播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

たつの市の祇園嶽(水布祢コースで登り馬立へ下る)

本日は、いわゆる新龍アルプス(兵庫県たつの市)の北端に当たる祇園嶽(ぎおんだけ)に出かけてきました。

新龍アルプス南部は古代には朝鮮式山城、中世には赤松氏の山城がありましたが、その赤松氏の城山城(きのやまじょう)の出城であったと推測される祇園嶽城があった場所です。

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▲水布祢コースから見た祇園嶽山頂

2018年に祇園嶽城跡に搦め手口から登り、城山城の兵糧道と呼ばれる道で下山するという縦走をしたことがありますので、興味のある方はこちらもご覧ください。

新龍アルプスは何度か歩いていますが、まだ歩いたことの無いルートがあって、それらの道を歩いてみたくなりました。

今回利用したルートは、水布祢(みずふね)コースと馬立(うまたて)コース。

調べてみると、水布祢コースは危険箇所もあるようです。
私の個人的な考えでは、危険箇所は下るより登る方が安全なので、水布祢コースで登り、馬立コースで下山することにしました。

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▲対応する地形図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「龍野」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

09:10
姫路市街の自宅を車で出発。
国道29号線で林田方面へ向かいます。

「追分(おいわけ)」交差点を左折して県道724号線に入り、揖保川を渡ってさらに西へ。

県道724号線は栗栖川(くりすがわ)を渡って間もなく北へ向きを変えます。

栗栖川を渡っておよそ300m、自動車メーカー「スズキ」の看板がある交差点(「城山城 大手」の道標がある)を左折し(1車線幅の道路に入り)、すぐに出会う丁字路をまた左折。その後は道なりに進んで「馬立登山口」のゲートをくぐり、小さな川を渡って墓地に入ります。

この墓地に車を置きました。

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▲墓地の入口にある登山口のゲート

https://goo.gl/maps/1EMdGwesupHdg1eVA
▲駐車地の位置

09:50
墓地に到着(地図中「P」)。

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▲駐車地の様子

10:00
準備を整えて出発。

まずは登山口のゲートを出て最初の交差点を左に曲がります。

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▲ゲートを出てすぐ左へ曲がる

220mほどで丁字路に突き当たるので、それを左に曲がり、道なりに北へ向きを変えて進みます。

「お玉の清水」という井戸(地図中「お玉の清水」)を過ぎて最初の交差点を左に曲がってください。
ここには「越部廃寺」と書かれた背の低い標柱が立っています。

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▲「越部廃寺」の標柱が立つ交差点を左に曲がる

10:13
開きっぱなしの防獣ゲート(地図中「防獣ゲート」)を通り抜け、直ぐに左へ曲がります。

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▲防獣ゲートを通り抜けてすぐ左へ曲がる

両側に背の高い草が生えた、車の轍のある未舗装の道を進むと、間もなくコンクリートの橋に出会うので、それを渡ってすぐ右に曲がります。

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▲コンクリートの橋を渡ってすぐ右へ曲がる

橋を渡ってからは、林道跡のような道を北へ進みます。

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▲林道跡のような道を進む

10:20
川沿いだった林道跡が川から離れてしばらくすると、水布祢コースの入口に出会いました(地図中「水布祢コース入口」)。

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▲水布祢コース入口

ここからやや急な山道を登っていくことになります。

最初の内は自然林の中の気持ちよい道なのですが、しばらくするとシダが出てきました。

ただ、道ははっきりしていて藪ではありません。
道の両側のシダが登山道の上に広がっているだけです。

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▲道の両側にシダが出てきた

やがて道は尾根の北側斜面をトラバースするようになります。

トラバース道の所々で、道の端(谷側)が崩れて道が細くなっている場所があるので、雨天時や雨上がり、雪のある時期など滑りやすい時はこの道を歩かないことをお勧めします

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▲道の端が崩れている場所の様子

私は体を動かすとすぐに暑く感じてしまうため、このシダの多い区間を半袖Tシャツで歩いたのですが、左側から登山道に覆い被さるシダに左腕がこすれて擦り傷がいくつかできてしまいました。

シダの葉は柔らかいですが、茎(?)のような部分が固いのか、シダ以外の植物があったのかは分かりません。
暑くても長袖の服を着て歩くことをお勧めします。

身長より高いシダもあり、その下を通り抜けると背中がチクチクするような感覚になり、蜘蛛の巣もあってかなり不快。

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▲身長よりも背が高いシダがある区間の様子

シダが姿を消すと、間もなく稜線に出ます。

10:51
顔や頭に蜘蛛の巣の残骸が貼り付いているのを一生懸命取り除きながら歩いていたら、見覚えのある鞍部に出ました(地図中「鞍部」)。

祇園嶽城の堀切*1跡のようにも見えます。

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▲鞍部に到着

ここには新しい道標と古い標柱が両方あるのですが、新旧で「市野保(いちのほ)」を指す向きが正反対なのが面白い。

標柱の矢印が指すのが、私が歩いて来た市野保方面からの道(水布祢コース)。
新しい道標が指す方向に行くと、(遠回りになりますが)唐猫谷(からねこだに)*2を通って市野保へ下りられます。

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▲新旧の道標で「市野保」を指す方向が正反対

鞍部からは、祇園嶽に向けて北へ進みます。
少し急な斜面ですが、つづら折れになっていて歩きやすい。

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▲鞍部から祇園嶽方面への道の様子

山頂の直前で、「城山城・出城」方面と「祇園嶽」方面への分岐に出会いました(地図中「山頂・城跡分岐」)。

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▲「山頂・城跡分岐」の様子

標柱の矢印に従って北西に進むと、祇園嶽城(城山城の出城)の曲輪*3跡を見られます(地図中「祇園嶽城跡」)。
ただ、山城が好きな方でないと何も楽しくないので、普通の方にはお勧めしません。

山頂には祇園嶽城についての看板が設置されていて、そこには城郭研究家の木内内則氏による縄張り図も描かれています。

山城好きの方は、まずそれを見てから城跡見学に行ってみてください。

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▲祇園嶽城の曲輪跡(この他に、稜線上に作られた階段状に並ぶ小さな曲輪跡もある)

祇園嶽城跡から「山頂・城跡分岐」まで戻り、いよいよ山頂へ向かいます。

11:06
祇園嶽の山頂に到着(地図中「祇園嶽山頂」)。

三等三角点標石(点名:祗園山)と、明治42年までこの山頂にあった水布祢神社跡地の碑、そして祇園嶽城について説明する看板が立っています。

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▲祇園嶽山頂の様子

祇園嶽城の縄張り図を見ていたら、近くの木からパタパタと不思議な音が聞こえてきました。

息を潜めてその木を見ていたら、ひょこっとリスが顔を出しました。
リスが木の表面を上り下りするときに、妙な音が鳴っていたようです。

何をしているのか分かりませんが、同じ木を登ったり下りたりしているリスを「かわいいなぁ。」と見つめていたら、リスに気づかれて逃げられてしまいました。

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▲祇園嶽城について書かれた看板

祇園嶽城(ぎおんだけじょう)
「播磨国風土記」の「たな(木偏に閣)」坐(たなくら)山に比定される祇園嶽(標高340m)の山頂には、明治42年まで水布祢神社が祀られており、雨乞いの場所でもありました。
祇園嶽に城郭があったという記録や伝承はありませんが、祗園嶽から西側と南側へと延びる尾根上には複数の郭(くるわ)と思われる削平地があり、中世の土器も散布しているので、遺構は城山城の搦手(からめて)を守る城郭であった可能性があります。
(出典:現地の看板 原文まま)

見ての通り、山頂は狭くて雑木に囲まれており、とてもゆっくりできる場所には見えません。

しかし、少し北東へ進むと、素晴らしい展望が広がる岩場があるのです。

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▲山頂から北東へ少し進むと展望を得られる

展望が良いのも当然で、この場所は断崖絶壁の上。
ドローンで撮影してみました。

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▲祇園嶽山頂の展望岩場(ドローンで撮影)矢印の位置に私が立っています。

2013年にこの場所で全天球パノラマを撮影したので、それを掲載します。
どれほど展望が良い場所なのか、ご覧ください。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/giondake20130203/virtualtour.html
▲祇園岳山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2013年2月3日)

祇園嶽の断崖が見える位置で、本日はドローンを使って全天球パノラマを撮影してみました。

どの方向を撮影するときにもレンズフレアのようなものが映ってしまい、見苦しいところもありますがご了承ください。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/giondake20210411/virtualtour.html
▲祇園岳山頂近くの上空で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2021年4月11日)

「觜崎の屏風岩」の遙か向こうには高御位山塊が見え、北東のJSP関西工場の奥に広がる山並みの上からは、明神山が尖った山頂を覗かせていました。

さらに、東は六甲山塊が霞んで見えていましたし、そのまま視線を南東へ移すと、明石海峡大橋の橋脚らしき物まで確認できました。
今日は空気が澄んでいて見通しが最高です。

この素晴らしい景色を楽しみながら頂く本日の昼食は、日清のどん兵衛。
食後のデザートは、シュークリームとインスタントコーヒー。

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▲本日のデザート

ヘリノックスのイスに座って正面を見ると中播磨の山並みが、上を見ると松の枝越しに太陽が、下を見ると県道724号線を走る車やのどかな田園風景が目に入り、なんだか幸せ。
(私の基準では)休日の過ごし方としては最高。とんでもなく贅沢なひとときです。

12:53
何時間でもぼーっとしていられそうな空間ですが、そろそろ下山に取りかからないといけません。
名残惜しいですが、出発。

矢印が正反対の「市野保」を示す道標があった鞍部へ戻りましょう。

12:57
鞍部に到着(地図中「鞍部」)。

ここから城山城方面へ南東向きの斜面を登ります。

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▲城山城方面へ向かう

南東向きの道は、尾根の中心から西へずれた位置に付けられています。
「東麓の街道から、山上の人の行き来を見られたくなかったのかな」などと考えながら歩くのも楽しい。

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▲尾根の中心から外れた道の様子

南東向きの道はすぐ尾根の中心に乗り、南西に向きを変えます。
南西に向きを変えた直後の道は、シダだらけ。

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▲尾根の中心に乗ってすぐ出会うシダ

シダの道はすぐに終わり、自然林の尾根道になります。
途中で急斜面がありますが、トラロープもあって特に苦労はしません。

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▲自然林の尾根道

13:16
馬立方面への道が東へ分岐する場所に到着(地図中「馬立分岐」)。

道標に従って東へ下ります。

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▲馬立への分岐

下りはじめは、真っ白なロープが張られた丸太階段の急斜面です。
丸太階段は長くは続かず、すぐ普通の山道になりました。

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▲下りはじめは丸太階段

13:21
背の高い松の木が数本生えた展望の良い場所が目の前に現れました(地図中「展望岩場」)。

展望岩場は登山道沿いではなく、道が左へ折れる場所から少し直進して行くようになっており、行き止まりです。

狭い場所ですが、単独ならここで食事をしても良いかも。

展望岩場からの景色を楽しんだら、登山道へ引き返しましょう。

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▲展望岩場の様子

地図のGPS軌跡を見て頂くと、登山道は展望岩場から地形図の破線道を離れます。

破線道を離れてから道は斜度が増し、路面の状態も悪くなって歩きづらくなります。
砂が浮いていて滑りやすいところもあるので、慎重に歩かないといけません。

13:25
二股の分岐に出会いました(地図中「坑口跡分岐」)。

左は赤テープが見えており、右はトラロープが張られた砂の急斜面。
方向を考えると右の方が正しい登山道なのかなと思い、右へ。

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▲二股分岐の様子(最初はどちらが正しいのか分からなかった)

トラロープがあっても恐ろしいほど歩きづらい砂の浮いた斜面を下ると、2分ほどで洞窟に出会いました。

鉱山の坑口のようです。

奥行きがありそうに見えますが、危険なので中には入りませんでした。
動物のすみかになっていたり、有毒なガスがあったり、落盤が発生したり、何が起こるか分かりません。

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▲坑口跡

道は坑口跡で行き止まり。
先ほどの分岐へ引き返しましょう。

二股の分岐を左に入った先の道は急斜面で歩きづらいものの、歩く方は一定数おられるらしく、明確な道です。

標高200m辺りで、登山道は水布祢コースと似たようなシダに覆われた道になりますが、距離はわずか。

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▲シダに覆われた道を下った

シダの道を抜けると、植林された広い谷間に出ました。
道は明確なので、どこを歩けばよいのか悩むことはありません。

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▲植林の広い谷間

数分で植林帯を抜けると、今度は自然林の谷間。
一部沢沿いの区間もあります。

標高100mあたりから、自然林の中に半球状の土盛りがいくつも現れます。
これは馬立古墳群(地図中「馬立古墳群」)。

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▲林の中に小規模な円墳がいくつもある

 馬立の狭い扇状地、馬立字上塚と同字野々山には32基からなる小古墳群が所在する。これら全体を馬立古墳群と呼ぶこともあるようである。ただ、この扇状地の中央を貫流する小さな谷川の北岸一帯の緩斜面上(字上塚)に築かれた22基の古墳群と、南岸一帯の北向き斜面(字野々山・同寄山)に築かれた10基の小古墳とは明らかに様相が異なっている。後者については主体部構造の詳細が不明のもの、規模もより小さなものが中心になっているようである。他方、前者はほぼ例外なく、横穴式石室を主体としていることが判明している。
(出典:「姥塚古墳 城山周辺の古墳群と古代遺跡」新宮町教育委員会 2002 p5)

馬立古墳群は2018年に撮影した全天球パノラマがあるので、掲載します。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/umatate20180310/virtualtour.html
▲馬立古墳群で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2018年3月10日)

13:57
駐車地に戻ってきましたが、せっかくなので馬立古墳群の中でも最大の姥塚古墳(うばづかこふん)を見ることにしました。

車を駐めた墓地に入る直前に、北へ延びる坂道に入ります。
この道は、山神社への参道(地図中「山神社・姥塚古墳」)。

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▲この坂道を上がり、山神社を目指す

山神社で、本日一日山歩きを楽しませてもらったお礼を兼ねてお参り。

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▲山神社

山神社に向かって左側に、ぽっかりと大きな口を開けた円墳があります。
それが、馬立古墳群の中で最大の姥塚古墳。

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▲姥塚古墳

県指定文化財 姥塚古墳

指定年月日 昭和51年3月23日
所有者・管理者 (個人名のため省略)

 本墳は、古墳時代後期(6世紀後半)の円墳である。墳丘は二段築成で築かれており、直径18.5メートル・高さ6メートルの規模をもつ。
 内部主体は片袖式の横穴式石室で、ラッパ状に開く羨道部と正方形に近い玄室(3×3.6メートル)からなる。玄室の壁面は極端な持ち送り構造をもち、高さ3.8メートルのドーム状の天井(穹窿型石室)を形成する。このような構造をもつ古墳は朝鮮半島に原型がみられることから、本墳は渡来人の墳墓の可能性がある。
 なお、本墳からは当地域の首長墓等からよく出土する装飾付脚付壺が見つかっている。
 平成2年11月

兵庫県教育委員会
(出典:現地の看板)

この石室の中で撮影した全天球パノラマがあるので、掲載します。
天井が高い石室が綺麗に残っています。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/ubadsuka20180310/virtualtour.html
▲姥塚古墳の石室内で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2018年3月10日)

14:01
駐車地に戻ってきました。

14:40
自宅に到着。

水布祢コースも馬立コースも、一部歩きにくい場所や危険な場所があります。

シダに覆われた道を歩くので、ダニが体に付いたり、胞子が出る時期には舞い上がった胞子を吸い込んで喉が痛くなったり、服や装備品が胞子で真っ茶色に汚れる可能性があります。

今回紹介したルートを歩かれる方は、歩く時期を適切に選び、装備を調えて歩いてください。


交通アクセス

自家用車がもっとも便利ですが、公共交通機関ではJR姫新線が利用できます。
JR姫新線の新宮駅から水布祢コースの防獣ゲートまで、およそ2.1km。
馬立コース入口の墓地からJR新宮駅までは、およそ2.7kmです。

*1:ほりきり。尾根を断ちきるように深く掘った溝。山城で、敵の進攻を防ぐために作られた。

*2:山城の裏口にあたる「搦め手(からめて)」が訛ったとする説があるようです。

*3:くるわ。倉庫や小屋などを建てたり、あるいは戦うために斜面を削って平坦にした場所。