注意!今回紹介するルートのうち、下山に使用した道には道標のない分岐や道が分かりにくい場所がいくつもあります。
現在地と方角から、自分がどちらへ進むべきか判断しなければいけません。
山歩きの経験が長くても整備されたルートしか歩かない方や、航法装備(GPS、地形図、コンパス)が不十分な方にはお勧めしません。
概要
6月も終わりに近づいていますが、今日は幸いにも曇りがちで涼しく感じます。
ということで、近場の低山へお昼ご飯を食べに行くことにしました。
行き先は、姫路市街地の北東にある増位山(ますいやま)。
▲増位山 随願寺案内図
増位山の山上には随願寺(ずいがんじ)という山岳寺院があり、その周囲には遊歩道が張り巡らされています。
大体の道は歩いたことがあるのですが、「随願寺裏道」は歩いたことが無いことを思い出し、その裏道を歩くことも目的にしました。
山の上にある駐車場から随願寺経由で増位山へ行き、山頂でお昼ご飯を食べてから、裏道で駐車場へ戻るという行程です。
▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」
▲カシミール3Dで作成したルートの断面図
姫路市街から駐車場へ
10:45
姫路市街の自宅を車で出発。
姫路城の東を南北に走る県道518号線(野里街道)を北上し、競馬場の北東にある「白国」交差点を右折。
「白国」交差点からおよそ700mの「随願寺入口」交差点を左折して少し走ったら、「増位山随願寺 1.8km」の案内標識に従って右折し、坂道を登っていきます。
斜度はきついですが、中央線のある幅の広い道路ですから、運転は楽です。
坂道を登り切ったところに広い駐車場があるので、そこに車を置きました。
https://goo.gl/maps/BDVvPFNRLPNPc5jx5
▲随願寺の駐車場の位置
11:04
駐車場に到着(地図中「P」)。
駐車場の南東にある公衆トイレ(清潔とは言えません)で用を足したり、靴を履き替えたりして準備を整えます。
▲駐車場の様子
駐車場から山頂へ
11:11
準備が整ったので出発。
駐車場北端から山道を歩いて随願寺へ行くことにしました。
(駐車場南端から地形図の実線道を歩いて随願寺へ行くこともできます。そちらの方が簡単でお勧め。)
▲駐車場北端の様子(中央右に写っている案内図の左に登山口がある)
11:13
下の画像の登山口から入山(地図中「登山口」)。
地形図では実線(幅1~3mの軽車道)で描かれていますが、実際は破線道(徒歩道)のような道です。
▲登山口の様子
100mほど登ったところで、十字路に出会いました(地形図では三叉路)。
随願寺は直進。左折すると下山時に歩く予定の裏道、右折すると藤棚(地図中「藤棚」)に行けます。
▲画像では分かりづらいが十字路になっている
十字路を直進すると、歴史を感じさせる深くえぐれた道になって下っていき、開山堂の手前で車道に出ました。
▲矢印の場所から出てきた
開山堂、榊原忠次の墓所の前を通り、随願寺本堂前から石段を南へ下ります。
▲開山堂
開山堂 附厨子一基
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定開山堂は、正面三間、側面三間、背面半間通り下屋付の方三間のお堂である。平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へちょうど間半分をずらしている。
平成9年度から行なわれた解体修理の際に、承応3年(1654)の墨書と「寛永18年(1641)2月吉日」の墨書が発見された。随願寺に現存する建造物の中でも最古の建築である。平成21年7月 姫路市教育委員会(出典:現地の看板)
▲榊原忠次墓所
榊原忠次墓所唐門
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定
形状 正面1間、側面1間、向唐門、本瓦葺き榊原家は、徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つに数えられた。なかでも忠次(1605~1665)は、文武両道に優れた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。
唐門は本堂の西側にある市指定史跡・榊原忠次墓所の正門であり、瓦銘から享保16年(1731)の建立である。
おおらかな構の建築であるが、細部も丁寧に造られ、唐破風を正面に向けたいわゆる向唐門である。垂木鼻、拳鼻、桟唐戸、柱等随所に錺金具の痕跡が残っており、きらびやかな建物であったことが想像できる。
碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。
榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから館林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て慶安2年(1649)、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれている。
この碑文を一字の誤りもなく読むと、碑石の「カメ」が動くという伝説がある。平成21年7月 姫路市教育委員会(出典:現地の看板)
▲随願寺本堂
増位山 随願寺
播磨天台六山の一つ。史料では増井寺とも記される。寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが、天長10年(833)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。平安時代には諸堂が整備され、山上には36坊もある大寺であったという。天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。増位中学校区夢プラン実行委員会(出典:本堂前の看板)
随願寺本堂前の石段を下りると、小さなお堂がいくつか建っている広場があって、その南端に鐘楼があります。
増位山へ行くには、その横から石段を下りていきます。
▲鐘楼の脇を通って石段を下る
11:22
石段を下りきると、池に突き当たりました。放生池(ほうしょういけ)です(地図中「放生池」)。
▲放生池
随願寺から増位山までの間には梅林や古墳展望台があります。そのため、道標に「増位山」の文字がなくても、「梅林」や「古墳展望台」という文言に従えば山頂へ行けます。
ここは池に向かって左(東)へ進み、「増位山梅林 0.1km そうめん滝1.6km」の道標に従って階段を登り、梅林へ向かいます(地図中「梅林」)。
▲放生池の東にある階段を登る
▲増位山梅林
梅林の中を東に進み、階段を登って柵で囲まれた(鎖をはずすだけで開閉できる扉がある)梅林の中を東へ通り抜け、階段を登ると石燈籠に出会いました。
石燈籠のある削平地から階段を登ったところにあるのは、榊原政邦と夫婦の墓所。
▲榊原政邦と夫婦の墓所の下にある石燈籠
▲榊原政邦と夫婦の墓所
姫路城主 榊原政邦と夫婦の墓所
榊原家は江戸時代初期と中期の二度姫路城主となっている。榊原政邦は、宝永元年(1704)越後国村上城から移封され、二度目の榊原家姫路城主となった。政邦のあとは、政祐・政岑・政永と続く。
政邦は享保11年(1726)、52歳で亡くなるまでの22年間にわたり、特に民政に心を傾け善政を続けたといわれている。遺言によりここ増位山に葬られ、墓碑には故式部大輔、従四位下源朝臣と刻まれている。
政邦の夫人は享保14年(1729)江戸で亡くなったが、同じく遺言により政邦と並んで葬られている。姫路市教育委員会
姫路市文化財保護協会
増位中学校区夢プラン実行委員会(出典:現地の看板)
一見すると墓所で道は行き止まりに見えますが、実際はお墓の左に道が続いています。
お墓から次の丁字路までの間は、若干道が分かりづらいところがありますが、道標を見落とさなければ問題ありません。
11:29
道標に従って稜線を越えると、丁字路に突き当たりました(地図中「増位山・裏道分岐」)。
増位山へ向かうので、ここは右へ(道標で「古墳展望台」とされている方向)。
▲増位山・裏道分岐
ムワッとした湿度を感じはしますが、木陰の道が続くため暑さはほとんど感じません。
▲快適な木陰の中を歩く
古墳のある三叉路は右折(地図中「古墳」)。
展望はありませんが、ここは道標に書かれていた「古墳展望台」です。
▲この分岐は右折
▲分岐にある古墳(砥堀古墳)
古墳のある分岐を右折すると、池を作るために谷間をせき止めたような土手状の道に出会いました。
▲小さな堰堤のような道(右に池がある)
この先、登山道の右側の斜面上には有明山構居跡がありますから、水を確保するために当時作られた堰堤なのかもしれません。
有明の峰 増位山の内北嶺をいう。昔伊勢両宮を勧請して二社高宮ととなえ、大そう有名であつたそうであるが後総社に移した。貞観十七年(八七五)に在原業平が、また建久四年(一一九三)に西行法師がこの峰にのぼつたという。共に古歌が残つている。中世末ここに構居があつて領主は安芸法師休無(小寺職隆の弟)であつたが、天正元年八月十二日別所長治に攻め落された。前記増位随願寺が焼かれて三百余人が嵐山*1に居住したのもこの時のことである。
(出典:姫路市史 第1巻 (地理篇), 姫路市, 1955, 10.11501/2990089. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I2990089 p170)
古墳分岐からおよそ200m、「三角展望台*2」「山頂展望台より登山口へ」と道標に書かれた道が左へ分岐します。
これを左に入って一登りすると、増位山山頂です。
▲増位山山頂への分岐
山頂(昼食)
11:37
増位山の山頂に到着(地図中「増位山」)。
三等三角点標石(点名:増位山)とベンチが2つ、そして歌碑(?)が2つ設置されています。
▲増位山山頂
山頂には誰もいません。
昔は休日に登るとベンチが空いていないのが当たり前でしたが、最近は歩く人が少ないのかな。
山頂からの眺めは、下の全天球パノラマでご覧ください。
▲兵庫県姫路市の増位山山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2019年6月1日、撮影機材:RICOH THETA Z1)
本日の昼食は、崎陽軒のシウマイ。
15個が真空パックされており、常温で長期間保存できる優れものです。
▲崎陽軒のシウマイはラージメスティンにちょうど収まる
15個のうち8個はラージメスティンで蒸し、残り7個はごま油を引いたフライパンで焼いて「焼きシウマイ」にしました。
飲み物は、ノンアルコールビールです。
▲本日の昼食
蒸したシウマイは想像通りの味で、ホタテの風味が良い!
ごま油で焼いた方は焦げた皮が香ばしいし、なんだかソーセージのような肉々しさがある不思議な味。食べている時は豚肉っぽさを感じるのに、最後に口に残るのはホタテの香りで、同じシウマイでも蒸すのと焼くのとでは印象がまったく違います。
どちらも美味しい!
シウマイを調理している時に、単独男性ハイカーが南から登って来られました。ヘリノックスの「チェアツー」を展開して景色とお酒を楽しまれている様子。
山でヘリノックスの椅子を使う人を見るのは初めてかも。
そうこうしていると、何年も前に何度か山歩きをご一緒したNさんが北から登って来られました。
Nさんとヘリノックスの男性は顔見知りらしく、3人でしばし山談義。
下山(随願寺裏道)
14:00
「しばし」と思っていたら、14:00になっていました。趣味が合う方々と一緒にいると、時間が経つのが異様に早くなります。
ヘリノックスの男性はもうしばらくのんびりされるということで、私とNさんは一緒に下山開始。
聞くと、Nさんはいつも裏道を歩かれているそうなので、Nさんにご案内いただくことにしました。
まずは「増位山・裏道分岐」まで、もと来た道を戻ります。
14:09
「増位山・裏道分岐」を直進します(地図中「増位山・裏道分岐」)。
名前の通り、裏道は随願寺の裏(北側)を通りますが、今は何もない随願寺の北側も昔は様々な施設があったらしく、無数の削平地があります。
▲削平地の中を通る所がある
▲カシミール3Dで「スーパー地形」データを表示した様子(多くの削平地がある)
▲何の変哲もない山道に見えるが、道の脇にいくつもの削平地がある
山城跡が好きな方なら、かつての随願寺の姿を思い浮かべながら歩くと楽しいと思います。
途中でいくつか分岐に出会いましたが、私はNさんのご案内で迷うことなく歩けました。
この裏道は、大半の区間が地形図に描かれていませんし、道標もありませんから、分岐がどこへ続いているのか見当もつきません。
初めて歩かれる方は、充分にご注意ください。
14:21
ゴビゴビに錆びた国有林の看板が立つ三叉路(直進と左折)を左折すると、あずまやに出ました(地図中「あずまや」)。
▲あずまや
あずまやの前を通り過ぎた先にある分岐は、左に入ると藤棚方面、右へ行くと蛇が池(じゃがいけ)方面です。ここは右へ。
▲あずまやから蛇が池へ下る道の様子
▲蛇が池の北端、この道標の位置に下りて来た
蛇が池脇の広場に下りてきたら、広場を南に進むと駐車場です。
▲蛇が池を右に見ながら南下
14:30
駐車場に到着。
随願寺裏道は分岐や道が分かりづらい場所が多く、独りで歩いていたら悩みながら歩いて時間がかかったかもしれません。
裏道をご案内頂いたNさんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。
交通アクセス
随願寺まで運行している路線バスなどの公共交通機関はありません。
鉄道を使われる場合は、JR播但線の野里駅が最寄りです。野里駅から随願寺駐車場へは、およそ2.5km。
路線バスを使われる場合は、白国バス停が最寄りです。JR姫路駅北口から白国バス停までは、ダイヤ通りに運行すれば所要時間は15分、運賃は¥250です。バス停から随願寺駐車場へは、およそ2km。