきものがありました。
民家の敷地のようにも見える場所ですが、どうみても公衆トイレなので、ここで用を足すことにしました(地図中「公衆トイレ」)。
▲公衆トイレ(きれいなお手洗いだった)
10:25
玉垣沿いの道に戻り、道標に従って玉垣に沿って北へ進んでいくと、先ほどお参りした正殿に向かって右側に登山口がありました(地図中「登山口」)。
広場に戻らなくても、正殿でお参りをしてからそのまま右へ行けば良かったようです。
▲登山口と正殿の位置関係
登山口の道標によると、神前山山頂までは1.1kmの道のり。
蜂の巣があるので、蜂が活発な時期は千束登山口へのコースを歩かないようにとの警告がありましたが、12月なら大丈夫でしょう。
▲登山口
登山道は自然林の中を通る雰囲気の良い道ですが、深い落ち葉の層に覆い隠されてどこが道なのかよく分かりません。
尾根が広くなっている標高の低い区間は、ピンクテープが頼り。
尾根が細くなって形がはっきりしてくると、尾根の中心を通る道もはっきり見えてきます。
▲尾根の中心を歩く区間の様子
やがて手すりのようにロープが張られているのに出会いました。
ロープに従って進むと、間もなく道は尾根の中心から東へはずれていきます。
▲手すり状のロープの先で道は尾根の中心から東へはずれる
尾根の東側斜面をトラバースするように歩くこと数分、前方に紅白鉄塔が見えてきました。
紅白鉄塔の足元には道標があり、南を指して「磐座」となっています。
神前山山頂に行く前に、神様が降り立った巨岩(磐座)を見に行きましょう。
▲紅白鉄塔の下にある道標(「磐座」方面へ向かった)
10:47
自然林の斜面を登ると、すぐに磐座です。
大展望に面した巨岩かと思いましたが、それは稜線の東側斜面にひっそりと佇んでいました(地図中「磐座」)。
▲お供え物が置かれた磐座
磐座の南には、ベンチ状に丸太が置かれた見晴らしの良い場所もあります。
▲磐座の南から南方面を見る
磐座と展望所の間には、福崎町が設置した地籍図根三角点(ちせきずこんさんかくてん)標石もありました。
樹脂製のパイプの中に埋設されており、樹脂製の蓋でしっかり守られています。
測量旗がついたままの紅白ポールがまだ残っているので、最近設置されて測量されたのかな。
▲磐座のそばに埋設されている地籍図根三角点(矢印が示す丸い蓋の中にある)
10:54
神前山山頂に向けて、磐座を出発。
先ほど出会った紅白鉄塔の方へ戻ります。
10:56
紅白鉄塔の銘板を探し、「播磨線101」であることを確認(地図中「紅白鉄塔」)。
この鉄塔の銘板は見づらい場所にあります(北西の脚に西向きに付いている)。
▲紅白鉄塔(播磨線101)を真下から見上げる
紅白鉄塔下を通過し、北へ続く登山道を進みます。
▲紅白鉄塔から北へ延びる道の様子
登山道脇にシダが出てきたら、神前山の山頂はもうすぐです。
▲神前山山頂が近づくとシダが増えてくる
11:11
磐座のそばで見たのと同じタイプの基準点横を通過し、神前山山頂に到着(地図中「神前山」)。
▲神前山山頂の看板
展望はないと思っていたのですが、南東方向の景色が楽しめます。
良い方向へ期待が外れたので、喜んで展望を満喫。
一眼レフカメラで全天球パノラマも撮影しました。
▲南東の展望を楽しめた
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kamusakiyama20201206/virtualtour.html
▲神前山山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影機材:Nikon D7100、AF DX Fisheye Nikkor ED 10.5mm F2.8G)
ちなみに、神前山というのは山崎地区での呼び方なのかな。
神前山から市川を挟んで東にある西田中地区出身の親戚がいるので山の名前を尋ねると、「センゾクって呼んでた」とのことでした。
実際、山頂のプレートには「神前山」の他に「千束山」と「扇山」の名前が併記されています。
11:34
思いのほか気持ちよい場所だったので長居をしてしまいましたが、出発。
昼食は、神前山の北東にある展望所(インターネットで得た情報)で食べる予定にしていたので、神前山では食べていません。
「展望所」を目指し、山頂に立つ道標が示す「千束登山口」方面へ下ります。
▲神前山山頂の道標
神前山山頂から東へ延びる稜線上の道も良い雰囲気。
落ち着きます。
▲神前山山頂から東へ延びる稜線の様子
千束登山口への分岐(地図中「千束登山口分岐」)を通過。
▲千束登山口への分岐
11:41
私がインターネットで調べた展望所と思われる場所に到着。テレビの共同受信アンテナを設置するための柱や機材の残骸がある場所です(地図中「共同受信アンテナ跡」)。
私が見た情報が古かったのか、周囲の植物が大きくなっていて展望はあまりありませんでした。
▲テレビの共同受信アンテナ跡
樹間から北や東を眺めることができるので、多少の展望は楽しめます。
「神前山山頂で食事をすべきだった」と後悔しましたが、戻るのも面倒なのでここで昼食。
本日の昼食は、アメリカ軍の戦闘糧食(ミリメシ)である「MREレーション」。
中身は、メインディッシュが「チリ&マカロニ」。挽肉(?)が入ったスパイシーなソースで和えたマカロニです。
▲MREレーションのパッケージ
▲本日の昼食環境
麓の道路を走る車が太陽光を反射してキラキラと輝きながら動いている様子が、なんだかきれい。
動いている様子がそのまま見えるより、木の枝越しに不規則に視界に入ってくるのが良かったのかな。
▲共同受信アンテナ跡から見た七種山塊
▲共同受信アンテナ跡から見た鶴居城跡と谷城跡
12:35
昼食と多少の展望を満喫したので、下山開始。
二之宮神社へピストンで戻っても面白くないので、千束登山口へ下ります。
神社の登山口に蜂に注意するよう警告がありましたが、この時期なら大丈夫でしょう。
千束登山口分岐へ戻り、南東へ延びる尾根を下ります。
下りはじめは斜度がきつく、落ち葉も深くて歩きづらい道。
▲JRの境界標石が埋まっている尾根を下る
途中で進路が南寄りに変わりますが、このあたりは「マーキングテープを注意深く探してください」としか言いようがありません。
▲中央にピンクのテープが写っていますが、これがなければどこが道なのか分からない
今回私が下山のために歩いたルートは、かなり分かりづらいです。
南向きの道はつづら折れのようになっていますが、何本もの道が交錯しており、ただでさえ分かりにくい道がさらに分かりにくくなっています。
マーキングテープを探しながら慎重に下っていると、一匹のスズメバチと遭遇。
「こんな時期なのにまだいるのか」と思っていたら、その蜂が林の中に入っていくと、他のスズメバチがわらわらと何匹も出てきました。巣が近くにあるようです。
急いでその場を離れて難を逃れましたが、こんなに気温が下がっているのにまだスズメバチは活動しています。ご注意ください。
12:50
展望岩を通過(地図中「展望岩」)。
▲展望岩とその近くの道標
道は展望岩の下を通るように付けられていますが、そこは巨大な岩壁になっており、その上部には大きな蜂の巣の残骸が残っていました。
あれが現役の時期にここを通るのは自殺行為だったでしょう。
▲蜂の巣の跡がある岩壁(赤丸の中に巣の跡がある)
12:56
岩が散乱する谷間に出ましたが、何かを感じて振り返ると、そこにあったのはほら穴(地図中「ほら穴」)。
動物が中にいたり、あるいは蜂の巣があっても嫌なので、そっと離れました。
▲ほら穴
ほら穴から先の道は、落ち葉の下に石が散乱しており歩きづらくてしかたありません。
しかも、しばらく下っているとその道も消えてしまいました。
しかたがないので、谷を適当に下ってみることに。
▲谷を適当に下った
すると、ロックフィル式の砂防ダムと、崩壊した林道に出会いました。
林道跡はガレガレで歩きづらい。
▲崩壊した林道に出会った
もうすぐ麓に出るというところで、崩壊した林道跡が突然消失。
目の前は藪です。林道なら谷を渡る方向へ伸びることはないでしょうから、左(北)の植林の中に入って林道の続きを探索。しかし、林道跡らしきものが見当たりません。
もう一度砂防ダムのある谷の方に戻って周囲を観察すると、登山口を示す道標らしきものが見えたので、それに向かって薄い藪の中を進むことに。
13:12
途中でイバラに引っかかってえらい目に遭いましたが、何とか千束登山口に下りてきました。
▲千束登山口(藪に埋もれてしまっている)
千束登山口脇には、「法界萬霊塔(ほうかいばんれいとう)」が立っています。
▲法界萬霊塔
▲法界萬霊塔について
法界萬霊塔とは法界とは、真理の世界、全宇宙のこと世の中のことであり、萬霊はこの世の中の一切の生きもののことです。
この塔は、他の信仰塔と異なり造立する事が供養の目的でなく、この塔を造立する事により世の中(全宇宙)の一切の生きものをこの塔に宿らせ、この塔により死者の冥福を祈る事により萬霊を供養するのが目的です。
造立場所は寺院や墓地が多く銘文にも寺院の宗旨の傾向も見られるようです。(出典:現地の看板)
法界萬霊塔の前を通り過ぎ、第三市の木踏切の手前を右に入ります(地図中「第三市の木踏切」)。
▲第三市の木踏切を渡らず手前を右へ入った
すると、水路沿いの未舗装道路に入ります。
この水路には水車があって、今でも現役なのか調子よく回っていました。
▲地図中「水車1」(水を汲むための容器は取り外され、ただ回っているだけ)
▲水車の隣にある看板(センゾクという地名の由来について)
播州でも、辻川の少し北にある山崎というあたり、市川の流れに山裾の崖がせまるところが、洗足と呼ばれていた。今は千束と書いている。暗夜などにあの崖の下の川っぷちに沿った狭い道を歩いていると、崖の上の方から大きな足が出て、通る人の頭越しに川の水で足を洗うという話が伝わっており、それで洗足というのだと、土地の人はいっている。
-柳田國男著『故郷七十年』より-(出典:現地の看板)
13:18
先ほどの「水車1」は水車が1つだけでしたが、2つが並んで回っている場所に出会いました(地図中「水車2」)。
▲水を水路からくみ上げている水車
未舗装の道路が終わって集落に入ったら、下の画像の交差点を右に曲がって西に進んでください。
この交差点から二之宮神社へは、200m弱です。
▲水路沿いの道からこの交差点を右に入る(この交差点の左には「第一菰池」踏切がある)
13:30
二之宮神社に戻ってきました。
14:15
自宅に到着。
磐座やほら穴といった歴史を感じられる遺物があり、神前山山頂からは展望も楽しめるし、私の個人的な感覚では面白い山だと感じました。
しかし、歩く人が少なくなったのか登山道が分かりにくくなっていますので、今回紹介するルートを歩かれる場合は、慎重にルートファインディングを行ってください。
交通アクセス
公共交通機関を使われる場合は、JRの「福崎」駅が最寄り駅になります。
福崎駅から登山口のある二之宮神社までの距離は、およそ1.3kmです。