播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県神崎郡市川町の瀬加山城跡

概要

本日(2024年3月16日)の神戸新聞の地域版、西播のページに「山城跡PRに『御城印』 市川町の4カ所、住民が作成」と題した記事が掲載されました。それによると、市川町で存在が確認されている8つの山城跡のうち、稲荷山(鶴居)、(谷)、川辺(東川辺)、瀬加山(上瀬加)の4か所の住民が2019年に「いちかわ山城地域活性化協議会」を設立しており、これら4つの山城跡の御城印が作成されたとのこと。

私は稲荷山、谷、川辺の各城跡は歩きましたが、瀬加山は未踏です。

Googleマップで瀬加山城跡を見ると、山頂周辺が伐採されて展望が良さそうですし、麓の上瀬加公民館の駐車場がハイカー向けに開放されているとのこと。

ということで、本日はその瀬加山城跡へ出かけることにしました。


▲上瀬加公民館から見た瀬加山城跡

瀬加山城址(せかやまじょうし)

「瀬加村村誌(そんし)」(昭和七年発刊)によると、今から約五百八十年前の嘉吉年間(西暦一四四一~一四四四)に築城されたとある。
当時この城は、約五〇〇メートル東の岡部川に接した「くごの構え」とともに軍事的役割を担っていたと思われる。

 城主は、赤松家の一族太田道祖(どうそ)、同源太夫(げんだゆう)の父子で、置塩城の幕下として相当羽振りもきかせていた。しかし、天正六年(西暦一五七八)羽柴秀吉軍の播磨攻めで落城した。

 この城の最大の特徴は、主郭の東側面に刻まれた十条ほどの「畝状竪堀群(うねじょうたてぼりぐん)」の地形である。急斜面を利用し、東の釜坂峠付近からの攻撃を防ぐために作られたもので、郡内でもめずらしい。
 秀吉軍との最後の戦いで、城兵一人残らず惨絶非絶の大場面、若き青柳四郎兵衛(あおやぎしろうべえ)と陰山絹枝(かげやまきぬえ)の二人は岡部の岩の上水(じょうすい)を掬(すく)うて夫婦(めおと)の契り「赤縄(せきじょう)の杯(さかずき)」を交わし、来世では必ず〱・・・と互いに刺し違えた。「夫婦岩(めおといわ)伝説」として今に伝えられている。

 城跡には「廣田神社」・「稲荷神社」が建てられ、村人には「稲荷さん」として長い間親しまれてきた。
老朽化に伴い、平成十八年(西暦二〇〇六)三月、十柱神社に遷座合祀された。
(住民参加型里山林再生事業 上瀬加山環境整備の会)
(出典:現地の看板 なお、看板ではフリガナとして付けられている文字はかっこ書きで記載し、漢数字や「くの字点」は横書きに不適だが、原文のまま表記するため使用した。)


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

姫路市街から駐車場へ

10:00
姫路市街にある自宅を車で出発。

高速道路ではない方の国道312号線を北上し、市川町に入って間もなく出会う「落合橋東詰」交差点(直進と右折の三叉路)を右折します。ここからは県道34号線(西脇八千代市川線)。

県道34号線を道なりに北東へ進むこと約4.1km、「とびだし坊や」が置かれた三叉路(直進と左折)に「←十柱神社 ←瀬加山城址 夫婦岩→」と書かれた小さな看板が立っているので、それに従って左折します。


▲この三叉路を左折する

左折して100mほどで丁字路に突き当たったら、「駐車場」と書かれた看板に従ってそこを左折。数十メートル車を進めると左側に公民館があります。

そこが今回の駐車場となる上瀬加公民館(地図中「P」)。
公民館ですが、瀬加山城址や十柱神社、夫婦岩といった周辺の観光地を回る方のために駐車場とお手洗いが開放されています


▲上瀬加公民館と駐車場


https://maps.app.goo.gl/iPGam3oygjuLeoYh7
▲上瀬加公民館の位置

駐車場から登山口へ

10:59
靴を履き替えたりお手洗いを済ませるなど、準備が整ったので出発。

お手洗いは、公民館の裏手にあります。
土足のまま利用できるもので、公民館裏の公園利用者用のお手洗いも兼ねているようです。

設備は、男性用小便器×2、個室(和式便器)×2(いずれも水洗)。


▲公民館裏のお手洗い

登山口へ行くには、公民館の駐車場を出て北西へ道なりにまっすぐ進みます。


▲公民館から北西へ進む

11:01
「瀬加山城址登り口」と彫られた石柱に出会いました(地図中「登り口」)。

ここを左に曲がり、コンクリートの急坂を上ると登山道に入れます。


▲「瀬加山城址登り口」と刻まれた石柱の先で左折する


▲コンクリートの坂を上る

登山口から瀬加山城跡(山頂)へ

コンクリートの坂を上ったところに防獣ゲートがあり、「瀬加山城址公園 登山口」の標柱が立っていました。

ゲートの固定方法は、一般的な掛け金×2個のタイプです。


▲ここから山道に入る

かつて山頂に神社があったため、その参道として使われていたのでしょう。
歴史の長さと利用者の多さを感じる道です。


▲歴史を感じる登山道

山道に入ってすぐ、「瀬加山城址公園まで あと約220m 50m地点」と書かれた道標に出会いました。

これは登山口から山頂(本丸跡)までの距離を示すもので、登山道はわずか270mしかないということ。


▲本丸跡までの距離を示す道標

残り220mの道標から少し登ったところで、道の右側に小さな削平地があるのに出会いました。
これは城跡に関係するのかな。


▲登山道序盤で出会った小さな削平地

削平地からわずかに登った所には、コンクリートブロックで階段が作られていましたが、これは短い距離で終わり。


▲コンクリートブロックの階段

山頂まであと100mの道標が立つ場所からは、また階段が出てきました。


▲もうすぐ山頂かな?

瀬加山城跡

三の丸

11:09
稜線に出ました(地図中「瀬加山城跡」)。
看板が立っていて、それによるとここは三の丸跡のようです。

三の丸は平坦な場所がほとんどない、非常になだらかな緩斜面。
「〇の丸」とか「〇郭」という名前は、それなりの広さを持った平坦な空間に付けられる名前ですが、ここを「三の丸」と呼んでいいのかな。

二の丸からは三の丸の広範囲を見渡せるため、キルゾーン(敵を効率よく攻撃できる空間)になっていたのかも知れません。


▲三の丸跡に出た(赤い鞄と杖は、ここを整備している方のもの)

三の丸跡
 4月には、70本の桜(ソメイヨシノ)と250株のピンクのコバノミツバツツジ。桜のあとには、250株のミツバツツジ。それぞれ斜面いっぱいに咲きます。
 瀬加の谷~福崎まで、見晴らしもすてきです。
(出典:現地の看板)

よく見ると「1道順」と書かれた道標が立っています。


▲道順を示す道標

それに従って三の丸の南に進むと、男性が低木の伐採作業をされていました。
神戸新聞の記事を見て来たことを告げると喜んでくださり、この周辺の植物についてのお話を聞かせていただきました。

この男性は、新聞記事のカラー写真に写っていた方々の内のおひとり。
仮にA氏としておきます。

なんでも、城跡を整備することになって雑木を伐採したらコバノミツバツツジミツバツツジがたくさん生えてきたそうで、春は大変きれいな景色になるとのことです。

最近になって助成金をもらい、桜も植樹しているとのこと。

道順を示す道標は1~10まであり、番号順に歩けば城跡を満喫できるということで、道標を探しながら歩くことにしました。


▲城跡を整備されている男性(A氏)と「2の道標」

1の道標に従って三の丸の南端に行き、2の道標で三の丸の中心を北へ進みます。

三の丸の北端、二の丸との間にある堀切(ほりきり。尾根沿いに進む敵を食い止めるために、尾根を断ち切るように掘られた溝。)に出たら、3の道標で堀切を西へ進み、4の道標に従って二の丸の西側斜面に付けられた犬走りを北へ。


▲二の丸跡の西側斜面を北へ進む

5の道標で二の丸と本丸を区切る堀切を登ります。


▲二の丸と本丸を区切る堀切を登る


▲二の丸と本丸の間にある堀切は急な角度が保たれている

二の丸

6の道標で二の丸に入りました。

二の丸には椅子や机、ベンチ、日時計しあわせの鐘があって、なかなかにぎやかな場所。

南方面の展望も開けていて、食事休憩にピッタリです。


▲二の丸跡の様子

二の丸跡
 4月には、80本の桜(ソメイヨシノ)、5月には、コバノミツバツツジの花が咲きます。見晴らしもすてきです。
(出典:現地の看板)

私は普段、山頂で食事を楽しみますが、本日は朝からデニッシュ食パンと焼き芋を食べるという暴挙に出てしまい、朝食だけで1,000kcal越え。*1
ということで、本日は昼食抜きです。

7の道標に従って東の斜面に下り、8の道標に従って北へ進むと、出ました!
畝状竪堀群です。


▲城跡における畝状竪堀群の位置(現地の看板を撮影した画像)


▲畝状竪堀の最上部の畝(うね)がモコモコといくつも並んでいる(写真では立体感が分かりづらいですが、現地では強烈な存在感。)

斜面を下る竪堀は埋まって浅くなってしまったようですが、今も残るモコモコ感だけでも、往時の竪堀の規模が想像できてワクワクします。

畝状竪堀群を右に見ながら北へ進むと、本丸と北側の尾根を断ち切る堀切に出会いました。
これも見事な残存状態。


▲本丸の北に残る堀切

こんな堀切をよじ登って城に攻め込むなんて無謀としか思えないんですが、羽柴秀吉が率いる大軍は数の力で押し切ったのかな。

堀切の中を歩いて西側斜面に出たら、9の道標に従って本丸西の斜面にある犬走りを南へ進みます。


▲9の道標に従って南に進む

本丸と二の丸を区切る堀切の西端で、10の道標に出会いました。
ここは5と10の道標が背中合わせになっているのです。


▲10の道標は5の道標と同じ位置(2枚の道標が背中合わせになっている)

堀切の最上部から石段を上がると、本丸跡です。


▲本丸跡へ続く石段

本丸

本丸跡は広い削平地で、奥の石碑前には櫓台のような四角く盛り上がった部分(周囲に石が埋まっている)があります。これは城跡に建てられた神社の痕跡かな。


▲本丸跡の全景

中央付近に写っている背の低い松は、真上から見るとハートの形になっています。
落城の際に自害した二人の若い男女を表しているのかな。A氏に尋ねるのを忘れてしまいました。


▲本丸跡にあるハート形に植えられた松(ドローンで撮影)

中央の幟(のぼり)にあるのは、赤松家でも太田家の家紋でもない、市川町の町章。


▲本丸跡の幟に描かれているのは市川町の町章


▲本丸跡北端付近の石碑(ここにかつて廣田神社と稲荷神社があったことを示すもの)


▲本丸跡には瀬加山城の想像復元図とかがり火台がある


▲木内内則氏による瀬加山城の想像復元図

上の想像復元図では本丸が土塁で囲まれていますが、現在も本丸跡の北端だけは土塁の痕跡がよく残っており、土塁跡から先ほど通った堀切を見下ろすと深さを実感できます。

秀吉の軍勢に滅ぼされた城ですから、次から次へと登って来る敵兵を当時の城兵が絶望の中で見下ろしていたわけで、攻める兵士の勇敢さや籠城する側の悲壮な思いが強烈に感じられます。


▲本丸跡の北端に残る土塁跡

これで、瀬加山城跡の全体を見て回ったことになります。

番号付き道標の位置と、見学順路は次の通りです。


▲本丸跡に設置されている縄張り図に、当ブログ管理人が道標の位置と見学順路を描き加えた

今回はドローンとパノラマ撮影機材を持ってきたので、城跡全景の空撮写真と、二の丸跡および本丸跡で撮影した全天球パノラマを紹介します*2


▲南東からドローンで撮影した瀬加山城跡(本丸の右下にある木々の中に畝状竪堀群がある*3

下の全天球パノラマは、パノラマ画面内左上のリストから、二の丸跡と本丸跡を切り替えられます。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/sekayamajou20240316/index.html
▲瀬加山城跡で撮影した全天球パノラマ

城跡から十柱神社へ

12:35
山頂にあった神社が東の十柱(とはしら)神社に合祀されたこと、十柱神社には巨大絵馬があることをA氏に伺ったので、十柱神社へ向かうことにしました。

12:40
石柱が立つ登り口に下りてきました。距離が300m弱しかないですから、5分で下山完了です。

登り口には十柱神社への道標があったので、それに従って北へ。


▲十柱神社への道標に従ってアブタ池方面へ進む

アブタ池(地図中「アブタ池」)南の堰堤上を歩き、防獣ネットと電気柵が山側に張られた道を進めば、すぐに十柱神社です。


▲アブタ池南の堰堤

12:44
十柱神社に到着(地図中「十柱神社」)。
名前の通り、神様が10柱お祀りされています。


▲十柱神社の社殿


▲十柱神社について

十柱神社に手を合わせ、拝殿の前から南へ延びる階段を下りました。

神社の階段と言えば石段ですが、ここは木製の階段になっていました。石段より歩きやすいし、安全ですね。


▲十柱神社の階段は木製

階段を下りきった所には、龍が描かれた巨大絵馬と鳥居がありました。

A氏から聞いた話では、以前は藁で作られた巨大干支が置かれていましたが、製作者の方が病を得て継続が不可能になったため、巨大絵馬に変わったのだそう。


▲十柱神社の巨大絵馬と鳥居

夫婦岩

まだ帰りません。

私は今回、城跡で食事をしていないのに長時間過ごしていますが、それはA氏と話が弾んだからです。

(ここに掲載できないようなことも含めて)いろんなことを教えていただいたので、その中にあった夫婦岩を見に行くことに。

夫婦岩は、冒頭に紹介した若い男女二人が刺し違えて自害した場所です。

12:57
Googleマップに掲載されていますし、県道から見えるほどの大きな絵馬が設置されているため、夫婦岩には簡単にたどり着くことができました(地図中「夫婦岩」)。


▲矢印が示す巨大な絵馬の前が、夫婦岩のあった場所

A氏によると、昔は川の中に大きな岩(夫婦岩)があって、A氏が子供の頃は川で泳ぎ、岩の上で昼寝をしていたそうです。

ところが洪水が起こって周辺が大変な状況になってしまったため、洪水を防ぐことを目的に、夫婦岩は発破で破壊されてしまったとのこと。

そのため、今ある標柱や看板は、夫婦岩があった場所を示すためのもの


▲夫婦岩を示す標柱と看板


▲夫婦岩の名残かな?


▲夫婦岩があったとされる位置に立てられた絵馬

夫婦岩に向かって歩いていた時、「城跡みたい」と感じた階段状の地形がありました。


▲夫婦岩近くの城跡のような地形

念のため写真を撮って帰宅後に調べてみると、これは「くご城跡」という城跡とのこと。

今回は下から眺めただけですが、上まで上がればよかった。

一通りこの辺りの観光地を巡ったので、駐車場に戻ることに。

13:05
公民館に戻ってきました。
またお手洗いをお借りし、帰路に着きました。

交通アクセス

自家用車の利用が一般的ですが、車が使えない場合の対処は3つ考えられます。

レンタサイクル

元気な方であれば、JR福崎駅の「福崎町駅前観光交流センター」で電動自転車をレンタルすることも可能。福崎駅から上瀬加公民館までの距離は、およそ6.5kmです。

レンタルには身分証明書ヘルメットの着用必須(無料貸出)です。詳細は「福崎町駅前観光交流センター」のWebサイトをご確認ください。

コミュニティバス

公共交通機関では、市川町コミュニティバス「戸安(とやす)」バス停が上瀬加公民館の最寄りバス停です。

市川町コミュニティバスは神崎総合病院~市川町役場~笠形山登山口付近(JR鶴居駅とJR甘地駅の近くも通ります)を走っており、年末年始を除く毎週火曜と金曜に運行されています。
運賃は、片道100円。

最新情報は、市川町のWebサイトでご確認ください。

タクシー

JR福崎駅前にタクシー乗り場があります。上瀬加公民館まで約6.5kmありますから、片道で3,000円ほどかかるかも知れません。
帰りにタクシーを呼ぶための連絡先を事前に確認しておいてください。

参考情報

市川町にある山城の御城印は、市川町観光協会(〒679-2315 兵庫県神崎郡市川町西川辺715)で購入が可能です。

価格は、1枚¥300。


▲私は4カ所とも登城したので、4枚すべて購入しました

過去に私がこれらの山城を歩いた際の山行記録を紹介します。

*1:私は毎食後にスマホの健康管理アプリでカロリー計算をしており、それをもとに食べる量を調節しています。

*2:ドローンを飛行させるにあたり、当ブログ管理人は国土交通省から以下の事項に関する包括的な許可・承認を受けています。・航空法第132条の85第1項第2号・航空法第132条の86第2項第1号、第2号及び第3号

*3:城跡を整備していた男性によると、畝状竪堀群を保存するため、あえて周辺の木々を伐採せずに残しているとのことです。