播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

旧藤森家住宅(兵庫県姫路市)の清掃作業に参加してきました

重要!

この記事で紹介している旧藤森家住宅は、2025年4月以降に一般公開される予定です。正式に一般公開が始まるまでは、見学に行っても敷地に立ち入ることはできません。

概要

町の回覧板で面白そうな案内が回ってきました。

私が住む小学校区にある立派な古いお屋敷(無住)の清掃作業の案内です。なんでも、2025年の春頃から定期的に一般公開する予定で、それに先立って地元住民で整備しようというお話。

一般公開前に内部を見られるという特権付き。

面白そうなので、本日はその清掃作業に参加してきました。


▲旧藤森家住宅本館(庭の清掃作業中に撮影)

 旧藤森家住宅は、姫路城西方の船場地域に所在する医家の旧邸宅です。本町にあった藤森耳鼻咽喉科(平成31年(2019年)に閉院)元院長藤森春樹氏の父である眞治氏が、敷地と共に茶室などを購入し、昭和15年に現在の屋敷構えを整えました。平成27年(2015)の寄付により、姫路市の所有となりました。
 東西約50m、南北約40mの敷地東側に本館などの住居関連の建物を配し、北西部は西方庵や待合などを配した露地空間、南西部は庭園としています。
 全体として良質な近代和風住宅で、中心市街地にありながら戦災を逃れており、近代姫路市街地の歴史的景観を今に伝える貴重な遺構です。本館、産殿、西方庵、待合は「造形の規範となっているもの」として、水屋、雪隠、露地門、勝手門は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として評価されました。
(出典:清掃作業時に参加者に配られた資料)

参考情報
上の説明文に「中心市街地でありながら戦災を逃れており」とありますが、姫路市街地の空襲(1945年7月3日23:50~翌01:29)によって焼けた範囲は、下図の斜線部分です(姫路城の東にある格子状の部分は、それよりも前の空襲によって焼けた範囲)。

旧藤森家住宅は左下の赤丸の位置にあって、中心市街地を燃やした炎が200mほど東で止まったため難を逃れたようです(船場本徳寺やその南の学校には広い敷地があり、また当時はその周辺に田んぼが残っていたため、それらが防火帯的な役割を果たしたのかも知れません)。

中心市街地以外にも焼夷弾が着弾して焼けた場所(岩端町、車崎、東雲町など)が飛び地状にあったため、焼けていても不自然ではありませんでした。


▲米軍の戦術作戦報告書に掲載されている爆撃効果判定の地図(出典:Headquarters XXI Bomber Command「Tactical Mission Report (Mission No.247 250 Flown 3 July 1945))

清掃作業

09:30
清掃作業に参加される地元の方々の集合時刻です。20人以上が集まったように見えました。


▲挨拶を行う姫路市文化財課の職員さん

姫路市文化財課の職員さんや、旧藤森家住宅の管理を任されている団体の方による挨拶の後、屋内の清掃と屋外の清掃を行うグループに分かれて清掃作業開始です。

屋内の清掃の方が大変で人手がかかるということで、私は屋内の清掃作業に参加。

電気が使えないため、掃除機ではなく箒(ほうき)とちり取りでまずは大きなゴミやほこりを取り除き、その後に雑巾がけという工程で、いい運動になりました。

屋内の掃除が一通り片付いたので、続いて庭の清掃作業を手伝いましたが、こちらもほぼ作業は終わり。庭の各所に積まれた落ち葉や小枝、ゴミなどの山をゴミ袋に詰め込んで外へ運び出しました。

11:30
清掃作業が終了。

庭は見違えるようにすっきりし、室内も埃っぽさが無くなっていました。
こういった作業では、人数の多さは大切ですね。

本館

本日の清掃作業に参加した方の特権で、姫路市の職員さんの案内付きで邸宅内の見学会が始まりました。

まずは本館から。


▲本館の玄関

名称: 旧藤森家住宅
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1940年)
建築: 木造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積232㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
姫路市中心市街地に建つ海老原一郎設計の医家の本館。木造二階建外壁モルタル塗の住宅で、座敷廻りに洗練された数寄屋風の材料、意匠を用いる。鉄平石敷ポーチ付の玄関、直線的意匠の多用、水平連続窓の洋風応接室など、建築家らしい工夫も随所に見られる。
(出典:文化庁Webサイト)

玄関はガラスが多用されていて明るく、那智黒石が埋め込まれた面白い空間。


▲玄関の外側は鉄平石、内側は那智黒石

玄関を入ってすぐ左には、洋風応接室があります。

カーペットでほとんど隠れた床は寄せ木細工のような模様になっていますし、梁がむき出しになっていたり、天井から下がっている照明器具は洗練されたデザインになっていたり、大きな窓のおかげで室内は明るいし、昭和初期に作られたとはとても思えないおしゃれな空間です。


▲洋風応接室

この部屋の中央に置かれたテーブルが面白くて、テーブルクロスと天板を外すと火鉢になるという設計。


▲火鉢にもなるテーブル

この邸宅の所有者だった藤森真治氏は姫路市内の有力者(開業医であり、市議会議員や参議院議員にもなった)であったため、この応接室で当時の市長や政治家たちと会合が持たれることもあったそうです。

洋風応接室の奥には書院造の和室がありますが、そこも遊び心があり、格式の高い床の間にはなっていませんでした。


▲応接室の隣にある和室の床の間(違い棚ではなく通し棚になっているし、天井が網代模様になっていたり、天袋の扉が珍しい色合いになっている他、床柱に使われている赤松は樹皮の模様を残してある)

続いて、和室を出た所にある階段を上って2階へ。

この邸宅の所有者であった藤森氏は姫路で陸軍の連隊長だった賀陽宮恒憲王(かやのみやつねのりおう)の主治医を務めていたことから、宮家の方が滞在できるよう格式の高い和室をこの2階に設けたようです。

2階の和室は1階のそれとはまったく異なり、畳も上質ですし細かい部分の装飾にも華やかさがあります。

宮家の方が過ごされる空間ということで、御簾を取り付けるためのフックが鴨居の上に付いているのが面白い。


▲2階の和室にあるフック

和室の隣にある女中さんの控室と考えられる狭い部屋を覗いてから再び1階へ。

次に見学したのは、食事のための和室

一家だんらんを楽しめるようにするため、女中さんが台所で作った料理を和室に入ることなく提供できるよう、配膳棚が設置されています。


▲食事をするための部屋にある配膳棚(奥に台所が見える)

近年まで藤森家の方が暮らしていたため、台所は現代風に改装されていましたが、食器棚は建設当初のオリジナルだそうです。


▲作り付けの食器棚は建設当初のもの

産殿

本館を見終えたら、今度は産殿(さんでん=身分の高い方が出産のために使う建物)の見学です。

産殿は本館と内部でつながっていますが、本館とは床の高さが異なっており、産殿の方が高いため数段の階段を上がって入ることになります。

賀陽宮恒憲王妃の出産のために建てられた建物で、もとは旧濱本家住宅(現在の姫路文学館望景亭)にあったものですが、藤森家の本館を建てる際に移築されたそうです。


▲旧藤森家住宅産殿の床の間

名称: 旧藤森家住宅産殿
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1935年)
建築: 木造平屋建、瓦葺、建築面積69㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
本館の北に建つ。元は市内旧濱本家住宅別邸にあり賀陽宮恒憲王妃の出産に当てられた産殿。平屋建入母屋造桟瓦葺で、西から床構え付書院付き八畳と六畳を並べて南に縁を付し、東に廊下と洋室を付す。南縁は大判のガラス戸を建て高欄を付す。貴重な産殿の遺構。
(出典:文化庁Webサイト)

本来は出産後に解体される(出産を穢れとする考え方がある)ことから、産殿が残っていることは非常に珍しいそうです。

一度の出産に使うだけの「使い捨て」の建物とは思えない立派な内装で、藤森家では仏間として使っていたとのこと。

待合

玄関から外へ出て、引き続き他の建物の見学です。

最初は待合。茶会に招かれた方が、お茶の準備が整うまで待機していた小さなお部屋。


▲旧藤森家住宅待合(左奥が茶室)

名称: 旧藤森家住宅待合
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1930年)
建築: 木造平屋建、瓦葺、建築面積17㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日


▲待合の内部

解説
本館西、茶室との間に建つ待合。平面は南半を磚敷の腰掛待合、北半を土間、三畳座敷、水屋とする。屋根は切妻造桟瓦葺で、腰掛待合の庇は杉皮大和葺でひしぎ竹の化粧屋根裏とし、三畳座敷は煤竹の割竹天井にすさを散らした土壁とするなど趣向を凝らす。
(出典:文化庁Webサイト)


▲待合の隣にある雪隠(せっちん)内の様子(陶器の小便器があった)

名称: 旧藤森家住宅雪隠(せっちん)
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1930年)
建築: 木造平屋建、杉皮葺、建築面積0.9㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
待合の東に隣接して建つ雪隠。平面はおよそ一メートル四方の小規模な建物で、北西隅を斜めに切り欠き片開出入口扉を付す。屋根は招き屋根の杉皮葺で、内外壁は錆壁とし、北面に下地窓を開け、内部南寄りに陶器製の小便器を置く。待合と一連で景観を形成する。
(出典:文化庁Webサイト)

西方庵(茶室)


▲旧藤森家住宅西方庵

名称: 旧藤森家住宅西方庵
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1930年)
建築: 木造平屋建、瓦葺、建築面積48㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
敷地北西部で庭園に南面する茶室。六畳茶室、四畳半次の間、水屋からなり、屋根は入母屋造桟瓦葺で庭園側に銅板葺の庇を廻らす。茶室は全面竹簾の舟底天井で庭園に向け障子戸の大開口を取るなど開放的で、次の間へは露地を屋内に引き込む特徴的な構成とする。
(出典:文化庁Webサイト)

西方庵(さいほうあん)という名前は、裏千家14代家元の淡々斎(たんたんさい)によって付けられたもの。

(少なくとも私は)茶室というと狭い空間をイメージしてしまいますが、ここは開放的な広い茶室です。

壁は鉄粉を混ぜた土壁で、鉄粉が錆びることで模様が浮き出るという凝った手法で作られています。


▲錆びた鉄粉による模様が浮かび上がった土壁

舟底天井が印象的な室内ですが、「すさ」で模様が付けられた土壁も特徴的。


▲茶室の内部

茶室にはお手洗いも備わっていました。


▲茶室のお手洗い

水屋、露地門

茶室のさらに奥には水屋がありましたが、こちらは老朽化が激しいため一般公開する予定はないそうです。


▲旧藤森家住宅水屋

名称: 旧藤森家住宅水屋
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和前期(1930年)
建築: 木造平屋建、瓦葺、建築面積43㎡
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
茶室の西に建つ独立の水屋。平屋建切妻造桟瓦葺の押入付六畳に、北側を落棟の土間、その東西に雪隠、物置をそれぞれ突出させる。磨き丸太の棟木や桁を用いる上質な造りで、真壁造中塗仕上で腰は屋敷側を杉皮張、街路側を竪板張として歴史的景観を形成する。
(出典:文化庁Webサイト)


▲敷地内から見た露地門(敷地の北側にある)

名称: 旧藤森家住宅露地門
所在地: 兵庫県姫路市船橋町3-2
年代: 昭和以降
建築: 木造、瓦葺、間口1.6m
種別: 登録有形文化財(建造物)
登録年月日: 2022年6月29日

解説
敷地北面に街路から引き込んで建つ露地門。一間腕木門で両開き板戸を建て込む。屋根は切妻造桟瓦葺、欄間は土壁塗。本柱は節付の丸太、控柱は名栗仕上の材を用い、磨き丸太の棟木や桁と杉丸太垂木、竹の間垂木など、数寄屋風意匠で茶室への露地を形成する。
(出典:文化庁Webサイト)

最後に

地元にこんな立派なお屋敷があったとは知りませんでした。
知らなかったというより、「大きな家だなぁ」と思いながらこの建物の周辺を歩いたり自転車で走ったりしていたのですが、単に「お金持ちが暮らしている大きなおうち」という程度の認識だったのです。

今回は清掃作業に参加することでお屋敷の正体がよく分かりましたし、一般公開前にじっくりと見学することができ、充実した半日を過ごすことが出来ました。

予定では2025年4月から月に一回程度のペースで一般公開されるようですから、興味のある方は見学会にご参加ください。

交通アクセス


https://maps.app.goo.gl/tccG2HsWFQVeZXm46
▲旧藤森家住宅の位置

2025年4月以降に一般公開が始まった際に開放されるかどうかは分かりませんが、旧藤森家には敷地の南西隅に駐車場があります。

公共交通機関を利用される場合は、JR姫路駅の北側(山陽電車の山陽姫路駅の南)にある神姫バス乗り場を出発して西方面へ向かう路線バス(2番乗り場、3番乗り場、4番乗り場を出るバス)に乗り、「花影町(はなかげちょう)」バス停で下車すると便利です。バス停から旧藤森家住宅までの距離は、およそ200m。

路線バスで姫路駅へ帰る際は、旧藤森家住宅から北へ進み、東行き一方通行の国道2号線に出てから東へ進んだところにある「船場元町(せんばもとまち)」バス停が便利。船場元町バス停を通る路線バスは、すべて姫路駅へ向かいます(花影町バス停から姫路駅へ帰る場合は「今宿循環」線のバスに乗る必要があり、乗るバスを間違えると駅へ戻るのが難しくなりますから、お帰りの際は船場元町バス停がお勧め)。