播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

兵庫県たつの市の養久山と乙城跡

Googleマップを眺めていたら、最高地点でも標高100mに満たない低い山塊の中に「乙城(おとじょう)」なる城跡を見つけました。

地形図を見ると、その城跡のある山塊を縦走できるような破線道が描かれているので、ちょっとした山歩きも楽しめそう。

そろそろ気温も上がり始めて低山歩きがきつくなってくる季節ですから、低山を歩くなら今のうち、ということで出かけてきました。

乙城址(揖保川町養久字音城)
『日本城郭全集』によると、この城は建武年間(1334~1338)に高瀬小四郎景忠が播磨国守護赤松円心の命により築いたとある。1441年(嘉吉元)の嘉吉の変で赤松氏が断絶したため本城も廃城となったが、応仁の乱以後赤松氏の再興とともに本城も復興した。景忠以後景明、景弘、景光、景重、景久、景季と8代つづき嘉吉の変前までは白旗城赤松氏に属し、応仁の乱以後は龍野赤松氏の麾下となったとある。その間は城もなかった筈であるが、系図は続いていたようである。
 1560年(永禄3)龍野赤松氏と対立していた室山城主浦上政宗が乙城を攻略してここを居城とした。政宗は浦上村宗の子で、父と共に赤松氏と争をつづけていたが、1564年(永禄7)正月、赤松下野守政秀は室津に浦上政宗と急襲して政宗父子を殺害した。
 1578年(天正6)正秀の子赤松広秀は羽柴秀吉に追われて龍野城から乙城に移された。乙城城主となった広秀は、あらたに龍野城主となった蜂須賀正勝の麾下に入ったが、1585年(天正13)に城を出て、但馬竹田城へ移封され、その後乙城は廃城となった。
参考文献 兵庫県教育委員会編 兵庫県の中世城館・荘園遺跡

平成3年3月30日
揖保川町教育委員会

(出典:現地の看板 原文まま)


▲野田地区から見た養久山山塊


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「龍野」


▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

09:25
姫路市街の自宅を車で出発。

姫路バイパスを西進し、揖保川大橋で揖保川を渡ってすぐの角(井河原産業の建物の直前)を左折します(左折用の車線があります)。

道は急角度のヘアピンカーブで右へ曲がり、姫路バイパスの下を通過して北へ進みます。

姫路バイパスの下をくぐってからおよそ700mで県道120号線に合流し、そのまま北へ進むと、県道120号線に入ってから1.2kmほどの場所(道の左にある配水塔を過ぎてすぐの場所)に小さな橋(野田橋)があります。
その橋は渡らず、橋の直前で左へ分岐している細い道に入ります

左の道に入るとまたすぐ分岐がありますが、そこもへ。

すると、先ほど見た配水塔のある「野田水源地」への入り口に出合うので、そこから水源地の敷地へ。

ここは、野田水源地公園の駐車場です。


▲野田水源地公園の入り口(奥の配水塔は上部に300立方メートル、下部の受水槽に2000立方メートルの容量がある)

事前の下調べにより、今回歩く山塊は「養久山遊歩道」という名前で、ハイカー向けには駐車場として野田水源地公園などが案内されていることが分かったため、ここに車を置いたというわけです。


https://goo.gl/maps/uCZRdCx8Dm6fxAxk9
▲野田水源地公園の駐車場の位置

09:55
野田水源地公園の駐車場に到着(地図中「P」)。
靴を履き替えて準備を整えます。


▲駐車場の様子

10:01
準備が整ったので出発。

駐車場を出て西へ進み、4つ目の角を右に曲がって路地のような細い道を北へ向かうと、日吉神社へ続く道に入れます。


▲日吉神社へ続く道の様子

10:08
日吉神社に到着(地図中「日吉神社」)。


▲日吉神社

拝殿でお参りをしたら、拝殿に向かって右にある防獣ゲートを開けて登山道へ。


▲拝殿に向かって右に登山口がある

ゲートは2つの掛け金と1本の閂(かんぬき)で固定されていますが、閂はゲートが必要以上に開かないようにするためのもので、掛け金を外すだけでゲートは開きますし、閂はまたいで通れました。

ゲートをくぐったら、右上へ延びるなだらかな道で稜線に向かいます。


▲日吉神社から稜線へ続く道の様子

稜線に出たところは、丁字路になっています。
右は地形図通り尾根の東端へ続く破線道で、今回のルートは左。


▲丁字路に立っている道標(今回のルートは「遊歩道」方面)

ここからは、稜線上をなだらかに登ったり下ったりしながらの気楽な散歩です。
まだ虫は少ないし、蜘蛛の巣もほとんどないし、(神社に防獣ゲートがあったので警戒していましたが)野生動物の気配もまったくありません。

足元は落ち葉でふかふかですし、頭上は新緑のさわやかな緑で気持ちが良い。
昨日までとは打って変わって涼しく、最高の散歩日和です。


▲稜線上の道の様子(今回のルートの大半がこのような雰囲気)

展望はありませんが、気持ち良さの方が勝っていて、展望がないことが全く気になりませんでした。

道沿いにはたくさんの墳墓跡があります。

道端にプレートがぽつんと置いてあるだけで「何がどうお墓になっていたんだ?」と思うようなところもあれば、木々がそこだけ生えておらず、円墳っぽい形状が明らかなところもあります。

プレートには「〇号」と「〇号」の2種類の表記が見られました。

専門家の方に話を伺う機会があったので聞いてみると、古墳時代に作られたものが墳で、それ以外の時代のものが墓だそうです。


▲養久山古墳墓群の18号(わかりやすい古墳)


▲道端にプレートが置かれているだけの場所もある(矢印が指しているのは25号のプレート)

10:30
分岐に出合いました(地図中「養久分岐(1)」)。

左折して南への道(養久方面)に入ると、(地形図の破線が正しいとすれば)尾根の南端近くにある送電塔や、一本東の尾根を通って麓へ続く道に入ると思われます。

今回は「乙城跡」方面へ。


▲養久分岐(1)の道標

10:33
分岐から西へ下った鞍部には、古い石仏があります(地図中「峠跡」)。

ざっと見た限り峠道らしきものは分かりませんでしたが、かつてはここを越えて山の南北で行き来があったのかもしれません。


▲鞍部(峠跡?)にある石仏

10:35
鞍部から西へ上り返したところにはきれいな東屋(あずまや)があり、南方面の展望が開けていました(地図中「東屋」)。

今回のルートで景色を楽しめるのは、この場所だけ。
個人的には、養久山山塊で食事休憩をするとしたら、この東屋が適していると思います。


▲東屋


▲東屋から南方面の眺め(左端に野田水源地公園の配水塔が見えている)

10:38
道は東屋のある場所で90度右に曲がり、北へ進みます。
小ピークの南を巻くように道が西へ向きを変えるあたりで、崩壊して地面に倒れている看板を見つけました。


▲崩壊した看板

これは乙城跡に関する説明が書かれたもので、この記事冒頭の乙城に関する説明は、この看板の内容を書き写したものです。

崩壊した看板の北へ斜面を登ると、そこが乙城跡(地図中「乙城跡」)。

看板が落ちていた斜面の上端は土塁で、そこから北へ城跡が広がっています。


▲乙城跡南端の土塁


▲主郭と土塁の間にある大きなくぼみ(山城跡では、こういった丸い窪地が時々見られます)


▲主郭跡は雑木ヤブ

見どころは城跡南端の土塁跡と窪地くらいでしょうか。

乙城跡を見終わったら、稜線伝いに南西へ。
城跡を過ぎてしばらくすると、植林が出てきて道の様子が今までとは変わりまます。


▲道の左側が植林になった

10:47
また分岐に出合いました(地図中「養久分岐(2)」)。

この分岐を「養久」方面に進めば、谷間の住宅街へ下りられそうです。
今回は「1号墳」方面へ。


▲養久分岐(2)に立っている道標(「1号墳」方面へ進んだ)

10:48
送電塔の真下を通過(地図中「西播龍野線38番鉄塔」)。
この送電塔の真下には、養久山古墳墓群の6号墓があるようです。

植林はこの付近で姿を消し、また道の両側は自然林に戻りました。


▲西播龍野線38番鉄塔の下をくぐる

99.2m三角点ピークの直前には、「養久山1号墳 これより60m」の道標が立っていました。

ここから西へ送電線の巡視路が伸びていましたが、どこへ続いているのかは不明です。


▲養久山1号墳への道標

この道標の立っている場所は特にプレートがないのですが、いかにも石室の天井石と思われるものが露出しています。


▲1号墳への道標が立っている場所も古墳跡(?)


▲99.2m三角点ピークの四等三角点標石(点名:養久)

10:53
養久山1号墳に到着(地図中「養久山1号墳」)。
私のような素人が見ても、前方後円墳だとはっきり分かる形をしています。

柵で囲まれていますが柵には開口部がありますし、柵の内側にベンチもありますから、中に入っても良いということでしょう。


▲養久山1号墳(手前は前方部で、奥の高まりが後円部)

県指定文化財 養久山一号墳
古墳時代前期(三世紀)の全長三十二Mの前方後円墳。一九六七年(昭和四二)の発掘調査により、前方部の墳形などから、最古形式の前方後円墳として注目された。
(出典:現地の標柱)

前方部から後円部に向かって右側に道の続きがあります。
柵の開口部からその道の続きに入ると、直進と左折の分岐がありました。

一見すると分岐がないまっすぐな道ですが、道標があるので分岐だと認識できます。


▲1号墳から南西に進んだところにある道標

下山するには、道標に書かれている通り「本條」方面へ左折しないといけない(直進した場合の行き先の記載はない)ため、とりあえず道があるのか無いのか分からないような斜面を南へ下ったところ、やがて道がはっきりしてきました。

その後は、荒れた竹林の中へ。
下の画像では倒竹が酷いように見えますが、人が通れる空間はしっかり空いています。


▲荒れた竹林を通る

竹林を抜けた先は「廃墟?」と思ってしまうような資材置き場です。


▲竹林を抜けたらこんなところに出合う(通っていいのかな?)

11:05
この近くの方が所有すると思われる車が資材置き場の前に置かれていたので、その横をすり抜けて道路に出ました(写真を撮っているところを見られてトラブルになっても困るので、降りてきた場所の写真は撮っていません)(地図中「下山地点」)。

ここには、養久山遊歩道総合案内板が立っています。


▲今回の下山地点に立っている「養久山遊歩道総合案内板」

この後は、スマホのGoogleマップアプリで道を確認しながら、野田水源地公園の駐車場へ戻りました。

11:30
駐車場に到着。

今回私が下山に使用したルートは、下山地点が私有地っぽい雰囲気のためお勧めしません。

養久山1号墳を見た後は引き返し、養久分岐の(1)か(2)から下山した方が良さそうです。


交通アクセス

野田水源地公園の駐車場が開いているのは、08:30~17:00です。

公共交通機関を利用する場合はJRの竜野駅が最寄りで、駅から日吉神社までおよそ3kmあります。
今回の下山地点から竜野駅までの距離は、およそ2km。


関連情報

近くには、永富家住宅があります。
古い建築に興味がある方は、こちらも見学してみてはいかがでしょうか。

下のブログ記事は古いため、行かれる場合は最新の情報を事前にご確認ください。