播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県宍粟市一宮町の宮山(514.4m)

今週末は予定がなく暇ですが、日曜は天気が悪そう。
出かけるなら本日が良いのですが、天気予報では気温が高くなるとのこと。
 
それなら涼しそうな山に登ろうと考え、宍粟市一宮町の宮山(みやま)に行くことにしました。
 
ここは登山道が植林の中で、山頂も木々に覆われているため木陰が多く、涼しいかなと考えたわけです。
その代わり、展望はありません。
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「安積」。
 
09:00
姫路市街の自宅を車で出発。
 
国道29号線を北上し、道の駅「播磨いちのみや」前を通過した直後の三叉路を右折します。
 
220mほど東へ進んだところに「←スポニックパーク一宮」の看板が立つ三叉路があるので、そこを左折。
 
200m弱進んだ所にある十字路(「ようこそ!スポニックパーク一宮へ」の看板がある)を右折して220mほど東へ進むと、「宍粟市市民の森」の看板が立つ三叉路に出会うので、そこを左折して坂を登って行きます(神社脇を通り、公衆トイレ前を通過し、最後は簡易舗装の道を進む)。
 
すると、黄色と白の縦縞模様の貯水タンク(神戸配水池)の先で駐車スペースに出会います。
 
10:10
神戸配水池横の駐車スペースに到着(地図中「P」)。
 
以下のURLをクリックすると、駐車スペースの位置がGoogleマップで表示されます。
 
 
▲配水池横の駐車スペース(下山後にドローンで撮影)
 
10:18
準備を整えて出発。
上の写真の左端に登山口があるので、そこから山へ入ります。
 
登山道は幅が広いため蜘蛛の巣がなく快適。また、植林の中なので木陰になっていて涼しい。
 
▲登山道の様子
 
10:23
防獣ゲートに出会いました(地図中「防獣ゲート」)。
掛けがねを2つ外す/掛けるだけなので、開閉は簡単です。
 
▲防獣ゲート
 
防獣ゲートの先で登山道は大きく右へ曲がり、今まで北向きに歩いていたのが南向きに変わります。
 
10:36
植林の中のなだらかな登山道をのんびりと歩いていたら、突然ベンチに出会いました(地図中「ベンチ」)。
ここからは、主稜線を北へたどることになります。
 
▲主稜線に乗った所にあるベンチ
 
ベンチから先、少しの間だけ右側に自然林が広がり、左側の植林との対比で自然林の美しさを実感できる場所がありました。
 
▲左側の植林に比べて右の自然林は明るくて綺麗
 
登山道は間もなく主稜線の中心から左(西)に外れます。
 
息が切れないよう主稜線上の道をゆっくりと歩いていると、右上に何かの気配を感じました。
見上げると、植林の中にあったのは石垣。
 
10:43
そして間もなく、登山道から右へ道が分岐する場所に出会いました(地図中「磐座分岐」)。
右へ分岐する道を示す道標に書かれているのは「磐座(いわくら)」の文字。
 
▲磐座への分岐の様子(道標があるため見落とすことはない)
 
ここに書かれている「磐座」は、麓の伊和神社で21年に1度執り行われる「一つ山祭」というお祭りに関係しているもののようですが、詳細はよく分かりません。
 
登山道を外れて「磐座」と示された道に入ってみました。
先ほど登山道から見上げた石垣を、間近に見ることが出来ます。
 
▲森の中に残る石垣
 
石垣の上の平坦な空間にはかつてお宮でもあったのか、瓦片が落ちていました。
 
この周辺の主稜線の中心は巨岩だらけで、巨岩フェチの私にとってはたまらない空間です。
これらの巨岩群が信仰の対象になっているのかな。
 
磐座周辺は道が分かりにくいです。
とりあえず高いところへと適当に巨岩群の中を進んでいくと、一つ山祭に関係すると言われている祠を見つけられないまま正規の登山道と合流してしまいました。
 
まいった。
巨岩群に興奮しすぎて本来の道ではないところを歩いてしまったようです。
 
▲主稜線上の巨岩の一つ(巨岩の右に板状の岩がもたれかかっている)
 
というわけで巨岩群の中を下り、祠探しに挑戦。
上から下っていくとある程度はっきりと道が分かり、いとも簡単に祠が見つかりました(地図中「祠」)。
 
▲伊和神社宮司の名前も書かれた板が中に立てかけられている祠
 
再び巨岩群の中を上り返し、正規の登山道に復帰しました。
 
山頂が近づいてくると、まるで機械のように規則正しい「ポーポー」という電子音に似た音が聞こえてきました。
山頂が近づくにつれてその音が大きくなるので、まるで山頂の位置を音で教えてもらっているような感覚。
 
山頂にそんな音を鳴らす機械があるはずもないし、虫の声にしては大きいし、鳥の鳴き声にしては鳥っぽくないし、動物かな等と悩みながら歩きましたが、結局この音は私が山頂でドローンを飛ばすまでずっと聞こえていました。
 
帰宅後に調べてみたら、ツツドリという鳥の鳴き声だったようです。
 
下のような巨岩に出会うと、山頂は目前です。
 
▲山頂直下の巨岩
 
11:05
四等三角点標石(点名:東市場)のある宮山山頂に到着。
 
▲宮山山頂の様子
 
▲四等三角点標石(点名:東市場)
 
ここはかつて岡城(おかじろ)の主郭があった場所です。
 
岡城(おかじろ)

 岡城は、岡山城・宮山城とも呼ばれ、播磨国一宮伊和神社を眼下に望む宮山の山頂に築かれています。 
 「播磨鑑(はりまかがみ)」などの古記録によれば、七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘(じぶしょうゆうのりひろ)が、明徳3年(1392)ここに初めて城を築いたとされますが、嘉吉の変(1441)の時に一旦落城したものと見られています。 
 その後、天文年中(1532~54)にいたり、岡城豊前守吉政(おかじろぶぜんのかみよしまさ)が再びこの地に城を築いて居城としましたが、天正8年(1580)羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって宇野氏の居城である長水城が攻め落とされた際に、岡城も落城したものと伝えられています。 
 山頂部から三方の尾根にかけては、主郭(しゅかく)跡と見られる石塁(せきるい)を備えた東西約12m・南北約15mの平坦地を中心に、それを取り巻く帯郭(おびくるわ)跡や階段状に連なる郭跡、防御のための堀跡などが残されており、昔日の姿を偲ぶことができます。また、山頂からの眺望はすばらしく、この城の軍事的な重要性をよく物語っています。
一宮町・一宮町教育委員会
(出典:現地の看板)
岡城
【城史】『播磨鑑』その他の記載はほぼ一致している。即ち、明徳3年(1392)七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘が築城、その子赤松次郎蔵人元久がこれを継いだ。その後赤松掃部介則勝と続いたが、嘉吉の変に親子共戦死(『播磨鑑』)落城した。
 天文年中(1532~54)岡豊守が再び築城してこれを居城とした(『赤松播備作城記』)。ついで岡豊後守吉一相続してここに居たが永禄年中(1558~70)赤穂郡下土井城に移ったとあるが(『宍粟郡史』)、赤穂郡下土井城に移ったのは岡豊前守吉政で、その子豊後守吉一は岡城にとどまり、天正8年(1580)長水城の落城とともに羽柴秀吉軍に攻略され落城したとすべきであろう。
出典:都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻 P282 
   兵庫県教育委員会・和歌山県教育委員会編 2003年4月30日発行 ISBN4-88721-446-4
 
▲写真ではよく分かりませんが、何段もの削平地が並んでいます
 
山頂は植林と自然林に覆われていますが、山名が書かれた標柱のある場所だけ空が開けていて日が差し込み、北方面は少し展望を楽しめます。
 
山頂のほぼ全体は木陰で涼しい。
 
▲山頂の標柱(矢印の位置)周辺だけ空が開けている(ドローンで撮影)
 
展望はほとんどありませんが、山頂の様子を記録するために本日は山頂で全天球パノラマを撮影しました。
また、標柱の真上は木々の葉がないため、そこからドローンを上昇させ、地表から20mほどの高さで全天球パノラマを空撮しています。
 
この空撮のパノラマでは、木々がない場合にどのような展望が得られるのかが分かります。
 
興味のある方は以下のURLからご覧下さい。
宮山(一宮町)山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影日2018年5月12日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/miyama20180512/virtualtour.html

 ※2種類のパノラマ画像を切り換えて表示出来ます。
 画面左上のリストの初期設定は「宮山山頂」で、山頂の標柱前で撮影した全天球パノラマが表示されます。
 「宮山山頂空撮」を選択すると、ドローンで少し高い位置から撮影した全天球パノラマが表示されます。
パノラマ撮影を終えたら、お楽しみの昼食です。
展望はほとんどありませんが、北向きだけは多少開けているので、北方面の景色を見ながら食事を摂ることにしました。
 
▲本日の昼食(白飯と無印のバターチキンカレー)
 
▲本日昼食を食べた場所の様子
 
北を見ると目の前に花咲山、そこから右へ視線を移すといぎす行者山。それらの間、少し離れた場所には東山が見えます。
 
食後は山頂周辺をウロウロしてみましたが、山城らしさを感じられる遺構は削平地以外にほとんど見当たりませんでした。
 
▲主郭北面の石積み
 
12:44
たっぷり100分ほど贅沢な時間を満喫したので、下山開始。
 
下山ルートは往路を引き返すだけですが、下山時は磐座を通らず、正規の登山道を下りました。
 
13:06
駐車場所に戻ってきました。
 
14:20
自宅に到着。