播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

西脇市の三角点山(456.7m)と戦国時代の様式を残す兵主神社

「どこの山に登ろうかな~」と考えていたとき、突然思い浮かんだのが三角点山という名前。

というわけで、特に深い理由はありませんが西脇市の三角点山に出かけてきました。

ついでに、三角点山の近くにある古い神社「兵主神社(ひょうすじんじゃ)」も見学しましょう。

2014年に一度歩いているのですが、その時の記憶はきれいさっぱり消えて無くなっています。

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▲三角点山山頂の様子(ドローンで撮影)矢印の位置に私が立っています。

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▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「谷川」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

08:50

姫路市街の自宅を車で出発。

国道372号線を北東へ進み、加古川を渡って1.7kmほどにある「田中」交差点を左折し、国道372号線を陸橋で跨ぐように南北に延びる国道175号線に入ります。

道なりに国道175号線を北上し、「田中」交差点からおよそ11kmの場所にある「寺内北」交差点を右折。ここからは県道36号線です。

県道36号線を東へ進むことおよそ1.2kmで丁字路に突き当たるので、そこを左折して県道294号線に入ります。

なだらかな下り坂が終わると道の左側にはJR加古川線の線路が現れ、線路と平行に北へ進むことになります。

道の左手にある小さな神社(大歳神社)を通り過ぎてからが大切です。

県道294号線に入ってから約2.3km、大歳神社を過ぎて2つめの小さな交差点(信号はない。制限速度50キロ/時の標識がある)を右折してください。

田んぼの中の1~1.5車線幅の道路を東へ道なりに450m進んだ所(途中でY字分岐がありますが、それは左へ進む。)に「福谷公園」と書かれた道標の立つ三叉路があるので、それを右に入ります。

狭い道を進んでいくと公衆トイレがあります。お手洗いに行きたい場合はここを利用してください。

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▲福谷公園の公衆トイレ

「対向車に出会うことはないだろう」と思っていたら、福谷公園に入って間もなく対向車に遭遇。しかし、公衆トイレ前の空き地に車を入れて事なきを得ました(上の画像はその時に撮影したもの)。

公衆トイレを過ぎてさらに車を進めると、右前方に岡稲荷神社の赤い鳥居が立ち並んでいるのが見えてくるので、そちらへ向かいます。

鳥居の前を通り過ぎてすぐに出会う未舗装の空き地に車を置きました。

10:07
駐車スペースに到着(地図中「P」)。

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▲駐車場所の様子

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▲駐車場所を岡稲荷神社の鳥居から見たところ(鳥居のすぐ向こうに空き地があることが分かる)

https://goo.gl/maps/b3zx1hLLk3sS31d16

▲駐車場所の位置

10:13
準備を整えて出発。
鳥居が立ち並ぶ参道を登ります。

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▲岡稲荷神社の参道

鳥居の先にはブルーシートに覆われた土俵があり、その先の石段を登ると岡稲荷神社の社殿です(地図中「岡稲荷神社」)。

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▲岡稲荷神社

社殿のすぐ前の鳥居には大きく「トータス松本」と書かれていました。調べると、トータス松本氏は黒田庄出身とのこと。
地元を大切にされている方なんですね。

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▲有名なミュージシャンである「トータス松本」氏の名前が書かれた鳥居

岡稲荷神社でお参り(山に入らせて頂く挨拶)を済ませ、社殿に向かって左にある登山口から山に入りました。

登山口の脇には岡稲荷神社と三角点山について書かれた看板が立っていますが、それによるとこの神社は「万延二年(1861年)京都伏見稲荷大社より分霊」とのことです。

●三角点
通称二角点、三角点へと続く登山道あり。
二角点(標高四〇九m)付近には、京都愛宕神社の分霊・愛宕祠があり、この里(大志野郷)の安寧を願って見守っています。
三角点頂上(標高四五七m)付近には修験の祠跡があり、調査の結果、十二世紀頃の墓跡がありました。この墓は福谷奥にあった極楽寺の僧侶が里人をお守りすべく、郷を一望できるこの地に埋葬されたとのこと。
尚、この極楽寺は羽柴秀吉が三木城を攻略する際、何かしらの抵抗をした為、焼打ちに遭い焼失したと云われております。
この稲荷神社より三角点頂上まで徒歩で四十分、晴れた日には高砂の工場群や明石大橋の橋脚が展望できる眺め良き山頂でございます。
お気軽に挑戦してみてください。
(出典:登山口脇の看板から一部を抜粋。原文まま)

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▲登山口

登山道は初め谷間を通りますが、道は雨水でえぐられて荒れています。

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▲登山口から入ってまもなくの道の様子

道はいったん西に向きを変えて谷間を離れ、すぐにまた向きを変えて北向きに登るようになりました。

斜度がきつく、半袖Tシャツ一枚で歩いているのに汗だく。

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▲急斜面の道の様子

10:30頃、323m標高点のある尾根に乗りました。

ここからも急な斜面ですが、つづら折れとまでは行かないS字カーブの連続といった道なので、直登よりはいくらかマシです。

標高300mあたりから登山道沿いに露岩が目立つようになり、道は尾根の中心から南へ外れます。

10:47
愛宕祠(あたごほこら)に出会いました(地図中「愛宕祠」)。
歴史のありそうな石段と石積みの上に、比較的新しい祠が置かれています。

せっかくなので、ここでもお参り。

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▲愛宕祠

10:51
愛宕祠の先で道が尾根の中心に戻る場所には、石積みの古い祠がありました。
登山口脇の看板に書かれていた「修験の祠」でしょう(地図中「修験の祠」)。

ここでも手を合わせてお参り。

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▲修験の祠(?)

修験の祠から先は、登山道沿いに松の木が多くなります。

展望が無く、同じような雰囲気の道が続いて退屈だったので、道の雰囲気が変わるとありがたい。

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▲修験の祠の先では松の木が出てくる

やがて、松の木だけでなくシダも現れてきます。

11:00頃、山頂から北西に延びる標高400m以上の尾根に乗りました。

尾根に乗ったところはコブのようになっており、最高部に杭が打たれています。ただ、これは境界明確化のためのプラ杭で、山頂まで等間隔に打ち込まれているプラ杭の内の一本に過ぎません。

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▲標高400mの尾根に乗った地点(尾根の肩)の様子

ここからはようやく斜度が緩みます。
細かいアップダウンが繰り返されますが、これまでの斜面に比べると楽ちん。

山頂直前は、露岩が多くなっています。

11:17
三角点山の山頂(標高456.7m)に到着(地図中「山頂」)。

小さな祠と、山名の由来になった二等三角点標石(点名:上比延)があるだけの、狭い山頂です。

それにしても、三角点がある山なんてあちこちにあるのに、なぜ「三角点山」という名前にしたんだろう。

明治時代に陸軍が三角点を全国に埋設しましたが、その時に何か住民の印象に残る出来事があったのかな。

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▲山頂の様子

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▲山頂の二等三角点標石(点名:上比延)

ドローンでも山頂を撮影してみました。画像を見ると山頂は広そうに見えますが、東側半分は岩がゴロゴロしていて、平坦なのは西半分だけです。

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▲ドローンで撮影した山頂の様子(南から北向きに撮影)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/sankakutenyama20201025/virtualtour.html

▲三角点山の山頂で撮影した全天球パノラマ。地上と空撮の2種類のパノラマを、パノラマ画面左上のリストで切り替えてご覧ください(撮影機材 地上:Ricoh THETA Z1 空撮:Mavic2 Pro)。

「三角点って何?」というのが気になる方は、当ブログで過去に公開した三角点についての記事をご覧ください。

ここで頂く本日の昼食は、米軍の戦闘糧食(いわゆるミリメシ)である「MREレーション*1」のビーフシチュー。

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▲米軍のMREレーションのパッケージ

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▲本日の昼食環境

メインディッシュのビーフシチューを湯煎で温めている間に、同封されているスナックパンにピーナツバターをたっぷり塗ったものを食べ、とりあえずお腹の虫を静かにさせました。

スナックパンは、食パンのような形をしていて可愛い。

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▲MREレーションのスナックパン

スナックパンを食べている間にビーフシチューが温まったので、次にそれを頂きます。

牛肉の繊維がまったく感じられない成型肉のような肉が使われていました。
食感がイマイチですが、味は美味しい。

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▲レトルトパックに入ったビーフシチュー

最後に、デザートとしてレーションに付属のパウンドケーキを食べて昼食を終えました。
お腹いっぱい。

食後、「明石海峡大橋*2は見えないかなぁ」と双眼鏡代わりにカメラのファインダーを覗いていたら、うっすらと確認できました。

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▲三角点山山頂から見えた明石海峡大橋の橋脚(橋脚が見えやすくなるように画像処理をしています)

12:50
誰も来ない山頂で贅沢な時間を満喫したので、下山開始。

往路(愛宕コース)を引き返すのではなく南福谷コースで下山する周回ルートを取ろうと思ったのですが、往路で南福谷コースへの分岐に出会った記憶がありません。

しかし、南福谷コースの入口を探そうと山頂から西へ進むと、すぐに見つかりました。
登りの際は上ばかり見ていたので、下りの道は見落としたようです。

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▲分岐の様子(画像では分かりづらいが、現地でも分かりづらい)

南福谷コースは、標高が高い区間はイワイワした急斜面。
岩はグリップが良いので、下りでもまったく怖くありません。

しかも、前方の展望が開ける区間が時々あって、気分良く歩けました。

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▲展望を楽しみながら下れる区間の様子

山頂から南西に延びる尾根が西と南東に分岐する辺りで、道は尾根の中心から右へはずれて西へ延びる尾根に入ります。

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▲西向きの尾根(なだらかな区間)の様子

西向きの尾根は、地表の土が流されてツルツルした岩盤が剥き出しの急斜面があったりして、ちょっとスリリング。

何度か足を滑らせました。

13:27
Y字分岐に出会いました(地図中「分岐」)。
左へ行くと189m標高点、右が南福谷コースです。

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▲分岐の様子

分岐からは薄暗い谷間の道。
しかし、それもすぐに終わってコンクリートの橋で地形図にない川を越えます。

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▲橋を渡る

橋の先で、林道に突き当たりました。
この林道を下っていけば、駐車場所に戻れます。

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▲橋の先で林道に突き当たったら左へ曲がる

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▲林道の様子

13:36
駐車場所に戻ってきました。

普段ならこのまま家路に就きますが、黒田庄には戦国時代の姿を残す神社があるので、それを見学してから帰ることにします。

福谷公園を出て西へ向かい、県道294号線に出たら右折。
しばらく走ると、左前方に茅葺きの大きな屋根が見えてくるのですが、それが目的の兵主神社(地図中「兵主神社」)。

「岡」交差点を左折し、兵主神社前を通り過ぎたすぐ右に駐車場があります。

https://goo.gl/maps/nYWRV2LppBWXAf498

▲兵主神社の位置

13:45
兵主神社の駐車場に到着。

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▲駐車場の様子

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▲県道から見た兵主神社

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▲兵主神社の拝殿

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▲兵主神社の拝殿は戦国時代の様式を今も残している

社記

社名 兵主神社

祭神 大己貴命 八千戈命 葦原醜男 大物主命 清之湯山主三名挟漏彦八島篠命

創建 宝亀五年(七七四)一月播磨掾を拝した岡本修理太夫は大和國岡本邑より当地に赴任し延暦元年(七八二)正月当社附近の森地四町余を開き神社の造営に着手し同三年甲子六月十四日兵主神社を勧請す

氏子 多可郡黒田庄町の内大字岡、喜多、大門、津万井、福地、大伏、及西脇市蒲江の七大字を氏子地区とす

其他 延喜式神名帳により延喜五年(九〇五)式内社に視程。明治六年(一八七三)十一月郷社。大正八年十二月縣社指定され昭和二十年終戦と共に社格廃止 昭和五十八年(一九八三)三月勧請千二百年祭執行

奉献者 (個人名のため省略)

(出典:現地の石碑)

兵主神社拝殿と黒田官兵衛

北播磨黒田官兵衛生誕地の会
西脇市観光協会

 兵主神社拝殿(兵庫県有形文化財)は黒田官兵衛寄進のお金で建造されたと伝わります。
 織田信長の命を受けた羽柴秀吉は中国征伐に向けてこの地に来て播磨一の勢力を誇る三木城主の別所長治を攻めますが、容易に落とすことができず、その攻防は二年近くに及びます。
 当地の土豪で福地蟲生城の村上政治は尼子勢の襲撃に敗れ戦死しますが、その遺児村上広直と村上直行は再起を図ろうと秀吉軍に参戦、当地を兵站地として協力をしました。
 兵主神社の祭神は大巳貴命ですが兵主は中国『史記』に出てくる軍神、武神でもあることから秀吉は黒田官兵衛に代参させ奉納金と共に灯明田七反を添えて戦勝祈願を行ったと伝わります。
 奉納金は拝殿の建設に当てられ、地元材を調達、山出し、乾燥刻みを行い天正十九年(一五九一)八月に柱立、安土桃山時代の建築様式を残す貴重な建築と評価されます。
 当時、官兵衛は四十六歳、すでに隠居をしており、如水と名乗っておりましたが、秀吉は官兵衛の隠居を許さず、朝鮮出兵の拠点城となる肥後国名護屋城(現唐津市)の縄張りの指揮を取ります。
(出典:現地の看板)

県指定文化財 兵主神社拝殿

指定年月日 昭和52年3月29日
所有者・管理者 兵主神社

 創立は、社伝によると、延暦3年(784)6月14日、時の播磨椽岡本修理太夫藤原知恒の創始になるという。建物は長床式の平面で、支外桁で軒を支えている。建物の囲りは一部(西北隅室)を除き開放吹放ちで、内部は正面中央部三間を広間床とし、両脇間境を円柱々列とした特異な意匠になっている。
 天正19年(1591)8月27日造立の棟札があり、桃山時代における長床式拝殿として、また、その時代の茅葺入母屋造りの様式を伝える建築として、全国的にも稀に見る遺構である。主祭神は大己貴命である。
 平成3年11月

兵庫県教育委員会

(出典:現地の看板)

兵主神社の境内で全天球パノラマを撮影しましたので、興味のある方はご覧ください。
パノラマ画面左上のリストから、5カ所のパノラマを切り替えてご覧頂けます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/hyosujinja20201025/virtualtour.html

▲兵主神社で撮影した全天球パノラマ(撮影機材:Ricoh THETA Z1)

兵主神社をじっくり見学した後、帰路に就きました。

15:22
自宅に到着。

*1:MREはMeal, Ready-to-Eatの略で、「(調理済みで)すぐ食べられる食料」という意味。

*2:直線距離でおよそ45km離れています。