播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

坂越で「みかんのへた山古墳」を見る

「どこの山を歩こうかな」とGoogleマップで坂越の周辺の山を見ていたら、「みかんのへた山古墳」という冗談のような名前の古墳が山の上にあるのを見つけてしまいました。

それ以来、ふとしたときに頭の中に「みかんのへた山古墳」という言葉がポッと浮かぶ日々が続き、余りにも気になるので見に行くことにしました。

Googleストリートビューで、小島地区の民家の脇に登山口があるのを見つけていたのですが、登山口から古墳までの往復だけだと面白くありません。

そこで、「みかんのへた山古墳」のある山塊の西端、大避神社から宝珠山に登り、そこからGoogleマップの航空写真にもはっきり写っている稜線上の道を東へ進んで、みかんのへた山古墳を見てから小島登山口に下山するというルートを歩くことにしました。

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▲みかんのへた山古墳について

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「相生」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

09:10
姫路市街の自宅を車で出発。

中地から姫路バイパス(国道2号線)に乗って西へ進むこと約20km、相生駅の南にある東横インが見える頃、「赤穂 相生市街」と書かれて左上を指す矢印のある案内標識に従い本線から離れ、国道2号線の上を跨ぐ陸橋へ上がって左折。ここからは県道121号線です。

県道121号線を南下し(途中で道は県道64号線に変わる)、突き当たりの「ポート公園前」交差点を右折します。ここからは国道250号線。

「道の駅あいおい白龍城(ペーロン城)」を過ぎてすぐの二股の分岐を左に曲がり、高取峠を越えて下り切ったところにある「坂越大橋東詰」交差点を左折。

「坂越大橋東詰」交差点から千種川沿いに850m南下したところにある「坂越橋東」交差点を左折し、トンネルを抜けた先の突き当たりを左折すると、およそ400mで観光客用の駐車場に出会います。


https://goo.gl/maps/Bo5VUJvysgzZdqf48
▲坂越の駐車場の位置

10:00
坂越の観光駐車場(無料)に到着(地図中「P」)。

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▲駐車場の様子

10:09
駐車場には公衆トイレがあるので、そこで用を足してから出発。
駐車場から東へ進み、すぐ左(北)へ入って大避神社(おおさけじんじゃ)を目指します(地図中「大避神社」)。

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▲大避神社へ向かう

鳥居をくぐり、今は無い社格ですが「縣社」と刻まれた大きな石碑の横を通り過ぎ、立派な山門をくぐって大避神社の社殿へ。

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▲大避神社の社殿

大避神社
 生島を禁足地とし、島内に祭礼の御旅所を擁する大避神社は大避大明神(秦河勝)を祀る神社で、養和元(1182)年にはすでに有力な神社でした。旧赤穂郡(現赤穂市、相生市、上郡町)には大避神を祀る神社がかつて28以上あり、古代から中世にかけて旧赤穂郡と秦氏との密接な関係が古文献等からも判明しています。
 大避神社の祭礼は、秦河勝が坂越に漂着した日を祭礼日として始まったもので、「坂越の船祭」(国指定重要無形民俗文化財)は、瀬戸内三大船祭の一つに数えられています。

(出典:大避神社の鳥居南側にある看板)

神社の説明にある「秦河勝(はたのかわかつ)」についても、看板に説明がありました。

秦 河勝
 秦氏は百済から渡来して帰化した弓月君を祖とし、土木、養蚕、機織などの技術を発揮して、大いに栄えた古代氏族です。その中でも秦河勝は、飛鳥時代前半(6世紀末~7世紀半ば)に聖徳太子に仕え、山背国葛野郡太秦(現在の京都府京都市右京区太秦)に広隆寺を創建したことで有名です。
 大避神社の縁起によれば、秦河勝は聖徳太子死後の皇極3(644)年9月12日に、蘇我入鹿の乱を避けて海路で坂越に漂着し、千種川の開拓を進めたのち大化3(647)年に坂越の地で没したと言われています。坂越湾に浮かぶ生島(樹林は国指定天然記念物)には、秦河勝の墳墓と伝える古墳が今も残されています。
(出典:大避神社の鳥居南側にある看板)

裏山へ入らせて頂くのでその挨拶を兼ねてお参りし、社殿に向かって左側にある防獣ゲートから山の中へ入りました。

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▲社殿に向かって左にある防獣ゲート(写っているのは、たまたま居合わせた単独女性ハイカーさん)

防獣ゲートの先で橋を渡り、石段を登って鳥居をくぐると、舗装された車道に出ました。地形図に描かれている曲がりくねった道路です。

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▲右の鳥居から車道に出てきた

この車道を登って行きますが、間もなく左に石段があるのに出会いました。

「つづら折れの車道をショートカットできるかも」と考えて石段の道を選択。

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▲車道から石段の道へ入った

すると、「旧妙見寺本坊明覚院山門」と呼ばれる山門の前を通り(門はくぐらない)、妙見寺(地図中「妙見寺」)を間近に見られる場所に出ました。

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▲旧妙見寺本坊明覚院山門(くぐらずに前を通り過ぎる)

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▲妙見寺

宝珠山妙見寺
 真言宗古義派の寺院で、かつては16の坊舎と9の庵があったというが、嘉吉の乱やその後の僧兵一揆により焼失したと伝える。享保7(1772)年建築の観音堂は市指定有形文化財。
(出典:大避神社の鳥居南側にある看板)

妙見寺を見上げる場所には「宝珠山山頂」と書かれた道標が立っており、それが指す方向には足場のような通路があったので、道標に従ってその通路へ。

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▲妙見寺から仮設通路のような道に入る

足場のような通路は最初だけで、道はすぐに山道(八十八箇所巡りの石仏がある)になってまた車道に出ました。

その車道を渡った先に山道が続いています。

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▲車道を横切って山道の続きに入った

妙見寺近くの山道と同様、八十八箇所の石仏が並んでいます。
道はつづら折れになっていて、斜度はきつくないので楽に登っていけました。

ただ、12月なのに暑い。

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▲宝珠山へ続く山道の様子

いくつか分岐がありましたが、必ず「宝珠山山頂」を指す道標があるので、それに従えば間違える心配は無いでしょう。

いよいよ宝珠山の山頂が近づいてきたと思ったら、道が左右に分かれる丁字路に突き当たりました。

道標によると、左は「五輪塔・茶臼山山頂」、右は「辻のあずまや・宝珠山山頂」です。

ここも宝珠山山頂への道標に従って右へ進みます。

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▲宝珠山山頂直下の道標

すると、宝珠山山頂の東に出てきました。
せっかくなので、宝珠山を目指して西へ登ってみると、すぐに宝珠山に到達します。

10:48
宝珠山山頂に到着(地図中「宝珠山」)。

南向きのベンチが一基あり、そこから生島(いきしま)を見ることはできますが、それ以外の方向への展望はありません。

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▲宝珠山山頂の様子

10:51
長居は無用なので登って来た斜面を引き返すと、東屋がありました(地図中「辻のあずまや」)。

ただ、展望もないし、曇り空のため薄暗くて不気味なので、先を急ぐことにします。

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▲辻のあずまや

辻のあずまやからは、北東と南東に道が延びています。
今回の目的地である「みかんのへた山古墳」への道は、北東。

道標では「小島方面」とされている道です。

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▲小島方面への道に入る

地形図の通りいったん少し下ってから、北東へ向かってなだらかに登って行く道です。

道幅は広く、斜度がきつくない快適な道が続いていました。

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▲幅の広い歩きやすい道を北東へ進んだ

今回のルート上で最も標高が高い240+mのピーク(地図中「240+mピーク」)が近づいてくると、空が開けてさらに気持ち良く歩けるようになってきました。

登山道というより防火帯です。

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▲240+mピークが近づくと空が開けてくる

11:11
地形図で破線道の三叉路になっている240+mピークを通過(地図中「240+mピーク」)。

展望の無いピークで、送電線の巡視路標識と鳥獣保護区の看板、そして「小島登山口」を示す道標があります。

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▲240+mピークの様子

「小島登山口」への道標に従って東へなだらかに下っていくと、道は途中で突然急斜面になり、丸太階段で鞍部へ下っていきます。

その急斜面の直前では、これから歩く稜線を一望できました。

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▲これから歩く稜線が一望できた


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/houjusan20211212/index.html
▲240+m標高点の東側斜面上空で撮影した全天球パノラマ(ドローンを使用し、地上高50mで撮影した画像です。登山道からはこのような展望を得られません。)

丸太階段の急下りを終えた鞍部からは、IHI(旧社名は石川島播磨重工業*1)が設置した立ち入り禁止の看板に何度か出会うことになります。

工場はこの付近の北の谷間にあり、地形図には破線道が描かれているので、登山者が入ってこないようにするためのものかな。

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▲IHIの立入禁止看板

11:39
当初は、稜線上にある破線道の入口だけにあった立入禁止看板ですが、鞍部から東へ登り返し始めるあたりから、L字アングルとトラロープで作られた簡単な柵が出現します(地図中「IHI柵始点」)。

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▲IHIが設置した柵

11:44*2
送電塔が建つ208m標高点付近に来ると、今度は菱形金網のフェンスが登山道沿いに出現しました(地図中「関電金網始点」)。

相生発電所とこの山の間には道路があるため、山の北側の斜面に迷い込んでも道路沿いのフェンスに守られた発電所に入り込むことはあり得ないのですが、厳重な態勢になっています。

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▲IHIの柵の終点から関電のフェンスが始まる

フェンスは、地形に沿って延々と東へ延びています。
まるで、万里の長城です。

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▲延々と続く菱形金網のフェンス

フェンス沿いの道は石が多く、場所によっては丸太階段の残骸があって、特に急な下り斜面は非常に歩きづらい。

12:00
テレビの共同受信アンテナ脇を通過(地図中「共同受信アンテナ」)。

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▲共同受信アンテナ

ここからは、左にフェンス、右に電柱とアンテナ用の電線を見ながら下っていくことになりますが、フェンスと電線に挟まれた道は長くは続きません。

共同受信アンテナの東の鞍部で道は南へ向きを変えますが、フェンスはそのまま真っ直ぐ南東へ続くからです。

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▲フェンスはまっすぐ伸びているが、登山道は右へ向きを変える

土が被さり、落ち葉に埋もれて元が丸太階段だったことが分からない道を下っていると、文字がまったく読めない道標のある分岐に出会いました。

左と右に道が分かれる分岐で、左は今まで通りの明確な道。右は薄い道ですが白い看板が見えています。

分岐を右に入って看板に近づくと、「みかんのへた山古墳」の説明がかかれたものでした(冒頭の画像)。

その看板から少し進むと、目的の「みかんのへた山古墳」です。

12:08
みかんのへた山古墳に到着(地図中「みかんのへた山古墳」)。

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▲みかんのへた山古墳(北側からドローンで撮影)

県指定文化財 みかんのへた山古墳

昭和五十年三月十八日指定

 この地は、標高七十九mの「みかんのへた山」頂上である。ここから南方眼下に鍋島が見おろされ、西南方に樹林に覆われた生島の美しい景観がみられる。また目を東南に転じると、遠く家島群島の島影が臨まれる景勝の地点である。
 本墳は、径約三〇m、高さ三・五mで、葺石・円筒埴輪が見られる。内部主体については、発掘調査が行われていないので明らかではないが、墳頂径一〇mが平坦であることから竪穴式石室の構造で、古墳時代中期のものと想定できる。
 また、古墳の立地が、このように瀬戸内海を見おろす景勝の地であることから、海上に活動の場をもった氏族の首長の営んだ墓であろう。同様の古墳としてたつの市御津町黒崎にある輿塚古墳がある。
 海に関連をもつ古墳の典型として価値が高い。

兵庫県教育委員会

(出典:現地の看板)

古墳の南端付近に座ると、正面に坂越湾、右を見ると本日歩いた稜線を眺めることができます。

この展望を楽しみながら味わう本日の昼食は、アメリカ軍の戦闘糧食「MREレーション」のメニュー番号15「Mexican Style Chicken Stew」です。

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▲MREレーションのパッケージ

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▲メインディッシュを温めている間に、ハラペーニョ入りのチーズスプレッドを塗ったクラッカーを食べる

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▲メインディッシュは鶏肉のシチュー

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▲デザートはミックスフルーツ(Mixed Fruit)

それほど展望が良いわけでも無いし、古墳らしさもあまり感じられない場所ですが、ゆったりと静かな時間を楽しんでいたら一時間以上たっていました。

やっぱり山の上で過ごす時間は幸せ。

13:14
下山開始。

文字が読めない道標の立つ分岐に戻り、明確な道を下ります。

道は段々畑か棚田の跡と思われる石垣沿いに下っていきますが、深く積もった落ち葉のため歩きづらい。

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▲段々畑か棚田の跡

階段状の平坦地沿いの道を過ぎ、溝を渡ってから溝に沿って下ると、民家の庭にあるような門扉に出会います。

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▲橋で溝を越え、溝に沿って下る

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▲門扉を開けて外へ出た(通った後は必ず閉じるよう注意書きがある)

門扉を通過した後は、民家の間の路地のような道を下りました。

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▲路地を下る

13:23
民家と民家の間にある小島登山口に下りてきました(地図中「小島登山口」)。

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▲ここに出てきた

ここからは、県道458号線をひたすら西へ歩いて駐車場へ戻るだけ。
駐車場までは、およそ2.3kmです。

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▲生島の向こうにある駐車場を目指して県道を西へ進んだ

13:31
大師堂と弘法の井戸の前を通過(地図中「弘法の井戸」)。

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▲大師堂と弘法の井戸(左)

弘法の井戸
 昔、水不足に苦しむ坂越の人々を見た弘法大師が、「ここ掘れ、水が出る」と言って掘られた井戸で、「弘法の霊水」とも言われた。
 かつては、広さ十畳、深さ二、三尺(六十~七十センチ)の池のようなもので、波打ち際にありながら、きれいな清水が湧き出ていた。水は炭酸水とされ、眼病や風邪などの熱に効力があると言われていたという。
 この井戸から汲まれた水は、小島の人々の飲料水や、坂越から出て行く廻船の飲料水として利用されていた。また、坂越にあった風呂や「大師湯」は、この井戸の水を船で運んで風呂を沸かし、多くの住民に親しまれていた。
(出典:現地の看板)

13:55
駐車場に到着。

15:00
自宅に到着。


交通アクセス

自家用車が一般的ですが、JRの坂越駅から歩いてくることも可能です。
JR坂越駅から坂越の駐車場までの距離は、およそ1.7km。

*1:IHIという社名は2007年から使われ始めたので、立入禁止の看板はそれよりも前に作られたものと分かります。

*2:240+m標高点からここまでに28分かかっていますが、それは途中でドローンを飛ばして遊んだからで、実際はそんなに時間はかかりません。