播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県姫路市の置塩城跡

2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」も、もうすぐ最終回を迎えます。
その中でじっくり描かれていた播磨平定や、御着の小寺家にゆかりのある置塩城を見てきました。
 
(注)この記事内では、城跡の郭や石積みを番号で表記していますが、それらの番号は「夢前町文化財調査報告書 第7集 播磨置塩城跡発掘調査報告書 平成18年3月10日」(編集発行 夢前町教育委員会)を元にしています。

ただし、現地の郭跡や石積みに番号のある看板が立っているなど、目印があるわけではないので、私の推測で書いているだけです。誤っている可能性もありますので、その点は予めご了承ください。
文末に石垣分布図を掲載しているので、参考にして下さい。
 
史跡赤松氏城跡 置塩城跡
 室町時代の播磨守護職であった赤松氏の居城跡。夢前川の東側、標高370mの城山山頂に位置します。播磨地方で最大の山城で、遺構は東西約600m・南北約400mもの範囲に広がっています。
 一般には文明元年(1469)に赤松政則が築城したとされていますが、近年の調査研究の結果、城が本格的に整備されたのは16世紀後半の赤松政村(晴政)・義祐・則房の頃であることが明らかになりました。なお、赤松氏は黒田官兵衛孝高が家老を務めた小寺家の主家に当たります。その後、天正年間(1573~1592)には廃城になったようです。
 平成13~17年度に行われた発掘調査では、城内の最高所にあたる伝本丸跡(第I-1郭)で天守的な性格をもつ建物が見つかりました。また、伝二の丸跡(第II-1郭)などでは庭園を伴った礎石建物が発見され、屋敷が建ち並ぶ城下町的な景観が山上に広がっていたことが明らかになりました。さらに、土器や陶磁器類、瓦などの遺物が1万点以上も出土したことも注目されます。
置塩地区地域夢プラン実行委員会
(出典:登山口の看板)
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「前之庄」
 
10:00
姫路市街の自宅を車で出発。
 
県道67号線で夢前川沿いに北上し、置塩小学校を過ぎてすぐにある置塩城跡の標識に従って右折します。
そして、夢前川を渡ってすぐに左折。
まもなく右手に標識や石碑のある置塩城跡の登山口が現れます。

登山口の向かい側、路肩が広くなっている場所が駐車場になっているので、安心して車を置くことが可能(地図中「P」)。
 
登山口到着は10:27でした。
 
下のURLをクリックすると、登山口の位置がGoogleマップで表示されます。
https://www.google.co.jp/maps/place/34%C2%B055'04.7%22N+134%C2%B040'38.1%22E/@34.917963,134.677263,16z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x0?hl=ja
 
 
▲登山口の向かいにある駐車場の様子
 
 
▲置塩城跡登山口
 
10:35
準備を終えて出発。
 
登山道に入るとすぐ「登山道 置塩城跡 江 十八丁」と刻まれた石柱がありますが、茶室跡の郭(くるわ)までの間に、3丁から18丁までの丁石に出会うことになります(1丁と2丁の丁石は見当たりませんでした)。
 
 
▲登山口にある石柱
 
登山道はつづら折れで(山歩きに慣れている方にとっては)斜度はそれほどきつくなく、ほぼ2分おきに丁石に出会うのでどんどん城跡に近づいていることがよく分かり、気楽に登っていけます。
 
自然林の中の山道で基本的に展望はありませんが、ちょうど中間地点となる9丁の丁石手前にだけ、ちょっとした展望所があります(地図中「九丁」)。
 
 
▲九丁にある展望所からの眺め
 
10:53
九丁の丁石を通過。
 
11:00
十二丁の丁石を通過すると、炭焼き窯跡に出会いました。
看板によると、昭和初期のものだそうです。
 
 
▲十二丁の丁石近くにある炭焼窯跡
 
11:11
そろそろ十八丁の丁石かなと思っていたら、分岐に出会いました。
左は本丸跡、右は南曲輪群と道標には記されています。
 
 
▲本丸跡と南郭群への分岐
 
ひとまず南の曲輪群を見に行くことにしました(地図中「第5郭群」)。
分岐から少し下ると、やや大きめの郭跡があり、真ん中には「南曲輪群」と書かれた看板が立っていました。
 
 
▲第V-7郭(南曲輪群と書かれた看板がある)
 
さらにその下にも大きめの郭跡(第V-8郭)がありますが、そこへ下る道の途中で切岸を見上げると、石積み(No.31)があります。
 
第V-8郭の南にももう一つ郭があるのですが、切岸が崖になっていて下りられませんし、通路らしきものが見当たらなかったので、引き返すことにしました。
 
11:22
先ほどの分岐に戻り本丸方面へ進むと、十八丁の丁石に出会いました。この丁石の背後には、石積み(No.33)があります。
 
この石積みがある郭は、前述の発掘調査報告書で第V-1郭として示されているもので、現地には「茶室跡」と書かれた看板が立っています。
 
かなり広い郭で、二の丸寄りには通路と郭を隔てるための土塁がしっかり残っていました。
 
この第V-1郭の北東隅には四角くくぼんだ場所があり、その両側に向かい合うようにして石積みが残っています(石積みNo.25とNo.26)。
 
郭跡はどこも同じような雰囲気なので、写真は省略します。
 
茶室跡の郭北西に案内図があるので、城跡を歩く際にはこれをよく見ておくことをお勧めします。
 
 
▲置塩城跡 案内図
 
茶室跡(第V-1郭)を見た後は、その西側を北西に延びる通路(前述の発掘調査報告書では通路7と表記)を進み、第VI曲輪群を見に行くことにします。
 
上の案内図の先で通路が本丸跡方面と南西曲輪群方面へ別れる場所があるので、南西郭群方面へ進めば第VI曲輪群へ行けます(地図中「第6郭群」)。
 
発掘調査報告書では、この第VI-1郭の南西隅を射撃点として紹介していますが、現地に立って見ると、2段下の郭まで見通せて、さらに両側の谷まで見える180度以上の広い射界をもつ射撃陣地です。

案内図近くの分岐に戻り、今度は二の丸を見に行くことにしました。
二の丸へ行く途中には、それまでに見た中では最大規模の石積み(No.36)があります。(上に載せた案内図では、南西郭群の中に「大石垣」と呼ばれる立派な石垣があるようですが、射撃陣地だけ見て引き返したため、大石垣は見ていません。)
 
 
▲二の丸西側に残る石積み
 
先ほどの石積みの横を通り抜け、その先で右へ曲がると、見事な「土の城」の景観が残っていました。
 
置塩城は石積みが多くありますが、基本的には土で構成された城で、石積みは単なる土留めの役割しか果たしていません。
 
 
▲堀切のように見える場所の左は三の丸、右は二の丸
 
この場所(馬場?)からは、西側の大手道を見下ろせるため攻城兵を迎え撃つには良い地点ですし、攻城兵がここまで上がってきたら、二の丸と三の丸からの格好の餌食になりそうな所です。
 
二の丸の北側にある馬場跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年12月7日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/okishiojo20141207-1/virtualtour.html
 
発掘調査報告書によると、右上(東)に見える二の丸に射撃点があります。
その射撃点からの眺めを見てみたいと思ったのですが、二の丸へは崖のような切岸を登らないといけません。登りづらそうなので正規のルート(虎口)から上ることにします。
 
二の丸への虎口の前に三ノ丸へ行く道があったので、そちらへまずは入ってみることに(地図中「第3郭群」)。
三の丸(第III-1郭)では、古銭を見つけました(もちろん、その場に置いたまま帰りました)。
 
 
▲三の丸にあった古銭(?)
 
第III-1郭の北にある第III-2郭の北端には、櫓跡があると発掘調査報告書に書かれているので、それを見に行くことにします。
 
第III-1郭から第III-2郭へ降りるのは、幅の広い坂道があるので楽です。
ただ、櫓跡に来ても特に何かあるわけではありません。

櫓台があって周囲より高くなっているのかと思っていましたが、高いどころか周囲よりも若干へこんでいるように見えました。
 
三の丸と二の丸の間に戻り、左手にヌタ場(井戸跡?)のある台所跡を見ながら東へ進むと、右側に二の丸への通路と思われる道を見つけました。
 
二の丸は広いので、そちらを見る前に、二の丸北曲輪群(第IV曲輪群)をざっと眺めてから二の丸をゆっくり見ることにします。
 
二の丸北曲輪群(第IV曲輪群)は土塁で第IV-1郭と第IV-2郭が仕切られていました(地形図の「城山」と書かれている場所の、「城」と「山」の間)。
 
続いて二の丸です。

二の丸へ上る道に見えた所ですが、石積み(No.18)があるので虎口なのかな。
二の丸には、土塁がしっかりと残っています(地図中「第2郭群」)。
 
 
▲二の丸に残る土塁
 
射撃点から西側の馬場(?)を見下ろすと、ここも広い範囲を攻撃出来る良い場所であることが分かります。
 
本丸跡への通路に戻り、東にある本丸(第I-1郭)を目指しました。
 
本丸への通路は、常に左側の第IV曲輪群からの攻撃にさらされる道で、第IV曲輪群と第I曲輪群の間の鞍部は、両曲輪群から挟撃されるキルゾーンになっているようです。
 
この鞍部の東側斜面には、立派な石積み(No.7)が残っていますが、その上にある第I-8郭は、藪になっています。
 
第I-1郭(本丸跡)の南側で道は分岐します。
左は本丸跡、右は本丸南曲輪群への道。
 
本丸に行く前に、本丸の南にある郭を見ることにします。
発掘調査報告書を見た時、通し番号1番の石積みが本丸とその下の郭の間にあることが分かったので、特に意味はありませんが、「No.1」という名前だけでその石積みを見てみたくなったのです。
 
分岐を東へ進むと第I-2郭があり、「本丸南曲輪群」の看板が立っていました。
そこから本丸(第I-1郭)へ斜面をよじ登ると、石積みがあります。
 
 
▲石積み(No.1)
 
この切岸はかなり急な斜面で、雑木に捕まりながら上りましたが、この石積みからは、石を掴んでよじ登ることができました。
 
12:30
本丸跡(第I-1郭)に到着(地図中「第1曲輪群」)。
あちこちの郭跡を見て回ったため、十八丁の丁石からここまで1時間以上かかりました。

大手道が通る西尾根の曲輪群の見学を省略してもこれだけ時間がかかったので、置塩城跡をじっくり見ようと思っている方は、時間にたっぷり余裕をもってお越し下さい。
 
 
▲本丸跡(第I-1郭)
 
本丸跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年12月7日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/okishiojo20141207-2/virtualtour.html
 
本丸跡からは南と北に大きく展望が開けており、特に南側は光り輝く播磨灘がよく見え、今まで展望がほとんどなかったためか、さほど広く開けていませんが、素晴らしい景色に見えました(この景色を見ながら昼食を食べました)。
 
 
▲本丸跡から南方面の展望
 
北は、左に明神山が見え、そこから視線を右へやると七種山塊、そして笠形山までを見ることができます。
 
 
▲本丸跡から北方面の展望
 
本日の昼食は、アルファ米の五目ご飯とアマノのフリーズドライみそ汁。
 
13:35
たっぷり1時間ほど休憩し、下山開始。
 
第I-2郭から斜面をよじ登って来たので、下山時は、本丸の西にある櫓跡脇の虎口から下ることにします。
 
 
▲本丸の虎口を振り返る
 
元は石段だったと思われる石が散らばる道を下り、まもなく往路と合流。
往路をたどって下山しました。
 
14:08
下山完了。駐車場に戻ってきました。
 
本日の山歩きの距離や高低差等は、以下の図を参照して下さい。
 
 
▲本日のルート詳細(カシミール3Dで作成)
 
 
▲本日の山行中の気温(TPは気温、RHは相対湿度)
  
参考資料
「夢前町文化財調査報告書 第7集 播磨置塩城跡発掘調査報告書 平成18年3月10日」(編集発行 夢前町教育委員会)のP26「置塩城跡石垣分布図」
 
▼パソコンでご覧の方は、下図を右クリックして新規タブ、または新規ウィンドウで開くと、大きく表示することができます。
 

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/files/okishiojo20141207-21.png