播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県姫路市の船場本徳寺と一等水準点(点名:422)

今日も暑いし、空気の透明度も低いし、山に行っても疲れるだけだろう(私の場合は展望が楽しみで山に行くので、景色が良くないと楽しくない)と思い、涼しい朝のうちに近所のお寺で散策を楽しみました。

 

このお寺には、一等水準点(点名:422、標高11.9085m)があります。最近になってこの水準点の脇に新しい標示板が設置されているのを見つけました。水準点があることは地形図からわかっていたのですが、この標石をみたことはありません。

 

歴史のあるお寺を見物し、山で見かけることのない水準点標石も見てみようというのが今日の計画です。

 

お寺の名前は姫路船場別院本徳寺です。私たち地元住民は、このお寺のことを「御坊(ごぼう)さん」と呼んでいました。

 

位置は、姫路城の南西約1km。
国土地理院発行の2万5千分の1地形図では「姫路南部」に載っています。地形図上の名前では、「本徳寺」です。

 

車で行く場合は、国道2号線東行き(姫路市街地では一方通行)を走り、船場川を渡る少し手前の「米田町」交差点を右折してください。
狭い道路ですが、この道に入ってすぐ右手側に土のグラウンドのような場所が見えます。
山門は人しか通れないので、車はこのグラウンドのようなところのゲートから中に入らなくてはいけません。

 

駐車料金や拝観料は必要ありません。きれいな公衆トイレがあります。
ただし、このグラウンド、平日は幼稚園児の遊び場になるため注意が必要です。
(お寺の境内に幼稚園があります)

 

観光ナビ「ひめのみち」によると、お寺の由来は次のようなものだそうです。
1492年、本願寺第8世蓮如上人の命により、お弟子らが播磨国「英賀の浦」に道場を建立し、布教伝道にあたったのが始まり。その後、姫路・亀山の地に移築され、東西分派の流れによって、1618年姫路城主・本多忠政の時代に真宗大谷派(東本願寺)船場別院本徳寺としてこの地に創設されました。
約6600坪の境内には、1718年に落慶された17間四面の本堂や、明治天皇が姫路に訪れた際にご宿泊された行在所(あんざいしょ)と呼ばれる建物、西南戦争や勤王志士の碑、第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜が造ったといわれる城の模型等が、ひっそりとたたずんでいます。

 

デジカメだけを持って自宅を出発。距離が近いので、歩いてお寺に向かいます。
途中信号に引っかからなかったので、2分で到着。

 

立派な山門があります。


▲山門右側の灯籠脇にある一等水準点標石(点名:422)

 

一等水準点は、国土地理院の点の記によると昭和23年10月に埋設されたものだそうです。

 

角のない大きな標石の中央に、小さな半球上の突起が出ています。この半球の頂点の標高が、水準点の表す標高になります。

 

通常、水準点標石には角があるのですが、この水準点は角がないため古めかしい形に見えてしまいます。

 

山門からは左斜め前に向かって石畳の道が続いており、その先に築300年の立派な本堂が建っています。

 

石畳の右側には井戸、左側には親鸞聖人の像が立っています。
蝉の鳴き声を聞きながら本堂に向かって歩いていくと、左側に立派な石碑が現れます。これは「西南役戦没者慰霊碑」だそうです。碑文がすべて漢字なので、内容はよくわかりません。


▲碑文

 

石畳の右側には、大正3年に建てられた石碑があります(碑文が読めないので詳細不明)。


▲碑文

 

Webで調べてみると、船場本徳寺には第一次世界大戦中、中国の青島(チンタオ)攻略の際に発生したドイツ人捕虜が300人以上も収容されていたそうです。
収容中のドイツ人捕虜(当時は俘虜と呼ばれていた)は、ドイツの古城をイメージした噴水を本堂の裏に作ったとのこと。

 

どんなものか興味があったので、本堂の裏(西側)へ回るルートを探してみます。
すぐに道は見つかりました。本堂の北側(本堂と寺務所の間)に道があります。

 

本堂のすぐ裏側、蚊が大量に飛んでいる草むらの中に12基のお墓がL字型に並んでおり、墓石に囲まれるような形でそれらしき造形物が佇んでいました。
高さが1mほどの小さなものですが、芸術的な空気をまとった精巧な作品です。

 

旧日本軍というと捕虜の扱いが過酷なイメージがありましたが、第一次世界大戦頃までは捕虜を大切に扱っていたようです。

 

この噴水を取り囲んでいる12基のお墓は、「姫路藩勤王十二士の墓」だそうです。

 

残念ながら、このお寺の境内にはお寺や石碑、その他遺物の由来を紹介する説明板やパンフレットがありません。

 

子供の頃は境内でラジコンを走らせて遊んでいましたが、こんなに歴史のある立派なお寺だとは知りませんでした。
石碑などは昔から目にしていましたが、本堂裏の噴水(水は流れていません)は初めて見ました。実際、この噴水の由来は最近の調査で明らかになったとのこと。

 

今回は事前にWebで調べものをしておいて良かった。
本堂の裏に、外国人捕虜が作った作品や侍の墓があることを知っている観光客はほとんどいないでしょう。
地元住民の私も知りませんでした。

 

もし船場本徳寺に行く機会があれば、ぜひ本堂裏にも回ってみてください。
(ただし、夏場は虫除けをたっぷり塗って行ってください)