播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

兵庫県姫路市香寺町の恒屋城跡

本日は、姫路市香寺町にある恒屋(つねや)城跡に出かけてきました。
ここは2014年と2015年に1度ずつ登ったことがあり、今回で3度目です。
 
今日は午後3時から予定があったため、自宅からそう遠くなく、午後3時までに確実に帰ってこれる場所で、なおかつドローンで遊べそうな場所ならなお良いとうことで、恒屋城跡を選びました。
 
恒屋城
 【城史】恒屋城の築城について『播磨鑑』は「恒屋肥後守(伊賀守)光氏が長禄2戊寅年(1458)之を築く」とある。光氏は、北垣聡一郎氏の引用した『恒屋の里』『播磨古城記』によると城主恒屋刑部少輔光稿の長子となっており、光稿がすでに城主と書かれているところからその築城年代はさらにさかのぼることが考えられる。『日本城郭大系』には『赤松秘士録』を引用して光(満)氏が嘉吉の変に赤松満祐に呼応して書写坂本城に参集したことをあげている。嘉吉の変は1441年であるから、それ以前にすでに城主として存在していたことが推測される。恒屋氏の名が文献にあらわれるのは永享元年(1429)とされているが、この頃すでに恒屋城主として居城していたのではなかろうか。しかし、『日本城郭大系』の筆者は光氏の没年が慶長5年(1603)とあるところから坂本城に参集したのは光氏では年代は一致しないとして、父光稿の間違いであろうとしている。 
恒屋氏家系によると、恒屋伊賀守光氏は大坪対馬守義勝の実子(2男)となっている。義勝の2男光氏が恒屋光稿の養子となったとするのは北垣氏の説である。 光氏のあとは光成、光誉と続いたが、永正18年(1521)浦上村宗がここに本営を構えて同族赤松氏や山名氏と争うという事が起り、大永(1521~27)の頃に至って恒屋の家臣中にも赤松に属するもの、浦上に味方するものができて混乱を来し恒屋氏の勢力も不振の状態にあった。 天正2年(1574)5月5日光成ら恒屋一族は置塩城に赤松義祐(『播磨鑑』には則房)を攻めたが、白国構主白国治大夫宗把に阻まれて討死した。しかしその後も恒屋の一族は恒屋城を居城としていたらしく、天正年間の羽柴秀吉の播磨攻略の際恒屋氏はこの城に籠って戦ったが遂に落城したといわれている。 

出典:都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻 P227 
    兵庫県教育委員会・和歌山県教育委員会編 2003年4月30日発行 ISBN4-88721-446-4
▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「前之庄」
 
09:45
姫路市街の自宅を車で出発。
 
国道312号線を北上し、「溝口」交差点を左折して西へ進みます。
この辺りの道は、中央線のない対向2車線道路です。
 
「溝口」交差点からおよそ1.8km地点にある「恒屋(つねや)」交差点からしばらくは中央線のある対向2車線道路ですが、中央線が再びなくなる頃、小さなお堂が山頂近くにある山が正面に見えてきます。
それが、目的地である恒屋城跡です。
 
茶色い屋根瓦と火の見櫓が特徴の公民館前(「恒屋」交差点からおよそ1.6km。地図中「公民館」)を過ぎてすぐ、「恒屋城跡→」と書かれた小さな公設道標があるのでそれに従って右折し、1車線幅の狭い道へ入ります。
 
すぐに丁字路に突き当たるので、それを左折。
すると目の前にまた「恒屋城跡→」の道標があるので、それに従って右折し、カギ状に曲がった細い道を進むと恒屋城の「城跡登山口」に出会います。
 
▲車で通った道を登山口から振り返って撮影
 
大きな車でこの細い道を通るのが難しい場合は、公民館に車を置かせてもらうという手もあります。
 
10:17
恒屋城跡の登山口に到着(地図中「P」)。
ここには、未舗装ですが比較的広めの駐車場があります。
 
 
 
▲城跡登山口(写っているのは、草刈り機を持った地元の方。白い軽トラの右が登山口。)
 
下のURLをクリックすると、Googleマップで登山口の位置が表示されます。
 
 
10:22
準備が整ったので出発。
駐車場から北へ延びる擬木階段を上がります。
 
登山口には「城跡登山口 前城まで20分」と書かれたプレートが設置されています。
 
恒屋城跡は南半分が「前城(まえじろ)」、北半分が「後城(あとじろ)」と呼ばれていて、道路から見えていたお堂がある場所が前城の南端です。
 
登山口からお堂のある前城南端までは、下の写真のような道。
擬木の階段が多いですが、場所によっては岩を削って階段状にしたような場所もあります。
 
▲登山口から前城までの道の様子
 
道沿いには下の写真のような幟がたっていましたが、興味深いのはそこに描かれた恒屋城の想像図。
 
▲登山道沿いに立っていた幟
 
▲幟に描かれた恒屋城の想像図(木内内則氏による想像復元図)
 
10:33
お堂(恒屋伊賀守光氏が祀られている)のある前城跡に出ました(地図中「お堂」)。
お堂の前には畝状竪堀があり、裏には三の郭の切岸(きりぎし。急斜面)があります。
 
すっかり汗だくになっていたので、休憩を兼ねてドローンを飛ばすことに。
 
 
 
 
▲ドローンで撮影したお堂の周辺の様子
 
10:59
ドローンを片付けて出発。
 
お堂の西には「←後城(本丸)」と書かれた道標があり、矢印は犬走りを指しています。
しかし、過去の2回と同様に三の郭経由で後城へ向かうことにしました。
 
三の郭の南側の切岸にはつづら折れの道が付けられているので、簡単に登れます。
 
▲三の郭へ続くつづら折れの道
 
この切岸の中程には、たくさんの五輪塔が並べられています。
設置されているプレートには「戦国時代、野戦で死んで無縁仏になった侍の霊を祀った石塔」と書かれていました。
 
▲三の郭南側に残る五輪塔
 
三の郭は2段の削平地で構成されており、低い方の郭跡は草が刈られて周囲に幟が立ち、郭の姿がはっきり分かるようになっています。
 
高い方の郭跡は木々に覆われて展望はありません。
 
高い方の郭の東西に道が付いているようで、西側の道を進むと三の郭の最高部を通って北の土塁へ、東側の道は最高部を巻いて北の土塁へ行けるようになっています。
 
▲草が刈られて幟が立つ三の郭
 
▲三の郭最高部の様子
 
11:04
三の郭から北へ進み、前城と後城を分ける土塁に出会いました(地図中「土塁」)。
往時はもっと高い土塁だったのでしょうが、今は土塁があった形跡程度になっています。
 
▲南北に延びる土塁(土塁の上が道になっている)
 
土塁の上を歩いて北に進むと二の郭の直前で道は左へ曲がり、またすぐ右に折れ曲がって二の郭の西側を北へ進むことになります。
それは、次のような山城特有の防御設備があるからです。
 
土塁と二の郭の間には堀切(ほりきり。尾根を断ち切る大きな溝)があり、堀切は二の郭の西側で北へ向きを変えて二の郭沿いに北へ延びています。
 
北へ延びる堀切は横堀として通路と二の郭を隔てているわけです。
 
▲土塁(右)と二の郭(左)の間にある堀切
 
▲通路と二の郭(右)を隔てる横堀(地形が分かりやすくなるよう赤線を引いています)
 
▲恒屋城の縄張りの模式図
 
二の郭を右に見上げながら通路を北へ進むと道は右に曲がり、二の郭の北端に出ます。
ここが二の郭の虎口(こぐち。出入口)。
 
二の郭は藪なので虎口を見るだけに留め、主郭(しゅかく)を目指しましょう。
二の郭の虎口から北へ道は延びていますが、二の郭に近い場所は道の左(西)に横堀があります。
 
▲二の郭の虎口から主郭へ続く道の様子
 
ここからは、何段もの郭が連なる斜面に付けられた登り坂。
「水の手」や「堀切」の看板を見ながらどんどん標高を上げていきます。
 
途中には、恒屋城の西麓にあった家老の居館跡(中村構跡)を示すプレートがありました。
 
▲西麓の家老の居館跡を示すプレート(白い建物が香寺荘。その右に中村構跡があるが、この写真では見えない)
 
道の両側は、今ではすっかり藪になってしまっていますが、地形からその藪が往時は郭だったことがよく分かります。
 
▲いくつもの郭跡に見下ろされながら登る
 
主郭最高部のすぐ手前では「大筋竪堀(おおすじたてぼり)」のプレートがありましたが、植物が生い茂っているため竪堀の形はまったく見えません。
 
11:14
主郭の最高部に到着しました(地図中「主郭」)。
お昼ご飯には少し早いので、ここでもドローンを飛ばして遊ぶことにしました。
恒屋城の主郭跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年2月9日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/tsuneyajo/virtualtour.html
▲主郭最高部の様子(たくさんの白い看板は、どの方向に何が見えるのかが書かれたもの)
 
 
▲ドローンで撮影した主郭と道の様子
 
▲西からドローンで撮影した主郭。複数の郭が階段状になっていることが分かる。
 
▲ドローンで東側から主郭と中村構跡を見下ろす
 
 
▲ドローンで北東から恒屋城跡全景を見る
 
ドローンで空撮を満喫した後は昼食です。
本日のメニューは、モンベルのカレーリゾッタ。
 
▲本日の昼食(カレーリゾッタ)
 
12:17
ドローン操縦と昼食を満喫したので、下山開始。
(普段なら展望も楽しむのですが、今日は霞んでいて遠望がききませんでした。)
 
滑りやすいところがほとんどなく、下り斜面で調子に乗って早足になってしまったため下山は速い速い。
 
下山は基本的に往路をそのまま引き返しましたが、三の郭は通らず、その西の犬走りを歩きました。
 
▲下山時は土塁の先で分岐に出会う(下山時は犬走りを通った)
 
 
▲畝状竪堀のある斜面に付けられているため、畝の形状に合わせてぐねぐね曲がっている犬走り。
 
12:33
駐車場に戻ってきました。
 
13:15
自宅に到着。
 
ちなみに、恒屋城跡をカシミール3Dの「スーパー地形」で確認してみると、以下のように郭の構成がよく分かります。
 
▲カシミール3Dの「スーパー地形」で表示した恒屋城跡