播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

備前おさふね刀剣の里

今朝の神戸新聞を読んでいると、佐用と姫路の刀鍛冶の作品が全国大会で上位入賞したという記事が載っていました。

その記事を読んでいたら、「そういえば、日本刀関連で行ってみたい施設があったような気がする」と気になりだし、「そうだ!備前長船(おさふね)にある日本刀の展示施設に行ってみたかったんだ」と思い出して急遽出かけてきました。

行き方は、私の自宅の最寄り駅であるJR姫路駅から「備前おさふね刀剣の里」の最寄り駅JR香登(かがと)駅まで列車で移動し、香登駅から徒歩で刀剣の里へ移動するというもの。

09:11
播州赤穂行の新快速でJR姫路駅を出発。

09:42
終点の播州赤穂の3番線に到着。
反対側の2番線に停車中のJR赤穂線 備中高梁行の普通列車に乗り換えます。

10:00
播州赤穂駅を普通列車で出発。

10:41
無人駅の香登駅で下車。
のどかな田園風景を楽しんでいたら、播州赤穂から41分間という乗車時間は気になりませんでした。

運賃は姫路から片道¥1,140。

以下のURLをクリックすると、香登駅の位置がGoogleマップで表示されます。


私が乗車した列車はワンマンではなかったので、特別な乗降方法は必要ありませんでしたが、ワンマンだと乗車できるドアが限定されるので要注意です。

不安がある場合は、播州赤穂駅で停車中にJRの方に尋ねると良いでしょう(私もそうしました)。


▲JR香登(かがと)駅(無人駅)

駅の北へ出たら国道2号線を西へ進みます。

目的地である備前おさふね刀剣の里は国道より南側にあるので、本来は国道を北へ渡る必要はありません。しかし、歩道が国道の北側にしかないため、安全に歩くには国道を渡らないといけません。


▲国道2号線を西へ進む

700mほど歩くと「二ノ樋」という交差点に出会います。
刀剣の里へ行くには、この次の信号のある交差点を左折して南へ進めば良いのですが、
Googleマップで気になっていた場所を見るために、「二ノ樋」交差点でいったん国道の南側へ渡り、西側の信号のある交差点と「二ノ樋」交差点の間にある道(信号のない三差路)から南へ入りました。


▲ここから南へ入った

気になった場所というのは、「備前長船日本刀傳習所」。

作業中らしく、国道から南へ入ってすぐ「トンカントンカン」と金属を叩く音が聞こえてきました。
見学が可能だとWebでは見ましたが、急に思い立って出かけたため見学の予約をしていません。
というわけで、どんな場所なのかを見るだけにしました。


▲備前長船日本刀傳習所

国道から南へ進むと、備前長船日本刀傳習所のある場所で道が西へ折れ曲がり、すぐ二股の分岐に出会います。

私はこの分岐を左に入り、車通りのほとんどない静かな道を歩くことにしました。
分岐をまっすぐ進んだ先で左へ折れても刀剣の里へはたどり着けます。


▲のどかな風景の中をのんびり歩いた

私が歩いた細い道と、その西側を通る太い道が合流する場所に、備前おさふね刀剣の里はあります。

11:06
備前おさふね刀剣の里に到着。

以下のURLをクリックすると、香登駅から備前おさふね刀剣の里へ行くために私が歩いたルートが表示されます。

香登駅から備前おさふね刀剣の里へのルート(ルートラボ)


▲備前おさふね刀剣の里

施設名称: 備前おさふね刀剣の里
所在地: 岡山県瀬戸内市長船町長船966 (住所をクリックすると、Googleマップで備前おさふね刀剣の里の位置が表示されます)
開館時間: 午前9時~午後5時(入場は4時30分まで)
休館日: 毎週月曜日(ただし休日の場合は翌日に振り替え)、12/28~1/4、祝日の翌日、展示替えの期間

ちょうど観光バスが到着した直後で、人が多い中見学することになってしまいました。


▲冠木門から中へ入る

冠木門をくぐった先に備前長船刀剣博物館があります。
その1階受付で入場券を購入する(大人ひとり¥500)のですが、この券が面白い。

日本刀の柄のカラー画像が印刷された細長い紙なのです。
本の栞としても使えそう。


▲備前長船刀剣博物館の入場券

博物館の中は、1階に「刀剣の世界」と題された展示室があり、日本刀に関する基礎知識をここで学べます。

沢山のパネルがあり、最奥にはビデオの上映室があって、15分ほどの動画で日本刀を作る工程を一通り見られるので、予備知識が無くても日本刀への興味があれば楽しめるはず。

日本刀の重さを体験するために、実際に手に取ることの出来る刀も置かれています。
手に取ると想像以上に重さがあり、時代劇の殺陣の動きが現実離れしていることがよく分かります。


▲1階にある「刀剣の世界」の展示室

1階と2階には作品の展示室があり(これらの部屋は撮影禁止)、数多くの刀が展示されています。

今はテーマ展「初公開!新収蔵刀剣展」の期間中(2017/05/30~2017/07/30)なので、刀剣博物館で未公開だった作品が主に展示されていました。

博物館を一通り見終わったのが11:50。およそ40分かかりました。
続いては、博物館の外にある備前長船鍛刀場と備前長船刀剣工房を見学することに。


▲備前長船鍛刀場外観

鍛刀場では、毎月第2日曜の午前11時からと午後2時からの2回(各1時間)、古式鍛錬を見ることが出来ます。
明日来れば良かったなぁ。

でも、今日は古式鍛錬がない、つまり鍛刀場が無人で観光客が少ないため、鍛刀場をじっくり見ることが出来ました。(と言う風にポジティブに考えることにします)


▲備前長船鍛刀場内部の様子


▲備前長船鍛刀場内部の様子

鍛刀場の近くは、刀剣工房と名付けられた建物がいくつか並んでいます。

それぞれの建物には2種類の職人さんの作業場があって、鍛刀場に最も近い工房には塗師(鞘の塗装)と白銀師(鎺:はばきの作成)、その隣の建物には刀身彫刻の職人と研師、その隣の建物には鞘師と柄巻(つかまき)師の作業場があります。

今日は塗師の方と柄巻師のお二方が工房におられました。

塗師の方は真剣な表情で作業をされていたので、気が引けて話しかけられず。
柄巻師の方は荷物の梱包作業をされていたので、遠慮せず話をさせていただきました。


▲鞘師と柄巻師の工房


▲柄巻の作業工程を示す展示

柄巻師
柄を巻く
鮫革(さめがわ)が縁の下の力持ち
柄巻(つかまき)は刀剣を操るために柄(つか)を補強することと実践的に手溜(てだまり)をよくする目的で行われたものです。古代では、刀の柄(つか)は漆木や藤づるで巻いたりしていましたが、江戸時代になると革包みにして正絹の組紐(くみひも)で菱に巻かれるようになりました。補強と組紐(くみひも)がずれない工夫として鮫革(さめがわ=エイ)を使いました。上質な鮫革(さめがわ)は一匹のサメ(エイ)から一枚しかとれません。
(出典:現地の看板)


▲柄巻の作業場の様子


▲鮫革

刀の柄は水に弱く、雨の日に刀を携帯するときは柄袋という革製の袋を被せていたそうです。
柄の手入れは、乾いた布で拭く程度のことしか出来ず、痛んでくると巻き直すとのこと。

刀が実用品として使われていた時代は、職人の数としては柄巻師が最も多く、柄の巻き直しの需要はかなりあったそうです。例えば正月前に巻き直し、新年は新しい柄で迎えるといった具合に、現代の観賞用の刀とは柄の巻き直しの頻度が全く違っており、数多くの職人が必要だったようです。

説明のために置かれているパネルを見ると、鮫革を柄に貼り付けるには続飯(そくい)を使うとのことでしたが、「続飯って何ですか?」と尋ねると、「練ったご飯です」とのお答え。
字面ではご飯ですが、まさか本当にご飯を使うとは思っていませんでした。
組紐の固定には松ヤニが使われているそうです。

柄の巻き直しは、柄だけを刀から取り外して職人さんに預けるのかと思いきや「目釘の穴が広がっている場合の補修には刀身の穴の位置を正確に知る必要があったり、組紐をきつく巻くことで柄の内側が狭くなって刀身が嵌まりにくくなったり、鞘と柄の見た目のバランスを取るといった目的で、鞘も含めた一式を柄巻師さんに預けるのが一般的とのこと。

現代では刀身に合わせて拵え(こしらえ:外装パーツ)を作りますが、刀を実用目的で使っていた時代では、拵えに合わせて刀身の方をいじる(短くしたり、目釘の穴を開け直したり)ということをしていたそうです。
使い手が使いやすいように刀を改造してしまうわけです。

「もったいないなぁ」と思ってしまいますが、それは現代の感覚。当時は命を預ける武器だったわけですから、使いやすいように刀の形を変えるのは自然なことだったんでしょうね。

色々と興味深いお話を聞かせてもらえて、これだけでも今日ここへ来たかいがありました。

刀剣の里の工房を見た後、外に出ようと思うと売店の中を通るのが順路になっています。
売店はただのお土産物屋さんではなく、10万円未満で買える小刀や1万円前後の包丁、日本刀の手入れ道具など、刀剣の里らしい商品がたくさん置かれていて、お金が無くて買えもしないのに、長く居座ってしまいました。

12:30
備前おさふね刀剣の里を出ました。

「先発の列車は13:28香登発。駅まで徒歩20分だから40分ほど時間が余るなぁ。さてそれまでどうしようかな」と思っていたら、駐車場の西端に周辺の案内図があり、見ると刀剣の里の目の前に「城之内(伝兼光屋敷跡)」なるものがあります。

見ると、農地の中に2箇所残っている土塁がその屋敷跡のようです。


▲城之内(伝兼光屋敷跡)写っている建物は城之内工房

城の内(伝兼光屋敷跡)
 城の内築地(つんじ)と呼ばれているこの地は、南北朝代、太刀を鍛えた褒美として足利尊氏から、当時の名工兼光が賜ったと伝えられています。
 一町(約100m)四方の壕をめぐらし、四方に櫓を建てた城に、代々鍛冶が居住し、鍛刀したといわれています。文明十五(一四八三)年、福岡合戦のとき松田勢によってこの城のほか周辺の民家までがすべて焼き払われたことが『備前軍記』に記されています。
 長年にわたって作刀の地であったことから、この辺りの田畑からカナクソと呼ばれる鉄滓が多く出土しました。
 瀬戸内市教育委員会
(出典:現地の看板)

帰宅後にGoogleマップの航空写真を見ると、堀と土塁に囲まれた屋敷の形がなんとなく見えたような気がしました。

案内図を見ると、刀剣の里の北には「天王社刀剣の森」なるものが記載され、同じ場所をGoogleマップで見ると、「天王原合戦古戦場跡(推定地)」とも書かれています。

どんなものか興味があったので、刀剣の里の西側を南北に走る道路を北へ向かいました。
刀剣の里から北へ約300mの場所に天王社刀剣の森と書かれた石碑のある鞘負(ゆきえ)神社(通称天王社)があります。


▲天王社刀剣の森の標柱と鞘負神社

郷土記念物 天王社刀剣の森
1 位置 瀬戸内市長船町長船
2 指定年月日 昭和56年(1981年)3月27日
       (指定番号 岡山県告示第267号)
3 特徴 この森の松は足利尊氏ゆかりの松で、その昔(1331年)新田義貞に敗れ九州に落ちる途中、この地で再起を祈願した尊氏が後に願いが叶った御礼に九州日向から持ち帰り寄進した松の子孫とされ、昔から日向松と呼ばれています。
 森の西側は旧山陽道(現国道2号線)に接し吉井川の水運と相まって、交通の便に恵まれ、往時は刀の産地「備前長船」として栄え、その模様は「鍛冶屋千軒打つ槌の音に西の大名が駕籠とめる」と謳われたほどで多くの名刀を産出しましたが、現在は古跡としてのみ侘びしくその名をとどめています。この森は鎮守の森として地域の人々に親しまれているだけでなく、国道を行き交う現代の旅人達の疲れた目を癒やしてくれています。このように古い歴史があり、多くの人々に親しまれているこの森を郷土のシンボルとして大切にしたいものです。
 岡山県
(出典:現地の看板)

鞘負神社は目の病に御利益があるらしく、「め」と書かれた半紙がたくさん拝殿に貼られていました。


▲鞘負神社の拝殿(「め」と書かれた半紙が貼られている)

帰りの列車にちょうど良い時間になったので、北へ進んで国道に出て、香登駅へ戻りました。

13:28
香登駅を播州赤穂行きの普通列車で出発。

14:06
播州赤穂駅に到着。反対側のホームに止まっている姫路行の普通列車に乗り換えます。

14:07
播州赤穂駅を普通列車が出発。

14:39
姫路駅に到着。

姫路駅のホームにある姫路駅名物「えきそば」を食べて帰宅しました。