概要
姫路市兼田(かねだ)にTIGER ONEというカツサンド屋さんがあります。
お手頃価格で量が多く、美味しくて店員さんも愛想がいいという、私の基準では欠点のないお店です。
休日のお昼ご飯を時々そのお店で食べているのですが、お店へ行く時に「兼田」交差点の少し南で見かける大きな石碑が気になっていました。
Googleストリートビューで見ると、「河合家墓所」と書かれた公設の案内標識が石碑の上に設置されています。
地形図を見ると、その墓所を通って仁寿山(じんじゅざん)へ登れそうな破線道が描かれているので、河合家墓所を見学してから仁寿山に登ることにしました。

▲河合家墓所
河合家墓所への道の周辺に駐車場所はないので、路線バスを利用して「兼田」バス停から歩き始めようと決めましたが、帰りも公共交通機関を使わないといけません。路線バスは本数が少なくて不便なので、鉄道を使った方が便利。
「舗装道路歩きを避けて、なるべく山の中を歩いて駅に行きたいなぁ」と思いながら地図を眺めたら、仁寿山と小富士山の北にある小さな山塊(坂元山・八重鉾山)がちょうど良いように見えました。
航空写真を見ると送電線巡視路が山塊の南端から始まっているため簡単に登れそうですし、地形図では稜線上に破線道が描かれています。航空写真では山塊の北端付近に東屋のようなものや遊歩道らしきものも見え、稜線上に道があるのは間違いなさそう。
ということで、河合家墓所から仁寿山に登り、東隣の小富士山に登ってから北へ下山。北向かいの坂元山~八重鉾山(やえほこやま)山塊を北へ縦断してからJR御着(ごちゃく)駅へ向かうことにしました。
本日の行程は、次の通りです。
- 神姫バス(路線バス)で姫路駅から「兼田」バス停へ
- 「兼田」バス停から河合家墓所を通って仁寿山へ
- 仁寿山から小富士山へ移動
- 小富士山から北へ下山
- 坂元山~八重鉾山山塊を北へ縦断
- 山塊北端の印鐸神社(いんたくじんじゃ)から下山
- 西国街道を歩いてJR御着駅へ

▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路南部」

▲カシミール3Dで作成したルートの断面図
姫路駅から登山口へ
09:55
姫路駅南口の神姫バス22番のりば*1から系統番号92「宇佐崎南」行のバスが発車。

▲JR姫路駅南にある神姫バス22番のりば
10:11
バスは定刻から5分ほど遅れて「兼田」バス停に到着(地図中「兼田バス停」)。
ここで降車。運賃は¥290です。

▲降車した「兼田」バス停
バス停のすぐ後ろにお堂があったので見てみると、南北朝時代に造られた「兼田の石棺仏」とのこと。

▲兼田の石棺仏

▲兼田の石棺仏について
バス停から60mほど南へ進んだところで「舊姫路藩家老河合家史蹟 仁壽山梅岡別荘並墓所 從是東約五丁許(旧姫路藩家老河合家史跡 仁寿山梅岡別荘並びに墓所 これより東約5丁ばかり)」と刻まれた大きな石碑*2と「←河合家墓所 The Tomb of the Kawais」と書かれた公設の案内標識に出会うので、それに従って細い道に入りました。

▲矢印の方へ進む
軽四でも通るのが困難な幅の細いアスファルト舗装の道を、山裾に沿って進みます。

▲河合家墓所への道は非常に狭い
アスファルト舗装の道の終点で、道は丸太階段の山道に変わりました。

▲石柱には「左方 仁壽山梅岡河合家墓道」と刻まれている
https://maps.app.goo.gl/Ws1SXsfbYvuWBmud7
▲山道の入り口の位置
緩やかな丸太階段の坂道を上ると、墓所の直前で道は二手に分かれました。
左へ進むと地形図の破線道を通って仁寿山へ、右に行くとすぐに河合家墓所です。

▲河合家墓所の直前にある分岐
河合家墓所から仁寿山へ
10:21
土塀に囲まれた河合家の墓所に到着しました(地図中「河合家墓所」)。
ひな壇状に削られた斜面に、数多くの墓碑が立ち並んでいます。

▲立ち並ぶ墓碑
河合家墓所
姫路藩酒井家の家老で財政建て直しに大きな功績があった河合寸翁をはじめ祖父定恒や塀山など一族の墓がある。
姫路市教育委員会THE GRAVE OF KAWAI FAMILY
This is the family grave of relatives of Sunno Kawai. Sunno Kawai was a principal assistant to Load Sakai who ruled over Himeji. Sunno Kawai is known for his distinguished service in rebuilding the previously poor Himeji economy.
(出典:現地の看板。原文ママ。和文内の「塀山」は「屏山」の誤り。英文内の「Load」は「Lord」の誤り。)
河合寸翁のお墓は、最上段の中央付近にありました。
隣に立っている石碑には「河合寸翁大夫贈位紀念標 大正八年十一月十(?)五日贈従四位」と刻まれています(日にちの部分は石碑が割れていて文字が読めません)。

▲河合寸翁のお墓
14-4.河合家墓所
仁寿山の南西、梅岡にある。姫路藩家老河合寸翁は、藩主より与えられた地に、文政4年(1821)仁寿山校を設立し、梅岡に別荘と墓所を造った。善導寺(坂田町)に葬られていた祖父定恒以下の墓を移し、のちに河合家一族の墓所としたもの。
四方を土塀に囲まれた墓所は、三段に整地し、上段中央に寸翁夫妻、中段に定恒夫妻などの墓が並んでいる。墓所前の石燈籠(嘉永3年銘)は、寛延2年(1749)の大洪水の際、避難民に城内を開放し米2000石を与えた家老定恒の百回忌に、船場町民が寄進したもの。
寸翁の別荘は、山道左手の池付近にあったといわれている。
(出典:姫路市教育委員会 編『姫路の文化財』第2巻 (地域別文化財),姫路市教育委員会,1990.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13273604 (参照 2026-03-15))

▲墓所周辺の地形(50cmメッシュのレーザー測量)。丸太階段の道の横にある削平地が梅岡別荘跡かな?(出典:この図は、次の著作物を利用しています。 [兵庫県CS立体図]、[兵庫県] 青文字と青い線は当ブログ管理人が書き加えたもの)
河合家墓所を見終わったので、仁寿山を目指しましょう。
墓所に着く直前にあった分岐を仁寿山方面へ入ります。
分岐に入った直後はいくつかお墓があり、そこまでは明確な道になっていましたが、お墓から先は玄人向けの細い山道です。
しかし、ピンクテープが取り付けられているので、道を見失うことはありません。

▲河合家墓所から仁寿山への道はあまり歩かれていない細い山道
マイナー感が強めの小径を15分ほど登ると、稜線に出ました。
稜線上は広い道があるのかと思いましたが、今まで登って来た道と大差ありません。

▲稜線上の道の様子
10:46
マイクロウェーブ反射板に出会いました(地図中「反射板」)。
反射板から南へ下る道があってその道で下るのが一般的なのか、反射板から先は幅の広い歩きやすい道になりました。

▲反射板前の様子(ここから先は広い道になる)
反射板の奥に見えている電波塔から先は、軽トラックやジムニーなら走れそうな、簡易舗装の道(ほぼ崩壊していますが…)になっています。

▲反射板の次に出会った電波塔から仁寿山の山頂までは林道のような道
仁寿山山頂
10:53
電波塔が立ち並ぶ仁寿山の山頂に到着しました(地図内「仁寿山」)。

▲仁寿山山頂の様子
休憩中の男性ハイカーがお二人いらっしゃいましたが、金網の向こうに埋まっている三角点標石を写真に撮るのに一生懸命の様子。
南の景色を多少は楽しめますが、無粋な電波塔が立ち並んだ空間はあまり落ち着かないので、とっとと先を急ぐことにしました。
仁寿山から小富士山
山頂の東、電波塔の点検道路に付けられたガードレールの切れ目から、東に見える電波塔を目指して電線沿いの道を下ります。

▲ガードレールの切れ目から奥に見える電波塔を目指す
10:57
山頂の東にある電波塔横を通過(地図中「謎の電波塔」)。

▲謎の電波塔
電波塔には管理者の名前が表示されておらず、有刺鉄線で囲まれている他、侵入者を検知するセンサーや防犯カメラがあって物々しい雰囲気の電波塔です。
謎の電波塔から先は、急な下り坂になりました。
次の小富士山への登りに備えて行動食を食べながら歩きましたが、片手が塞がっていると危ないような急斜面です。

▲米軍の戦闘糧食「MRE」に付属するエナジーバー(First Strike)を行動食にした
地形図の実線は仁寿山の電波塔を管理するための点検用の道路です。
途中でその道路を渡る場所がありますが、道路を渡った所もガードレールの切れ目があり、山道の続きへはそこから入れます。

▲点検道路を横切る場所の様子
11:11
仁寿山と小富士山の間の峠を通過(地図中「峠」)。
峠から小富士山方面へ登り始めてすぐ、二股の分岐に出会いました。
左は送電線の巡視路を経由して小富士山の山頂へ行く道、右は山頂へ直登する道です。

▲分岐の様子
今回は直登(右)を選びました。
峠から尾根の肩へ出るまでの等高線間隔が詰まっている区間は、下の写真のようなワイルドな急斜面です。

▲急斜面の様子
尾根の肩に出てしまえば、空が大きく開けた快適な道。
途中には不思議な巨岩が鎮座していました。

▲尾根の肩に鎮座していた巨岩
地形図の「小富士山」の文字の辺りからは再び急斜面に変わりますが、滑らかな岩にステップが刻まれたような路面のため、雨が降っていたり雨上がり直後の濡れている状態では歩きたくない道です。

▲小富士山山頂直前の様子
小富士山(昼食)
11:27
小富士山の山頂に到着(地図中「昼食」)。

▲小富士山の山頂は広い
山頂の南に行くと座りやすい岩がいくつもある空間があり、南側の展望を楽しみながら食事ができます。

▲山頂の南でご飯を食べながら楽しんだ眺め
小富士山の山頂からの眺めは、下の全天球パノラマでご覧ください。
パノラマ画面左上のリストで山頂南側と山頂中央の2箇所のパノラマを切り替えられます。
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kofujisan20260314/index.html
▲小富士山山頂で撮影した全天球パノラマ
本日のメニューは、米軍の戦闘糧食「MRE」のメニュー番号5番「Chicken Chunks, White, Cooked」。
サラダチキンとチーズスプレッド、バーベキューソースをトルティーヤで巻いていただくメニューです。

▲本日の昼食は米軍の戦闘糧食「Chicken Chunks, White, Cooked」
小富士山から北へ下山
12:18
美味しいご飯と景色を堪能したので、出発。
広い山頂から北へ進めば、すぐに華厳寺(けごんじ)です(地図中「華厳寺」)。
華厳寺で手を合わせてから北へ下山しましょう。

▲華厳寺
華厳寺に向かって右側、旅大師像の前から東へ延びる道へ入ると丁字路に突き当たるので、そこを左折します。

▲旅大師像の前から東へ入る

▲すぐに丁字路に突き当たるので左折(北へ下山)
ここから先は、道の様子がほとんど変わりません。
下の写真のような道が延々と続きます。

▲北へ下山する道の様子
所々で道が右へ分岐しますが、基本的に左を選んで北、あるいは北西へ進むことに気を付けていれば良いでしょう。
12:30
分岐(Y字路)に出会いました。左は宮西線4番鉄塔、右は四郷学院後期課程へ下山する道です(地図中「宮西線4番鉄塔」)。
送電塔の色が不思議だったので、宮西線4番鉄塔を見ることにしました。

▲こげ茶色に塗られた宮西線4番鉄塔
送電塔をよく見ると、塗装した時期と業者名がステンシル*3されています。
それによると、塗装されたのは2025年6月で株式会社鈴木塗装工務店が施工。
使われた塗料は大日本塗料株式会社の「ソーデン速乾下塗」「Vフロン#100スマイル上塗IG」だそうです。
道は宮西線4番鉄塔で行き止まりなので、先ほどのY字路に戻って四郷学院方面へ下りました。
すると小さな神社に出会い、そこから道の幅は一気に広くなって四郷学院後期課程の西側へ下りてきました。

▲ふもと近くにあった小さな神社

▲ここへ下りて来た
坂元山へ
すぐ目の前にある山(坂元山~八重鉾山山塊)が次の目的地です。
小富士山からの下山途中で、宮西線の送電塔が立つ坂元山方面へ登る巡視路が樹間から見えていました。
赤い屋根の建物の向かいから始まっているのが見えたので、そこを目指します。
四郷学院から西へ進んで横断歩道を渡ったところに赤い屋根の建物があり、その向かいは周辺より薮っぽさがなく、何となく入山できそうな雰囲気。
12:41
宮西線の鉄塔へ登る巡視路の入り口と思われる場所に来ました(地図中「坂元山登山口」)。

▲坂元山方面へ登るための巡視路の入口
「本当にここから入れるのかなぁ」と多少の不安はあったものの、突入。
頭上の送電塔への道はあまり手入れされていませんが、問題なく歩けました。

▲頭上の宮西線の送電塔(宮西線5番鉄塔)へまっすぐ登る
12:45
宮西線5番鉄塔横を通過(地図中「宮西線5番鉄塔」)。
この鉄塔も、4番鉄塔と同様にこげ茶色に塗られています。
鉄塔から少し登ったところで稜線に出ますが、そこでようやく巡視路標識に出会いました。(ヒント:ここから先、道の分岐には巡視路標識が立っています。)
これから歩く道は、間違いなく送電線巡視路です。巡視路ということは、定期的に整備されていて歩きやすいはず。

▲宮西線5番鉄塔の先でようやく巡視路標識に出会った
稜線上は大きな窪みやイノシシのヌタ場(水浴び場)、さらに屋根だけの東屋もあります。
東屋の場所で巡視路は左へ折れ曲がり、巡視路をそのままたどると宮西線6番鉄塔へ下ってしまいそうです。
12:52
「麓にある6番鉄塔へ下りたくないなぁ」と思っていたら、巡視路標識が立っている場所で西へ道が分岐しているのに気づきました(地図中「巡視路・登山道分岐」)。
西へ行けば、6番鉄塔を経由せずに稜線に沿って坂元山へ行けそう。ということで、分岐を西に入ることにしました。

▲右は6番鉄塔への巡視路、左は尾根伝いに坂元山へ続く道
尾根伝いの道は、巡視路に比べると不明瞭で場所によっては少し分かりづらいところもありますが、ピンクテープもあって山歩きに慣れている方なら問題ないでしょう。

▲尾根伝いの道の様子(巡視路に比べると道は悪い)
坂元山の少し南で、東から登って来て北へ進む太い道(巡視路)に合流しました。
そこにも巡視路標識が立っていて、東からの道は6番鉄塔からと書かれています。
「巡視路・登山道分岐」で分岐を見落として6番鉄塔へ進んだとしても、巡視路で尾根の上に復帰できるようです。
13:01
坂元山を通過(地図中「坂元山」)。
地形図では91mの標高点で山の名前は書かれていませんが、木に巻かれたピンクのテープに「坂元山」と書かれていたので、91m標高点は坂元山なのでしょう。

▲坂元山(91m標高点)
ここで道は西(左)と北(右)へ分岐します(注:巡視路標識はありません)。
私は北へ進みたいので、ここは右へ。
坂元山・八重鉾山山塊には巡視路標識は整備されていますが、一般の登山者向けの道標は皆無ですので、この山を歩かれる方は地形図と進行方向をしっかり確認するようにしてください。
八重鉾山へ
13:07
坂元山から北へグングンと坂を下り、屋根だけの東屋を通り過ぎて、西へ分岐する道*4を無視して北(北東)へ進んでいけば送電塔に出会います。これは宮西線7番鉄塔(地図中「宮西線7番鉄塔」)。

▲宮西線7番鉄塔
7番鉄塔から先、イノシシが掘り返した跡がある広い巡視路を北東へ下っていくと、「大前家所有」と刻まれたコンクリート柱に出会います。

▲「大前家所有」と彫られたコンクリート柱
13:14
そのコンクリート柱から2分ほどでこげ茶色の城東支線1番鉄塔に出会いました(地図中「城東支線1番鉄塔」)。
宮西線7番鉄塔から北東へ延びる電線路は城東支線という名前のようです。
それにしても「1番」鉄塔に会えるとなんだか嬉しい。
その先でまた「大前家所有」と刻まれたコンクリート柱に出会いますが、そこからまた2分で八重鉾山です。

▲八重鉾山の直前で城東支線2番鉄塔への分岐がある(巡視路標識はありません。右奥に送電塔が見えるので、それを目印にする必要があります。)
八重鉾山
13:17
八重鉾山に到着(地図中「八重鉾山」)。
ほとんど展望はありませんが、市川を渡るJR在来線や新幹線の方向だけはよく見えました。

▲八重鉾山の様子
八重鉾山山頂一帯は、兵庫県遺跡地図によると「八重鉾山構跡(やえほこやまかまえあと)」となっています。つまり、中世にはここに簡素なお城があったということです。
八重鉾山構(姫路市四郷町山の脇)
【城史】嘉吉元年(1441)10月山名宗全が赤松満祐を討亡し播州をその支配下に置き姫路城に入城したとき八重鉾山に安達五郎太夫を指置いたのがこの構のはじまりといわれている。天正の頃(1573~92)は山脇六郎左衛門が居城した。六郎左衛門は御着の小寺の家臣であったが、秀吉に内通すると疑われ小寺藤兵衛は黒田官兵衛孝高をして六郎左衛門を殺害せしめたといわれている(『飾磨郡誌』)。
【現状】四郷集落の西にある山塊の北端の標高45mのところに城跡がある。頂上に17m×10mの削平地があり、ここが主郭である。まわりは高さ7mという崖になっている。崖下北西に15.3m×4.9mの削平地があり、以下下方へ2つの削平地がある。北東の方は高8mの岩盤が壁をなしていてその下に2ヶ所に石塁が組まれている。石塁の幅2m、長さ8.5mある。石塁の間にも小さな削平地がある。
(出典:兵庫県教育委員会 編『兵庫県の中世城館・荘園遺跡 : 兵庫県中世城館・荘園遺跡緊急調査報告』,兵庫県教育委員会,1982.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12239438 (参照 2026-03-13))
八重鉾山の山頂で興味を惹かれたのは、城跡らしさではなく三角点標石。
地形図に三角点は描かれていませんが、ここには「三角点」と刻まれた標石が埋まっています。
地形図に載る三角点との違いは、側面に「姫路市」「公共」と刻まれていること。等級も彫られていません。

▲姫路市が設置した公共測量用の三角点(「姫路市」と刻まれている面の反対側には「公共」の文字)
一般的に三角点と呼ばれる標石は国土地理院が「基本測量」のために設置したもので、「基本」や「国地院」といった文字、そして「三角点」の文字の上に等級が彫られていますから、地形図に載る三角点とは異なるということが分かると思います。
かなりのレアものではないでしょうか。
下山
大して展望もないので、下山することにします。
八重鉾山の山頂直前にあった城東支線2番鉄塔への分岐に戻り、鉄塔方面へ。
13:21
城東支線2番鉄塔を時計回りに回り込むように進み、擬木階段を下ります(地図中「城東支線2番鉄塔」)。

▲城東支線2番鉄塔の周囲を時計回りに進む

▲送電塔から下って来た擬木階段を振り返る
擬木階段の終点で道は左右に分かれました。
道標はありませんが、ここは右へ。
八重鉾山へ向かう途中で、東側の斜面に神社の屋根っぽいものがちらちら見えていたので、右へ進めばその神社へ行けると思ったのです。
予想通り、すぐに神社に出ました。
13:24
印鐸神社に到着(地図中「印鐸神社」)。
ここで本日一日山歩きを楽しませてもらったお礼と、無事に歩き終えられたことの感謝を伝えました。

▲印鐸神社

▲印鐸神社について
印鐸神社の拝殿前の石段を下り、竹林に挟まれた歴史のありそうな参道を下ります。

▲印鐸神社の石段を下る

▲歴史を感じる参道を下る
最後は青いグローブジャングル(回転ジャングルジム)のある公園に下りてきました。

▲ここに下りて来た
細い道路を北へ進み、突き当りを右折して西国街道を東へ進んでJR御着駅を目指しました。
13:42
旧街道沿いだけあって、一里塚跡があります(地図中「一里塚跡」)。

▲一里塚跡
山陽道 一里塚跡
一里塚は江戸時代の街道で一里(約四キロメートル)ごとに設置し松やエノキを植えた。これより東は高砂市豆崎、西は姫路市下手野に一里塚が設置されていた。高さ約二メートルの当地の一里塚は明治時代に至り消滅した。
(出典:現地の案内)
横田西踏切の少し西には、古くてかわいい道標も残っていました。
「左 うしどう山 右 かみすゞ」となっていますが、「うしどう山」は「牛堂山国分寺」、「かみすゞ」は「四郷町上鈴」のことでしょうか。

▲古い道標
13:46
横田西踏切を通過。
13:51
JR御着駅に到着。
14:06
網干行の普通列車が御着駅を発車。
14:12
姫路駅に到着。
交通アクセス
- 仁寿山周辺は、ハイカー向けの駐車場所がほとんどありません。公共交通機関を利用する方が便利です。
- 路線バスの場合、今回の登山口の最寄りバス停は「兼田」です。
- 坂元山から八重鉾山への縦走だけを楽しむ場合は、JR姫路駅北口の神姫バス15番のりばを出る系統番号24「見野循環」のバスに乗って「四郷学院西」バス停で下車すると、バス停から西へおよそ300mで宮西線5番鉄塔への巡視路入口へ到達できます。姫路駅からの所要時間は、ダイヤ通りに運行した場合で20分前後、運賃は¥290です。
参考情報
- 今回の登山口や登山道周辺にお手洗いや飲料の自動販売機はありません。お手洗いは、姫路駅で事前に済ませておける他、下山後は横田西踏切から西国街道沿いに約400m西方にある西御着公園や御着駅のお手洗いが利用可能です。
- コンビニは、「兼田」バス停の目の前にセブンイレブン姫路兼田店があります。
- 公共交通機関で帰る別の方法としては、(舗装路歩きがやや長くなりますが)小富士山の南東尾根を下って山陽電車の八家駅へ歩くという方法もあります。小富士山の南東尾根については、下のリンク先を参照してください。