播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

山城跡好きにはたまらない:兵庫県加西市の小谷城跡

2021年10月22日に馴染みの飲食店が通常営業を再開したので、仕事帰りにさっそく脂っこいおつまみとビールをたっぷり楽しんでしまいました。

今朝起きると身体が重い…
暑いと山へ行く気になりませんが、最近急に涼しくなったし、腹ごなしに散歩をしようと思って近場の低山へ出かけてきました。

行き先は、兵庫県加西市の小谷城跡です。

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▲加西市道「北条殿原線」(加西市北条町栗田付近)から見た小谷城跡

小谷城(こだにじょう)
 室町時代の山城で、現在は本丸、西小丸、堀等の城跡が残るのみであるが、同時代中期に起こった「嘉吉の乱」(かきつのらん 1441年)により滅亡した赤松直操(あかまつ なおもち)の居城。僧侶であったので竜門院直操(りゅうもんいん ちょくそう)とも呼ばれた。
 播磨・備前・美作の守護大名であった直操の長兄 赤松満祐(あかまつ みつすけ)は、満祐の領地を没収しようとした室町幕府6代将軍、足利義教(あしかが よしのり)を京都二条の赤松邸で殺害し、播磨に戻ってきた。
 直操は、長兄の満祐や実弟で善防山城主赤松則繁(あかまつ のりしげ)等とともに幕府軍の山名・細川・新田勢他と戦ったが、真弓峠(生野峠)の合戦で敗れ自害。満祐も城山城(たつの市)で一族とともに自害。播磨・備前・美作の三国は、山名氏の領地となったが、満祐の実弟 赤松義雅(あかまつ よしまさ)の孫 赤松政則(あかまつ まさのり)が、赤松家を再興し、領地も山名氏から取り戻した。
 小谷城も赤松祐尚(あかまつ すけひさ ?~1542年)が再建し、城のすそ野に祐尚山陽松寺(ゆうしょうざん ようしょうじ)を建立、嘉吉の乱で討ち死にした家臣や一族を供養する墓を境内裏に建て、住吉神社の改築、酒見寺講堂の寄進、更には毎月二と六の日に市場を開設する等多くの善政をしいて領民から慕われた。
 そして、住吉神社裏の五百羅漢も嘉吉の乱で巻き添えをくって亡くなった多くの領民を、供養するためのものではないかといわれているが、明らかではない。
 2012年2月吉日

小谷区
小谷城保存会

(出典:小谷区 公民館前の看板)

ここは、2018年6月24日に南麓の陽松寺から大手道跡(?)を往復したことがある(https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2018/06/24/182339)ので、今回は城跡のある山並みを東から西へ縦走することにしました。

入山地点は、小谷城跡の東麓を南北に走る市道「北条殿原線」(山頂の道標では「栗田鴨谷線」)の峠のすぐ南にある登山口。

下山地点は、城跡の西を南北に走る市道「北条若井線」(山頂の道標では「小谷若井線」)です。

※道路の名称は、「加西市認定路線図網」で調べたものです。小谷城跡に立っている道標に書かれた路線名と異なっていますが、加西市の資料が正しいと思われますので、この記事では「加西市認定路線図網」に掲載されている名称を使用します。

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

09:35
姫路市街の自宅を車で出発。

国道312号線を北上し、中国自動車道(中国道)の高架をくぐって間もなくの「福崎大橋西」交差点を右折します。ここからは県道23号線(三木宍粟線)。

県道23号線を道なりに東へすすむこと約7km、県道23号線が中国道の高架を北から南へくぐる場所がありますが、その直前で左へ分かれる道があるので、そちらへ入ります。ここはコイン精米所が目印。

この中国道沿いの細い道(中縦2号線)を1kmほど東へ進んだところで、左後ろと左に道が分岐する信号のない交差点に出会います。

ここを左後ろに曲がって道なりに450m進んだ所に小谷区公民館があり、道を挟んだ南側に駐車場があります(地図中「公民館」)。

ここに車を置かせていただきました。

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▲小谷区公民館

https://goo.gl/maps/LA9X7asxWFcSmCx67
▲小谷区公民館前の駐車場の位置

10:35
小谷区公民館前の駐車場に到着(地図中「P」)。

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▲駐車場の様子

この駐車場の看板には、ありがたいことに「小谷城跡登山者駐車可」と書かれています。

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▲駐車場の看板

10:41
靴を履き替えたり、GPS受信機の衛星捕捉など準備が整ったので出発。

今回の登山口がある市道「北条殿原線」へ向かうには、駐車場の南側を東西に走る道路に出て、それを東へ進みます。

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▲駐車場の南側の道を東へ進む

およそ400m進んだところで舗装道路は左へ曲がりますが、未舗装の道路がそのまま東へ続いており、未舗装の道を130mほど進むと北条殿原線に出ました。

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▲舗装道路は左へ曲がるがそのまままっすぐ進む

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▲市道「北条殿原線」に出た

登山口を目指し、北条殿原線を北へ登ります。

市道沿いにはお墓が並んでいますが、墓地が終わると道は右へ左へ大きくカーブしながら一気に標高を上げていきます。

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▲北条殿原線の様子

10:58
登山口に到着(地図中「東入口」)。

道標では「尾根伝いコース東入口」とされているので、「東入口」と表記することにします。

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▲市道「北条殿原線」沿いの登山口(東入口)

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▲登山口脇には古い道標が立っている

防獣ゲートがあり、有害鳥獣駆除が実施されたことが分かる掲示があるため、この山には人や農作物に害を与える野生動物が間違いなくいるはず。

以前、猪と近距離で遭遇して怖い目に遭ったことがあるので、念のため、熊撃退スプレーがホルスターからすぐに抜けるかどうか確認し、さらに火薬で音を鳴らせるオモチャのピストル*1をすぐに取り出せる場所にセットしてから入山。

防獣ゲートをくぐった後で、試しに一発鳴らしてみました。
大した音は出ませんが、野生動物に自分の存在を知らせるには充分かな。

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▲動物よけのために数百円で購入したオモチャのピストル(効果は不明)

東入口からは、いきなり丸太階段の急登。

いくら涼しいと言っても、ドローンや双眼鏡などのオモチャでパンパンにふくれあがった重いバックパックを背負っていると、あっという間にバテます。

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▲丸太階段の急坂を登る

地形図で見て分かるとおり、30mほどの標高差を登れば道はなだらかになります。
なだらかな区間は、標高差が10mに満たないため地形図に表現できない小さなコブがいくつかありました。

実際にここに来る前は、なだらかな尾根上にも小谷城の関連施設の跡があるかも知れないと期待しましたが、削平されていない(平らになっていない)ので城跡には関係なさそう。

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▲登山道はコブを通らず脇を巻くように付けられている

ベンチが置かれた鞍部から丸太階段の道を登り返すと小谷城の本丸跡ですが、本丸跡に出る直前には土塁と堀切(ほりきり*2)がはっきり残っており、竪堀(たてぼり*3)のような痕跡も見られます。

城跡好きの方は山頂(本丸跡)を目の前にしてなかなか山頂に行けないかも。

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▲土塁(右端)が残る堀切跡

11:16
小谷城の本丸跡に到着(地図中「山頂(小谷城本丸跡)」。

食事には早いので、まずはドローン操縦を満喫。

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▲小谷城本丸跡全景(ドローンで撮影)

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▲小谷城本丸跡と加西市街地(ドローンで撮影)


https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kodanijo20211023/index.html
▲小谷城跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:あずまや前の画像 2018年06月24日、空撮画像 2021年10月23日)
※パノラマ画面左上のリストで「小谷城跡」を選択すると、あずまや前で撮影したパノラマ、「小谷城跡(空撮)」を選択すると、ドローンで撮影した空撮パノラマが表示されます。

ドローン操縦を楽しんだ後は、南側の展望を楽しみながらの昼食です。
本日のメニューは、ボロネーゼ・スパゲティ。

冷蔵庫から賞味期限が間近の「金の直火焼ハンバーグ」(セブンイレブンの商品)が出てきたので、以前テレビ番組で見かけた「金の直火焼ハンバーグ」を潰してスパゲティにかけるレシピを試すことにしました。

元がハンバーグなので肉の量が多いし、柔らかい食感なので高級感がありますが、個人的には肉がカスカスでパサパサな安物のミートソースの方が好みです。

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▲本日の昼食(スパゲティに、ほぐした「金の直火焼ハンバーグ」をのせたボロネーゼ)

北側は山しか見えませんが南には大きく展望が開けており、南東には肉眼でも明石海峡大橋の橋脚が2本とも見えますし、南には中道子山城跡と善防山城跡がはっきり見えていました。

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▲小谷城本丸跡から見た中道子山城跡と善防山城跡

12:45
幸せな時間を満喫したので、下山開始。

本日の下山ルートは尾根伝いに西へ進むもの。

前回(2018年)に小谷城跡に来たときは見なかった小谷城西側の防御施設*4を見ながら歩けるということで、楽しみにしていました。

あずまやがある場所が最高所で本丸ですが、そこから西へ一段ずつ下る度に二の丸、三の丸、四の丸、五の丸と名付けられた郭(くるわ*5)があり、「小谷城跡」の巨大看板が設置されているのが三の丸。南の陽松寺から通じる大手道跡らしき道を登り切った場所は四の丸です(看板が立っているので、数えなくても分かります)。

尾根伝いに西へ行くルートでは、本丸から順番に数字が大きい郭へ進んでいきます。

四の丸から五の丸方面を見ると、明確に土塁と横堀(よこぼり*6)が残っているのが分かりました。
こんなにはっきりと横堀が見えるとは思っていませんでした。これは楽しい!

下の画像を見て頂ければ、山城好きの方なら興奮するはず。

小谷城の西側は南側の斜面を登ってくる敵兵を防ぐための横堀と土塁があって、横矢をかける(横堀から斜面を這い上がる敵兵を側面から撃つ)ための突起も作られていますが、この近くの姫路市香寺町の恒屋城跡も同様の縄張りをしています。

調べてみると、小谷城は恒屋氏が守っていたという説があるそうです。道理で縄張りが似ているわけです*7

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▲横堀跡や土塁、郭の形状が明確に残っている

「どこまで続いているんだ」と横堀を眺めながら西へ進んでいくと、堀切跡もあるし、「横堀というには複雑すぎるんじゃないか」と思うような奇妙な形の溝もあり、ワクワクが止まりません。
足元を見るのがおろそかになって、何度か躓いて転びそうになりました。

「小谷城 西小丸跡」と刻まれた石の看板が設置された場所を過ぎると、木橋に出会います。

12:49
木橋がありました(地図中「木橋」)。
この木橋は堀切跡にかかっているのですが、それは橋がないと安全に通れないほど明確な堀切が残っているということ。

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▲堀切跡にかかる木橋

木橋から先は、人工的に改変された地形が一切見られなくなります。

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▲木橋から先は整備された遊歩道(真新しいロープがあった)

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▲木橋から先の遊歩道の様子

13:02
加西市道「北条若井線」沿いの登山口に下りてきました(地図中「西入口」)。
尾根伝いコースの東側が東入口なので、西側のこちらは西入口と表記することにします。

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▲北条若井線沿いの登山口(西入口)の様子

この後は、1車線幅の林道のような北条若井線を南へ下っていけば、およそ1.4kmで小谷区公民館に戻れます。

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▲市道「北条若井線」の様子

GPS軌跡を見ると、加西市道「北条若井線」に下りるのにずいぶん遠回りしているように見えますが、それには理由があります。

この市道は山の斜面を削って作られているため、法面が崖になっており、登山道から直接市道へ下りるのは危険なのです。

f:id:dfm92431:20211023195831j:plain▲市道の法面は崖なので、登山道から近道できない

いくつか並んだ池を右に見ながら進めば、立派な屋台蔵の前を通って公民館前に戻ってきます。

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▲屋台蔵

13:23
公民館前の駐車場に戻ってきました。

Googleマップの航空写真を見て気になったことがあったので、荷物を車に積んでから徒歩で陽松寺へ向かいました(地図中「陽松寺」)。

陽松寺は、小谷城跡へ続く大手道跡(?)を利用したハイキングコースの起点になっていますが、お寺の裏に巨大な砂防ダムが造られているのが航空写真に写っていたのです。

砂防ダム建設のためには道路が作られますから、陽松寺から始まる登山道がどうなったのか気になったというわけ。

陽松寺の裏に回ってみると、登山道は作業道に分断されていましたが、登山道が破壊されたわけではなく、従来通りに歩けそうです。

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▲陽松寺

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▲登山道を分断する作業道

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▲陽松寺の裏に作られた砂防ダム「小谷川堰堤(東渓流)」(2021年3月竣工)

15:00頃
自宅に到着。


交通アクセス

自家用車で小谷区公民館へ行くのが一般的です。

公共交通機関利用の場合は、北条鉄道の北条町駅でレンタサイクルを借りるという方法もあります。

北条町駅から小谷区公民館までは、およそ2km。レンタル料は普通の自転車が1回¥300、電動アシスト自転車は1回¥500。利用可能な時間は8:00~19:00です。
詳細は、北条町駅へお問い合わせください。

レンタサイクルを借りるには、身分証明書が必要ですので、お忘れなく。

*1:高価なモデルガンではなく、数百円で売られている物。おもちゃのピストルは爆竹と違って任意のタイミングで音を鳴らせますし、爆竹の導火線は山火事の原因になり得るのに対し、おもちゃのピストルならそんなこともなく安全です。

*2:尾根伝いに登ってくる敵兵の進攻を食い止めるために、尾根を断ちきるように掘られた大きな溝。

*3:等高線と垂直に交わる方向に掘られた溝。斜面を登ってくる敵兵が横方向へ自由に移動出来ないようにする。

*4:NHKBSの番組「英雄たちの選択」の2020年4月8日放送回で、城郭考古学者の千田嘉博氏が紹介していたもの。千田氏は、この小谷城を信長のための御座所(信長が毛利攻めの前線へ移動する際の宿泊施設。)であった可能性があるとしています。

*5:尾根を削って平らにした空間。兵舎や倉庫を建てたり、城を守るための陣地として使われる。

*6:尾根伝いではなく、尾根の両側の斜面を登ってくる敵兵の進攻を食い止めるため、等高線と平行な方向に掘られた溝。

*7:中国攻めの際、秀吉が恒屋源三郎に小谷城と推測される城の守備を命じる文書が九州国立博物館の所蔵品の中にあるそうです。