播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

姫路市の増位山(258.9m)に随願寺裏道から登る

概要

今週は微熱と咳が続いて絶不調。

しかし、明日2月23日(日)は姫路城マラソンが開催され、そのコース近くに住んでいる私は終日自宅に引きこもる必要があります(道路が封鎖されて動けない)から、少しでも体を動かしておこうと思って山へ出かけてきました。

体調が悪化しても困るので、標高差が小さいコースで散歩し、日にあたりながら景色を楽しみ、即席ラーメンで作る「ラーメン雑炊」を食べることにします。

行き先は姫路市街地の北にそびえる山塊の東端、増位山(ますいやま。標高258.9m)です。

車で標高200mまで上がれるため、風邪気味でも体にほとんど負担がかかりません。


▲増位山山頂の様子

本日の行程は、次の通りです。

  1. 車で随願寺の駐車場(標高200m)に上がる
  2. 随願寺裏道を通って増位山山頂へ
  3. 増位山で昼食
  4. 随願寺境内を経由して駐車場に戻る

今回の山行と直接関係はありませんが、増位山という名前(しこ名)をもつ力士(増位山 太志郎。三保ケ関部屋。最高位は大関。)がいました(現在は演歌歌手)。

その父は姫路出身の力士で、しこ名が増位山大志郎。息子であり後に演歌歌手に転向した増位山太志郎氏はそのしこ名を受け継ぎ、「大」を「太」に変えたそうです(参考:日本経済新聞 2014年5月19日 15:30配信の記事)。


▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

姫路市街から駐車場へ

10:45
姫路市街の自宅を車で出発。

姫路城の東を南北に走る県道518号線(野里街道)を北上し、競馬場の北東にある「白国」交差点を右折。

「白国」交差点からおよそ700mの「随願寺入口」交差点を左折して少し走ったら、「増位山随願寺 1.8km」の案内標識に従って右折し、坂道を登っていきます。

斜度はきついですが、中央線のある幅の広い道路ですから、運転は楽です。

坂道を登り切ったところに広い駐車場があるので、そこに車を置きました。


https://goo.gl/maps/BDVvPFNRLPNPc5jx5
▲随願寺の駐車場の位置

11:05
駐車場に到着(地図中「P」)。


▲駐車場の様子

駐車場の南東には公衆トイレがありますが、清潔とは言いづらいです。
事前に他の場所で済ませておいた方が良いかも。


▲駐車場にある公衆トイレ

駐車場から増位山山頂へ

11:10
準備が整ったので出発。

駐車場から北に出たら、蛇ケ池(じゃがいけ)を左に見ながら公園内を北へ進みます。


▲駐車場の北端から公園に入る


▲蛇ケ池を左に見ながら公園内を北に進む

11:11
池の北端辺りに下の画像の道標があるので、それに従って山道に入りました(地図中「登山口」)。


▲随願寺裏道への道標

随願寺裏道に入ると間もなく二股の分岐に出会いますが、左に見えるあずまやの方へ進むのが正解。

11:13
あずまやの前を通り過ぎ、反対側にある道の続きに入ります(地図中「あずまや」)。


▲あずまやの向こうに道の続きがある

あずまやを過ぎてすぐ、茶色く汚れた国有林の看板が立つ丁字路に突き当たったら右折。

ここからは静かで気持ち良い小径が続きます。

人の気配がなく、イノシシが活動している痕跡があるので、一人で歩くときは動物避けのためにクマよけ鈴ラジオを鳴らしておくのが良さそう(私はクマよけ鈴と熊撃退スプレーを常備しています)。

稜線上に削平地が何段も並んでいて、かつては山城のような役割を果たしていた場所であることが分かります(山岳寺院は基本的に斜面の削平地や谷間に建物を作り、稜線上には作らないですから、これらの削平地は山岳寺院関連ではなく、北の谷間から攻撃された場合に備えた軍事施設の跡かも知れません。)。


▲切岸(きりぎし。断崖のこと。)を周囲に持つ削平地が稜線上にいくつもある

途中で道が分かりづらくなる広い削平地に出会っても、南東に進むことを意識しながら歩けばすぐに道の続きは見つかります。

11:24
東尾根ハイキングコースと合流しました(地図中「裏道分岐」)。
公設の道標が立っていますが、それには裏道方面を示す矢印はありません。

代わりに、北西への道が裏道であることを示す手作りの板がぶら下がっていました。


▲右からハイキングコースが合流する場所の様子(ここは直進)


▲分岐の道標(この公設の道標では三叉路ではなく道が直角に折れ曲がるだけに見える)

この先は一般的な東尾根ハイキングコースですから、今まで歩いてきた随願寺裏道よりずっと歩きやすい道になります。


▲よく整備された遊歩道が続く

11:27
古墳展望台に出会いました(地図中「古墳展望台」)。


▲古墳展望台(展望は無い)にある古墳

ここで右に曲がり、小さな谷を堰堤で塞いで水を貯めた池(ここには黒田官兵衛の叔父が守っていた有明山構居があったので、その水の手?)を右に見ながら、堰堤の上を歩いて南に進みます。


▲古墳展望台近くにある人工的な池の堰堤上を進む(右奥の斜面の上は有明山構居跡)

下の写真の分岐に出会ったら、左の坂を上ります。


▲増位山山頂へ続く坂道に入る

山頂(昼食)

11:31
分岐から「三角展望台」方面への坂を上り切ったところが増位山の山頂です。


▲「増位山山頂展望台」と書かれた古い標柱

ベンチがあるので、そこに座って昼食を頂くことにしました。

本日の昼食は、イトメンの「チャンポンめん」にアルファ米と溶き卵を入れた「ラーメン雑炊」です。


▲本日の昼食のために持ってきた食材


▲完成したラーメン雑炊

風邪気味なので、温かくてあっさりした雑炊が最高。

増位山の山頂からは、北東に畑山、そこから時計回りに笠松山、善防山、庄山、高御位山、桶居山、麻生山、仁寿山、御旅山、甲山、そして姫路市街地という具合に、東側180度の展望が楽しめます

景色を見ながら食事をしていたら、単独の女性ハイカーさんに「播磨の山々の方ですか?」と声を掛けられました。

私のブログの読者さんとのことで、私の様子を観察していてその結論に達したとのこと。やはり女性の鋭さには驚かされます。

アクセスカウンターでブログにアクセスする方の人数は確認できますが、実際に声をかけていただけると、単なる数字ではない実感があって、アクセス数が増えるよりずっと嬉しいです。

声をかけていただき、ありがとうございました。

下山

12:20
食事と展望を満喫したし、今まで私を暖めてくれていた太陽が雲に隠れてしまったので下山開始。

12:26
裏道分岐まで戻ってきました(地図中「裏道分岐」)。
ここから随願寺方面へ入ります。


▲道標で「増位山梅林・随願寺」と書かれている方向に進んだ

12:27
分岐から間もなく、立派な墓所に出会いました(地図中「榊原政邦夫妻の墓所」)。


▲榊原政邦夫妻の墓所

姫路城主 榊原政邦と夫婦の墓所
榊原家は江戸時代初期と中期の二度姫路城主となっている。榊原政邦は、宝永元年(1704)越後国村上城から移封され、二度目の榊原家姫路城主となった。政邦のあとは、政祐・政岑・政永と続く。
政邦は享保11年(1726)、52歳で亡くなるまでの22年間にわたり、特に民政に心を傾け善政を続けたといわれている。遺言によりここ増位山に葬られ、墓碑には故式部大輔、従四位下源朝臣と刻まれている。
政邦の夫人は享保14年(1729)江戸で亡くなったが、同じく遺言により政邦と並んで葬られている。

姫路市教育委員会
姫路市文化財保護協会
増位中学校区夢プラン実行委員会

(出典:現地の看板)

墓所前の石段を下り、石燈籠の前を通ってさらに階段を下ったら、防獣ゲートを開閉して梅林に入ります。


▲防獣ゲートを開けて梅林に入る

地形図に描かれている通り、梅林はそれなりの広さがあり、斜面に作られた何段もの削平地(梅林)が複雑につながっています。

今回私は上の画像の防獣ゲートを開けて最初の梅林に入った後、右へ進んで別の防獣ゲートを通過し、階段を下った後、西へまっすぐ進むというルートで梅林を抜けました。

放生池(ほうしょういけ)(地図中「放生池」)の北で石段(途中で分岐しますがどちらに進んでも問題なし)を登ると、随願寺の本堂前に出ます。


▲放生池の北にある古い石段を登る

12:35
随願寺の本堂に到着(地図中「本堂」)。
手を合わせ、本日も無事に山歩きを楽しめたことのお礼を心の中でお伝えしました。


▲随願寺本堂

増位山 随願寺
 播磨天台六山の一つ。史料では増井寺とも記される。寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが、天長10年(833)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。平安時代には諸堂が整備され、山上には36坊もある大寺であったという。天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。

増位中学校区夢プラン実行委員会

(出典:本堂前の看板)

駐車場へ帰るには、本堂に向かって左へ進みます。

本堂から左に進むと、色鮮やかな唐門のある墓所に出会いました。


▲榊原忠次墓所

榊原忠次墓所唐門
 国指定重要文化財・平成21年6月30日指定
 形状 正面1間、側面1間、向唐門、本瓦葺き

 榊原家は、徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つに数えられた。なかでも忠次(1605~1665)は、文武両道に優れた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。
 唐門は本堂の西側にある市指定史跡・榊原忠次墓所の正門であり、瓦銘から享保16年(1731)の建立である。
 おおらかな構の建築であるが、細部も丁寧に造られ、唐破風を正面に向けたいわゆる向唐門である。垂木鼻、拳鼻、桟唐戸、柱等随所に錺金具の痕跡が残っており、きらびやかな建物であったことが想像できる。
 碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。
 榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから館林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て慶安2年(1649)、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれている。
 この碑文を一字の誤りもなく読むと、碑石の「カメ」が動くという伝説がある。

平成21年7月 姫路市教育委員会

(出典:現地の看板)

さらに西へ進んだところにあるのは開山堂(地図中「開山堂」)。


▲開山堂

開山堂 附厨子一基
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定

 開山堂は、正面三間、側面三間、背面半間通り下屋付の方三間のお堂である。平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へちょうど間半分をずらしている。
 平成9年度から行なわれた解体修理の際に、承応3年(1654)の墨書と「寛永18年(1641)2月吉日」の墨書が発見された。随願寺に現存する建造物の中でも最古の建築である。

平成21年7月 姫路市教育委員会

(出典:現地の看板)

その開山堂の左にある未舗装の車道を登り、峠を越えて反対側へ下ると駐車場です。


▲未舗装の道路を進む

12:43
駐車場に戻ってきました。

交通アクセス

随願寺まで運行している路線バスなどの公共交通機関はありません。

鉄道を使われる場合は、JR播但線の野里駅が最寄りです。野里駅から随願寺駐車場へは、およそ2.5km。

路線バスを使われる場合は、白国バス停が最寄りです。JR姫路駅北口から白国バス停までは、ダイヤ通りに運行すれば所要時間は15分、運賃は¥250です。バス停から随願寺駐車場へは、およそ2km。

参考情報

  • 登山口の最寄りのコンビニは、「白国」交差点から東へ約130mにあるローソンです。