概要
山の中や寺社仏閣、あるいは道端などで文字が刻まれた古い石造物を見かけることがありますが、写真に撮って後で見返しても何が刻まれているのかさっぱり分からない場合があります。
そういった石造物の文字は、拓本(たくほん)と呼ばれる技術で記録されていました。
拓本は、文字が刻まれた部分の上に湿らせた紙を押し付け、墨をしみ込ませたタンポ(学校の授業で版画を刷るときに使った丸い円盤状の道具)で紙の表面をたたくと、へこんだ部分(文字が刻まれた部分)以外に墨がしっかり付着して黒くなり、文字の部分は白っぽく残るという技術。
ちなみに、釣った魚で作る魚拓も拓本の一種です。
ただ、拓本は対象物を汚損する可能性がありますし、手間と技術が必要。
そんな拓本と同様のことを、デジタル技術を駆使して非接触で行う方法が開発されました。
今回の記事では、その「技術」とそれを手軽に実現できる「スマホアプリ」を紹介します。
重要
「ひかり拓本」は、独立行政法人国立文化財機構の商標または登録商標です。
そのため、この記事では「ひかり拓本」という文言を使わざるを得ない場合を除き、「デジタル拓本」という一般名称を使用します。
デジタル拓本で何ができる?
従来から論文としてデジタル拓本の原理は発表されており、私自身もその論文を参考にPhotoshopでデジタル拓本を作成したこともあります。
▲私が過去にデジタル拓本用の被写体とした石造物(文字はほぼ読めない)
▲上の石造物を私がPhotoshopでデジタル拓本化した画像(文字が格段に読みやすくなっていることがわかる)
上の画像のように、石造物表面の凹凸が分かりやすい画像を作成する技術が「デジタル拓本」です。
デジタル拓本のしくみ
私が初めてデジタル拓本の原理を知ったのは、山歩きなどの際に見つけた道標の文字をきれいに撮影する方法がないか、インターネット検索をしていた時です。
見つけたのは、「石造遺物デジタルアーカイブ構築のための画像解析法の開発」という論文*1。
その論文には、石造物に刻まれた文字をデジタル拓本化するための原理が詳しく書かれています。
凹凸のある面に様々な角度から光を当てると影の出方が変わることを利用し、影が変わっている部分だけを抽出するというのがその原理。
手順を詳しく知りたい方は、上記の論文をお読みください。
デジタル拓本を作るためのアプリ「ひかり拓本」
デジタル拓本を手作業で作るのは、Photoshopの力を借りても時間がかかって大変です。
そんな面倒な作業を、専門知識のない方でも手軽に行えるようにしてくれるのが「ひかり拓本」というスマホアプリ。
▲「ひかり拓本」アプリのアイコン
アプリ名称: ひかり拓本
販売者: 独立行政法人国立文化財機構(National Institutes for Cultural Heritage)
価格: ¥800
iOS用: https://apps.apple.com/jp/app/id6447665795
Android用: https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.go.nich.takuhon
考案したのは独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所の研究員であり、上記論文の著者の一人でもある上椙 英之(ウエスギ ヒデユキ)氏で、その技術は「ひかり拓本」という名称で商標登録されており、またアプリが行う処理の内容も特許で保護されています。
デジタル拓本に必要な機材
デジタル拓本を作るためには、次の機材を用意する必要があります。
- 「ひかり拓本」アプリをインストールしたスマホ
- 強力なライト
- 三脚
- スマホホルダー
- スマホのシャッターを切るために使うBluetooth接続のリモコン
- (必須ではありませんが)日傘*2
▲デジタル拓本作成に必要な機材(左から三脚、スマホホルダー、スマホ、Bluetoothリモコン、ライト、日傘)
デジタル拓本作成時は、三脚にスマホホルダーを取り付け、スマホを完全に固定する必要があります。
▲デジタル拓本撮影時のセットアップ例
「ひかり拓本」アプリを使った撮影
撮影時は、被写体となる石造物の前に三脚を立ててスマホを設置し、スマホが動かないようBluetoothリモコンでシャッターを切ります。
機材が比較的コンパクトなため、徒歩でなければたどり着けない山の中の石造物の撮影でも楽に実施できます。
▲山中にある石造物の文字を撮影する様子
前述の通り、光の当て方によって生じる影の差から凹凸を検出するので、撮影時は様々な方向から光を当てて何枚もの写真を撮ることになります。
▲向かって右前からライトを当てて撮影した画像(左)と左前からライトを当てて撮影した画像(右)
上からや下からも光を当てて写真を撮り、最後に拓本を作成する処理を実行します。
縦に長い石造物の場合、ライトの光量によっては下の方を照らすために手やライトが大きく写り込むことがあります。
そんな時は、手やライトをマスクすることも可能。
▲手やライトが写り込んだ場合(左)は、右のようにその部分を黒く塗りつぶして処理対象から除外することができる。
詳細な撮影方法については、公式のマニュアルが非常によくできていますから、私がここに書くよりもそちらを読んでいただく方が良いと思います。
奈良文化財研究所学術情報リポジトリ
サンプル
実際に「ひかり拓本」アプリで処理した画像を紹介します。
左が通常の方法で撮影した画像、右が「ひかり拓本」アプリで処理した後の画像です。
▲「明治三十三年三月」とはっきり読める
石の表面が風化している場合は、「ひかり拓本」アプリで処理をしても読みやすくなりません。
▲表面が風化した石造物の例(「大正十三年〇月植樹」と刻まれているが、処理前後で文字の読みやすさに大差はない)
最後に
各自で三脚やスマホホルダーを用意しないといけませんが、これらは高価なものでなくても問題ありません。
大事なのはライト。
ライトは、広範囲を明るく照らせる高性能なものが必要です。
市販されている強力なライトは、中心部分だけ極端に明るかったりしますから、高価なライトなら良いというわけではありません。
▲私が持っている中で一番強力なライトは明るいのが中心のごく一部だけで、デジタル拓本撮影時にはたくさんの写真を撮る必要がある。(暗い場所だと広範囲をすごい明るさで照らせるライトなのですが、明るい場所では無力)
最適なライトを見つけることが、デジタル拓本づくりの最重要ポイントかも知れません。