播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

香山砦跡がある姫路市の城山(ご飯山)

概要

以前、当ブログへのコメントで、山城好きのハナさん(https://hana08090507.hatenablog.com/)から書写山にあるという香山城跡について質問を頂きました。

たつの市の香山城跡は知っていますが、書写山で香山城は聞いたことがありません。
刀出坂の登山口近くにある香山構跡も違いそう。

色々と調べてみたら、姫路市教育委員会文化部文化課が発行した「文化財見学シリーズ45 『峰相地区』をたずねて」(平成12年8月15日発行)に掲載されている地図の中に「城山(香山城跡カ)」と書かれているのを発見。

その地図によると、山陽自動車道の書写山第2トンネルが貫通する小さな「伏せたおわん」型の山(トンネルの上り線入口/下り線出口付近の山)の頂上が香山城のようです。

ただ、インターネットで検索をしてもそこを訪れた方の山行記録は見つからず、地形図や住宅地図にも道は書かれておらず、情報が皆無。

頼みの綱は、Googleマップの航空写真です。
航空写真を見ると、香山城跡と思われる場所は切り開かれていて、山頂から東の鞍部(あんぶ:ピークとピークの間にある凹んだ部分)へ山道が延びていることが分かりました。

ただ、写っている山道はすぐに途切れており、鞍部からどこへ下っているのかさっぱり分かりません。

香山城跡があったとされる山頂の南麓には工場がありますから、城が現役だった当時に道があったとしても、現代では使えません。

地形図を見ると、鞍部から144m標高点に登り返してから南へ下るルートもあるかもしれないと思ったのですが、Googleストリートビューで確認すると尾根の先は急斜面になっていたり防獣ネットやフェンスがあったりして、尾根の上は歩けても道路に下りるのが大変そうです。

対して鞍部の北側は、城主や家臣団の屋敷があったと言われても不思議がないほどなだらかで広い谷間です。
谷間に館を構えていたなら、有事にすぐ山城へ上がれるような道を整備するでしょうし、当時そんな道が無かったとしても、現代の人が登山道を付けるなら、このなだらかな谷間に道を付けるのが自然でしょう。

ということで、香山城跡の北側で道を探すことにしました。

すると、山陽自動車道の御立トンネル入り口から160mほど北にある「長谷川君頌徳之碑」から南東へ山道が伸びているのを航空写真で発見。

しかも、「長谷川君頌徳之碑」へ入る道の入口に「香山砦」と書かれた標柱が立っているのもGoogleストリートビューから分かりました。


▲「香山砦」と刻まれた標柱

香山砦
赤松氏は山名軍と戦うため山頂に砦を築いた
山を城山といいこの辺りには六角字城垂 城の下の字名がある

平成二十一年
 書写中学校区地域夢プラン実行委員会 峰相
(出典:標柱の碑文 原文まま)

<ブログ管理人による補足>
標柱に刻まれている小字(こあざ)の内「城の下」は正しくは「城之下」で、香山砦跡のある山の西麓、山陽道の高架下とその南200mほどの範囲です。城垂(しろだれ)は城之下の南側にある住宅地の内、北西の地区です。下の地図を参照してください。(参考:田中早春(1994).「姫路市小字地名・小字図集」.田中早春, p.121)

ここが登山口と考えて差支えなさそうです。
標柱のおかげで、名前が香山城ではなく香山砦であることも判明*1

前置きが長くなりましたが、本日はその香山砦跡を訪ねることにしました。


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

姫路市街から駐車場へ

10:50
姫路市街の自宅を車で出発。

県道67号線を北上し、「横関」交差点を左折して夢前川を渡ります。
ここからは県道545号線。

東洋大付属高校や兵庫県立大学姫路工学キャンパスを右手に見ながら西へ進み、セブンイレブンを過ぎたすぐ先、山陽道の高架をくぐる100m手前の分岐(携帯電話の基地局が立っている)を右に入ります。(ここからは市道です*2。)

道なりに市道を540mほど北へ進んだところ、左カーブの途中に六角坂の入口があるので、それを右折。


▲ここを右折

すぐ先にある二股の分岐を左へ入ると大年神社ですが、神社の手前に駐車場があります。
この駐車場に車を止めました。


▲市道から右折した直後の分岐を左に入ると駐車場(右は書写山の登山道の一つ、六角坂)

市道から駐車場への道は非常に狭いですが、3ナンバーの車も駐車場に止まっていましたから、大体の車は問題なく入ってこれると思います。


https://maps.app.goo.gl/nrVV49omrvVwGq288
▲駐車場の位置

11:15
駐車場に到着(地図中「P」)。
靴を履き替えたり、GPS受信機の衛星捕捉を待つなど、山歩きの準備を整えます。


▲駐車場

駐車場から登山口へ

11:17
いつもなら時間がかかるGPS受信機があっという間に衛星を捕捉したので、靴を履き替えるだけで準備完了。

「香山砦跡へ出発」と行きたいところですが、まずは大年神社にご挨拶です。

11:19
大年神社で手を合わせました(地図中「大年神社」)。


▲とんどの準備が整った大年神社

お参りを済ませたら市道へ戻り、南へ歩きます。

ここを走る車は飛ばしていることが多く、道もカーブしていて見通しが悪いため、道路を渡るときは要注意です。
(道路を渡る場合は車が来ていないか耳を澄ませてしっかり確認することをお勧めします。)


▲市道には歩道があるので安全に歩ける

230mほど南へ進んだところで七福神の石像が歩道沿いに並んでいるのに出会いました。
その向かい側、「香山砦」と刻まれた標柱が立つ坂道が今回の登山口です。


▲七福神の前で市道を渡る

登山口から山頂へ

11:27
今回の登山口ともいえる「香山砦」の標柱のある場所に到着(地図中「香山砦標柱」)。


▲「香山砦」の標柱がある登山口


https://maps.app.goo.gl/YSA87oYc1WqxH7uH7
▲香山砦の標柱が立っている場所

ところで「香山砦」という名称は、昔この付近の地名だった「香山」にちなんだものだと思われます。

現在の地名は六角ですが、これは赤松六角*3という人物が村を起こしたことから付けられた名前だそうです。(参考:播磨地名研究会編著(2007).「新・姫路の町名」.神戸新聞総合出版センター,p.303)

坂道を登った所には、Googleマップにも記載がある「長谷川君頌徳之碑」が建っており、その右が登山道の入口になっていました。


▲「長谷川君頌徳之碑」の右から登山道が始まる(右の橋は私有地への入口で通行禁止)


▲登山道入り口には令和3年度と平成25年度のプレートが併存している

広い谷間を歩く序盤は、よく整備された非常になだらかな道です。
道の右には深くえぐれた沢があり、その向こうには広い平地(立ち入り禁止)が広がっていました。

もとは田んぼかな。
あるいは、その昔は香山砦の城主が住んでいたのかな。こういう妄想が山城歩きの時は楽しいんです。

道はどなたかが掃き清めて下さったのかと思うほどきれいで、落ち葉が無く歩きやすい。


▲登山道序盤の様子

11:34
渡渉(としょう。川を渡ること。)というには大袈裟ですが、小さな沢っぽい場所を渡る場所を通過(地図中「渡渉地点(1)」)。
なだらかで整備された道はまだまだ続きます。


▲渡渉地点(1)の様子

11:39
小さな沢に橋が架かっているような場所を通過(地図中「渡渉地点(2)」)。


▲渡渉地点(2)の様子

ここからは斜度がきつくなってきます。
見上げると鞍部が見えますが、それは144m標高点の北にある鞍部であり、香山砦があったピークの東の鞍部ではありません。

標高110mほどまで登ると、今まで南東向きだった道は南西に向きを変え、等高線と平行なトラバース道になりました。
道は細いですが、落ち葉が無く歩きやすい。


▲トラバース道の様子

11:44
稜線に出ました(地図中「稜線の道標」)。
144m標高点からも道があるように書かれた道標がありますが、後述する通り144m標高点への道はありません。


▲稜線に出た所の様子

ここから西へ進むと、道のわきにいくつか穴が開いているのに出会いました。
最初の穴を見た時は「井戸の跡かな?」と思ったのですが、その直後にさらに2つほど穴があったので、井戸ではなさそう。数が多すぎです。


▲こんな穴が3つほどあった

堀切(ほりきり。尾根上の進行方向に対して垂直に掘った溝。敵の侵攻を食い止めるために山城で使われる防御設備。)の跡かな?と思うような場所から先は、急な登り坂になります。


▲堀切の跡?

ちなみに、この付近は昔送電線が通っていたようですが、鉄塔の土台や碍子など、何の痕跡も見られませんでした。

大正15年と昭和7年の地形図では、南の天神山からこの鞍部を通る送電線が書かれており、昭和22年の地形図ではその送電線が描かれていません。

昭和7年から昭和22年の間に撤去されたようです。

帰宅後に思ったのですが、ひょっとしてあの穴が鉄塔の跡?
穴の位置関係をきちんと調べなかったのが心残りです。四角い配置になっていたら、鉄塔跡の可能性があるかも。


▲この場所を通っていた送電線(出典:大正15年7月30日発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」)*4

城跡があったと思われる小ピークの周辺はシダ植物に覆われていて、山城らしい地形は全く分かりませんでした。


▲山頂直前の様子(地表は道以外植物だらけで地形は分からない)

谷間を歩いていた時は動物の気配がなかった(蹄の跡はあった)のに、山頂へ登る道の途中でシダの薮からガサゴソと音が聞こえてきたので、クマよけ鈴を激しく振ったところメスの鹿が1頭、警戒音を出しながら逃げていきました。

山頂(昼食)

11:50
山頂に到着しました(地図中「山頂」)。
周囲の木々は伐採されていて展望が良く、露岩が印象的な山頂です。


▲山頂(香山砦跡)

せっかくなので、一眼レフカメラで全天球パノラマを撮影しました。
山頂の雰囲気をお楽しみください。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/koyamatoride20240107/index.html
▲山頂(香山砦跡)で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2024年1月7日)

ここで頂く本日の昼食は、イトメン「山菜そば」
貴重な建物が多く残る書写山円教寺が近い場所なので、書写山と同じく火気厳禁と勝手にルールを決めて本日も魔法瓶のお湯で作れるメニューにしました。

年明けは、新年のあいさつを兼ねて行きつけの居酒屋さんを何件か回って暴飲暴食。
そのせいかどうかわかりませんが、昨日(1月6日)は風邪気味で寝込むという体たらく。

病み上がりの体には、あっさりした山菜そばは最高でした。
いや、病み上がりでなくても美味しいかも。この山菜そば、出汁も麺も素晴らしいんです。山菜もたくさん入っているし、私の個人的な感覚では名品といえます。


▲山菜そばのパッケージ


▲出来上がった山菜そば(唐辛子が容器の側面についているのは、風に吹き飛ばされたから)

高速道路が近いため安全第一ということでドローンは持ってきませんでした(万一操縦不能になって高速道路上に墜落したら一大事です)が、今日はかなり風が強くて、仮にドローンを持っていたとしても飛ばせなかったかも知れません(この日、姫路市には強風注意報が出ていました。)。

食後は、強風の中コーヒーとお菓子でデザートタイム。


▲本日のデザート

食後は周辺の景色を眺めて、誰も来ない山頂で独り贅沢な時間を過ごしました。


▲山頂から見た白鳥城(上のパノラマでは木の陰になって見えません)


▲山頂から見た山陽道(上のパノラマでは木の陰になって見えません)


▲山頂から見た八丈岩山と姫路城(パノラマでも見えます)


▲山頂から見た高御位山塊(最奥)(パノラマでも見えます)

下山

12:45
贅沢なひと時を満喫し、下山開始です。

もと来た道を戻っていると斜面の上に石積みのようなものが見えたので、その正体を探ろうと滑りやすい道なき急斜面を登ったのですが、自然にできた岩の模様でした。

そのまま下ろうとしたら思いのほか危険だったため、「稜線上の安全な場所に出よう。」と登ったところ、「もう少しで144m標高点だし、せっかくだから登ってしまおう。」と考えが変わりました。
GPSの軌跡が144m標高点に延びているのは、こういう理由です。


▲144m標高点

144m標高点からは稜線伝いに西へ下り(道は無かった)、「稜線の道標」のある場所で登山道に復帰し、その後は素直に登山道を下りました。

13:20
駐車場に到着。

山歩き好きの方であれば、香山砦跡だけを登るのは体力的にも距離的にも物足りないと思います。

書写山を歩いた後の「おかわり」登山として歩くか、私のように「お昼ご飯を食べるために登る」という気楽な歩き方が良いかも知れません。

交通アクセス

自家用車以外では、姫路駅から発車する路線バスが利用できます。

登山口の最寄りバス停は神姫バスの「床坂菅生台(ゆかさかすごうだい)で、JR姫路駅の北口にある神姫バス18番乗り場を出発する路線バスが通ります。

「床坂菅生台」バス停はセブンイレブン姫路六角店の南およそ100mの位置(香山砦跡のある山の南麓)にあり、バス停から「香山砦」標柱までの距離は、およそ550mです。

参考情報

  • 飲食物は、登山口近くのセブンイレブン姫路六角店で購入できます。
  • お手洗いは、大年神社の駐車場北端に和式の仮設トイレが一つだけあります。


▲大年神社の駐車場にある仮設トイレ

*1:兵庫県立考古博物館がWebサイトで公開している「兵庫県遺跡地図」の「遺跡地名表」によると、この場所は遺跡番号「020070」で「書写城山遺跡(しょしゃしろやまいせき)」とされており、遺跡の範囲は山頂とその周辺のみです。

*2:分岐から山陽道の高架をくぐるまでは姫路市道「曽左220号線」で、高架の先は市道「曽左187号線」です

*3:兵庫県神社庁のWebサイトで六角の大年神社を調べると、由緒の欄に「赤松義俊の子を権頭源六角為持といい」と書かれています。

*4:この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。