播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県姫路市の増位山(ハイキングコースで歩く)

やらなければいけないことが貯まっていたので土日で片付け、今日山に登る気満々でいました。
しかし、朝目が覚めると8時。寒いと早く起きられない・・・
バスで雪彦にでも行こうかと思っていたのに、すでにバスは出てしまっています(1日2本しかない)

 

仕方がないので、のんびりと準備をして増位山に登ることにしました。
昨年の2月に歩いたルートを逆回りで歩くことにします。

 

昨年は地形図の破線を信じて登ったおかげで(実際は廃道になっていたので)ダニまみれ、(シダの)胞子まみれになってしまいましたが、今回はハイキングコースを歩いて快適な散歩をすることにしました。

 


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」

 

10:30
姫路市街の自宅を自転車で出発。
白国3丁目付近に自転車を置き、白国3丁目と4丁目の間にある神社の記号(大年神社)へ歩いていきます。

 

11:00
大年神社に到着。
この拝殿左側に「西尾根ハイキングコース」と書かれた道標があり、さらに巡視路標識も立っています。

 

道標に従ってコンクリートと石で出来た階段を上ると、すぐに石垣だけが残った場所に出ます。昔はここに神社があったのでしょう。石垣の左奧からハイキングコースが延びています。

 

ハイキングコースと名が付いているだけのことはあり、普段私が歩いているような山道とは次元が違う快適な道です。登山靴も必要ありません(私も登山靴ではなく普段着にスニーカーで歩いてきました)。

 


▲西尾根ハイキングコース序盤の様子

 

地形図を見ると分かるとおり、この尾根は3本の送電線と交差しています。つまり、これから3本の送電線鉄塔に出会うことになります。

 

送電線鉄塔に出会うまでは、かなりなだらかな道です。

 

11:11
最初の送電線鉄塔に出会いました。この鉄塔は、城北支線4番鉄塔です。

 

11:13
2番目の鉄塔を通過。この鉄塔は、姫路南支線21番鉄塔。

 

11:17
3番目は姫路支線23番鉄塔。
いずれの鉄塔も、鉄塔下で振り返ると姫路市街が一望できて気分が良いです。

 

これら3本の鉄塔のある辺りは、序盤に比べると少し斜度があり、岩がちな路面になっています。

 

11:22
尾根の肩に出ました。
おばけのQ太郎みたいなシルエットの道標があり、ここもかなりの展望が広がっています。

 

尾根の肩から北へ延びる稜線上の道は、ハイキングコース序盤と同じ雰囲気で、非常になだらか。

 

この稜線上にある小ピークには、それぞれ季節の名前が付いた広場(数人が休める程度のベンチがある休憩所)があります。

 

11:26
春の広場通過。

 

11:30
夏の広場通過。

 


▲広場はこんな感じ(夏の広場の様子)

 

11:34
秋の広場通過。

 

秋の広場を通過してしばらく歩くと、右下方に池が見えてきます。そして、右手へ下る道と直進する道との分岐に出会います。

 

11:37
分岐に到着。この分岐を直進すると、広峰神社や弥高山方面へ行くことが出来ます。
今回は右手に下る道を降り、随願寺方面へ向かいます。
わずかに下ると、池のある公園に降り立ちます。降り立ったところには案内板がありますが、案内板に背を向けて公園の向かい側を見ると、階段の道が見えます。この階段道を歩いていけば随願寺へ行けます。

 


▲公園の入口にある階段道の入口

 

擬木の階段を上ると、道がいくつかの方向へ分岐しますが、随願寺を指す木製の道標があるので迷うことはないでしょう。
溝のように路面がえぐれた中に階段が設置されている区間もあります。

 

この階段道はすぐに終わり、随願寺境内の入口(車止めゲートがある)に出ます。

 

11:43
随願寺入り口の車止めゲートに到着。
すぐ斜め前に斜面を登る小径があり、その入り口には池田輝政公の五輪塔があると書かれています。
今まで見たことがないので、どんな物か見てみることにします。

 

よく踏まれた小径で、たった2分でその五輪塔に行けます。
書かれている文字がよく分からず、五輪塔がそもそも何なのか私は分かっていないので、特に感動もなく、もと来た道を戻ります。(五輪塔の他に、随願寺の住職の墓のようなものもありました。詳しくは文末のリンクからWebフォトギャラリーへ)

 

随願寺の境内へ入っていくと、派手な門のある墓所に出会います。これは榊原忠次の墓所。

 


▲榊原忠次の墓所

 

さらに進んで本殿前を通り、南の鐘楼脇から石段を下ります。
石段を下りきると、地形図にも書かれている小さな池の北側に出ます。

 

ここから東尾根ハイキングコースを示す道標に従って梅林の脇を通って東へ進むと、やがて榊原政邦と夫人の墓所(地図参照)に出ます。

 

12:05
榊原政邦と夫人の墓所前を通過。道標に従って東尾根ハイキングコースへ向かいます。東尾根ハイキングコースと書かれていない道標の場合は、古墳展望台方面へ進めば大丈夫です。

 

植林の中の、しっかりした道を歩いていくと、突然2枚の案内板と椅子のある古墳展望台に出ます。

 

12:11
古墳展望台に到着(地図参照)。
展望台という名前の割には、全く展望がありません。
ここからはそうめん滝方面へも下山できるようです。

 


▲古墳展望台の様子(左奧の岩が石室)

 

古墳展望台からは南へ進みます。
西尾根コースと同じ雰囲気の快適な遊歩道です。

 

12:16
増位山山頂へ行く道と、巻き道との分岐に出会いました。
おなかが空いてきたので、増位山山頂で食事をすることにします。

 

12:18
斜面を少し登ると、すぐに増位山の山頂です。
上部が真っ赤に塗られた三等三角点とベンチがあり、東方面の展望が開けています。

 


▲増位山山頂の様子。

 

なにやらバタバタと音がするので上を見上げると、三角点近くの木に竹竿が針金でくくりつけられており、先端に赤い旗が翻っていました。
何年か前は航空測量用の標識の残骸がありましたが、今回はトランシットを使った従来通りの三角測量をしているのかな?

 


▲三角点の上ではためいている赤旗。

 

本日の昼食は、フリーズドライのスクランブルエッグ(ハム入り、朝食用メニュー)。一袋にふたり分が入っています。二人分のスクランブルエッグごときで満腹になるとは思っていませんでしたが、おなかが一杯になりました。カロリーメイトも持ってきましたが、とても食べられません。

 

おなかいっぱいに食事を楽しみ、展望もたっぷりと楽しみます。
はるか東には六甲山系が見え、最高峰付近はうっすらと白くなっているのが双眼鏡を通してわかります。
笠形山もわずかに白くなっています。

 


▲増位山山頂からの展望
左端でススキの穂に隠れているのは笠形山(?)。正面に見える採石場は、私が2006年4月に登った点名:豊富。

 

12:55
展望と食事を満喫し南へ向かって下山開始。
山頂から南へ下ると、すぐに巻き道が右手から合流してきます。

 

ここからも歩きやすいしっかりした道で、所々にベンチや休憩所があります。
道が直角に曲がるところにも大きな道標があり、初心者でも安心して歩けそうです。

 

13:10
地形図で東側から登ってきている破線道と思われる分岐を通り過ぎてしばらく行くと、姫路支線22番鉄塔に出会います。
この鉄塔の真下を通過し、さらに南へ進みます。

 

今度は右手側に巡視路が分岐して行きますが、これは無視して通過。20mほど行くと、大きな道標が指す方向(右手側)に擬木の階段道が下っています。Uターン気味の分岐なので、先ほどの巡視路とすぐに合流するのでしょう。これが東尾根ハイキングコースの下山ルートですが、せっかくなので、まだ下山せず、尾根の先端にある鉄塔からの展望も楽しむことにします。

 

13:17
分岐を無視して直進。
2007年2月にダニまみれになってはい上がってきた分岐(よく見ないと道があるようには見えない)を通り過ぎ、斜面をひと登りすると、姫路南支線20番鉄塔です。この下にはベンチがあり、南向きの展望が広がっています。

 

ここで10分ほど姫路市街の展望を楽しんだ後、道を引き返して擬木の階段道を下ります。

 

斜度は緩やかですが、嫌がらせかと思うほど歩きにくい幅で階段が付けられているため、あまり気分はよくありません。

 

やがて階段がなくなり、なだらかな道になりますが、再び歩きにくい階段が始まり、道がジグザグ気味になってくると、風羅堂跡地の標柱と出会います。

 

13:39
風羅堂跡地に到着(地図参照)。
お墓と石板、石仏が2体、そして割れた瓦が多数あります。
(風羅堂:松尾芭蕉の弟子が、芭蕉の死後に増位山の谷間に築いた小屋。)

 


▲風羅堂跡地の様子。写真中央と右側に石仏が見える。

 

この跡地からは地形図の寺記号の裏にある墓地へ降りることも出来ますが、正規のハイキングコースである擬木の階段ルートで下ることにします。

 

植林の中の階段道を下ると、間もなく一車線幅の舗装道路に出ます。地形図に書かれている、随願寺へ続く実線道でしょう。

 

ここには、「東尾根ハイキングコース」と書かれた立派な道標が付けられています。

 

車道に出てふと前を見ると、古そうな石仏が2体並んでいました。お寺へお参りする人々を何百年も見守り続けてきた石仏ですが、古い方は顔が完全に剥離しています。
(これらの石仏の詳細は、文末のリンクからWebフォトギャラリーでご覧下さい。)

 


▲古い石仏2体。

 

後は、この舗装道路を南へ下っていけば、白国3丁目2番地付近に出ます。(地形図で太い道路と細い道路が分岐する地点。)

 


▲本日のルートの断面図