播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

利神城の本丸跡にガイドツアーで登る

石垣が崩落する危険があるため通常は立入禁止になっている利神(りかん)城跡に、ガイドツアーで登ったのは2021年12月7日のことでした。その時に行けたのは、安全上の理由から三の丸跡まで。

それから3ヶ月が経った2022年3月11日の神戸新聞に「佐用の国指定史跡・利神城跡 13日からガイドツアー山頂まで拡大」の記事が掲載されました。
それによると、山頂の石垣などの修復工事が進んだことで、本丸跡までガイドツアーで立ち入れるようになったとのこと。

というわけで、積雪期で中断されていたガイドツアーが再開する初日でもあり、また本丸跡へ入れるツアーの初日ともなる本日、再度利神城跡へ行ってきました。

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▲昼食後、本丸跡から下りてくるツアー参加者

私が参加したのは、佐用山城ガイド協会主催の「利神城ガイドツアー」

参加費はひとり¥3,000(保険と昼食の弁当を含む)で、事前に佐用山城ガイド協会のWebサイトからの申し込みが必要です。

最少催行人数と最大催行人数が決まっており、小雨決行・荒天中止です。
申し込んでも必ず参加できるとは限りませんので、ご注意ください。

「国指定史跡」利神城跡
 利神城は、ここ佐用町平福にある中世から江戸時代初期にかけての山城で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれたといわれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が佐用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの“宿場町平福”の繁栄のもととなったといわれています。
 しかし寛永八(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。
(出典:道の駅 宿場町ひらふくの駐車場に立つ看板)

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「佐用」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

08:40
姫路市街の自宅を車で出発。

夢前スマートインターチェンジから中国道に入って広島方面に向かい、佐用ジャンクションの先にある佐用出口で中国道を降りました。

料金所を通過してすぐの「佐用インター」交差点(三叉路)を左折して国道373号線を北上します。

「佐用インター」交差点から北、およそ2.6kmにある「道の駅 宿場町ひらふく」がガイドツアーの集合場所。


https://g.page/michinoeki-shukubamachiHirahuku?share
▲道の駅 宿場町ひらふくの位置

09:35
道の駅 宿場町ひらふくに到着(地図中「P」)。
長時間駐車することになるため、裏手にある第2駐車場に車を駐めました。

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▲道の駅 宿場町ひらふく

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▲第2駐車場への案内

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▲展望台がある第2駐車場

道の駅のお手洗いをお借りして用を足し、駐車場の車の中で靴を履き替え、装備を整えてから集合場所であるインフォメーションセンターへ。
インフォメーションセンターは、道の駅のお手洗いに向かって右側の部屋です。

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▲ガイドツアーの集合場所となるインフォメーションセンター

ツアーの参加料金を支払い、引き換えに領収証と本日の資料、そしてお弁当を受け取りました。

10:00前
集合時刻は10:00ですが、それまでに全員が揃ったので本日の行程について説明が始まりました。

本日の参加者は9名で、ガイドさんは3名。

10:02
出発。
利神城跡の標高(373m)と数字が同じ国道373号線を渡って東へ進み、本陣跡(地図中「本陣跡」)のある交差点を右に曲がります。

この交差点では、江戸時代に城下町が整備されたときに下水として使われた溝(ガイドさんが子供の頃まで実際に下水として使われていた)を見ることができます。

今はきれいな水が流れていますが、江戸時代から何百年も下水として使われたというのが驚きです。

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▲何十年か前まで数百年間下水として使われた溝(本陣跡の裏側)

この下水の溝の反対側に因幡街道が通っており、その街道沿いの溝は上水として使われたそうです。

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▲因幡街道の両脇の溝はかつて上水として使われた

もともとはクランク状に曲がっていたのに、利便性向上のため緩やかなカーブにされた道路や、街道の雰囲気を壊さないために町屋風に建てられた駐在所、そして平福陣屋門(現存する代官所の門)を見ながら南へ。

ちなみに、平福陣屋門は下の画像の様に高い場所に立っていますが、その理由もガイドさんが教えてくれました。

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▲平福陣屋門

かつては私が写真を撮った場所から石段が陣屋門に向けて延びていたのが、国道373号線を作るために斜面が削られ、石段が撤去されたそうです。

平福の町並みを楽しんだ後は、天神橋(地図中「天神橋」)から川沿いの風景を満喫。

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▲平福の撮影スポット

いよいよ入山ですが、その前に、天神橋を渡ってすぐの空き地で準備体操です。

10:22
準備体操が終わったら、智頭急行の線路下をくぐって山の方へ向かいます(地図中「ゲート」)。
ここは施錠された扉があるため、通常はここから利神城跡へは登れません。

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▲ガイドさんが扉を解錠して開き、智頭急行の線路の下をくぐる

線路をくぐって荒れ果てた空き家に突き当たったら右に曲がり、智頭急行の線路沿いに南下します。

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▲線路沿いに南へ進む

線路沿いに100mほど南下したら、つづら折れの道で尾根の上へ上がります。
この道は往時の登城道ではなく、山の上にあった公園へ登るために付けられた道の可能性が高いそうです。

往時の道は、ゲートをくぐってすぐ出会った空き家の裏から始まっているとのこと(地形図の破線?)。ガイドさんが子供の頃は、今は空き家になっている建物の裏から山に登って遊んでいたそうです。

国道373号線からよく見える「利神城跡」の看板の裏で尾根に乗り、北へ進むとすぐに石切場跡に出会います。

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▲国道373号線から見える利神城跡の巨大看板

10:29
石切場跡に到着(地図中「石切場跡」)。
ここで利神城の石垣に使われている岩について説明がありました。

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▲石切場跡の岩に残る矢穴

石切場跡のすぐ北には「三本松公園」と名付けられた平坦な場所があり、古いベンチが置かれています。

平福の町並みを一望できるので、入山禁止になるまでは地元の方の憩いの場になっていたのかも知れません。

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▲三本松公園

10:38
堀切跡*1を越え、古墳と思われる場所(昔は天王神社が祀られていた)の前で小休止(地図中「堀切・天王神社跡」)。

天王神社のお話や、この古墳がお城からの脱出口になっているという伝承など、色々なお話を聞かせて頂きました。

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▲堀切跡

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▲古墳(天王神社跡)

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▲天王神社の鳥居が立っていた穴

天王神社跡からは、緑色の網で保護されたシャクナゲが植えられた急斜面を登ります。
そこには「木の根坂」という名前が付けられていました。

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▲シャクナゲが植えられた「木の根坂」

利神城跡へ登る道は、急斜面となだらかな道が交互に現れます。

「木の根坂」の先にあるなだらかな区間の後に出会うのは「だんだら坂」。
ここはヤブツバキの群生があるそうです。

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▲「だんだら坂のやぶ椿」と名付けられた場所の様子

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▲だんだら坂を登り切った先の平坦な道の様子

10:56
鹿除けネットが道の左側に張られた小ピークに来ました(地図中「鹿除けネット」)。
ここからは利神城跡がよく見えます。

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▲鹿よけネットピークから本丸跡(右奥)を見る

鹿除けネットピークから急斜面をまっすぐ登りますが、途中で道はつづら折れに変わります。
落ち葉のせいで歩きやすくはありませんが、直登よりずっと快適。

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▲急斜面をつづら折れの道で登る

つづら折れの道を登り切ると、また平坦な場所に出ました。
ここからは、東側の馬場とその南端の大堀切*2がよく見えます。木々が葉っぱを付けると見えなくなるかも。

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▲樹間から見る馬場と大堀切(左側、木々の向こうに見える平坦な場所が馬場。写真中央右寄りに大堀切がある。)

馬場と大堀切が見えた平坦な場所の次の急斜面は、「胸突き八丁男坂」。
斜面の角度は強烈ですが、道はつづら折れのためさほどきつくはありません。
これを登り切ると、防獣ゲートに出会います。

その防獣ゲートを通って工事現場で見かけるような仮設階段を登ると、三の丸です。

11:18
三の丸に到着(地図中「三の丸」)。
前回来たときと変化はありません。

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▲三の丸(南から北向きに撮影)

三の丸の北端には、西麓の御殿屋敷跡から続くつづら折れの道から入るための虎口(城門)があります。

その虎口の石垣は、宇喜多氏時代の石垣の外側に池田氏時代の石垣が付け足された構造をしています。

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▲三の丸の虎口に残る2種類の時代の石垣(白っぽい石垣が宇喜多氏時代、黒っぽい石垣が池田氏時代)

三の丸で説明を聞いた後は、ついに本丸です。

崩落した二の丸の石垣の石を左に見ながら、僅かに残る石段跡や路面に散らばる瓦片を踏みしめて東から天守台へ。

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▲崩落した二の丸の石垣

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▲石段の跡のような場所

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▲東から本丸*3へ入る虎口を見下ろしながら仮設階段を登る

天守台の石垣には、五輪塔か宝篋印塔の土台と考えられる石が使われていることをガイドさんに教えて頂きました。

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▲天守台の石垣に見られる転用石

11:34
天守台の上に到着。
昔は公園だったそうで、今でも壊れた双眼鏡と避雷針があります。

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▲天守台の上はこんな場所

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▲天守台に埋設された四等三角点標石(点名:利神山)

周囲に遮るものが何も無いため、周囲360度の大展望です。

画質は悪いですが、ワンショットで全天球パノラマが撮れるTHETA Z1でパノラマを撮りましたので、ご覧ください。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/rikanjo20220313/index.html
▲利神城本丸跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2022年3月13日 撮影機材:Ricoh THETA Z1)

ツアーの参加者はガイドさんが準備してくださったイスを借りて、各自好きな方向を向いて昼食です。

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▲イスが参加者全員に貸し出された

お弁当は、平福の町にある「jardin et cafe えとらんぜ」というお店のもの。
「昼食付」というガイドツアーの案内を見て「弁当が無かった前回のツアーより500円高くなったのは弁当代かな?500円の弁当ってなんだろう?コンビニ?ホカ弁?」と気になっていたのですが、良い意味で期待が裏切られました。

普段の山歩きではその地域でお金を使うことをしません(せいぜい神社でお賽銭を入れるくらいです)が、こうやってツアーの参加費が地元のお店に還元されるのは良い仕組みだと思います。

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▲参加者に配付されたお弁当(赤いカップの中身は自分で持ってきたインスタント味噌汁)

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▲天守台から見た三の丸と平福の町

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▲天守台から見た大坂丸*4

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▲天守台から見た馬場と古い郭跡(間には2本の堀切)

天守台に上ると、石垣の修復方法がよく分かります。
修復には2つの方法が使われていて、一つは割栗石を詰めたネット状の袋を石垣に積むというもの。

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▲割栗石を詰めた袋で補強された石垣の上端

もう一つは、金網で石垣を押さえるという方法。

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▲金網で覆われた本丸虎口の石垣(分かりにくいが左側の石垣が金網で覆われている)

昼食後は、歴史に詳しいガイドさんから利神城の歴代城主や郭の説明を聞き、参加者全員で記念撮影。

記念撮影の後、下山開始です。

12:50
下山開始。

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▲本丸から三の丸へ下る様子

往路をそのまま引き返して下山します。
途中、三本松公園(石切場跡のすぐ北)でガイドさんの説明を聞き、13:58にゲートまで下りてきました。

その後は智頭急行の平福駅まで移動し、アンケートに回答して解散です。

4時間もお手洗いに行っていないので、平福駅のトイレで用を足し、私はそのまま道の駅に戻りました。

参加者の中には、平福駅の北側に残る御殿屋敷跡の石塁を見物しに行く方もおられました。

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▲平福駅の北にある御殿屋敷跡の石塁

14:18
道の駅 宿場町平福に到着。

中国道を使って姫路へ。

15:50
途中で買い物をしてから自宅に到着。

そうそう、今回は参加者全員に缶バッジが配られました。デザインが複数あるので、興味のある方はツアーに何回か参加して全デザインを集めてみてはいかがでしょう。

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▲参加者に配られた缶バッジ(別のデザインもある)

<注意事項>

  • ガイドツアー中は、トイレに行けません(トイレがありません)。トイレは道の駅、または平福駅を利用できます。
  • 山の上は、地上と気温や風の強さなどが全く違う可能性があります。山歩きに慣れていない方は、服装に注意が必要です。
  • 登城ルートは、一般的な登山道です。山歩きをしない方にとっては、歩きづらく、危険に思われるかも知れません。登山に適した履き物が必要です。
  • 集合場所で使い捨て容器に入ったお弁当が配付されます。バックパック内には、弁当の容器が入る隙間を作っておいてください。

交通アクセス

道の駅 宿場町ひらふくへの交通アクセスは、自家用車の利用が一般的です。

智頭急行の列車を使ってくることも可能ですが、本数が少ないため計画的に行動しないといけません。また、平福駅に停車する列車はワンマン運転の列車です。平福駅では切符を買えないため、乗り方を事前に調べてから利用しないと戸惑うことになります。

*1:堀切は「ほりきり」と読み、敵の進撃を食い止めるために尾根を断ち切るように掘った大きな溝のことを言います。

*2:馬場方面は立入禁止で、ガイドツアーの見学コースにも入っていません。

*3:利神城では、天守台を取り巻く郭群が本丸と呼ばれています。

*4:天守台から見て北西にある尾根上の郭。