播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路城 冬の特別公開「ぬの門・リの二渡櫓」

姫路城では、冬に観光客が減少する対策として「通常は非公開」の場所を公開しています。

令和2年度の冬(2021年2月)の特別公開の対象は、姫路城 「ぬの門」と「リの二渡櫓(わたりやぐら)」。お菊井戸のある上山里曲輪(かみやまざとくるわ)の西側にある建物です。

ただでさえ観光客が激減して人が少ない姫路城ですが、朝一番に行けばさらに人が少なく、快適に姫路城の非公開エリアを見られるはず。

というわけで、朝から姫路城に出かけてきました。

f:id:dfm92431:20210220130828j:plain▲城内側から見た「ぬの門」

イベント名称: 世界遺産・国宝 姫路城 冬の特別公開
期間: 2021年2月1日(月)~2月28日(日)
時間: 9:00~16:30(最終入城 16:00)
公開場所: ぬの門、リの二渡櫓
観覧料: 300円(姫路城の入城料¥1,000が別途必要)
注意事項: 三脚等やフラッシュの使用、飲食は禁止されています。

09:00
「開門」のかけ声と共に、入城口のゲートが開放されました。
券売機で入城券(大人ひとり¥1,000)を購入し、姫路城の有料エリア内へ。

入城口から緩やかな坂を上ったところにある「菱の門」を通過。
いつ見ても格好いい門です。

f:id:dfm92431:20210220130911j:plain▲菱の門

姫路城を見学される方は、菱の門を抜けたら天守に向かって直進するか、あるいは左に進んで西の丸を見学するのが一般的ですが、今回は特別公開の対象エリアを見ることだけが目的。

最短距離で「ぬの門」と「リの二渡櫓」に向かうため、菱の門を抜けたら右へ進み、「るの門」をくぐりました*1
「るの門」を抜けたすぐ先が「ぬの門」。

扉が鉄板で覆われた無骨な門です。

https://goo.gl/maps/EB2PqgBJPMkXVXga8
▲ぬの門の位置

f:id:dfm92431:20210220131005j:plain▲外側(二の丸側)から見た「ぬの門」

「ぬの門」をくぐった先は、お菊井戸のある上山里曲輪(かみやまざとくるわ)。
今回特別公開される「ぬの門」と「リの二渡櫓」は、その上山里曲輪の西を守っています。

「ぬの門」を抜けた先*2で係員さんの指示に従って「リの一渡櫓」へ入りました。
その入口にチケット窓口があり、観覧料として¥300を支払います。

「リの一渡櫓」内は、大名行列についての展示場所
大名行列で使われた道具類や、大名行列の実態に関する説明パネルが並んでおり、詳しく解説してくれる音声も流れています。

f:id:dfm92431:20210220131053j:plain▲「リの一渡櫓」内の展示物

説明パネルによると、姫路城から江戸城までの距離はおよそ640kmで、片道19日(18泊19日)かけて移動したそうです*3。費用は、1回の大名行列で約1億7千万円。ちなみに、姫路藩の大名行列の長さは400m(16両編成の新幹線と同じ長さ)とのこと。

安永7年(1778年)の大名行列の記録では、行程は以下のようになっていたそうです。

5月16日:姫路
5月17日:明石
5月18日:西宮
5月19日:大阪
5月20日:伏見
5月21日:石部
5月22日:関
5月23日:桑名
5月24日:宮
5月25日:赤坂(愛知県)
5月26日:浜松
5月28日:掛川
5月29日:島田
5月30日:駿府
6月 1日:吉原(静岡県)
6月 2日:箱根
6月 3日:大磯
6月 4日:戸塚
6月 4日:江戸

大名行列の場面で「下にー」というかけ声を時代劇で聞くことがありますが、あのかけ声を使うのは御三家だけとのこと。

音声ガイドを聞いたり説明パネルを読んでいると飽きませんが、人が少ない内に「リの二渡櫓」と「ぬの門」を見学したいので、「リの一渡櫓」を出ることにしました。

「リの一渡櫓」を出て直ぐ左(「リの二渡櫓」の1階)は、明治、昭和、平成の3つの鯱瓦が展示されています。
それらを眺めてから「リの二渡櫓」の内部へ。

 大天守の鯱瓦が展示されている式台構えは、実は1階南室の内部で、この部屋だけ城内側が開放されているため、それを利用して庇の下から展示物を観覧できるようにしている。しかし、南室だけ開放されているというのも不思議で、そうした構造にした理由が不明であった。本来南室は開放されておらず、庇のところに2間四方の一室が城内側に張り出すように設けられていたことが、昭和の大改修後、古写真で判明した。現在のリの一渡櫓からリの二渡櫓への庇や式台構えは、明治の修理で改変されたものである。
(出典:現地のパネル)

f:id:dfm92431:20210220131252j:plain▲鯱瓦を見てから「リの二渡櫓」へ入る

リの二渡櫓(初公開)
ぬの門の西に接する櫓がリの二渡櫓である。2階建ての建物で、1階の城外側は石垣が築かれ、室内は穴蔵になっている。酒井時代には火薬の原料となる苧殻を貯蔵していた時期がある。
城内側の南室は開放され、天守大棟の鯱瓦を展示している。
リの二渡櫓の南側にはリの一渡櫓・チの渡櫓があり、大名行列の衣装や調度品を特別展示しています。
(出展:姫路城 冬の特別公開チラシ)

「リの二渡櫓」に入ってすぐの部屋は北室で、土の壁で東西2つの区画に分けられており、どちらの区画も二の丸方面への通路に向けて格子窓と鉄砲狭間(さま)が設置されています。

f:id:dfm92431:20210220131331j:plain▲リの二渡櫓2階北室は東西2つの部屋に仕切られている(2つの部屋を仕切る壁の前に説明パネルが置かれている)

f:id:dfm92431:20210220131342j:plain▲リの二渡櫓2階から「ぬの門」の外側を攻撃するための格子窓と鉄砲狭間

f:id:dfm92431:20210220131357j:plain▲リの二渡櫓2階(北室)の天井部分

説明用のパネルが置かれた東側の区画から西側の区画に入ると、鯱瓦が展示されている部屋の真上の空間(2階の南室)を見ることができます(立ち入りは禁止)。

f:id:dfm92431:20210220131414j:plain▲鯱瓦が展示されている部屋の真上の部屋の様子(立入禁止)

リの二渡櫓2階の様子は、以下の全天球パノラマでご覧頂けます。
北室は東西2つの区画に分かれていますが、それぞれで撮影しました。パノラマ画面左上のリストで切り替えてください。
室内は薄暗く、三脚等の利用が禁止されているため、手持ちで撮影した関係上、画質は悪いです。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/himejijo20210220-1/virtualtour.html
▲リの二渡櫓2階で撮影した全天球パノラマ(撮影機材:RICOH Theta Z1)

リの二渡櫓2階からは、菱の門や三国堀方面への見通しがよくききます。
菱の門までの直線距離が65mほどですし、撃ち下ろす角度になるため、火縄銃でも十分に有効な攻撃ができたことでしょう。

f:id:dfm92431:20210220131452j:plain▲リの二渡櫓2階の格子窓から菱の門と三国堀方面を見る

開いていた鉄砲狭間から外を覗くと、二の丸から続く通路を正面に見ることができました。

お城は軍事施設ですから、美しい外観だけでなく「戦うための工夫」も味わってみてください。

f:id:dfm92431:20210220131533j:plain▲リの二渡櫓2階の鉄砲狭間から、二の丸方面に続く通路を見る(道が左へカーブする付近までの直線距離は40mなので、火縄銃の有効射程内*4。)

「リの二渡櫓」の見学が終わったら、次は「ぬの門」へ。
「リの二渡櫓」と「ぬの門」は、外観ではつながっていますが、中から行き来することはできない構造になっています。

そのため、「リの二渡櫓」をいったん出て、「ぬの門」を通る通路を渡った反対側の端から「ぬの門」に入らないといけません。

f:id:dfm92431:20210220131618j:plain▲「リの二渡櫓」をいったん出てから「ぬの門」へ入る

ぬの門(初公開)
三国堀のある曲輪から上山里曲輪へ入る関門である。3階建ての櫓門で、櫓部が2階建てになっている珍しい城門である。建物内部には階段がなく、上下階の行き来ができない。門部は全て鉄板張りで、門部の上に隠し石落としがある。
櫓2階の出格子窓も石落としになっている。
(出展:姫路城 冬の特別公開チラシ)

「ぬの門」の櫓部は2階建てになっていますが、見学できるのは1階だけです。

f:id:dfm92431:20210220131717j:plain▲「ぬの門」櫓部1階の様子(奥の壁の向こうが「リの二渡櫓」)

ぬの門櫓部1階内部の様子は、以下の全天球パノラマでご覧頂けます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/himejijo20210220-2/virtualtour.html
▲ぬの門櫓部1階で撮影した全天球パノラマ(撮影機材:RICOH Theta Z1)

「ぬの門」の櫓部1階で興味深いのは、二の丸方面の窓の下が全体にわたって石落としになっている点です。

f:id:dfm92431:20210220131735j:plain▲「ぬの門」櫓部1階、二の丸側の窓の下(赤枠内)は石落とし

f:id:dfm92431:20210220131749j:plain▲窓の下にある石落とし(開いた状態で展示されている)

ところで、「石落とし」という名前から、これが石を落とすための設備だと思われている方も多いと思いますが、実際は真下に向けて銃を撃つための銃眼です(ぬの門の場合は槍も使われていたかも)。

あんな細い隙間から落とせる程度の石を落としたところで、殺傷能力は期待できません。

櫓の角に設置されている石落としを想像してみてください。
角にしかないので、石を落とすための設備なら、石垣の中央部に対しては何もできませんよね。
しかし、鉄砲であれば斜め下に向けて発砲することで、石垣の中央付近に対しても攻撃が可能です。 

f:id:dfm92431:20210220131826j:plain▲姫路城で見られる一般的な石落としから鉄砲で攻撃できる範囲(大まかな想像です)

なぜ真下に向けて攻撃するための「石落とし」が必要なのかは、攻め手の立場で想像すると何となく分かってきます。

攻め手が土塀に開いた狭間や櫓からの攻撃を避けようとすると、「石垣の下部に貼り付けば狭間からの攻撃を受けなくて済む」ことに気づきます。
実際に狭間から外を覗くと分かりますが、石垣にピタッと貼り付かれると、城兵からは死角になって攻撃できません。

狭間から撃たれないよう石垣の真下に攻め手は集まるので、それを攻撃できる設備が必要なのです。

本題に戻りましょう。
「ぬの門」の石落としは、門の全幅に渡って開口部があるという厳重さ。
閉じている扉を開けようと門扉の前にいると、真上から鉄砲で撃たれ放題、槍で突かれ放題という仕掛けです。

f:id:dfm92431:20210220131846j:plain▲「ぬの門」の外側には、門を突破しようとする敵兵を頭上から射撃できるよう石落としがある(赤枠内)

f:id:dfm92431:20210220131911j:plain▲石落としの蓋が開いている場所を外から見上げるとこのように見える(赤枠内)

櫓部1階には二の丸方面に向けて鉄格子の窓もあるので、攻め込んでくる敵兵に対しては窓からも攻撃が可能。
太い格子のある武者窓ではではなく細い鉄格子の窓なので、視界が良く、広範囲を射撃できます。

f:id:dfm92431:20210220131940j:plain▲「ぬの門」櫓部1階から二の丸方面への通路を見る

以上を踏まえて、攻め手の立場から「ぬの門」を見るとこうなります。

あらゆる方向から攻撃を受ける恐ろしい場所です。

f:id:dfm92431:20210222221239j:plain▲ぬの門を外側から見る(矢印は姫路城の城兵による攻撃のイメージ)

二の丸から攻め込もうとすると、「リの二渡櫓」の窓や鉄砲狭間から攻撃され、何とか「リの二渡櫓」に近づいても、鉄板で覆われた頑丈な「ぬの門」の門扉が立ちはだかっており、それを開けようとしている間は「ぬの門」の櫓部から攻撃を受け続けることになります。

「ぬの門」の櫓部2階の出入口を隠すための土塀が昔はあったので、おそらくその土塀にも狭間があり、そこからも攻撃をされたはず。
「リの二渡櫓」の真下にある石垣に攻め手がたどり着き「ここなら撃たれない」と思ったら、側面から撃たれることになります。

普段は立ち入れない門と渡り櫓から姫路城の恐ろしさを存分に味わうことができたので、満足して姫路城の有料エリアから出ました。

有料エリアを出てすぐ「官兵衛普請の石垣(かんべえふしんのいしがき)の看板に出会いました。

そういえば、今日見た渡櫓のある上山里曲輪の直下にあるのが、黒田官兵衛が関わった可能性があると言われる石垣です。

ということで、上山里曲輪を支える石垣を見に行くことにしました。

その石垣は、「官兵衛普請の石垣」の看板に従って東へ進むと出会えます。

https://goo.gl/maps/wAEdnFwzKnm9VN3b7
▲官兵衛普請の石垣の位置

f:id:dfm92431:20210220132328j:plain▲官兵衛普請の石垣(左上に写っているのは「リの一渡櫓」の南に接している「チの櫓」)

上山里下段石垣
 正面の石垣は、上山里下段石垣で、現存する姫路城の石垣のなかでその特徴(※積み方、石材の加工)からみて十六世紀後半の天正期に築かれた石垣、すなわち天正八年(一五八〇)~九年に羽柴秀吉によって築かれたと考えられます。
 羽柴秀吉は、中国(毛利)攻めのため小寺(黒田)官兵衛の姫路城を拠点とし、当時としてはめずらしい三重の天守を持つ新しい城郭を築きました。その後、姫路城は池田氏や本田氏による大改修を経て、大きく進化しました。
(中略)
 当時、秀吉が官兵衛に宛てた書状(※黒田家文書)によると、秀吉は最も頼りとする重臣で地域の事情に精通している官兵衛にも築城を命じており、この石垣も官兵衛が関わった可能性があり、現在の姫路城にも官兵衛時代の名残が存在しています。

平成二十五年 姫路市教育委員会

(出典:現地の看板)

この石垣の北端には、東京都谷中の姫路城主酒井家墓地から移された石灯篭もあります。

石灯篭の奥にある五輪塔は、姫路城の修築工事の際に石垣から出てきたものを積み上げて供養したものだそうです。

f:id:dfm92431:20210220132426j:plain▲官兵衛普請の石垣の前にある祠と石灯篭

官兵衛普請の石垣を眺めてから家路に就きました。

家を出てから帰ってくるまで一時間足らずのお手軽な散歩でした。

*1:姫路城の天守を見学したい方は、このルートを通らないでください。このルートでは、天守に入れません。

*2:一般的なルートで姫路城観光をされる方にとっては、「ぬの門」をくぐる手前になります。

*3:1日平均36kmを移動したそうです。

*4:Wikipediaの記事によると、人間の胸部の大きさの的に30mの距離で5発発射して5発が命中、50mで5発中4発が命中したとされています。最大射程は数百メートルありますが、狙った場所に確実に当てられる距離としては50m程度と考えて良さそうです。