播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県佐用郡の利神城跡にガイドツアーで登る

天空の城と呼ばれることもある山城「利神城(りかんじょう)」は、あちこちの石垣が傷んで崩落寸前。そんな状況のため、利神城跡への登山は禁止されてしまいました。

登山禁止といいつつ、実際は自己責任での入山が黙認されていたような状況でしたが、ドクターヘリが出動する事態が複数回発生したため、現在は登山口の扉が施錠され、城跡の修復工事担当者、入山許可をもつガイドさんとそのツアー客といった、限られた人達だけしか入山できないようになっています。

本日は、そんな利神城跡に正々堂々と登れる「利神城ガイドツアー」(佐用山城ガイド協会主催)に参加してきました。

「国指定史跡」利神城跡
 利神城は、ここ佐用町平福にある中世から江戸時代初期にかけての山城で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれたといわれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が佐用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの“宿場町平福”の繁栄のもととなったといわれています。
 しかし寛永八(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。
(出典:道の駅 宿場町ひらふくの駐車場に立つ看板)

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▲道の駅 宿場町ひらふくから見た利神城跡

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「佐用」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

ガイドツアーは、基本的に積雪期以外の毎月第1、第2火曜日に実施され、ガイド料金は一人¥2,500。最少催行人数は2名で、最大催行人数は20名。
事前の申し込みが必要です。

08:20
姫路市街の自宅を車で出発。

夢前川の左岸*1を走る県道67号線を北上し、夢前スマートインターチェンジから中国道で「広島方面」へ向かいました。

佐用ジャンクションを過ぎて間もなくの佐用出口で中国道を下り、「佐用インター」交差点に突き当たったら左折。ここからは国道373号線です。

「佐用インター」交差点から北へ約2.6km進んだ所に、ガイドツアーの集合場所である「道の駅 宿場町ひらふく」があります。

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▲「道の駅 宿場町ひらふく」の標示


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▲道の駅 宿場町ひらふくの位置

09:24
道の駅 宿場町ひらふくの建物に向かって右にある坂を上り、第2駐車場に車を駐めました(ガイドツアー参加者は、第2駐車場に駐めるよう案内されています)。

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▲道の駅 宿場町ひらふく(写真の右奥に第2駐車場へ上がる坂道がある)

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▲第2駐車場(右上に写っているのが利神城跡)

集合時間は10:00ですから、まだまだ時間があります。
せっかくなので、第2駐車場の展望台から利神城跡を眺めたり、道の駅のお手洗いを借りたり、すぐ南隣の平福陣屋跡の陣屋門を眺めたりして、時間をつぶしました。

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▲第2駐車場にある展望台(登っても視界はあまり変わらない)

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▲平福陣屋門

町指定文化財 平福陣屋門

 所在地 佐用郡佐用町平福九八一-四
 指定種別 建造物一棟
 指定年月日 平成一三年三月二二日
 現存規模 桁行7間 梁行2.5間 切妻屋根 本瓦葺

 寛永一七年(一六四〇)、利神城廃城後の平福は、松平氏五〇〇〇石の旗本領として代官支配になります。天保六年(一八三五)に起こった出石藩の仙石騒動に連座して、翌年幕府領になりますが、文久三年(一八六三)、旧領のうち二五〇〇石が松平氏に復し、明治維新まで続きます。
 この陣屋門は、代官陣屋の表門として、文久三年の旧領戻りに際して建てられたと考えられ、棟の端には元治元年(一八六四)製の鬼瓦が残されています。明治以後、改変も受けていますが、陣屋跡に現存する唯一の建築物です。
(出典:現地の看板)

平福陣屋跡地は、ガイドさんによると昔は小学校があったそうです。
その後、企業の保養所のような使い方をされた時期もありましたが、今は平福に移住する方に安く貸し出しているとのことです(寄せ棟造りの建物が3棟建っています)。

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▲平福陣屋跡地の様子

10:00
道の駅のお手洗いの右隣にあるインフォメーションセンター前でガイド料金の収集と出欠確認が行われた後、建物の中でガイドツアーの概要説明がありました。

10:10頃
出発。気温は10.6℃。

今回の参加者は、12名。それにガイドさんが3名加わります。

道の駅を出て国道を渡り、そのまま東へ進んで平福本陣跡のある交差点を右(南)へ。

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▲平福本陣跡

平福の町並みの中を、風情を楽しみながらゆっくりと南へ進みます。

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▲平福に唯一残る旅籠(旅館)

天神橋(地図中「天神橋」)を目指して左(東)へ曲がると、「平福といえばこれ」という景色に出会います。

それは、天神橋から見た土蔵群。

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▲平福の川端の景観

土蔵の土壁の下の方に一部色が変わっているところがありますが、これはガイドさんによると2009年の水害の際に、そこまで川の水位が上がったという証拠だそうです。

水の流れに土壁が削られ、それを修理したため一部だけ色が変わっているのだとか。

天神橋を渡ったところで、参加者全員で準備運動。
いよいよ入山です。

10:30
智頭線の線路をくぐる通路が登山口(地図中「登山口」)。
今は施錠されているため、自己責任でも勝手に山へ入ることはできません。

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▲登山口の金網の扉は施錠されている(ガイドさんが鍵を開けている様子。本来は奥の民家へ行くための通路だったようだが、今は無住。)

智頭線の線路を潜り、空き家に突き当たったら右へ。
しばらくは線路沿いを歩きます。

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▲智頭線の線路に沿って南へ進む

間もなく道は尾根に向かって向きを変え、つづら折れになって尾根の上へ伸びていきます。

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▲尾根へ登る道はつづら折れで斜度は緩い

そして麓から見える「利神城跡」の看板を過ぎると、尾根に乗りました。

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▲「利神城跡」の看板

尾根に乗ったところはかなり細い道ですが、その理由は下山時にガイドさんの説明を聞いて分かりました(理由は後述)。

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▲岩が多くて細い道の様子

この辺りからは、天神橋と土蔵群を眺めることができます。

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▲尾根の上から見た天神橋と土蔵群

10:44
堀切*2に出会いました(地図中「堀切・祠跡」)。

岩尾根を断ち切って作られた堀切なので、斜度と高さは強烈なまま残っています。

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▲堀切

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▲梯子が必要なほどの角度と高さがある

堀切の先には、古墳のようなものが口を開けていました。

ガイドさんによると、この古墳(?)の前には鳥居が立っていたという穴が2つ残っており、昔は天王神社という祠があったそうです。

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▲昔は祠があった古墳(?)

天王神社の管理は道の駅近くの天満神社を管理するのと同じ地区の方々で、合理化のためここにあった祠は天満神社に移し、今はそちらでお世話をされているとのことです。

この穴は、実は天守台までつながった脱出用のトンネルだという伝承まであるそうです。

こんなお話は、地元のガイドさんがいらっしゃらないと絶対に聞けません。
面白い!

「堀切・祠跡」からは、斜度がきつくなります。

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▲急斜面を登る

急斜面が終わると、地形図の通りしばらくはなだらかな区間が続きます。

標高250mを越えた頃、道の左側に鹿除けネットが出てきました。
この付近からは、利神城の本丸跡が見えます。

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▲鹿除けネット沿いの道の様子

鹿除けネットに出会うといったん道は下りますが、その後また急な斜面に出会います。

それを登り切るとまた平坦な場所があり、その後また急な斜面があります。
利神城跡への道は、急斜面となだらかな区間の繰り返しで、中間の斜度がありません。

ただ、最初の急斜面以外はつづら折れの道がついており、見た目ほどきつくはありませんでした。

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▲最後の急斜面にトイレ跡があった(内側の張り紙には、大便後は土をかけるよう書かれている。)

三の丸の周囲は金網で囲まれており、扉を開閉して通過するようになっていました。

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▲三の丸直下で金網の扉を開けて進む

最後は建設現場で見かける足場と階段を登り、三の丸に入ります。

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▲三の丸への最後の登りは工事用の足場と階段

11:28
三の丸に到着(地図中「三の丸」)。気温は13.1度。無風。

ここで、参加者は思い思いの場所に陣取って昼食です。
私は魔法瓶に入れてきたお湯で日清のカレーメシを頂きました。

食事の後はガイドさんに質問をしたり、立入禁止の場所に入らない範囲で三の丸をウロウロし、周囲の景色を満喫。

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▲昼食後に思い思いに利神城を楽しむ参加者の皆さん


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▲利神城三の丸で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2021年12月7日 撮影機材:Ricoh THETA Z1)

三の丸より先は工事現場になっていて、三の丸からは修復工事用の通路や足場などを間近に見ることができます。

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▲足場に囲まれた石垣や工事用の通路が見える(緑色の土嚢は、ガイドさんによると土の斜面の崩落を防ぐために植物の種と肥料を入れたもの。植物が根を張ると、地面が強固になる。)

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▲中央付近には、修復のため石垣の内側に新たに入れられた裏込が見える

昼食休憩後は石垣などについての説明があったり、雲海や日の出とともに写った利神城の写真(A4サイズで印刷されたもの)を参加者みんなで楽しませていただきました。

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▲三の丸北端の特徴的な石垣(右は斜度が緩い古い時代の石垣で、左は急角度の新しい石垣。)

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▲利神城の石垣には2種類の石が使われている(下の白っぽい石は凝灰岩で、上の崩れた石垣の黒っぽい石は安山岩とのこと)

12:45
参加者全員の集合写真撮影を終え、下山開始。

「堀切・祠跡」を過ぎたところは、登りで気になった道が細くて岩が多い場所。ここでガイドさんから説明がありました。

実はこの場所は凝灰岩の石切場で、ここから切り出した石が利神城の石垣の一部に使われたそうです。

道理で岩が多いし、道の両側が切れ落ちている場所もあるわけです。

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▲石切場跡に残る岩(周辺には矢穴が残っている)

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▲石切場跡に残る矢穴*3

ここは凝灰岩の石切場ですが、安山岩は西にある山から切り出したそうです。
そんなものをよく山頂まで持ち上げたものです。どうやったんだろう。

登山口まで戻ったら、佐用川を渡らず田んぼの中の道を北上し、平福駅へ。

13:38
駅前でガイドツアーに関するアンケートに回答し、駅の北にある御殿屋敷跡の説明を聞いた後に解散となりました。

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▲平福駅

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▲御殿屋敷跡(尾根の上、石切場跡付近から撮影)

私は御殿屋敷跡に興味があったので、解散後は平福駅から北へ向かい、御殿屋敷跡を守っていた石塁(地図中「石塁(南)」「石塁(中央)」)を見物し、京橋を渡って道の駅に戻りました。

~平福御殿屋敷~
 利神城の改修にあたり、利神山の麓に新たに整備されたとされる藩主の居館を中心とした平福藩の中枢部。
 東側に利神山、西側を河川に挟まれ南北には石塁を配し、堅牢な城館となっています。武家屋敷跡や外敵の進攻を防ぐ堀や門、櫓などの遺構が見つかっており、特に石垣は一部が当時のまま現存しています。南側の大手門は石塁と塀の高さが約6m、堀幅は約13mと推定されており、平福藩2万5千石を領した池田氏の権勢を偲ばせています。
(出典:道の駅 宿場町ひらふくの駐車場に立つ看板)

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▲今も大部分が残る南側の石塁

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▲御殿屋敷跡の中央付近に残る「石塁(中央)」

14:15
道の駅 宿場町ひらふくへ戻ってきました。

帰りも中国道を利用して帰宅。

15:30
自宅に到着。

<注意事項>

  • ガイドツアー中は、トイレに行けません(トイレがありません)。トイレは道の駅、または平福駅を利用できます。
  • 山の上は、地上と気温や風の強さなどが全く違う可能性があります。山歩きに慣れていない方は、服装に注意が必要です。
  • 登城ルートは、一般的な登山道です。山歩きをしない方にとっては、歩きづらく、危険に思われるかも知れません。登山に適した履き物が必要です。

交通アクセス

道の駅 宿場町ひらふくへの交通アクセスは、自家用車の利用が一般的です。

智頭急行の列車を使ってくることも可能ですが、本数が少ないため計画的に行動しないといけません。また、平福駅に停車する列車はワンマン運転の列車です。平福駅では切符を買えないため、乗り方を事前に調べてから利用しないと戸惑うことになります。

*1:川下を向いて川の中に立ったとき、左側を左岸、右を右岸と呼びます。川は曲がりくねっているため、同じ川でも場所によっては左岸が川の北になったり南になったりします。方角で川の片方の岸を示すのは難しいため、川の流れる方向を基準にした右・左が使われます。

*2:ほりきり。尾根伝いに攻め込んでくる敵兵を妨害するため、尾根を断ちきるように掘った大きな溝のこと。平時は橋を架けるなどし、戦時は橋を落とす。

*3:やあな。岩を切り出すためにクサビを打ち込んだ穴のこと。