播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

神戸で三式戦闘機「飛燕」と「みなと異人館」見学

本日は、今日から神戸で始まる「川崎重工創立120周年記念展」に出かけてきました。
この展示の目玉は、国内に唯一現存する旧日本陸軍の三式戦闘機、通称「飛燕」(Ⅱ型改試作17号機)の実機展示です。
 
イベント名称: 川崎重工創立120周年記念展
開催期間: 2016年10月15日(土)~11月3日(木)(10/18、10/19は休館)
開場時間: 10:00~17:00(最終入場16:30)
開催場所: 神戸ポートターミナル・大ホール
入場料: 無料
主催: 川崎重工業株式会社
 
 本記念展では、当社岐阜工場で修復・復元作業を終えたばかりの、三式戦闘機「飛燕」の実機展示を中心に、その修復プロジェクトとエンジンの過給器の技術の歴史と進化を紹介します。
 第二次世界大戦中に当社が開発・製造した「飛燕」は、世界的にも希少であり、国内に現存する唯一の機体が、昨年夏まで29年間、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に転じされていました。この「飛燕」は、経済産業省が認定する「近代化産業遺産群」の一つとして認定された航空遺産でもあります。
 当社は、「飛燕」を所有する一般財団法人日本航空協会の依頼を受け、その正しい姿が永く後世に伝わるよう、同機の生まれ故郷である、当社岐阜工場(岐阜県各務ヶ原市)において、同協会の監修の下、破損部位の修復・欠損部品の復元などを行ってまいりました。
 本記念展で、修復・復元が完了した「飛燕」をいちはやくご覧いただくとともに、Kawasaki最新のモーターサイクルNinja H2R/H2まで脈々と続く当社技術者たちの最速にかける熱い思いを感じていただければ幸いです。
 
(出典:川崎重工創立120周年記念展の三つ折りパンフレット)
 
併せて、同展の会場からほど近いポートアイランドの北公園にある「みなと異人館」の一般公開(今朝の神戸新聞に紹介されていた)にも参加することにしました。
 
08:09
敦賀行の新快速電車でJR姫路駅を出発。
 
08:49
三ノ宮駅で下車。
JR三ノ宮駅の東口からポートライナー(ポートアイランド内を巡る新交通システム)の三宮駅へ徒歩で移動。
 
08:55
三宮行(ポートライナーは三宮を出てポートアイランドを一周し、三宮に戻ってくるので、行き先が出発駅と同じ)のポートライナーが三宮駅を出発。
 
09:00
ポートターミナル駅で下車。

普段はこの駅で乗降するお客さんはあまり見かけないのですが、今回は私も含めて10名弱が下車しました。
雰囲気から見て、私と目的は同じようです。
 
 
▲神戸新交通のポートターミナル駅(上に見える高架がポートライナーの軌道)
 
ポートターミナル駅を出て目の前にあるポートターミナル(旅客船乗り場)の北端には、飛燕を見るための行列(20~30人)がすでに出来上がっていました。
 
前回、深海調査艇「しんかい6500」などを見に来たときは、朝10時の時点で数百メートルの行列が出来上がり、2時間待ちということで見学を諦めたので、今回は10時開場ですが、1時間前の9時を目指して来たというわけです。
 
待ち時間が1時間ほどありますが、スマホでWikipediaを開き、飛燕の項目を読んでいると、あっという間に時間が経過。
 
開場時間が迫ると、ポートターミナルの端から端までと言っていいほど行列が延びていました。
 
10:00
開場と同時に展示会場へ。
 
入口で三つ折りのパンフレットを受け取り、「川崎重工のあゆみ」の展示パネル前を通って右へ曲がると、飛燕がこちらを向いて鎮座していました。
 
 
▲展示会場中央に鎮座する三式戦闘機「飛燕」」(Ⅱ型改試作17号機)(2階から撮影)
 
 
▲展示会場中央に鎮座する三式戦闘機「飛燕」」(Ⅱ型改試作17号機)(2階から撮影)
 
 
▲展示会場中央に鎮座する三式戦闘機「飛燕」」(Ⅱ型改試作17号機)(1階で撮影)
 
■「飛燕」とは
川崎重工グループの源流の1つである川崎航空機工業が開発した三式戦闘機「飛燕」は約3,000機が製造されました。過給器を搭載した液冷エンジンを載せ、高速性と旋回性を合わせ持つなど卓越した性能を発揮し、世界の水準に達したと言われています。航空機の理想の姿を目指した土井武夫率いる当社技術陣の情熱は、コンパクトな正面シルエットと高アスペクト比の細長い主翼を持ち、従来の日本の航空機とは大きく異なるスマートで特徴的なスタイリングの航空機を生み出しました。「飛燕」Ⅱ型は、ライセンス生産だった液冷エンジンを独自に高出力化して機体を大改修したもので、その優れた性能から太平洋戦争末期には本土防空任務に配備されましたが、高度な製造技術とメンテナンスが求められたこともあり、生産期数はわずか99機にとどまりました。
 
(出典:川崎重工創立120周年記念展の三つ折りパンフレット)
 
機体諸元
全長: 9.16m
全幅: 12.00m
全高: 3.75m
自重: 2,855kg
総重量: 3,825kg
主翼面積: 20.0平方メートル
エンジン: 川崎「ハ140」 液冷倒立V型12気筒 離昇1,500馬力 公称1,250馬力/高度5,700m
最大速度: 610km/h/高度6,000m
巡航速度: 400km/h/高度4,000m
上昇時間: 高度5,000mまで6分30秒、高度8,000mまで11分50秒
実用上昇限度: 11,000m
航続時間: 3.5時間(機内燃料のみ)、5.5時間(落下タンク装備)
武装: 胴体20mm機関砲×2、主翼12.7mm機関砲×2
初飛行: 1944年4月
 
(出典:「改訂版 かがみはがら航空宇宙科学博物館 開館15周年記念企画 飛燕の時代 キ61『飛燕』初飛行70周年記念展 図録」 2013年7月発行 2016年10月改訂 監修:かがみがはら航空宇宙科学博物館 編集・制作 K-VART)
※この図録は、川崎重工創立120周年記念展のオフィシャルグッズショップで購入しました。
 
飛燕6117号機の修復の考え方
今回の修復は、6117号機が戦闘機としての役目を終えた時点を基準として行われました。
それは、その後にこの機体が経験した様々なことの情報より、戦闘機として戦後を迎えるまでの情報が我々にとって重要であると判断したためです。従いまして、戦後付加された部品や塗装を取り除くこととしました。
取り除くことによって、今までは見ることのできなかった多くのものを発見することができました。そこには、飛燕という抽象的な戦闘機群の一機という以上に、6117号機という固有の機体が経てきた歴史を生々しく感じていただけると思います。
6117号機を文化財として捉えた場合には、オリジナルを次世代により多く伝えることを第一の価値とします。
(省略)
その立場からは、オリジナルに負担をかけるあらゆる行為を慎まねばなりません。
たとえば、新たな部品を加えたり、塗装を行ったりすることにあたります。
厳密な意味でこれらの行為は、オリジナルに負担をかけ結果的にその寿命を縮めることになるからです。
(省略)
しかしながら、未来の人々にできるだけ多くのものを伝える一方で、現在の人々に対しての利活用も文化財として重要な役割です。
一般の人々にわかりやすくその価値を伝えるために、負担の少ない手法で表現を追加することも許される場合があります。
それは、大きく欠損している部分にレプリカ部品を補い当時のイメージを想像しやすくするような作業です。
 
※6117は、飛燕Ⅱ型改試作17号機の製造番号です。
(出典:現地のパネル)
展示会場は、入口と同じ高さのフロア(便宜上「1階」とします)に飛燕等が展示されていて、そのフロアを見下ろせる2階にも上がれます。
 
細かい部分は1階で間近に楽しみ、機体全体は2階から眺めるという見方になるのかな。
 
10年以上前、祖父が陸軍時代の同期会に出席するため知覧を訪れたことがあるのですが、その際、祖父一人では不安だからと私が同行しました。
 
その際に入った「知覧特攻平和会館」で一度飛燕を見たことがあるのですが、その時の飛燕は迷彩塗装になっていました。
 
今回神戸で展示されている飛燕は知覧に展示されていたものと同一の機体ですが、発動機覆上部が黒く塗られ、機体や主翼に国籍マークが塗られている以外は金属の地肌がむき出し。
 
同時代のドイツ軍機、メッサーシュミットBf109によく似た優美な機体のラインがよく分かります。
 
知覧で見た時はこんなに綺麗な機体だとは思わなかったのですが、あれは迷彩塗装の影響かな。
 
飛燕の機首が向いている方向には復元された計器盤があり、透明な箱に入っているので各計器の裏側も見ることが出来ます。
 
会場のパネルによると、日本にアメリカからこの機体が引き渡されたときは、計器類は米軍のものに換装されていたとのことで、実物をネットオークションで落札したり、協力者から譲渡してもらったり、どうしても実物が手に入らないものについては、五式戦闘機(飛燕の機体に空冷エンジンを搭載した戦闘機)のものを元に忠実なレプリカを作り、銘板も実機の写真に写った文字を正確にトレースして再現したとのこと。
 
 
▲可能な限り忠実に再現された計器盤
 
 
▲計器盤は裏からも見られる(中央の大きな計器は油量計。その上の2本の円筒形部品の内、上は「冷却器扉開度指示」、下は「下ゲ翼開度指示」。油量計の左は旋回計調整弁。その下は速度計ポンプ。油量計の真下は油量切換開閉器。)
 
その隣には、実際に座れるコクピットも置かれていました。
これに座ると、飛燕のコクピットの狭さや、パイロットがどんな前方視界を見ていたのかが分かるというものです。
 
▲再現されたコクピット(着座可能)
 
飛燕の右前方には、過給器(スーパーチャージャー)が展示されています。
 
ただし、これは飛燕Ⅱ型に使われていた「ハ140」発動機のものではなく、ドイツの航空エンジンに使われていたもので、これをもとに「ハ140」の過給器が復元されました。
 
 
▲DB603エンジン(第二次大戦中のドイツの航空エンジン)の過給器
 
飛燕の機体の右側には、配電盤と防弾板(復元品)も展示されています。
 
 
▲飛燕の配電盤と防弾板(復元品)
 
そして飛燕の右後方には、やはり今回の展示の目玉である飛燕Ⅱ型のエンジン「ハ140」が置かれています。
 
エンジンは第二次大戦中、神戸からほど近い川崎の明石工場で作っていたそうです。
 
 
▲「ハ140」発動機(エンジン)前部
 
 
▲「ハ140」発動機(エンジン)右側
 
▲「ハ140」発動機(エンジン)後部
 
当時、ヨーロッパ戦線では、同盟国ドイツの戦闘機メッサーシュミットBf109Eが、強力なダイムラーベンツ液冷倒立V型エンジンを搭載して活躍しており、本エンジンのライセンス購入が1939年に実現したことで、川崎はついに待望の新型エンジンを入手することとなります。
キ61(後の「飛燕」)は、この1,100馬力級エンジン「DB601」を国産化した「ハ40」を搭載する戦闘機として設計されました。
(省略)
ドイツの強力な液冷エンジンを国産化した「ハ40」を得て飛燕が実現しましたが、川崎航空機は、「ハ40」の能力向上にも取り組んでいました。
(省略)
「ハ40」強化方法は、圧縮比・ブースト圧を上げ、より多くの燃料混合器を燃やし、また回転数を増すことで、エンジンパワーを上げるもので、離昇出力は「ハ40」の1,175馬力から1,500馬力を計画していました。また水メタノール噴射によって、吸気温度を下げ異常燃焼の抑制を図ることで、緊急時の出力増加を可能としました。「ハ40」量産の品質維持・向上を図りつつ行う能力向上作業は困難なものでしたが、1944年5月一定の成果を上げ、「ハ140」として完成しました。
(省略)
しかしながら、1944年6月から「ハ140」量産エンジンの出荷が開始されたものの、排気弁焼損その他故障が頻発する等の問題が残っており、エンジンの生産のペースは上がらず明石工場への大規模空襲もあり、結局199台のみが出荷されたといわれています。
 
(出典:「改訂版 かがみはがら航空宇宙科学博物館 開館15周年記念企画 飛燕の時代 キ61『飛燕』初飛行70周年記念展 図録」 2013年7月発行 2016年10月改訂 監修:かがみがはら航空宇宙科学博物館 編集・制作 K-VART)
※この図録は、川崎重工創立120周年記念展のオフィシャルグッズショップで購入しました。
 
Wikipediaによると、このエンジンの形式は液冷倒立V型12気筒で、排気量は33.9リットル。
 
飛燕の尾部を回り込んで飛燕の左後方に展示されているのは、ラジエーター。
実物は失われていたため、約2年をかけて製作したものだそうです。
 
 
▲飛燕の水・滑油冷却器(ラジエーター)復元品
 
 
▲水・滑油冷却器は本来、胴体下の冷却器覆の中にある
 
これら展示品に関する詳細は、周囲の壁面にあるパネルに書かれているので、是非現地でじっくり観察してみて下さい。
 
この1階の展示では、飛燕の機体を間近にじっくりと見られます。
そのため、場所によりますが、外板のつなぎ目の粗さが目立つところもあり、当時の工業力の低さ(というより、勤労動員された労働力の質の悪さ?)まで感じられます。

興味の無い人にとってはどうでも良いような画像だと思いますが、何枚か画像を載せておきます。
 
 
▲昇降舵の付け根と方向舵下部(昇降舵の軸がはっきり見え、方向舵がロッドで制御されていたことが分かる。ただし、ロッドは復元されていない。)ピンぼけご容赦下さい
 
 
▲飛燕の尾輪
 
 
▲飛燕の主脚(左)とその格納部。タイヤが収納されると、タイヤに押されて自動的に小さい方の扉が閉まる構造になっているのが分かる。黄色い塗装は敵味方識別帯。
 
▲飛燕の主脚(右)
 
2階へ上がると、1階からはよく見えなかった部分が見えますし、全体をよく見ることが出来ます(冒頭の写真参照)。
 
 
▲発動機覆(復元品。2階から撮影。)黒い塗装は、反射を防いでパイロットの目がくらまないようにするためのもの。
 
発動機覆上部
試作17号機が工場搬入後すぐ、全機3次元形状計測を行い、そのデータをCADに取りこみ設計を行いました。当時の図面、写真、マニュアルなどを参照しながら、デジタルモックアップなど各種解析により正確な形状と、正しい構造や機構を再現しました。
 
(出典:現地のパネル)
 
 
▲風防(復元品。2階から撮影。)
 
じっくりと飛燕の観察をしたら、バイクの展示コーナー前を通り、混雑したオフィシャルグッズショップでお買い物。
 
 
▲バイクコーナーの展示(Ninja H2 輸出専用モデル)
 
フライトジャケットに縫い付けるような飛燕のワッペンがあったり、飛燕の柄が入った手ぬぐいやバンダナもありますし、ブルーインパルスグッズもあります。
 
限定品は売り切れ次第販売終了なので、興味のある方は早めに行った方が良いかも知れません。
 
 
▲オフィシャルグッズショップの看板
 
10:35
十分に飛燕を堪能したので、引き続き「みなと異人館」の一般公開へ行くため会場を出て、ポートターミナル駅へ向かいました。
 
10:45
ポートターミナル駅から下りのポートライナーに乗り、次の「中公園」駅で下車(10:47)。
 
来るときは気づかなかったのですが、ポートライナーのポートターミナル駅は、ホームにこんなに大きく宣伝が張り出してありました。
 
 
▲ポートターミナル駅ホームの様子
 
中公園駅の西出口へ向かい、西側の陸橋へ。
この西側陸橋への道は、なかなか分かりにくいです。
 
中公園駅の西側で道路を越える陸橋(歩道橋)の中程に、北へ下る階段があるのですが、その階段の下に「みなと異人館」と書かれた道標があります。
 
 
▲中公園駅西側の歩道橋中央から北へ下りる階段(階段の下に「みなと異人館」と書かれた青い看板がある)
 
階段を下りて狭い歩道を北へ進み、横断歩道も信号もない交差点を北へ渡って北進すると、北公園にたどり着きます。
 
この北公園の中に「みなと異人館」があります。
 
みなと異人館は、医療機器メーカーのシスメックスが神戸市から借り受けている(文化財の維持管理を民間に任せるため)もので、年に1回だけ公開されます。それが今日だったというわけ。

今朝、新聞をよく見ていて正解でした。
 
イベント名称: みなと異人館 一般公開
開催期間: 2016年10月15日(土)
開場時間: 11:00~15:00
開催場所: ポートアイランド北公園内
入場料: 無料
 
11:00
みなと異人館に到着。
 
 
▲みなと異人館
 
明治初期の建物で、元々は神戸の北野にあったものをここへ移築したとのことです。
 
写生大会があるらしく、北公園内は画板を持った子供達で一杯。
そういえば、ポートターミナル駅でも画板を持った子供の集団がウロウロしていましたが、彼らの目的地はここだったのか。
 
受付で簡単なアンケートに回答し、建物の中へ。
 
 
▲みなと異人館の玄関
 
やはり古い洋館は良いですね。
どうでも良いような所の装飾が凝っていて、贅沢な雰囲気です。
 
▲みなと異人館の階段
 
2階は1部屋だけ自由に出入りできるようになっていて、テーブルの上には神戸港の歴史を振り返る白黒写真が並んでいました。
 
 
▲公開されていた2階の一室
 
ここにはベランダがあり、北側、つまり神戸港の展望が楽しめます。
 
▲みなと異人館2階のベランダ
 
 
▲ベランダから神戸港を見る(岸壁にいるのは写生大会の参加者)
 
1階のバーカウンターでフリードリンクを頂けるというので、遠慮無く抹茶オーレを頂きました。
そして庭へ。
 
 
▲みなと異人館の庭
 
 
▲庭から見たみなと異人館
 
抹茶オーレを頂いた後は、シスメックスの社員の方の許可を得てパノラマ撮影。
 
そうこうしていると、1階でジャズの演奏が始まりました。
 
日本国内では神戸がジャズの発祥の地とされているので、その神戸で、当時の建物で、生演奏のジャズを聴くという最高の贅沢が出来ました。
 
最後に、みなと異人館で撮影したパノラマを紹介します。(RicohのTHETA Sで撮影)
 
みなと異人館で撮影した全天球パノラマ
画面左上のリストで、1階、庭、2階、2階ベランダの各パノラマを切り替えてご覧頂けます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kobe20161015/virtualtour.html
 
11:51
中公園駅から上りのポートライナーに乗車。
 
11:58
ポートライナーの三宮駅で下車し、JR三ノ宮へ。
 
12:13
12:07発の姫路行新快速電車が6分遅れで三ノ宮に到着。これに乗車。
 
12:53頃
JR姫路駅に到着。