周囲から「太った」という声が高まってきましたし、1月下旬に明神山に登って以降、標高500m以上の山に登っていないので、久しぶりにダイエットもかねて山らしい山に登ろうということで、宍粟市一宮町の宮山(みやま)に登ってきました。
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「安積」。
盤座の付近だけ別のルートを通っていますが、それ以外はすべて同じコースを歩いているので、「一宮町東市場」の文字の右下以外で赤線がずれているのは、GPSの誤差です。
9:40
姫路市街の自宅を車で出発。
国道29号線を北上し、伊和神社の前、道の駅「播磨いちのみや」のある三差路を右折。
220m進んだところにある分岐を左に入り、スポニックパーク一宮直前の交差点を右に入ります。
220m進んだところにある分岐を左に入り、スポニックパーク一宮直前の交差点を右に入ります。
200m進むと、左手に「宍粟市市民の森」と書かれた看板と「宮山登山口」の標柱がある上り坂(地形図の実線道)があるので、それを登ると、神社の脇を通過し、公衆トイレの先でちょっとした空き地に出会いました。
https://goo.gl/maps/nUCpZpgXkUBBpg7U9
▲駐車場所の地図
10:50
地形図の貯水タンクまで車で行けますが、トイレにも行きたいし、貯水タンク前が他の車で埋まっていたらまた引き返してこないといけないし、そもそも大した距離ではないので、この空き地に車を止めることにしました(地図中「P」)。
地形図の貯水タンクまで車で行けますが、トイレにも行きたいし、貯水タンク前が他の車で埋まっていたらまた引き返してこないといけないし、そもそも大した距離ではないので、この空き地に車を止めることにしました(地図中「P」)。
▲地図中「P」の様子
先客の車の隣に自分の車を置き、トイレに行ったり靴を履き替えて準備。
10:56
出発。
出発。
石仏が並んでいるのが妙な感じですが、それ以外はさわやかな公園の中の簡易舗装の道を登ります。
この簡易舗装の道は貯水タンク(神戸配水池)で行き止まり(地図中「貯水タンク」)。車を何台か止められるスペースはありますが、車は1台もありませんでした。
▲貯水タンク
11:00
この貯水タンクへ通じる車道の終点に宮山登山口標柱が立っていて、はっきりした道が北へ伸びています。
この貯水タンクへ通じる車道の終点に宮山登山口標柱が立っていて、はっきりした道が北へ伸びています。
展望が良いとか、自然林で雰囲気が良いといった道ではまったくありませんが、植林の中なので涼しい点はありがたい。
▲貯水タンク脇の登山口
11:04
防獣ゲートに出会いました。
防獣ゲートに出会いました。
防獣ゲートと言えば、通常は小さな掛けがねや針金で止められている場合が多いですが、ここのは掛けがねが2つあり、その上太くて長いかんぬきでがっちりと閉じられていました。
▲防獣ゲート
開けるときは良いのですが、ゲートの反対側からかんぬきを戻すのは大変。
防獣ゲートから道は東へ向きを変えます。
地形図の等高線や下の写真で分かるとおり斜度はきつくなく、植林で直射日光が遮られて快適に歩けました。
重機で斜面に無理矢理付けた道なのか、路面に砂利や角が鋭い石が散乱しています。
▲東向きに進む区間の様子
11:19
ベンチが2つ並んだ場所に出会いました(地図中「ベンチ」)。
道がここで北へ向きを変えていることから、山頂から真南へ延びる尾根に乗ったと分かります。
ベンチが2つ並んだ場所に出会いました(地図中「ベンチ」)。
道がここで北へ向きを変えていることから、山頂から真南へ延びる尾根に乗ったと分かります。
▲2つ並んだベンチ
大した斜度ではなかったのにどういうわけか息が切れていたので、ここで小休止。
ベンチのすぐ先、わずかな距離でしたが、右側に自然林が広がって雰囲気の良い場所があります。
この付近から、チリン、チリリーンと熊よけ鈴の音が聞こえてきました。先行者に追いつきつつあるようです。
11:25
「磐座→」と書かれた道標のある分岐に出会いました(地図中「分岐」)。
「磐座→」と書かれた道標のある分岐に出会いました(地図中「分岐」)。
道標には、「伊和神社が21年の周期で執り行う『一つ山大祭』の祠が安置されている」と書かれています。
今年の4月、我が街姫路でも20年に一度の三ツ山大祭があったので、伊和神社の祠も見てみようと思い、コースを外れて盤座(いわくら)へ向かいました。
今年の4月、我が街姫路でも20年に一度の三ツ山大祭があったので、伊和神社の祠も見てみようと思い、コースを外れて盤座(いわくら)へ向かいました。
▲磐座への分岐
盤座への道は、今までの重機で作られたような道ではない普通の山道です。
11:29
まるで元々は石垣だったかのような岩場の中を登ると、大きな岩を庇にした祠に出会いました(地図中「盤座」)。
まるで元々は石垣だったかのような岩場の中を登ると、大きな岩を庇にした祠に出会いました(地図中「盤座」)。
▲盤座
11:35
ここで今日一日の無事をお祈りし、登山道へ戻ろうとしたら、盤座の左奥にピンクテープが見えました。
それに従って進むと、先ほどの熊よけ鈴の音が一気に近づいてきて、単独男性ハイカーが歩いている登山道に出ました。
ここで今日一日の無事をお祈りし、登山道へ戻ろうとしたら、盤座の左奥にピンクテープが見えました。
それに従って進むと、先ほどの熊よけ鈴の音が一気に近づいてきて、単独男性ハイカーが歩いている登山道に出ました。
盤座を通るルートは近道になっているようです。
ここからは単独どうし、おしゃべりをしながらのんびりと歩みを進めることにしました。
11:43
石垣のようなものにぶつかって道は右へ直角に曲がります。
石垣のようなものにぶつかって道は右へ直角に曲がります。
▲石垣?
その先で左に曲がると、宮山の山頂でした。
11:45
宮山の山頂に到着。
宮山の山頂に到着。
岡城(おかじろ)跡についての説明板、宍粟50名山の標柱、四等三角点標石(点名:東市場)、そして城跡だけあって小規模ですが数段の削平地があります。
▲三角点標石や山名標柱のある主郭跡
岡城跡
岡城は、岡山町・宮山城とも呼ばれ、播磨国一宮伊和神社を眼下に望む宮山の山頂に築かれています。
「播磨鑑(はりまかがみ)」などの古記録によれば、七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘(じぶしょうゆうのりひろ)が、明徳3年(1392)ここに初めて城を築いたとされますが、嘉吉の変(1441)の時に一旦落城したものと見られています。
その後、天文年中(1532~54)にいたり、岡城豊前守吉政(おかじろぶぜんのかみよしまさ)が再びこの地に城を築いて居城としましたが、天正8年(1580)羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって宇野氏の居城である長水城が攻め落とされた際に、岡城も落城したものと伝えられています。
山頂部から三方の尾根にかけては、主郭(しゅかく)跡と見られる石塁(せきるい)を備えた東西約12m・南北約15mの平坦地を中心に、それを取り巻く帯郭(おびくるわ)跡や階段状に連なる郭跡、防御のための堀跡などが残されており、昔日の姿を偲ぶことができます。また、山頂からの眺望はすばらしく、この城の軍事的な重要性をよく物語っています。
一宮町・一宮町教育委員会
眺望が素晴らしいと案内板には書かれていますが、周囲の樹木が生長したためか、さほど展望はありません。
しかし、山頂にまで植えられた植林木のおかげで日陰があちこちにあり、暑がりの私にはありがたい。
しかし、山頂にまで植えられた植林木のおかげで日陰があちこちにあり、暑がりの私にはありがたい。
山頂からは北東に暁晴山、北を見ると目の前に花咲山があり、その右奥には東山が、そしてその右手前には生栖行者山が見えます。
▲宮山山頂から見える山々
大展望の山ではないとあらかじめ分かっていたので、今日はパノラマ撮影機材は持ってきませんでした。
久しぶりに引っ張り出してきたガソリンストーブで岳食・山菜そばを作って食べ、途中で出会ったハイカーさんと歓談を楽しみましたが、その方も私と同様、カメラや双眼鏡、自転車等々いろいろなことに興味をお持ちで、すっかり意気投合。
私の方が先に下山にかかったのですが、(メモ用紙がなかったので)財布の中にあったレシートの裏に私のブログのタイトルを書いてお渡ししました。
山道具好きのハイカーさんに会うことはありますが、ここまで共通の趣味がある人は初めてでした。
14:00
下山開始。
下山開始。
「ん?!」11:45に山頂に到着したということは・・・2時間以上(!)も山頂で過ごしたことになります。
下山時は盤座の方を通らず、正規のコースを下りました。
14:30
駐車場所に到着。
駐車場所に到着。
15:45
自宅に到着。
自宅に到着。