播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市の旧山本家住宅と周辺散策

本日は、姫路市網干区で町歩きを楽しんできました。
 
ルートは「網干ロマン海道めぐり」パンフレット(網干歴史ロマンの会事務局発行)に「網干ロマンコース」と題して紹介されているもので、「あぼしまち交流館」→「陣屋門」→「水井家」→「山本家」→「大覚寺」→「旧網干銀行本店」→「あぼしまち交流館」の順に歩きます。
 
行程は約1.5km。
 
このパンフレットは、あぼしまち交流館でも配付されていますし、山本家住宅でも資料として配られています。
 
駐車場は、あぼしまち交流館を利用します。
 
このコース内にある「山本家」住宅が毎月第1、第3日曜しか公開されないため、9月の第1日曜である今日、出かけたのです。
 
姫路市街から車で行く場合は、まず国道250号線を西進します。そして「大江島」交差点を左折。後は道なりに南西へ進み、「東雲橋北」交差点も直進。
 
「東雲橋北」交差点からおよそ400mほど走ったところにある小さな橋を渡る直前で右折すると、あぼしまち交流館は目の前です。
 
下のURLをクリックすると、Googleマップであぼしまち交流館の位置が表示されます。
 
 
▲あぼしまち交流館
 
施設名称: あぼしまち交流館
所在地: 兵庫県姫路市網干区余子浜12番地
開館時間: 09:00~17:00
 
今日は昼過ぎに到着したので、あぼしまち交流館1階で営業されている和カフェ「かぐらえ」さんでランチを頂きました。
 
ここは食券制で、あぼしまち交流館に入ってすぐ右側のレジで食券を購入し、反対側にある喫茶コーナーのスタッフに食券を手渡します。
 
「かぐらえ」さんは平日と第1・第3日曜日(山本家住宅の公開日)に営業されていますが、お盆や年末年始、イベント時などは変則的な営業になる場合があるようなので、事前に確認をしてから出かけることをお勧めします。
 
昼食を終え、13時頃にあぼしまち交流館を出発しました。
 
「網干ロマンコース」の最初の目的地は「陣屋門」。
そこへ向かうためには、あぼしまち交流館の北側で道路を渡って西へ進み、川に突き当たってから川沿いの道を南下します。
 
▲揖保川東岸の道を南下する
 
歩道のない道路ですが、交通量が少ないため危険はあまりありません。
 
あぼしまち交流館から350mほど南下したところに揖保川にかかる橋がありますが、その手前の三叉路に「網干陣屋跡」と「大覚寺」への道を示す公設の道標が立っているので、それに従って左折して下さい。
 
▲公設の道標(赤枠内)を目印に左折する
 
左折するとすぐに丁字路に突き当たりますが、その突き当たりにある古い家が水井家住宅で、突き当たりの直前左側が陣屋門跡。
 
▲左折すると水井家住宅(非公開)が目に入る
 
水井家住宅は大正11年に建てられたもので、材木問屋として財を成していたこともあり、豪壮な建築物になっていますが、内部の見学はできません。
 
 
▲網干陣屋門跡
 
ここには丸亀藩の飛び地があった(ここを領有していた龍野藩藩主、京極家が丸亀藩へ移封された後もここだけは領地として残した)ので、陣屋の主も丸亀藩。門の金具や屋根瓦の模様は、京極家の家紋です。
 
▲陣屋門跡の扉に着けられた金具
 
▲陣屋門跡の屋根瓦
 
陣屋の建物は、改築された門以外に何も残っていません。
資料館の看板がついていますが、扉は固く閉ざされていて、中には入れそうにありません。
 
丸亀藩網干陣屋および外郭
 明治三年(一八七〇)の絵図によると、網干陣屋および武家屋敷は揖保川東岸の南北二郭から成り、南郭は長辺が揖保川に面する三角形状、北郭は台形状を呈し、南郭北端部と北郭東南端部が連結され、それらの南に町屋が広がる。揖保川堺には土塁が巡る。
 北郭は南の町屋との間に掘を設け厳重に区画されるのに対し、南郭の南側は石垣と土塀の構えとなっている。南郭は東西に二分割され、西半は陣屋屋敷が占め、東半は武家屋敷、御社地(金刀比羅神社)、藩校の明輪館を配し、陣屋屋敷との間の揖保川寄りには貢米蔵が建ち並ぶ津出場が設けられている。陣屋屋敷の主要な門として、郭内を東に開口する御門があった。また陣屋の屋敷地西南端に角櫓が建ち、町屋側に城構えの形態を見せていた。
 これらの範囲は現在の本町北半を占め、陣屋屋敷跡にあたる興浜公園と金刀比羅神社を含む三角形状の一画と、その西北の網干幼稚園表通りから北の一画に及んでいた。
平成十九年十二月 姫路市教育委員会
網干地方史談会
(出典:現地の看板)
陣屋門跡を見た後は、山本家住宅を見に行きます。
山本家住宅は、水井家住宅からおよそ95m東に行ったところにあります。
 
山本家住宅のすぐ手前左側に金刀比羅神社の鳥居がありますが、その鳥居に向かって左側の建物に注目して下さい。
 
1階と2階のバランスが不思議な丸万料理鮮魚店があります。
 
▲丸万料理鮮魚店
 
実は、この鮮魚店の2階部分は山本家住宅の敷地にあった離れで、鮮魚店の2階に移築したものだそうです(山本家住宅のガイドさんの説明による)。
 
ガイドさんによると、内部は宴会場とのこと。
 
いよいよ本日のメインイベント、山本家住宅の見学です。
 
 
▲金刀比羅神社鳥居前から見た山本家住宅
 
山本家住宅(姫路市網干区興浜70番地)
 山本家住宅は、建物と門塀が一体的に作られ、主屋から付属屋で東に洋館、東南に離れ和館、南に土蔵2棟が接合されるかたちで配置されている。
 伝統的な町並みにあって高塀ごしに聳える黒壁の3階建て望楼は洋風建築を取り入れ、伝統的な白壁の厨子(つし)2階(中2階)建ての主屋と対比し強い印象を与えているとして平成元年7月1日付け姫路市都市景観重要建築物等第1号に指定された。
(中略)
 洋館は大正7年(1918)に第11代網干町長、網干銀行頭取を務めた山本真蔵氏が建てた和洋折衷の建物。建築面積113.6平方メートル、階段室に使う望楼と一階洋室の出窓に挟まれるかたちで玄関を設ける。
(出典:「山本家住宅」(網干歴史ロマンの会 2018年8月1日初版発行)から一部抜粋)
毎月第1・第3日曜日の10:00~16:00(最終入館15:20)であれば、ガイドさんの案内で内部を見学出来ます。
12:00~13:00は、ガイドさんの休憩のため案内ができません。
 
見学には、資料代として一人300円を支払います。
 
山本家住宅の門をくぐったら正面の玄関から勝手に入るのではなく、まず右側の建物にある受付に行き、資料代を支払ってください。
そして、案内のガイドさんが出てきてくれるのを待ってからガイドさんと一緒に見学します。
 
建物内は土足禁止なので、玄関で靴を脱いでそのまま裸足で入るか、用意されているスリッパを利用します。
 
山本家住宅の見学ルートは、概ね以下のようなものです。
 
外観→玄関→応接間→書斎→廊下→お手洗い→洗面所→和館離れ1階和室→金庫室→階段→洋館2階南側和室→洋館2階北側和室→洋館3階望楼
 
特徴的な場所だけ写真を掲載しておきます。
この後に全天球パノラマへのリンクを載せてあるので、興味のある方はそちらも御覧下さい。
 
▲玄関の外観(唐破風を備えている)
 
▲玄関の床は大理石(腰板は楓の一枚板)
 
▲応接間(カーテンボックスとソファーの背もたれ上部の模様が同じという具合に、インテリアに統一性がある)
 
▲書斎
 
▲書斎のステンドグラス(大正時代の民家では珍しい)
 
▲天井が特徴的な廊下
 
▲大理石の浴槽
 
▲貝合わせの貝が壁に埋め込まれた洗面所(天井も豪華)
 
▲3階望楼
 
ここに写真を載せていませんが、和館1階和室の縁側の木材が切れ目のない長い松の木材だったり、同じく和館1階和室の天井が屋久杉の板だったり、洋館2階北側の床の間が手の込んだ作りになっていたり、見所は色々とあります。
 
山本家住宅には和室が多くありますが、その和室も場所によって雰囲気が違っているのが面白いところです。
例えば、文字の書き方には真書、行書、草書があり、「真」「行」「草」の順で、本来あるべき形から崩れていることを表しています。
それと同様に和室にも真(しん)・行(ぎょう)・草(そう)の3つのパターンがあり、離れ和館1階の和室2部屋の内1部屋はオーソドックスな「真」の和室、その隣の和室は、日常生活で使いやすい「行」の和室、洋館2階北側の和室は、様式美よりも施主の好みを優先した「草」の和室になっています。
 
こういったレトロな建物がお好きな方は、是非現物を間近で御覧下さい。
 
先日、特別に許可を頂いて内部の全天球パノラマ撮影を行いました。(写真撮影自体は許可されていますが、三脚等の使用が禁止されているため、通常は全天球パノラマの撮影はできません。)
 
興味のある方は、下のリンクから御覧下さい。
建物の内外合計12箇所でパノラマを撮影したもので、画面左上のリストで画像を切り換えられるようになっています。
 
▲山本家住宅で撮影した全天球パノラマ(撮影:2017年8月)画面左上のリストから、パノラマを切り換えて御覧下さい。
 
山本家住宅の見学の次は、大覚寺(だいかくじ)です。
 
大覚寺へ向かうには、山本家住宅を出て右(東)へ進み、昔ながらの郵便ポストがある最初の角を右へ曲がってまっすぐ進むだけ。山本家住宅の門から大覚寺の山門までは、およそ110m。
 
▲山本家住宅から大覚寺に行くときは、この角を右折する
 
下のURLをクリックすると、Googleマップで大覚寺の位置が表示されます。
 
 
▲大覚寺本堂
 
▲大覚寺の鐘楼
 
大覚寺
1233年隆禅上人が古網干に釈迦堂を創建、のち真言宗光接院と称したが戦乱により消失。1558年当時に移転、浄土宗鶴立山大覚寺と改められた。
江戸時代は、朱印地30石、三葉葵が許され10万石の格式を持っていました。
1634年本堂が建てられ、その後諸堂が造営され今に至っている。
(出典:「網干ロマン海道めぐり」パンフレット 原文ママ)
大覚寺を見終わると、次は最後の見学場所である旧網干銀行本店です。
 
大覚寺の門を出て右へ曲がり、二つ目の角を左折して北へ進みます。
最初の十字路を右へ曲がりますが、その手前にあるのが「境橋跡」。橋の欄干が道路の西側に立っているので、すぐに分かると思います。
 
下のURLをクリックすると、Googleマップで境橋跡の位置が表示されます。
 
 
▲境橋
 
境橋
網干地方は万治元年(1658)から明治維新まで
興浜地区は丸亀藩(京極家)の所領
新在家地区は竜野藩(脇坂家)の所領
に分割されていた。この石橋は両藩の境界の堀割に架けられていたので境橋と呼ばれた。
昔は、ここに通行門が設けられ、朝夕時刻を定めて門が開閉されていた。
 昭和60年 道路拡張と下水道工事のため橋としての機能は失われたが、由緒ある境橋をここに長く保存することになった。
(出典:現地の看板)
境橋のある十字路を右折して「あぼし一番街」を東進し、2つめの角を左に曲がって商店街を北へ抜けると出会うのが、旧網干銀行本店。
 
▲あぼし一番街
 
▲あぼし一番街と直角に交わる南北の商店街
 
▲南北の商店街に残る近代建築
 
下のURLをクリックすると、Googleマップで旧網干銀行本店の位置が表示されます。
 
 
▲旧網干銀行本店(中には入れません)
 
旧網干銀行本店
明治29年1月網干町新在家に網干支店を開設。地域煉瓦建て銅板葺き、円形に処理された頂部に載る葱坊主型のオジー・ドームがこの建物を特徴。
昭和40年(1965)新築移転し本館は業務を終えた。市の指定景観重要建築物に指定。
(出典:「網干ロマン海道めぐり」パンフレット 原文ママ)
山本家住宅を建てた山本氏が頭取を務めたこともある銀行です。
 
近年までこの建物を利用して洋品店が営業していたようですが、今は空き店舗となっているため、中には入れません。
 
旧網干銀行本店の外観を楽しんだら、北側の橋を渡り、すぐ先で左折して200mほど進めば、スタート地点であるあぼしまち交流館です。
 
15時頃にあぼしまち交流館に戻ってきました。所要時間はおよそ2時間(山本家住宅の見学が45分)。
 
網干のこの辺りには、古い町並みや町屋がよく残っています。
歴史的な建物が好きな方は、時間の許す限りのんびり散策してみてはいかがでしょうか。