播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

たつの市の亀山(きのやま)にできた展望所

兵庫県たつの市の亀山(きのやま)は、私が山歩きをする目的の一つである「好展望」がない山という印象でした。

景色が楽しめない代わりに、古代山城と中世山城の跡が山頂周辺に残っており、それらを楽しむための山だと思っていたのです。

最近になって展望の良い場所が作られたという山行記録を目にする機会が何度かあって、その展望地を訪れてみたくなりました。

展望地について言及されている山行記録からおおよその位置は分かっていたので、先日、亀山の約3km東にある鶴嘴山に登った時にその付近を双眼鏡で観察し、木々が伐採されて展望が良さそうな場所ができていることを確認。

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▲鶴嘴山山頂から見た亀山の展望所(2022年1月16日に鶴嘴山山頂から撮影。伐採された場所に幟(のぼり)が立っているのが分かる)

本日はその展望地で昼食を食べるため、亀山に出かけてきました。

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「龍野」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

亀山山塊は低山ですが、麓から登山道で登るとキツイので、今日は楽をするために菖蒲谷(しょうぶだに)森林公園に車で上がり、標高370m付近から登り始めることにしました。

09:15
姫路市街の自宅を車で出発。

姫路バイパスを西へ進み、「福田」出口で姫路バイパスを下ります。
バイパスを下りたところにある「福田ランプ」交差点を右折。ここからは国道179号線です。

国道179号線を北へ進み、山陽自動車道の高架をくぐってすぐの「宮脇」交差点を左折。
そのまま道なりに西へ進んで龍野新大橋で揖保川を渡り、どんどん西へ。

「宮脇」交差点からおよそ5km西へ走ったところで「菖蒲谷森林公園→ 5.3km」の標識に出会うので、それに従って信号のない交差点を右折します。

後は道なりに車を走らせていくと、信号のない交差点から6km弱の場所で片側1車線だった舗装道路は1車線の未舗装路に変わります。
その手前で道の両側に駐車場があるので、そこに車を置きました。

本当はさらに未舗装の道路を進んだ先にも駐車場があるのですが、本日はMTB(マウンテンバイク)ライディングスクールなるイベントが行われており、車を置こうと思っていた未舗装の駐車場はすでに一杯だったのです。

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▲MTBライディングスクールの会場を示す案内板


https://goo.gl/maps/sgkdSw17iSNk13459
▲駐車場の位置

09:55
駐車場に到着(地図中「P」)。

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▲駐車場の様子

10:05
準備が整ったので出発。
未舗装の道路を大成池(おおなりいけ)に向かって進みます。

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▲大成池へ続く未舗装の道の様子

冬型の気圧配置が強まっているため風が強く、しかも寒い。

まもなく、当初車を駐めようと思っていた駐車場に出会いますが、その手前にお手洗いがあります(地図中「トイレ」)。
ここで用足し。

水洗のきれいなお手洗いでした。

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▲マウンテンバイクイベントの参加者で一杯の駐車場脇のお手洗い

未舗装のなだらかな道を進んでいくと、大成池に突き当たります。

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▲大成池に突き当たる

道は地形図の通り池の北側に付けられているので、大成池に突き当たったら左へ曲がり、そのまま道なりに北東へ進みます。

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▲大成池に向かって左へ道が延びている

10:20
樹間から右手に大成池を見ながら1車線幅の未舗装道路を進んでいくと、大成池北東の堰堤にたどり着きました(地図中「堰堤北端」)。

ため池の水があふれて堰堤を越えないように水を逃がす「洪水吐(こうずいばき)」の上にかかる橋を渡ると、すぐ左に擬木の階段が下っていくのに出会います。

その擬木の階段が今回の登山口。

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▲大成池北東の堰堤(洪水吐を越えてすぐ左へ曲がる)

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▲堰堤から下る擬木階段(道標には「新池」とある)

擬木の階段を下り、木でできた小さな橋で沢を渡ると、そこからは山道です。
途中で道は右に直角に折れ曲がりますが、誤って直進しないように道標が立っているため間違えることはないでしょう。

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▲大成池から擬木階段を下った先の道の様子

新池への道は、左に沢を見ながら歩くなだらかな下り坂。
苔むした岩が散在する雰囲気の良い沢で、気持ちよく歩けます。

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▲沢を左に見ながら新池へ向かう

やがて樹間から左に新池の水面が見えるようになると、まもなく新池の堰堤に出ました。
堰堤の中央付近には、竣工記念の石柱が立っています。

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▲新池の堰堤

堰堤の反対側まで歩くと堰堤は左へ直角に折れ、さらに右に直角に折れますが、その曲がり角の間に小さな洪水吐があります。

段差が小さな洪水吐を越え、堰堤の形に沿って右に曲がったらそのまま山の中へ。

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▲堰堤の形に沿って進み、山の中へ入る

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▲「うかい」と書かれた道標に従って山へ入る(通行困難になった道があり、その迂回路になっているようです)

堰堤から山に入って丸太階段の残骸のある道を上っていくと、数分で丁字路に突き当たりました。

今回は城山城跡に行きたいので、ここは「亀の池(きのいけ)方面へ。

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▲丁字路の様子(新しい道標で「亀の池・城山」と書かれた方向へ進む)

過剰に整備されておらず、マーキングもほとんどない気持ちよい山道が続きます。谷へ向かう道のため下り坂になっていて楽に歩けますが、帰る時にはここを登らないといけません。

イノシシが活動した痕跡が所々に見られるので、熊よけ鈴を鳴らしてはいましたが、周囲の物音にも気を配って歩きました。もちろん、右腰には熊撃退スプレーを装着。

2022年1月22日に書写山のマイナールートでイノシシと至近距離でばったり遭遇したときの恐怖の記憶があり、イノシシに対して過敏になっています。

時折ゴーゴーと風の音が大きく鳴り、熊よけ鈴の音があまり響きません。
Bluetoothスピーカーで人の話し声を大音量で流してやろうと思い、iPhoneでポッドキャストを開いたのですが、通信圏外のためポッドキャストは再生できませんでした。

音楽なら端末に保存されているので再生できるのですが、山の中で音楽はちょっと…
山の中の雰囲気に合う曲を保存していないため、Bluetoothスピーカーの出番は無し。

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▲道の様子

10:49
谷に下りてきました。

この谷は、地形図で南北に延びる破線道と私が歩こうとしている東西の破線道が交差する場所(地図中「十字路」)。

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▲破線道の十字路の様子

古い道標では、私が歩いて来た方向が「新池」、これから向かう方向が「亀の池」、北が「市野保」、南が「中垣内」となっています。

歩く人が少ないのか、南北の道はかなり分かりづらくなっています(南には通行困難な場所がある旨の小さな看板が設置されていました)。

新しい道標には南方向の道はありません。

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▲十字路なのに新しい道標は3方向しかない

亀の池方面へ向かって東へ進みます。

自然林の緩やかな斜面を登ると、小さな堤のような石積みに出会いました。
これは、水争いの遺称地(地図中「水争い遺称地」)。

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▲水争い遺称地の石積み

水争い遺称地(みずあらそいいしょうち)
「播磨風土記」には、石龍比古命(いわたつひこのみこと)と石龍比賣命(いたたつひめのみこと)の兄妹の神の水争いが記されています。この話は、中垣内川上流の村と越部村の人々の間で起こった水争いの様子をたとえたものです。亀の池から流れ出た水は2つの谷へと分かれますが、その勾配の違いから越部の村へ多く流れるため、中垣地川上流の村人がそれを堰止めました。このことが水争いの発端となりました。この石積みが、水の流れを人為的に変えた当時の遺称地です。
(出典:現地の看板 原文まま)

この堤防は、兵庫県立考古博物館のWebサイトにある「遺跡地名表」によると、名称は「堤防遺跡」で時代は「奈良時代」だそうです。

水争い遺称地から先は、沢を右に見ながら登る、なだらかな自然林の斜面。

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▲水争い遺称地から先の道の様子

11:01
靴を濡らさず渡るのが難しい(登山靴なら問題ありません)徒渉地点を過ぎると、亀の池の堰堤南端に到着(地図中「堰堤南端」)。

ここは新しい道標だと分岐になっていないのですが、古い道標だと三叉路になっています。

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▲古い道標で「中垣内」と書かれているのが亀山方面への道

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▲亀の池の堰堤南端の様子(亀山へ向かうため矢印の方向へ進んだ)

亀の池の堰堤南端から亀山へ向かう道は、道があるようには見えません。
しかし踏み跡とマーキングはあるので、ルートを外すことはないでしょう。

仮にマーキングテープがなかったとしても、南東向きの尾根を登って行くことを意識し、地形と方角(地形図とコンパス)を確認しながら歩けば問題ありません。

途中で「中垣内・新池」方面への分岐に出会いましたが、それは無視して亀山方面へ。

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▲亀の池堰堤南端から亀山へ続く道の様子

11:20
亀山の山上にあった古代山城の城門の築石(つきいし)とされる岩に出会いました(地図中「門の築石」)。

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▲門の築石(奥にも同じ形状のものが写っている)

門の築石
この付近には、古代山城の門の礎石が3基ある。凹字状の石材(2基)と中央に段差をもつ石材(1基)である。凹字状の石材は、唐居敷(からいしき)と呼ばれる構造のもので、外側に約60cm角の掘立柱が設置され、その内側に約30cm角の柱が礎石の上に据えられ扉が取りつけられる。扉は、各礎石がもつ段差により外側に開かないよう工夫されており、内開きであったことが分かる。門の幅は、約2.7mあり、古代山城の石城山神籠石(いわきさんこうごいし)(山口県光市)にも沓石(くついし)と呼ばれる同じ構造の門の礎石がある。
(出典:現地の看板)

門の築石から5分ほど斜面を登ると、亀山の山頂です。

11:25
亀山の山頂に到着(地図中「四等三角点(亀山)」)。
展望の無いピークに、山名が書かれた標柱と道標、四等三角点標石があるだけです。

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▲亀山山頂の様子

ここから展望所まではさほど離れていないので、昼食にちょうど良い時間に展望所に着けそうです。

亀山山頂から南へは、斜面をぐんぐん下っていきます。
道の両側に削平地がいくつもあるのが見え、山城か山岳寺院の跡地であることがよく分かります。

道を下っていくと、今まで両側が自然林だったのに、突然植林帯になりました。
そこは中世の城山城の本丸跡とされる広い鞍部。

1988年の調査報告書では、城主の居館があったと推定されている場所です。

また、北西隅には庭園様の石組があって、今でも常に水を湛える池となっており、それに伴う排水施設も見られる。しかも、この郭の周囲は多数の郭群が取り囲むように配置されており、位置的にも城主の居館跡ではないかと推定されている。

(出典:「<新宮町文化財調査報告10>城山城」新宮町教育委員会 1988 p47)

強風で揺らされた植林の木々がぶつかったり軋んだりして、不気味な音が鳴り響いていました。

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▲本丸跡とされる広い鞍部は植林帯

ここには城山城(きのやまじょう)についての案内板が立っています。

城山城
城山城は、標高458mの山上に位置する山城で、7世紀後半の古代山城と室町時代の中世山城が同じ場所に立地しています。
古代山城の遺構は、主に西斜面に残っており、石塁(1~3)や「門の築石」と呼ばれる門礎等があります。
中でも石塁2は、全長41m、高さ3mの規模をもち、城山城最大の石塁です。また「門の築石」は唐居敷と呼ばれる形式のもので、同じものが山口県の古代山城「石城神籠石」にもあります。
14世紀の中頃、播磨国守護の赤松則祐は播磨支配の拠点とするため大規模な山城を当地に築きますが、嘉吉の乱(1441年)で赤松満祐が幕府軍に攻められ当城で自害し、落城します。城山城には、この時の遺構(郭・堀切等)が多数残っています。
城山城は、県下唯一の古代山城として、また播磨を代表する中世山城として、貴重な城郭遺構と言えます。
(出典:現地の看板)

昼食を食べようとしている展望所の位置は、大きな看板のお陰ですぐに分かりました。
この看板に従い、「礎石建物址(そせきたてものあと)を目指します。

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▲展望所へ案内するための看板

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「礎石建物址」へ進む

その道の近くに赤松氏を供養するための石造物が祀られているので、礎石建物址に行く前にそれらに手を合わせることにしました。

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▲本丸跡の石造物

細い山道を登っていくと、すぐに礎石建物址に出会います。
広い削平地で、現地の看板によるとお寺の本堂が建っていた可能性が高いとのこと。

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▲礎石建物址(上面が平らな石がたくさんある)

礎石建物址(そせきたてものあと)
この右側には、庇をもつ総柱建物(5×7間)の礎石が残っており、南側中央部の斜面には石段の痕跡も見られる。城山城の築城に関する古文書(教王護国寺文書)には、本堂が築かれたことが記されており、当遺構がこの本堂にあたる可能性が高い。なお、当遺構には、巨大な石材が礎石に用いられているので、古代山城の倉庫の礎石が転用された可能性が高い。
(出典:現地の看板)

礎石建物址からさらに奥へ進んでいくと、突然明るい場所に出ました。

そこが、今回の目的地である展望所。

11:38
展望所に到着(地図中「展望所」)。

想像していた以上に景色が良く、気持ちいい。
雪まじりの冷たい風が吹き付けてきますが、展望の良さで幸せな気分になり、寒さなんて気になりませんでした。

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▲展望所の様子

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▲展望所から東の眺め

今日は風が強いことが分かっていた(実際、強風注意報が出ていた)ためドローンは持ってこなかったのですが、代わりに一眼レフカメラで全天球パノラマを撮影するための機材*1を持ってきました。

ということで、展望所からの眺望を高画質な全天球パノラマでご覧ください。


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kinoyama20220205/index.html
▲城山城跡の展望所で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2022年02月05日)

ここで頂く本日の昼食は、レトルトパックのハヤシソースをスパゲティにかけたもの。

姫路にあるアウトドアショップ「アドスポーツ」の永川(えいかわ)氏がFacebookで「ハッシュドビーフのパスタ意外とオススメ!」と書かれていたので、試してみたのです。確かに美味しい。

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▲本日の昼食はハッシュドビーフのパスタ(写真ではあまり分かりませんが、彩りのために振ったパセリのおかげで美味しそうに見えました)

食事を楽しんでいる間に雪雲は去り、日が当たるようになってきました。
的場山の奥には光る播磨灘と男鹿島がはっきりと見え、うっすらとですが淡路島や六甲山塊まで見えます。

展望所にはご夫婦のハイカーが1組先客でおられましたが、私が食事を終えた頃に男性2人組のハイカーが2組(計4人)来られました。

人が増えてきたし、食事と展望を満喫したし、パノラマ撮影も終えたので下山することにします。

12:51
下山開始。

往路をそのまま引き返すだけだとあまりにもつまらないので、亀山から亀の池までの間だけでも、往路と異なるルートで亀の池を目指すことにしました。

下山なのに、亀山へ向けて登り返さないといけません。
食後すぐはキツイ。

13:02
亀山山頂は休憩中の若い夫婦(?)と挨拶だけ交わして素通り。

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▲亀山から北へ延びる道の様子

亀山から先は下り坂なので、一安心。
所々で急斜面があるので、そこは要注意です。

マウンテンバイクを押しながら急斜面を登る一団とすれ違いましたが、この山塊はマウンテンバイクで楽しめるのかな。

亀の池の東で丁字路に突き当たりました。
これを左(道標では「奥宮神社」と書かれている方向)に曲がって亀の池へ向かいますが、曲がってすぐのところにあるのが亀岩(地図中「亀岩」)。

亀の形をした大きな岩です。

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▲亀岩

樹間から亀の池を左に見ながら平坦な山道を西へ進み、堰堤の上を歩いて堰堤の南端から水争い遺称地へ。

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▲亀の池の堰堤の上を歩いて反対側の端から北へ延びる山道(往路で歩いた道)へ入る

水争い遺称地を過ぎて間もなく、「井関神社・奥宮」への道標に出会いました。
そういえば、「奥宮」といった文言が書かれた道標が何本もありましたが、肝心の神社を見たことがありません。

せっかくなので見に行くことに。

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▲井関神社・奥宮への道標(反対面には書かれていないため、西へ向かう人だけが気づく)

13:34
井関神社 奥宮に到着(地図中「奥宮」)。
奇妙な形をした巨岩があります。

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▲横から見た井関神社 奥宮

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▲奥宮の背後にある巨岩

奥宮の由緒について
御祭神 武甕槌神(たけみかづちのかみ)

最初この亀の山の地に崇神天皇二年に勅命により天照国照彦火明櫛玉𩜙速日神が御鎮座になられたのが始まりで室町時代に赤松氏の勧請により武甕槌神を合祀したのである。それ以後徳川時代の初期に武甕槌神をこのところに従前どおり奉斉して最初に祀られた御祭神を現在の揖西町中垣内字井関に奉遷して井関神社と称し一方この地に祭祀の御祭神を奥宮大神と崇め奉って今日に至っている。
(出典:現地の看板)

奥宮で巨岩に手を合わせてから登山道へ戻り、駐車場を目指して西へ進みます。

13:41
破線道の十字路を通過。

ここから大成池までは登り坂です。
大した斜度ではないのですが、早く帰ろうと調子に乗ってスイスイ登っているとたちまちバテてしまいます。

何度も立ち止まって休憩しながら大成池を目指しました。

14:09
大成池の堰堤北端を通過。

MTBライディングスクールはまだ続いていたらしく、車と人で一杯の駐車場の前を通り過ぎ、舗装道路終点の駐車場に戻りました。

14:24
駐車場に戻ってきました。

15:20
自宅に到着。

菖蒲谷森林公園から亀山を目指せば高低差が小さいかと思っていましたが、実際はそうでもありませんでした。

ただ、なだらかな上り下りが多いため、その点では楽だったかも。

展望所の看板には、城山城周辺地形の立体モデルを見るための二次元バーコードが貼られています。

二次元バーコードで表されたURLへのリンクを下に掲載しますので、興味のある方はご覧ください。

「城山城」の航空レーザ三次元測量画像は、大手前大学歯学研究所のホームページで一般公開されており、「城山城」を様々な角度から見ることができます。
(出典:現地の看板)


交通アクセス

今回私が車を駐めた菖蒲沢森林公園に行く公共交通手段はありません。

*1:カメラ:Nikon D7100、レンズ:AF DX Fisheye Nikkor ED 10.5mm F2.8G、雲台:Bushman Gobi、三脚:Bushman Eben。