概要
本日は、お昼ご飯を食べるために福崎町の春日山城跡を歩いてきました。
(私の山歩きの目的は、景色を見ながら食事をすることです。)
春日山城は天正年間、秀吉の播磨攻略により落城しましたが、その時の城主は後藤基信(もとのぶ)。
黒田家に仕えた後に出奔*1し、その後は豊臣家に仕えて大阪夏の陣で討ち死にした後藤又兵衛の叔父です。

▲春日山城主郭跡(ドローンで撮影)
春日山城(かすがやまじょう)跡
所在地 兵庫県神崎郡福崎町八千種(やちくさ)(鍛冶屋区)
城 史 春日山城は、建武年間(1334~1336)の築城とされ、後藤基明が初代城主と伝えます。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下といわれ、応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとされます。
天正の頃の城主は後藤基信(もとのぶ)とされ、天正6年(1578)、春日山城は羽柴秀吉の播磨攻略のときに落城し、基信は自刃したと伝えます。
城 跡 城跡のある春日山は標高198m。山頂には、曲輪(城郭内で建物が置かれたり、兵が駐屯したりする平坦地)などの城郭遺構が残っています。
(出典:西邦寺横の看板)
2025年12月5日付の神戸新聞で、春日山城跡で行われた大声コンテストの記事がたまたま目に入りました。
春日山城跡(飯盛山)は2018年に一度登りましたが、記事の画像を見ると以前よりきれいに整備されているように見えたので、また登ってみようと思い立ったのです。
本日の行程は、次の通りです。
- 八千種グラウンド横の駐車場に車を置く
- 西邦寺から入山
- 小飯盛山に立ち寄ってから春日山城跡へ
- 春日山城跡で昼食
- 春日山キャンプ場へ下山

▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」

▲カシミール3Dで作成したルートの断面図
姫路市街から駐車場へ
10:00
姫路市街の自宅を車で出発。
国道312号線を北上し、「広瀬北」交差点を右折します。ここからは県道81号線。
大礼橋(たいれいばし)で市川を渡り、播但道の下をくぐって県道を東へ進みます。
播但道をくぐってからおよそ1.6km、「西山田西」交差点を左折して県道117号線に入ったら、250mほど先の「西山田」交差点を左折。
「西山田」交差点には「戦国の勇将 後藤又兵衛(黒田官兵衛「二十四騎」の雄)生誕の地 姫路市山田町」と書かれた看板が立っています。
「西山田」交差点から北へおよそ1.7km、道の左に「八千種 自然活用村→」、道の右に「登山道→ 春日山、小飯盛山」と書かれた道標の立つ三叉路を右折します。
あとは道なりに600mほど進むと、八千種グラウンドの駐車場に到達します。
https://maps.app.goo.gl/EYSSvos41uooRv2F9
▲八千種グラウンドの駐車場の位置
10:43
駐車場に到着(地図中「P」)。

▲八千種グラウンド駐車場の様子(春日山登山口の標柱がある)
グラウンドにはお手洗いがあるらしく看板が出ていたのですが、グラウンドでは子供たちが野球か何かの試合の真っ最中だったので、お手洗いに行くのは諦めました。
駐車場から小飯盛山へ
10:46
準備が整ったので出発。
登山口のある西邦寺へ向けて北へ歩きます。
すると、ふれあい会館を過ぎた所でお手洗いの看板を発見。

▲ふれあい会館

▲ふれあい会館前にも駐車場がある(並列駐車できるよう、路肩に駐車枠を示す白線が引かれている)
10:48
ありがたいことに、ふれあい会館の裏側には外から出入りできるお手洗いがあったので、ここをお借りしました(地図中「ふれあい会館」)。

▲ふれあい会館裏のお手洗いをお借りした
10:52
ふれあい会館から少し北へ進むと、すぐに西邦寺に出会います(地図中「西邦寺」)。

▲西邦寺(この記事の冒頭で引用した春日山城跡に関する文章は、ここに写っている案内板の内容)
城跡について書かれた日本語の案内板の横には、春日山城跡と後藤又兵衛について英語と中国語で説明する看板*2も立っていました。
これらの看板のすぐ裏が、春日山城跡(飯盛山)への登山口です。

▲西邦寺にある登山口
登山口からは擬木階段の道が稜線まで続きます。

▲擬木階段の道で稜線まで登る
10:56
稜線に出た所は突き当りになっており、左に行くと小飯盛山、右へ行くと飯盛山(春日山城跡)です(地図中「小飯盛山分岐」)。
道標は右しか指していませんが、左が小飯盛山であることを示す新しい道標が取り付けられていました。

▲分岐の様子(左は小飯盛山、右は飯盛山)
10:58
明らかに人工的に削平されたと分かる小飯盛山の山頂に到着(地図中「小飯盛山」)。
北の縁にパーゴラとベンチが置かれており、ゆっくり景色を楽しめるようになっています。

▲木々が伐採されて展望が良い小飯盛山山頂(ドローンで撮影)
小飯盛山から飯盛山へ
11:10
景色とドローン操縦を楽しんだので、小飯盛山を出発。
先ほどの丁字路を直進して南へ進みます。
西邦寺から小飯盛山への道はなだらかでしたが、丁字路のある鞍部から飯盛山への道は地形図で等高線が詰まっていることからも分かる通り、かなりの急斜面です。

▲飯盛山へ続く道の序盤は丸太階段
理由はよく分かりませんが、階段の素材は途中から地中ケーブル防護管に変わりました。

▲地中ケーブル防護管でできた階段(撮影日:2018年10月21日。本日はこの階段の写真を撮り忘れたため、過去の画像で代用しています。)
階段道がつづら折れになると、山頂は間近です。
飯盛山山頂(昼食)
11:21
飯盛山山頂に到着(地図中「飯盛山」)。
山頂は城跡ですから、広大な削平地です。
下の文献で複雑な縄張りであることが書かれていますが、山頂以外は薮に覆われていて城跡の地形はさっぱり分かりません。
春日山城(神崎郡福崎町八千種小字鍛冶屋)
【城史】 春日山城は嘉吉年間(1441~43)後藤三郎左衛門尉基明が居城した。応仁の乱には赤松正則の麾下にて出陣山名勢を破った。天正の頃の城主は後藤伊勢守基信は天正6年(1578)5月11日羽柴秀吉に攻略され落城した。
【現状】 城跡のある飯盛山は標高197m、頂上に東西18.3m、南北23mの削平地がある。東側は垂直の崖となっているが、西側は境界が蛇行していて山崩のあったことを示している。本郭の中央少し東よりのところに東西5.8m、南北2.5mの大きな穴があけられている。深さは1mで井戸にしては浅すぎるようである。
主郭から南へは3つの削平地があり最上段のものには4つの径2m前後の穴が掘られている。この様な穴は東側の削平地にも2個掘られているがその目的はあきらかでない。このような削平地の穴は赤穂市八幡山城にも4個並んでいるのがみられた。
西側には6mの崖下に3本の土塁にかこまれた2本の竪堀がつくられている。北側には3つの削平地が6m前後の段差をもって造られている。きわめて複雑な縄張りである。
(出典:兵庫県教育委員会 編『兵庫県の中世城館・荘園遺跡 : 兵庫県中世城館・荘園遺跡緊急調査報告』,兵庫県教育委員会,1982.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12239438 (参照 2026-04-26))

▲飯盛山山頂(春日山城主郭跡)
山頂には大きな木が数本立っており、木陰になる位置に大きなテーブルとそれを挟むようにベンチが置かれています。

▲木陰のテーブルとベンチ
ベンチの近くには、春日山城と後藤又兵衛について書かれた公設の看板が立っています。

▲春日山城と後藤又兵衛について書かれた公設の案内板
春日山城跡(かすがやまじょうあと)
所在地 兵庫県神崎郡福崎町八千種(やちくさ)(鍛冶屋区)
城 史 春日山城は、建武年間(1334年~1336年)の築城とされ、後藤基明が初代城主と伝わります。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下といわれ、応仁の乱の際には、赤松正則の部下として出陣し、山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとされます。
天正の頃の城主は後藤基信とされ、天正6年(1578年)、春日山城は羽柴秀吉の播磨攻略のときに落城し、城とともに命を落としました。
城 跡 城跡のある春日山は標高198m。山頂には、現在も削平地が残っており、曲輪(城郭内で建物が置かれたり、兵が駐屯したりする平坦地)などの城郭遺構が残っています。山頂からの眺望は素晴らしく、当時も周囲の監視に適していた立地であったことが分かります。ゆかりの人物
後藤又兵衛元次(1560年~1615年)
安土桃山時代から江戸初期の武将。
通称は又兵衛。春日山城を築き一帯を支配していた播磨後藤氏の一族で、南山田城(現姫路市)に居城したとも伝わります。「黒田二十四騎」「黒田八虎」のひとりに数えられ、黒田官兵衛・長政2代に仕えました。槍の名手で「槍の又兵衛」と呼ばれ、多くの軍功をあげました。豊臣秀頼の招きを受けて大阪冬の陣で活躍しましたが、夏の陣で討死しました。福崎町
(出典:山頂ベンチ脇の看板。原文まま。「元次」は「基次」の誤りか。)
山頂の北側には有料の双眼鏡と、劣化した展望図が設置されていました。

▲双眼鏡(有料)と展望図(太陽光パネルは夜間のライトアップ用?裏面はLEDでした)
双眼鏡は興和オプトロニクス株式会社製で、100円硬貨を入れると約100秒間景色を楽しめるというもの。
倍率は20倍でレンズ直径は80mm。実視界3度。眼幅は62mm固定。

▲興和の観光用双眼鏡
山頂に埋設されている三角点は、三等三角点で点名は北飯盛です。
地形図に記載されている197.5mという数字は、この三角点標石頂部の標高です。

▲三等三角点標石(点名:北飯盛)
山頂の中央やや南寄りには大きな窪みがあり、その横には「食料貯蔵庫」と書かれた杭が立っています。

▲食料貯蔵庫跡とされる大きな窪み
この窪みは楕円形をしており、長径が約4.5m、短径が約3.5m、深さはもっとも深いところで約1.3mもありました。

▲食料貯蔵庫とされる窪みの断面図
この山頂で頂く本日の昼食は、冷やし中華。
自宅で麺と具材を準備し、タッパーに保冷剤と共に詰め込んで持ってきたものを、使い捨てのお皿に盛り付けなおしたものです。

▲本日山頂で頂く昼食は冷やし中華
直射日光に当たると暑いですが、山頂の木がちょうど屋根のようにベンチを覆ってくれたので、暑さに悩まされることなく食事を楽しめました。

▲山頂の大きな木の陰にベンチが入っていることが分かる(ドローンで撮影)
この場所は周囲を360度見渡すことができるので、好展望が好きな私にとっては居心地が最高。

▲山頂から北西に見える山並み
遠く北には笠形山も見えます。

▲北に見えるのは笠形山
南東には善防山と笠松山が見えました。

▲南東の山並み
下山
12:15
食事と展望、ドローン操縦を楽しんだので、下山開始。
山頂から南へ下山します。

▲春日山キャンプ場方面へ下った
さすがに城跡だけあって山頂の周囲全体が急斜面。
南西へ下る道も、とんでもなく急な擬木階段道です。

▲急な擬木階段を下る(振り返って撮影)
12:22
急斜面が終わってなだらかになったと思ったら、丁字路に突き当たりました(地図中「キャンプ場分岐」)。
キャンプ場へ行くには、これを左へ進みます。(注:右へ行くと八千種グラウンドに出ます。)

▲キャンプ場へ下るには、この丁字路を左折する
丁字路を左折した直後、堀切*3跡のような地形に出会いました。
立体感が分からないので、写真は省略。
地形図の通り緩斜面で小ピークを越えたら、また擬木階段の道が始まりました。
あまり歩く人がいないようで、草が多い。
12:29
春日山キャンプ場に下りてきました(地図中「キャンプ場」)。

▲キャンプ場側の登山口(ここに下りて来た)
キャンプ場の真ん中にあるお手洗いは使用中止になっていましたが、道路に近い(管理棟前の)お手洗いは使えそうな雰囲気(入っていません)。

▲キャンプ場の管理棟前にあるお手洗い
キャンプ場から道路へ出たら右へ曲がり、道なりに北へ進みます。

▲キャンプ場を出たら右へ

▲この交差点を右折すれば八千種グラウンドに行ける
12:43
駐車場に到着。
交通アクセス
- 自家用車の利用が一般的です。
- 路線バスの場合は、「鍛治屋」バス停が最寄りです(地図中「鍛冶屋バス停」。バス停から西邦寺まで約350m)。JR姫路駅北7番のりばを出発する北条営業所行のバスに乗車すると、ダイヤ通りに運行した場合は所要時間が46分。運賃は¥690。行きも帰りも2~3時間に1本しかありませんので、事前に時刻を調べておく必要があります。
- 鉄道利用の場合は、JR播但線の溝口駅が最寄りですが、登山口となる西邦寺まで4kmほど歩かないといけません。
- JR播但線の福崎駅前観光交流センターにレンタサイクルがありますが、福崎駅前から西邦寺までは6km以上あります。一般的なシティサイクルは1回¥300、電動アシスト自転車は1回¥500で、借りる際には身分証明書が必要です。休館日には借りられません。
参考情報
- お手洗いは、ふれあい会館と八千種グラウンド、春日山キャンプ場にあります。
- 鹿やイノシシのような大型の野生動物の痕跡(足跡や糞)は見られませんでしたが、ダニはいました。
- 飯盛山から北西へ約7km(JR福崎駅の北約1km)に「鯛の夢」という「鯛そばと宇和島鯛めしのお店」があります。この辺りでは珍しい鯛出汁ラーメンのお店です。ラーメンを食べてから腹ごなしに飯盛山を散歩しても良いかも知れません。
- JR溝口駅から北西へ3kmほどの場所には、恒屋城跡があります。恒屋城跡もそれほど時間をかけずに歩けるので、両方を併せて歩いても良いかも知れません。