播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

岡山県の備中松山城を散策

お盆休みは鶉野飛行場跡やお墓参りに行ったくらいで、他は何もせずぼーっと過ごしていたのですが、山歩きの禁断症状が出てきました。

しかし、この暑さの中で山歩きをするのは体に悪そう。
楽に登れる山で、(疲れたら寝て帰りたいため)公共交通機関で移動できるところはないかなと考えていたら、岡山県の備中松山城を思いつきました。

かなり上の方まで車で上がれますし、山城なのに天守が残っているという、城跡好きには魅力的な場所です。

お城に興味がない方でも、猫が城主を務めているお城といえば、聞いたことがあるのではないでしょうか。

というわけで、思いついてすぐ、ろくに計画も立てずに出かけてきました。

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▲備中松山城の天守

備中松山城
 臥牛山の山頂を中心に築かれた城郭遺構。時代により城郭や縄張りをかえながらも中世から近世まで連綿と営まれた連郭式山城で、創建以来、備中制覇のための拠点として幾多の攻防が繰り広げられている。なかでも戦国時代末期の天正2~3年(1574~1575)に起こった「備中兵乱」では、毛利8万余騎の軍勢に、織田方に通じた備中松山城は落城。当時の城主三村氏が滅ぶと毛利氏が東方進出の拠点としている。現存する城郭は、臥牛山の一支峰である小松山山頂にそびえる近世備中松山城(小松山城)で、城内には天守・二重櫓・土塀の一部が現存している。天守が現存する山城としては全国でもっとも高い位置(比高差370m)にあることでも有名で、平成6年からは、重要文化財を中心に本丸が復元整備されている。

沿革
 鎌倉時代の延応2年(1240)に有漢郷(現在の上房郡有漢町)の地頭 秋庭三郎重信により臥牛山のうち大松山に砦が築かれたことに始まる。その後、城の縄張りは時代とともに変化するが、なかでも天正2年(1574)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれる出丸が築かれていたことが記録に残り、臥牛山全域が一大要塞となっていたことがうかがえる。
当時の城主であった三村氏没後も、毛利氏の東方進出の拠点として、また毛利氏が防長二国に退いてからは、備中国奉行 小堀正次・政一(遠州)により修改築がなされるなど備中の要衝としての役割を担っている。以降、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主がかわり明治維新を迎えるが、現存する天守などは、天和3年(1683)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられる
(出典:ふいご峠の看板)

一般の観光客が備中松山城に登る最短ルートは、山の中腹にある「ふいご峠」まで車で移動し、そこから徒歩で遊歩道を進むというもの。

観光客が多い時期は麓からふいご峠までシャトルバスが運行されており、自家用車は峠に上がれません。

11:18
JR姫路駅を新幹線こだま849号(博多行)で出発。

11:42
岡山駅に到着。
在来線の乗り換え口へ行き、2番線へ。

12:05
特急やくも11号(出雲市行)で岡山駅を出発。

12:41
備中高梁駅に到着。

備中高梁駅の西口を出てすぐ右にある「高梁ほっとカフェ」というお店で備中ビーフカレー(¥850税込)にランチセット(サラダ、ヨーグルト、飲み物が付く。¥200税込)を付けて昼食。

観光地の飲食店ということで期待していませんでしたが、良い意味で期待を裏切られ、美味しい昼食を楽しめました。

お客さんが入れ替わり立ち替わり入ってこられていたので、人気のあるお店なのでしょう。

13:15
高梁ほっとカフェを出て、備中高梁駅前のタクシー乗り場へ。

タクシー乗り場にはタクシーが1台もおらず、電話で呼ぼうとしたところ、備北タクシーの車がちょうど通りかかったので、乗せてもらいました。

今日は平日でシャトルバスが運行されていないため「ふいご峠までお願いします。」と運転手さんに告げ、涼しいタクシー車内から歴史がありそうな洋館や、石火矢町の古い町並みを楽しみました。

高梁高校をすぎてしばらくすると、道は1車線幅の峠道になります。
「対向車が来たらどうするんだろう」と思っていると、車に出会うことなく「ふいご峠」に到着。料金は¥1,450でした。

後で分かりましたが、峠道の上と下で無線機を持った係員さんがいて、下る車がいたら登ろうとする車を下で待機させ、登る車がいたら、ふいご峠から下ろうとする車に待ってもらうということをされています。

そのため、対向車と鉢合わせになることはありません。
ふいご峠まで自家用車で登られる場合は、係員さんの指示に従ってください。

土日祝祭日など観光客が多い時期は、自家用車は峠まで登れず、車は麓の城見橋駐車場に止めることになります。そして、峠まではシャトルバスで移動するようになっていますので、ご注意を。

https://goo.gl/maps/UNppYVLD3a4VMX847

▲シャトルバス運行時に自家用車を置くことになる「城見橋駐車場」の位置

13:25
ふいご峠に到着。

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▲ふいご峠駐車場のようす

https://goo.gl/maps/gm9pTDsBPA51hczJ9

▲ふいご峠の位置

ふいご峠には、お手洗いと休憩所があるので、登る前にはお手洗いに行ったり自販機で飲み物を補充し、下山後は休憩所で一休みすると良いでしょう。

休憩所にはパンフレットやA4サイズの地図があるので、必要に応じてそれらも入手しておいてください。

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▲ふいご峠のお手洗い

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▲ふいご峠の休憩所

13:29
休憩所に向かって右側から始まる遊歩道へ入りました。

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▲ふいご峠から始まる遊歩道の入口

斜度は緩やかですし、しっかり整備されていて歩きやすい遊歩道です。木陰になっているのもありがたい。

しかし、暑さ*1のため汗が噴き出してきました。

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▲遊歩道はしっかり整備されており、序盤はなだらか。

「大したことはないだろう」と甘く見て、山歩き用ではない普通のコットン素材の服や下着を身につけて来たことを大いに後悔しました。汗がまったく乾かないのです。

道標によると、ふいご峠から備中松山城の天守までは700mの道のり。

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▲遊歩道に立つ道標

ふいご峠から100mを過ぎたところで道は石段になり、斜度がきつくなってきました。

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▲石段の道

石段は思いのほか長い。
しかし、よく整備されているため歩きにくいとは感じません。

13:37
突然、目の前に石垣が出てきました。
「中太鼓櫓跡」(現地の石柱の表記は「上太鼓丸」)です。

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▲中太鼓櫓跡の石垣が見えた(遊歩道は木陰だが、石垣の上は日陰がない)

中太鼓櫓跡(なかたいこやぐらあと)
石垣で造られた櫓台などが残っています。太鼓を叩くための櫓があったと考えられており、下太鼓の丸跡と同様に太鼓によって城へ情報を伝達していたといわれています。
(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

瓦片が散乱する中太鼓櫓跡からは、南側の展望を少し楽しめます。

しかし、照りつける日光がきつすぎて、展望が好きな私でも景色を楽しんでいられません。肌が露出している腕がヒリヒリするので、とっとと日陰の遊歩道へ戻りました。

中太鼓の丸跡から先も階段の道ですが、今までとは違ってコンクリート製の階段です。

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▲中太鼓の丸跡から先の階段の様子

13:47
大手門跡に到着。

汗だくでヘロヘロになっていましたが、山の上でこんなに立派な門の跡に出会うと、今までの疲れが吹き飛びます。

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▲大手門跡

大手門跡(おおてもんあと)

 小松山城跡への入口にあたる門であり、両脇の櫓台の上に建物が建築され、その下部に門が設けられた櫓門形式の門です。また門の前面にはもみじがあり、春には新緑が、秋には紅葉を楽しむことができ、大手門跡ともみじが織り成す景観は見どころです。

(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

この石垣に見覚えがある方もおられるかも。

実は、NHK大河ドラマ「真田丸」(2016)のオープニングでは、この大手門跡の石垣に土塀がCGで加えられた映像が使われています。

大手門跡を抜けると、少しの距離ですが土塀に沿って坂を上ります。

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▲大手門跡を抜けた後は土塀沿いの坂を上る(手前の土塀は現存、奥は復元)

三の平櫓東土塀(さんのひらやぐらひがしどべい)(重要文化財)

 天守と二重櫓と同様に現存するもので、山城に現存している土塀としては珍しいものです。城内には、もう一箇所、大手門脇の岩盤上に現存する土塀があります。復元した土塀は、この土塀を参考にして復元しています。狭間(さま)は、弓を射る矢狭間(やざま)、鉄砲を撃つ筒狭間(つつざま)があります。

(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

土塀沿いの道の先にある広い空間は三の丸跡。
ここから見上げると、何層もの石垣の迫力がたまりません。

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▲三の丸跡から見上げた石垣群

三の丸から黒門跡を通り、お手洗いのある御膳棚(ごぜんだな。料理を作る場所)跡や厩曲輪(うまやくるわ。馬をつないでいた場所)跡を左右に見ながらさらに登って行くと、二の櫓門跡を抜けた先で広大な二の丸跡に出ます。

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▲黒門跡

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▲御膳棚跡はお手洗いになっている(これより先にお手洗いはありません)

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▲二の丸跡(本丸跡近くから振り返って撮影。奥が二の櫓門跡。)

二の丸跡に入ると、まず奥にある一段高い本丸跡と備中松山城の天守が視界に飛び込んできます。

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▲二の丸跡から見た本丸跡と天守(中央は五の平櫓、その左に六の平櫓があり、その間に南御門がある。2つの平櫓と南御門は復元。中央の石段を登った先に券売所がある。)

天守(てんしゅ)(重要文化財)

 国内で山城に残っている唯一の天守。天和3年(1683)から残っているといわれています。二層二階の層塔型で、本来は八の平櫓から連なる連結式の天守です。一階には、天守では珍しく囲炉裏がきってあり、籠城時の城主の居室である装束の間も設けられています。二階には、御社壇(ごしゃだん)と呼ばれる神棚が祀ってあります。

(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

本丸(ほんまる)

 天守や二重櫓がある曲輪(くるわ)です。かつては天守と二重櫓のみが残っていましたが、平成9年(1997)に五・六の平櫓、南・東御門、土塀などを復元し、往時の姿を想像することができるようになっています。

(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

14:56
本丸跡への石段を登った先、南御門の向かい側に券売所があり、そこで入城券(大人ひとり¥500)を購入。

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▲天守前から南御門を振り返る(左の五の平櫓は管理事務所、右の六の平櫓は展示室になっている。管理事務所前に猫城主「さんじゅーろー」が過ごす空間があるが、猫なのでいつもいるとは限らない。)

本丸跡から見て天守の左下にある出入口から天守へ入ります。

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▲天守にぽっかり開いた出入口

出入口を通り抜けると下駄箱があるので、そこで靴を脱ぎます。
新型コロナの感染対策のため、共用のスリッパはありません。

先ほど、「天守の左下にある出入口」と書きましたが、もともと、ここは天守の出入口ではなく、渡り廊下の一部でした。

下の画像で親子連れが立っている場所に櫓(八の平櫓)があり、そこから天守まで渡り廊下がつながっていたのです。

攻め手が天守に入るには、右側の天守から攻撃を受けながら、八の平櫓を制圧しないといけなかったというわけ。

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▲天守前に残る櫓跡と廊下の跡(人が立っている場所に櫓があり、そこから今の出入口まで渡り廊下がつながっていた。)

天守の本当の出入口は、下のようになっています。
有事には階段を引っ込めて扉を閉じ、敵の侵入を防ぐ構造。

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▲天守への実際の出入口

天守の中の様子はGoogleマップに掲載されていますので、そちらをご覧ください。

1階も2階もストリートビューで見られます。

https://goo.gl/maps/mDfSpb5Mc6tPyMiZ9

▲備中松山城天守内のGoogleストリートビュー

天守の1階と2階をつなぐ階段は、途中で直角に折れ曲がった不思議な形。
現地の看板によると、登ってくる敵のスピードを落とすための工夫だそうです。

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▲上の方で直角に左へ折れ曲がっている階段

お城の天守としては珍しく、ここには囲炉裏があります。

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▲天守1階の囲炉裏

囲炉裡(いろり)
板石造り、長さ一間、幅三尺籠城時の城主の食事、暖房用に用いられたと言われている。
天守閣の中に切りこみの囲炉裡があるのは全国でも珍しい。これは戦国時代備中の首都として、この城の激しい争奪戦が幾度も繰り返された経験から生まれたものである。
(出典:現地の看板。原文まま)

1階の北側には、階段を上がって入る中二階のような部屋があるのですが、そこは看板によると「装束(しょうぞく)の間」と呼ばれる籠城時の城主の生活空間で、落城の際はそこで自害するそうです(「装束の間」の写真を撮り忘れました)。

天守の中は気温が低いのですが、風がないため汗が引かず、滝のように汗が流れ落ちてきます。

他の観光客の方も同様のようで、疲れ切って天守の中で座り込んでいる人もいました。

14:15
天守を出ると、猫の姿が!
猫城主さんじゅーろーです。

私にジロジロ見られても、カメラを向けられても全く動じません。
さすがは城主。

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▲バケツの水を飲む猫城主さんじゅーろー


猫城主さんじゅーろーが再始動

さんじゅーろーを見て癒された後は、二の丸跡へ下り、本丸跡の東側を北に延びる道へ入ってみました。

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▲本丸跡を左に見上げながら北へ進む(左上に写っているのは東御門)

さらに北へ進むと、搦手(からめて。裏口のこと。)門跡があり、その先ではそびえ立つ二重櫓の姿を楽しむことができました。

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▲北へ伸びる道の様子

二重櫓は名前の通り二階建てですが、それがなぜ「そびえ立って」いるのかというと、岩盤の上に建てられているから。

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▲二重櫓は、岩盤の上に築かれた石垣の上に建っている(逆光下で撮影)岩盤の右の石段は二重櫓へ通じ、左の石段は天守と二重櫓の間の門に通じている。左の石段の下端から僅かに左へ下ると、搦手門がある。

二重櫓(にじゅうやぐら)(重要文化財)

 天守と同様に現存する建物であり、備中松山城内では唯一の二階建ての櫓です。天然の岩盤の上に石垣を築き、二重櫓が建築されています。出入り口が二箇所設けられており、有事の際には天守から裏側へ逃げるためのものであった可能性もあります。

(出展:ふいご峠で配布されていた「備中松山城 城山ウォーキングマップ」)

北から攻め込む場合、敵はこの二重櫓を制圧しないと本丸には入れません。二重櫓から天守への通路が漆喰の壁で挟まれた狭い道なのは、一気に攻め込まれないようにするための工夫でしょうか。

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▲天守側から見た二重櫓(本丸と二重櫓をつなぐ通路は狭い)

14:20

二重櫓からふいご峠へ下山開始。

まだ北に古い遺構がたくさんあるのですが、暑さで疲れ切っていたので、そろそろ下山することにしました。

大手門跡まで下り、立体的な石垣群の姿を再び満喫。

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▲大手門跡付近から見上げる石垣が素晴らしい

先ほど、搦手門跡を見たときに「道はどこへ通じていたんだろう?」と疑問が沸きました。道は崩壊しているらしく、搦手門跡から外を見ても、道の形跡が分からないのです。

しかし、大手門跡から下る時に斜面の下を見ると、道のようなものが見えました。方向を考えると、搦手門跡に通じていそうです。

道のように見えた所へ近づくと、「犬走(いぬばしり)」と刻まれた石柱が立っていました。

犬走は、連絡用の細い道のこと。

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▲大手門跡の下に残る犬走跡(左上に大手門跡が写っている)

犬走は一部だけ残っていて、多くは崩落している様子。
涼しい季節に、この犬走跡をたどってみるのも面白いかも。

注:有害鳥獣駆除(?)と思われる銃声が頻繁に聞こえていたので、道のない山の中を歩くのは危険かも知れません。

14:40
ふいご峠に戻ってきました。

往路で運転手さんにいただいたカードに書かれた番号に電話をかけ、タクシーを呼びました。

タクシーが来るまでの間、休憩所でお土産物を売っている女性と雑談。

汗だくの私を見て扇風機の風を当ててくれたり、色々とお話を聞かせていただいたので、お礼も兼ねてさんじゅーろーがデザインされたメモ帳を購入。

10分ほどでタクシーが来ました。

15:03
備中高梁駅に到着(運賃は迎車料金も含めて¥1,860)。

15:07
岡山行の特急やくも18号が備中高梁駅を発車。

15:40
岡山駅に到着。

姫路に止まる先発の新幹線は15:49発。
急いで新幹線乗り場へ向かい、すでにホームに止まっていた新幹線こだま852号(新大阪行)に乗車。

16:24
姫路駅に到着。

備中松山城は、山歩きも城跡散策も楽しめる、山城好きにはたまらない場所だというのがよく分かりました。
天守も二重櫓も、土塀の一部も現存ですからね。

行ったことのない方は、ぜひ一度訪ねてみてください。
ただ、季節は選んだ方が良いです。

家に帰った時点でも、服や下着は汗でびしょ濡れのまま。
山歩き用の服や下着が、いかに高性能なのか思い知りました。

参考資料

きちんと高梁市の許可を得た上でドローン空撮を行った方の動画がYoutubeにありましたので、転載します。備中松山城への遊歩道の全行程の様子も撮影されていますので、大変参考になると思います。


【天空の城】備中松山城【空から攻める山城】 attack the castle from sky

注意事項

  • 曜日や時期によって、車で上がれる範囲が変わります。繁忙期は麓のシャトルバス乗り場がある駐車場に車を止め、ふいご峠までは有料のシャトルバスで移動。閑散期は、ふいご峠まで車で上がれます。
  • 麓からふいご峠までの道は1車線幅しかなく、途中ですれ違うのが困難です。そのため車が峠道に入ると、逆方向から進入しようとする車に対して係員さんがストップをかけます。ふいご峠まで車で上がれる日は、ふいご峠や麓の係員さんの指示に従ってください。
  • ふいご峠に飲料の自販機があり、缶やペットボトル用のゴミ箱はそこに用意されています。自販機の飲料容器以外のゴミを捨てるゴミ箱は用意されていません。ゴミは各自で持ち帰ってください。
  • 古い城跡なので、段差や階段が多くあります。車いすでは見学できません。
  • ふいご峠から城跡までは、山道です。見た目を優先した履き物では、安全に歩けない、あるいは足に負担がかかる可能性があります。スニーカーのように歩きやすさが考慮された靴を履いていくことをお勧めします。天守に入る際は靴を脱ぐ必要があるので、脱ぎ履きのしやすさも大切です。
  • 本丸へ入る際に入城料が必要です。二の丸跡までは、無料で入れます。
  • 開城時間は季節により異なっていて、4月~9月が9:00~17:30、10月~3月が9:00~16:30です。
  • 重要文化財の建物があるため、高梁市の許可を得ずにドローンを飛ばすことは禁止されています。

*1:アメダスでは、この日の高梁市の最高気温は36度を越えていました。