播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

書写山の六角坂参道から古い道の跡をたどってご飯山へ

警告

今回歩いたルートの内、六角参道とご飯山の登山道を結ぶ道の周辺には、害獣駆除のためのくくり罠が複数仕掛けられています。

登山道には設置されていないため絶対に道を外さず、むやみにピンクテープや罠を設置していることを示すプレートに近づかないようにしてください。

概要

当ブログへの「書写にあるという香山城跡を知りませんか?」というコメントをきっかけに、2024年の1月7日、書写山南西にある小さなピーク「ご飯山」(香山砦跡*1に登りました。

余談ですが刀出の辺りは昔、菅生郷香山(すごうさとかやま)と呼ばれていたので、砦の名前が「香山砦」になったのだと思います。付近で石棺とともに刀が出土したことから、刀出の地名に変わりました。

初めてご飯山に登った時はブログに記載しませんでしたが、ご飯山への登山道に北から合流する道のようなものを見つけていました。
当時は「細長い棚田の跡かも知れない」と気に留めずにいたのです。

それからしばらく経ち、50cmの高低差を表現できるレーザー測量の地形データの存在を知ってあちこちの山を眺めていたところ、ご飯山の南麓から刀出にかけて山裾を南北に走る明確な道を発見。

あの時見たのは、間違いなく道の跡だったということが分かりました。


▲レーザー測量で明確に見える道の痕跡(出典:この図は、次の著作物を利用しています。 [兵庫県CS立体図]、[兵庫県])赤矢印と赤文字は当ブログ管理人が書き加えたもの)

その道は書写山の六角坂*2参道と交わっているため、書写山に登った後に「おかわり登山」としてご飯山を登る場合に便利そう。

そこで、(ブログ記事にはしていませんが)2026年1月18日にご飯山へ一般登山道で登り、下山時に道の跡をたどって六角坂参道側の入り口を確認しました。

本日は書写山円教寺から六角坂参道を経て、先日確認した道の跡をたどってご飯山に行くというルートを歩きます。

補足
今回私が歩いた道は、(現在閲覧可能な範囲で)古い地形図を調べても一切記載されていません。昔は書写山西側の山腹を送電線が通っていたので、当時の送電線巡視路、または送電塔建設工事用の道路など、地図に描く必要のない特殊な道だったのかな?

本日の行程は、次の通りです。

  1. 六角坂参道入口の駐車場に車を置く
  2. 路線バスで書写山ロープウェイ山麓駅へ
  3. ロープウェイで書写山上へ
  4. 書写山円教寺を見学
  5. 六角坂参道を下る
  6. 六角坂参道途中からご飯山への道に入る
  7. ご飯山で昼食
  8. ご飯山の一般登山道で下山
  9. 市道を歩いて六角坂参道入口へ戻る

私にとって山歩きはあくまでも趣味であって苦行ではありませんから、楽をしたいし、高いところが好きな私にとって楽しいロープウェイを使いました。

お昼ご飯にちょうど良い時間にご飯山へ到着できるよう、とにかく早くて楽な移動手段を使っています(路線バス、ロープウェイ、マイクロバスを利用)。


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

姫路市街から駐車場へ

08:15
姫路市街の自宅を車で出発。

姫路市の中心部から書写山方面へ続く県道67号線(通称:書写街道)を北上し、「横関(よこぜき)」交差点を左折して書写橋で夢前川を渡ります。

ここからは県道545号線(石倉玉田線)。

県道545号線を道なりに西へ2.6km進むと、山陽自動車道の高架をくぐる200mほど手前にセブンイレブン(姫路六角店)があります。このセブンイレブンを過ぎてすぐの三叉路を右折。ここからは市道です。

市道を道なりに550m進んだところで、入口にカーブミラーのある細い道へ入ります。カーブミラーには「書写山参道 六角坂」と書かれたプレートが付いていますし、その脇には「大年神社」「おなり道」と書かれた道標も立っていますので、見落とす可能性は低いでしょう。


▲ここを右折すると大年神社・六角坂

カーブミラーから細い道に入ってすぐの分岐を左に進めば、大年神社前の駐車場です。


https://maps.app.goo.gl/nrVV49omrvVwGq288
▲駐車場の位置

市道から駐車場への道は非常に狭いですが、3ナンバーの車でもギリギリ通れます。

08:37
大歳神社前の駐車場に到着(地図中「P」)。


▲駐車場の様子

駐車場からロープウェイ山上駅へ

08:40
靴を履き替えたりGPS受信機の衛星捕捉といった準備が完了したので、出発。

市道を南下し山陽道の高架をくぐって県道に出たら、セブンイレブンでちょっとお買い物。

その後、県道を南東へ進んで自動車整備工場とガソリンスタンドの前を通過します。

08:52
ENEOSのガソリンスタンド前を通過すると、間もなく大きな工場の前にバス停の標柱が立っているのに出会います。

ここは「床坂菅生台(ゆかさかすごうだい)」バス停。駐車場からおよそ800mです(地図中「床坂菅生台バス停」)。


▲床坂菅生台バス停(姫路駅方面行き)

ここから東にある書写山ロープウェイ方面へのバスに乗りますから、道路の北側(東行き側のバス停)でバスの到着を待たないといけません。

09:04
時刻表通りに姫路駅行きの路線バスが到着。

09:09
「書写郵便局前」バス停で降車(地図中「書写郵便局前バス停」)。
運賃はおとなひとり¥270です。

ヒント

姫路市やその周辺を走る路線バス(神姫バス)は、後ろのドアから乗車し、前のドアから降車します。運賃は降車時に運賃箱に投入する方式。ただし釣銭方式ではなく両替方式のため、現金で支払う場合はぴったりの金額を事前に用意する必要があります。運賃箱の両替機での両替も可能です(硬貨と千円札のみ使用可。高額紙幣と新500円硬貨の両替は不可。)。交通系ICカードでの支払いも可能です。乗車距離に応じて運賃が変わる方式のため、現金払いの場合は乗車時に整理券を取り、ICカードの場合は乗車時にカードリーダーにタッチしなければいけません。乗車バス停の証拠になります。


▲書写郵便局前バス停

書写郵便局前バス停からは、「←書写山ロープウェイ」の案内標識に従って夢前川沿いの道路を北へ。


▲夢前川を右に見ながら北へ進む

500mほど進んで山陽道の高架をくぐった直後の分岐を左に入ると「書写山ロープウェイ」の看板が付いたロープウェイの駅が見えるので、そちらへ向かいます。


▲書写山ロープウェイ山麓駅

09:19
書写山ロープウェイ山麓駅に到着(地図中「書写駅」)。

ロープウェイは毎時00分、15分、30分、45分に発車しますから、少し前に出発したところでした。

次は09:30発。券売機で片道分の乗車券(¥700)を購入し、階段下の待機場所で出発3分前まで待ちます(出発の3分前に改札が開きます)。

09:30
ロープウェイが山麓駅を出発。

09:34
山上駅に到着(地図中「山上駅」)。

ロープウェイの中で頑張って景色を撮影しようとするお客さんもいましたが、ロープウェイに同乗するガイドさんもおっしゃる通り、景色は山上の展望台「ミオロッソ書写」から思う存分楽しめます。

ロープウェイ車内での撮影は他の乗客やスタッフさんのプライバシーの侵害になりかねないため、車内が映るような撮影は控えるよう券売機に張り紙がありましたので、ご注意を。


▲ロープウェイ山上駅に隣接するミオロッソ書写からは大展望を楽しめる

山上駅から書写山円教寺へ

山上駅を出ると、そこからは円教寺の管轄になります。


▲円教寺の志納所

入山にはお金がかかり、大人(中学生以上)は一人500円、小学生は300円、未就学児は無料です。

ただし、この金額はロープウェイ山上駅から徒歩で20~30分ほど歩いて摩尼殿などへ行く場合です。

昼ご飯にちょうどいい時間にご飯山山頂へ到着したいので、時間を節約するためにマイクロバスを利用しました。

志納所で大人(中学生以上)一人1,000円、小学生500円を支払うと、マイクロバスに乗るための「特志納バスチケット」なるものをもらえます。

09:36
志納所の先に待機するマイクロバスに乗車して発車時刻を待ちます(地図中「マイクロバス乗り場」)。

09:38
マイクロバスが発車*3

09:43
バスは歩行者用とは異なる未舗装の道(地形図の実線道と二条道路)を走り、摩尼殿の少し東の終点に到着(地図中「マイクロバス終点」)。


▲マイクロバス終点の様子(バスの左に写っている建物はお手洗い)

バスを下りて西へ進むと、はづき茶屋と舞台造りの立派な摩尼殿(まにでん)が視界に飛び込んできます。


▲マイクロバス終点から西へ数十メートル歩くとこの場所に出る(左ははづき茶屋。右上に摩尼殿が見える。)


▲はづき茶屋のメニュー


▲摩尼殿

ここで「姫路市」の腕章を着けた方から声を掛けられて(観光客向けの)アンケートに回答したところ、粗品として姫路城のイラストが描かれたクリアファイルを頂きました。これは嬉しい。

09:52
石段を登って摩尼殿の入り口まで行きましたが、登山靴は脱ぎ履きが面倒なので中へは入らず、摩尼殿の裏を通って西にある三之堂へ向かいます(地図中「摩尼殿」)。


▲摩尼殿の裏に付けられた道へ入った


▲道は細いが高低差は少なく歩きやすい

09:59
映画やドラマの撮影によく使われる三之堂(常行堂・食堂・大講堂)の前に出ました(地図中「三之堂」)。


▲三之堂のうちの食堂(左)と大講堂

食堂(じきどう)
 食堂は大講堂と常行堂と繋がっており、圓教寺の三つの堂として知られる三つの建物の西側を形成している。歴史的に、食堂は僧侶が修業し、寝て、食事をする居住空間であった。
(出典:現地の看板)

大講堂
 大講堂は、圓教寺の三つの堂として知られる三つの建物の最北端に存在している。名前が示すように、このお堂は講義の場所であり、圓教寺の境内の中で最も重要な建物の1つと考えられている。元の建物は10世紀に、花山法皇(968-1008)の命によって建てられたが、現在の建物の歴史は15世紀にまで遡る。その大陸と日本の折衷様式の建築デザインは、天台宗の特徴を備えている。たとえば、お堂の御本尊であり、歴史ある釈迦牟尼仏の像は、凹んだ中央の空間に収められている。像は中央が先細りになっている蓮台に鎮座している。その形は、物理的、形而上学的、および精神的な宇宙の中心を表す、仏教の宇宙論における神聖な5つの山からなる須弥山を表している。
(出典:現地の看板)


▲三之堂のひとつである常行堂

常行堂
 圓教寺の三つの堂として知られる三つの建物の南側に位置する常行堂は、無量光仏である金色の阿弥陀如来を祀っている。この建物の特筆すべき特徴は神聖な舞楽やその他の奉納に使用される前方の舞台である。現在の建物は室町時代(1336-1573)にさかのぼる。お堂の名前が示すように、ここは僧侶たちが歴史的に阿弥陀像の周りを阿弥陀経を唱えながら歩き続ける瞑想的な修行を行っている場所である。時に、この修業は食事と短い休憩だけで90日もの間続く。
(出典:現地の看板)

食堂は中に入れますが、今日は時間の都合があるので3つのお堂を眺めるだけにし、摩尼殿下へ引き返しました。

六角坂参道からご飯山へ

摩尼殿下にあるはづき茶屋の隣には、石の橋があります。
この橋の名前は湯屋橋


▲湯屋橋

 湯屋橋の名はこの辺りに湯屋(沐浴所)があったことにちなむといい、「播磨国飾磨郡円教寺縁起等事」によると、釜一口・湯船一隻・湯笥一・水船一口を備える四間板葺、西庇一面の湯屋を記し、特に釜は性空上人から依頼された出雲守則俊朝臣が鉄を集めて鋳造し人夫を整えて運搬したとある。
(出典:現地の看板)

10:14
湯屋橋を渡ったすぐ先で道は二手に分かれます。

左はロープウェイ乗り場から歩いてこられる参拝者の道で、右が六角坂参道です(地図中「六角坂参道分岐」)。


▲六角坂参道へ入った

下り始めて間もなく、何本かの倒木に道が塞がれていたのを避けて進むと、沢沿いの歩きやすい道になりました。


▲六角坂参道の様子

古くから存在していた参道らしく、石造遺物が多くみられます。

六角坂参道の入り口には室町時代の石造笠塔婆があるくらいですから、何百年も参拝者が歩き続けてきたのでしょう。


▲宝篋印塔や五輪塔の部品が乱雑に積み重ねられていた

最初は沢の右岸沿いを歩くように道が付けられていましたが、参道の半分ほどまで下ったところで道は沢の左岸へ移りました。

10:36
「六角 1km」の道標が設置された地点を通過(地図中「六角まで1km地点」)。

谷が広くなった場所で、石積みに囲まれた削平地が高まりの上に見られました。
昔はここにも何か建造物があったんでしょうね。


▲六角まで1km地点の様子

この先で道は再び沢の右岸に渡りますが、進むうちに沢と道の高低差がどんどん大きくなっていき、再び沢と道の高低差が小さくなる頃には沢の風景は一変し、巨岩だらけになりました。

ちょうど道の両側の斜面の等高線間隔が詰まっている辺りです。


▲両側が急斜面の区間は巨岩だらけ

谷が広くなると、道はまた沢の左岸へ渡ります。

10:50
堰堤の横を通過(地図中「堰堤」)。


▲堰堤

10:52
堰堤を過ぎてすぐ、ご飯山へ続く道が左へ分岐する場所に出会いました(地図中「分岐(1)」)。

これは、知っていないと分かりづらいと思います。


▲分岐の様子

この分岐は「ご飯山」方面へ入りました。道標はありません。

分岐に入ってから少しの間は六角坂参道と平行に道が続いているため、六角坂参道を歩く方から私が見えるわけですが、ものすごく不思議そうな顔をされました。

道の形ははっきり分かるものの、歩く人が少ないため枝や石が邪魔でちょっと歩きづらいところもあります。


▲道の形は明確

分岐からしばらくの間は六角坂参道との間に広い削平地があり、木々もまばらで明るい区間が続きます。

山際を歩く区間に入ると両側に植林が出てきて少し見通しが悪くなったため、野生動物に警戒しながら歩きました。


▲植林に挟まれた区間はちょっと不気味

ご飯山の登山道が近づいてくると、周囲は自然林に変わって明るくなります。


▲自然林の明るい道になればご飯山への登山道は近い

11:07
ご飯山の正規の登山道が右から合流する地点を通過(地図中「分岐(2)」)。


▲登山道との合流地点

分岐(1)と分岐(2)の間の区間には、くくり罠を仕掛けていることを示すプレートが複数個所で見られました。

「罠なんてないじゃないか」と周辺をウロウロしたり、落ち葉を払いのけたりしていると罠が作動する可能性があるため、不自然な場所に設置されたプレートやピンクテープの周辺には近づかないようにしてください。

「もうすぐお昼ご飯だ」とワクワクしながらご飯山への登山道に入ってすぐ、ハイカーさんとは雰囲気が違う男性に出会いました。

おそらく猟師さんだろうと思って声をかけるとやはりその通りで、私が見た罠もその方が設置されたようです。

どんな動物がいるのか聞いてみると、鹿とイノシシくらいで、それ以外はいない(クマは痕跡すらない)とのことでした。

猟師さんと別れ、谷沿いの道を南東へ進みます。


▲ご飯山への道の前半は広い谷沿いの道

標高100m付近で道は右へ折れ曲がり、急斜面を登った後、斜面をトラバースするように西へ延びていきます。


▲斜面をトラバースする道の様子

ご飯山の東にある鞍部から少し山頂方面へ進んだところには、大きな穴が4つ開いています。


▲大きな穴の内の一つ

初めてここを歩いた時は「ご飯山の山頂は香山砦跡だから、砦の遺構の一部かな?」と思った場所です。

しかし古い地形図を後日に確認したところ、この場所にはかつて送電線が通っていたことが分かり、鉄塔の跡だと判明しました。


▲大正時代に書写山の西側を通っていた送電線(出典:大正15年7月30日発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」。この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

送電塔の跡ですから、4つの穴を結ぶ線を引くと正方形になります。

iPhoneのLiDARスキャナで3Dスキャンしたところ、穴の間隔(穴の中心から隣接する穴の中心までの距離)は約6.3m、深さは約1m、穴の直径は約1.8m。


▲4つの穴のうち2つを3Dスキャンして得られた地面の断面図

鉄塔を引っこ抜いた跡を通過し、ご飯山の山頂にかつて存在した香山砦の防御設備の一つである堀切(深い溝。時間が経って今はすっかり埋まっている。)跡を通過すると、トラロープや鎖が張られた急斜面。


▲山頂直前は急斜面

滑りやすい急斜面を慎重に登り切ると、見晴らしの良いご飯山の山頂です。

ご飯山(昼食)

11:25
ご飯山の山頂(香山砦跡)に到着(地図中「ご飯山」)。


▲ご飯山山頂の様子

砦跡ですから、かつては小屋が建っていたかもしれない削平地があり、北側には削平地を取り囲むような巨岩があります。

巨岩の上で見張りをしたり、狼煙(のろし)を上げたりしたのかな。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/koyamatoride20240107/index.html
▲山頂(香山砦跡)で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2024年1月7日)

削平地の南側は急斜面で、その下に帯曲輪のような細長い削平地もあります。

山頂の広さは、東西方向、南北方向共に約16m。


▲ご飯山山頂(香山砦跡)の広さ(3Dスキャンして作成した地形データを真上から見た状態にして測定。画像の上が北。右に飛び出ている部分は登山道。)

巨岩を除いた削平地の広さは、東西が約10.5m、南北が約12mです。


▲削平地の広さ(3Dスキャンデータをもとに作成)

巨岩は、削平地(最も低い部分)との比高が約2.5mあります。


▲山頂の岩の高さ(削平地から岩の上端までの高さ)は約2.5m(3Dスキャンしたデータをもとに測定)

この山頂で頂く本日の昼食は、アメリカ軍の戦闘糧食「MRE」のメニュー番号4番「Spaghetti with Beef and Sauce」。


▲MREのパッケージ

書写山周辺は火気厳禁のため、メインディッシュのスパゲティはMREに付属する化学反応式のヒーター(水を入れると発熱する)で加熱し、温まるのを待っている間にMREに入っていたスティックパンにチーズスプレッドを塗っていただきました。


▲MREのスティックパン

スティックパンを食べ終わる頃にはメインディッシュもほんのり温まったので、景色を楽しみながら美味しくいただきました。


▲水で発熱するヒーターで少しだけ温まったメインディッシュのスパゲティ(冬の気温では、MRE付属の化学反応式のヒーターは力不足…)

下山

12:20
ご飯を食べ終わり、雪もちらつき出したので下山することにします。

もと来た道を引き返していたら、男性の叫び声のようなものが聞こえてきました。
私は山へ行く時は熊撃退スプレーを装備しているので、「ハイカーが野生動物に襲われているかも」と思いながらスプレーを持って下っていくと、そこにいたのは先ほどの猟師さん。

足元にはメスの鹿が1頭横たわっています。
男性の叫び声に聞こえたのは、どうやら罠にかかった鹿の声だったようです。

滅多にない機会なので、登山道から道なき斜面を登り、罠を詳しく見せていただきました。

鹿から外した罠を再び現場にセットする様子を見せていただきましたが、これは絶対に分かりません。


▲罠を仕掛けた場所の様子。画像の中央付近の落ち葉や枝の下に罠の本体がある。(矢印の位置に目印のピンクテープがわずかに見えている)

山歩きをしていて、登山道から離れた所に県知事の許可を受けた旨の標示やピンクテープを見つけたら、絶対に近づかないでください。

人が被害を受けないようにするため、罠は登山道以外の場所に設置されますし、罠が設置されていることが分かる標示がありますから、登山道を外れず、不審なものに近づかない限りは安全です。

12:37
分岐(2)まで戻ってきましたが、下山時には正規の登山道よりも六角坂への道の方が目立って見えるように感じました。ご注意ください。

ここからはご飯山の登山口方面へ進みました。


▲下山時は六角坂への道に迷い込みやすそう

12:39
ご飯山の登山口から市道へ出ました。

12:45
市道を歩いて大年神社の駐車場に到着。

荷物を車に置き、無事に山歩きを終えられた感謝を伝えるために大年神社にお参りをしてから帰路につきました。


▲大年神社

交通アクセス

  • 公共交通機関を使われる場合、書写山ロープウェイへはJR姫路駅または山陽姫路駅前のバス停を出発する路線バスで行くことができます。神姫バス検索サイトで出発バス停を「姫路駅(北口)」、到着バス停を「書写山ロープウェイ(山麓駅・圓教寺)」として検索し、運行時刻や運賃を確認してください。
  • ご飯山からの下山後は、「床坂菅生台」バス停から姫路駅へ戻れます。ただし、本数は1時間に2本です。「床坂菅生台」バス停からおよそ600m東に位置する「県立大工学部」バス停まで歩けば、バスの本数は増えます(1時間に4本)。

参考情報

  • お手洗いは六角参道の駐車場に仮設トイレが、ロープウェイの駅や書写山山上に水洗式のトイレがあります。
  • コンビニは、自家用車利用の場合には六角参道近くのセブンイレブンが、公共交通機関利用の場合は、姫路駅周辺のコンビニが利用できます。
  • 書写山の摩尼殿下にある「はづき茶屋」では、うどんやおでん、おにぎりなどが提供されています(営業は10:00~15:00)。
  • 飲料の自動販売機は、ロープウェイの駅や「はづき茶屋」にあります。
  • ご飯山の南には、天神山(山城跡と古墳がある)があります。書写山とご飯山では物足りない場合や、一つでも多くのピークに行きたいという場合には併せて天神山を歩かれてはいかがでしょうか。ただし、道の一部は不明瞭で急斜面の区間がありますし、展望が良いわけではありません。山城マニアやピークハンターでなければ、楽しくないかも。

関連情報

六角参道入口の看板では、西坂から刀出まで山すそを通る御幸道と呼ばれる道の痕跡があるとされています。

御幸道(おなりみち)

御幸道とは花山法皇が西暦1002年(長保四年)書写山「円教寺」の開祖「性空上人」の隠居所「通宝山弥勒寺」(所在地夢前町坪)を訪ねたとき通られた道とされています。御幸道は「書写西坂」「床坂」から六角「大年神社」の東あたりを経て万燈山すそを「刀出墓地」へ、
山際に見るからに昔の古道を感じさせる轍の跡と見られる痕跡がある天然石の橋があります。
(出典:現地の看板。設置者不明。)

気になったので調べたところ、昭和50年代と大正時代に書かれた本が見つかりました。
それらの本によると、本来の御幸道(ごこうみち*4)は、姫路市青山から六角までの間にあったとされています。

花山天皇・御幸道
(姫路市)六角から青山の間の道を御幸道といい花山法皇(984-86)が書写山へ御幸の道。今宿・晶楽寺への道を御車道といい花山法皇の御幸の時の道。花山法皇が書写山へ御幸の折安室村草上寺を御居館とされたが書写の政所・峯大炊頭信綱は女・小芝を奉り御薗の構・峯の薬師辺りに御館を建てた。またこれは後醍醐天皇(1318-39)の折ともいう。花山法皇が書写御臨幸の折御冠を置いた岩を冠岩という。
 田井村の南に白河法皇(1072-86)が書写登山の道筋といい王院の馬場がある。また白河法皇へ御馳走のために国司より馬場を立てた地という。四辻の車寄は白河法皇が登山の鳳輦*5を寄せられた所。
(出典:玉岡松一郎 編著『播磨の伝説』,第一法規出版,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12467996 (参照 2026-01-29))

御幸(みゆき)の跡(飾磨郡曽左村・其他)
書写山を中心として、天皇御幸に関する伝説のあるところ、かなりに沢山ある。
 【其一】曾左村大字六角から、余部村大字青山の間の道(今にある。通宝寺の道である。)は、書写山へ花山法皇御幸の道(白川院又後醍醐天皇の御幸道もこれといふ。)言ひ伝えて、御幸道と呼びならされている。(口碑*6
 【其二】西国巡礼道の往来から北へ入ったところの道(今、わづかに残っている。)は、今宿(今、高岡村大字今宿。)晶楽寺へ、花山法皇御幸の時の御車道と言い伝へられている。(口碑)
 【其三】花山法皇、書写山へ御幸の折、安室村草上寺を御居館(今、其址、田地となるといふ。)とされた時、書写の政所峯大炊頭信綱は、女小芝といふを、御慰みに奉り、御薗の構、峯の薬師の辺に、御館を建て奉ったといふ。此辺に、六本の松のあつた所、今、御薗といふ御館の跡は御立(安室村の字名に残る。)と言い習はされている。(この伝説、「あだ物語」には、後醍醐天皇の折と見えている。其時天皇の御製に、『しほしこと慰みあそぶ園の花小芝の床をいつか忘れん』とある。附会の御製也。*7
 【其四】花山法皇、書写御臨幸の折、御冠を置せたまふた岩といふ冠岩は、飾磨の辺といふことである。(「播磨鑑」)
 【其五】田井村の南、俚俗*8に白河法皇書写御登山の時の御道筋と言はれるところは、王院の馬場とも呼ばれている。一説に白河法皇へ御馳走のため、国司より馬場を立てた地とも言はれている。(「名所図会」「播磨鑑」)
 【其六】書写山坂本の四辻の場所。白河法皇御登山の鳳輦を、此処に寄せられたといふので、車寄の名を残している。(「播磨名所巡覧図会」)
 【其七】安室村大字田寺にある御所清水と呼ばれる清水は、後醍醐天皇書写へ御登山の時水調進の故事あるところと言はれている。(「播磨鑑」)
 【其八】青山村に、嘉右衛門屋敷(所の長の屋敷。)と言はるるは、後醍醐天皇の御館となりし屋敷と言はれている。(「播磨鑑」)
(出典:藤沢衛彦 編『日本伝説叢書』播磨の巻,日本伝説叢書刊行会,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/953573 (参照 2026-01-29))

*1:兵庫県立考古博物館がWebサイトで公開している「兵庫県遺跡地図」の「遺跡地名表」によると、この場所は遺跡番号「020070」で「書写城山遺跡(しょしゃしろやまいせき)」とされており、遺跡の範囲は山頂とその周辺のみです。

*2:赤松義俊の子、権頭源六角為持がこの付近に村を興したことから、六角という地名になりました。

*3:発車時刻は毎時15分、38分、55分です。

*4:六角参道入口の看板では「おなりみち」とふり仮名が書かれています。

*5:ほうれん。鳳凰の飾りがついた、天皇専用の乗り物のこと。

*6:古くからの言い伝えという意味。

*7:「附会の御製也」は、「この短歌が明確な証拠もないのに天皇の作であると言われている」という意味。

*8:りぞく。田舎や郊外のこと。