播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市の書写山に六角坂で上り、刀出坂で下る

姫路市の有名な観光地「書写山」。

標高300mほどの山の山頂一帯に古い寺院が建ち並ぶ山上の様子は、数々の映画や時代劇*1のロケ地として使われるほど魅力的。観光客も多くやってきます。

そんな山の上に普通の観光客が行けるのは、ロープウェイがあるから。

そのロープウェイは年に一回の点検のため、毎年運休します。
今年の運休は2020年1月20日から3月17日まで。

この期間に書写山観光を楽しむには登山道を歩いて登るしかなく、山歩きをしない普通の観光客にとってそれはキツイ。そのため、ロープウェイの運休中は観光客が来ず、静かな書写山を楽しむ絶好の機会になります。

観光地を静かに楽しめるこの機会を活かすため、本日は書写山に出かけてきました。

午後に用事があるため私にしては早い時間帯の行動で、山の上で昼食も食べていません。

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▲書写山圓教寺本堂(摩尼殿)

書写山に登るための登山道(参道)は、一般的なものだけで以下の6本があります。

  • 置塩坂
  • 東坂
  • 西坂
  • 六角坂
  • 刀出坂
  • 鯰尾坂(ねんびざか)

マイナーなところでは、349.8m三角点(点名:書写山)ピーク付近から北東へ下る清水坂というルートもあります。

dfm92431.hatenablog.jp

今まで書写山に歩いて登るのに使ったルートは、東側のルートばかり。
せっかくなので歩いたことのない西側の参道を歩こうと思い、六角坂で登り、刀出坂で下ることにしました。

下山後すぐ帰れるように、車は刀出坂登山口の登山者用駐車場に置くことにします。

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」

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▲カシミール3Dで作成したルートの断面図

07:50
姫路市街の自宅を車で出発。

書写山の西を流れる菅生川(すごうがわ)の右岸*2沿いの県道411号線を北上し、「打越」交差点をすぎておよそ550mの位置にある三叉路を右折。

樫谷橋で菅生川を渡って北へ60mほど進んだところにある三叉路を右折し、細い道に入ります。

この三叉路の目印は、「刀出の固寧倉(こねいそう)」(地図中「固寧倉」)。

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▲ここから東へ入る(中央に写っている建物が固寧倉)

刀出の固寧倉
 固寧倉は、姫路藩主酒井忠道が文化六年(1809)に設けた備荒貯穀用の倉庫で、固寧倉の名称は書経の「民は惟(こ)れ邦(くに)の本(もと)、本固ければ邦寧(やす)し」の中から固寧の二字が選ばれた。扁額の揮毫は林檉宇のもの。
 刀出の固寧倉は、天保十一年(1840)正月に建築を願出、二月十六日に許可され、十一月に完成し、天保十二年十二月に扁額が与えられた。切妻造り平入りの土蔵で長5.4メートル、横3.6メートル、軒97.5センチメートルとなっている。

姫路市文化財保護協会
(出典:現地の看板)

固寧倉から200m弱ほど東へ進んだところで、登山口に突き当たります。
突き当たりを右折して60mほど行くと登山者用の駐車場があるので、そこに車を駐めました。

https://goo.gl/maps/hutgqdDeqQfqhxpK8

▲駐車場の位置

08:05
駐車場に到着(地図中「P」)。

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▲刀出登山口近くにある登山者用駐車場(姫路市が管理する土地)

この駐車場の東側にはソーラーパネルが並ぶ「姫路刀出太陽光発電所」(平成27年1月13日運転開始)がありますが、ここは昔、木造の市営住宅が建ち並んでいた場所。

県道411号線を通る時、赤い屋根の同じような形の家がびっしり並んでいる光景が見えたのを覚えています。

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▲市営住宅があった頃の刀出が写った航空写真(1980/10/15国土地理院撮影。出典:国土地理院ウェブサイト)

08:11
準備が整ったので出発。
まずは六角坂登山道の登山口を目指します。

駐車場から北へ進み、突き当たりを左へ。
ここは、駐車場へ来るときに右折した刀出坂の登山口。

この角にある神社はちょっと珍しいので、紹介しておきます(地図中「天神神社」)。
何が珍しいかというと、建っている場所。

古墳の上に作られているのです。

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▲天神神社(天満神社?矢印が示しているのは玄室の入口。)

刀出古墳
 円墳で片袖の羨道のある横穴式石室古墳。 玄室の幅は約1.5メートル、長さ約7.9メートル。
 封土上に天満神社が建てられている。神社の階段の南の石垣の中に玄室の入口がのぞいている。

姫路市文化財保護協会

(出典:現地の看板)

ここには、「香山構跡」と刻まれた石柱も立っています。

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▲香山構跡の石柱

赤松大系図によると室町時代置塩城主に仕えていた本庄新十郎長永は谷口樫谷穴師を領地としていた
(出典:香山構跡の石柱)

神社にお参りしたら西へ進み、固寧倉のある三叉路を左折。
そして、樫谷橋を渡る手前を左へ入り、菅生川の左岸にある未舗装の道を南へ進みます。

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▲樫谷橋を渡る直前の未舗装の道に入る

左手に墓地や解体業者の資材置き場を見ながら川沿いをおよそ1km南下すると、峰相小学校前から東へ延びる道と出会うので、そこ(六角北橋の東詰め)を左折。

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▲ここを左に入る

道なりに300mほど東へ進むと、車道と昔ながらの細い道が交わる小さな交差点(カーブミラーがある)があるので、それを左に入ります。

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▲ここが六角坂の入口

https://goo.gl/maps/SWcVQVw8BAftY9mVA

▲六角坂入口の地図

道は左と直進の二股に分岐しますが、左は大年神社(登山者用駐車場がある)で、直進が六角坂登山道です。

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▲左は大年神社への道、直進が六角坂参道

この分岐には、「御幸道(おなりみち)」の説明が書かれた看板がありました。
説明を読むと、六角坂参道が御幸道というわけではなさそう。

御幸道
御幸道とは花山法皇が西暦1002年(長保四年)書写山「円教寺」の開祖「性空上人」の隠居所「通宝山弥勒寺」(所在地夢前町坪)を訪ねたとき通られた道とされています。御幸道は「書写西坂」「床坂」から六角「大年神社」の東あたりを経て万燈山すそを「刀出墓地」へ、
山際に見るからに昔の古道を感じさせる轍の跡と見られる痕跡がある天然石の橋があります。
(出典:現地の看板。設置者不明。)

08:35
せっかくなので、大年神社にもお参りをしましょう(地図中「大年神社」)。

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▲大年神社

大年神社
 六角の氏神。慶長年間(1596~1615)の創建と伝える。数十メートル奥の万灯山麓にあったが、江戸末期に現在値に遷った。秋祭りの宵宮には長さ一メートル余の割木を井桁に組み、二メートル余の高さに積んで燃やし、神に供える柴灯(さいと)という神事がある。

平成一三年三月
姫路市教育委員会
姫路市文化財保護協会

(出典:現地の看板)

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▲大年神社前の駐車場

お参りを済ませたら「▲左は大年神社への道、直進が六角坂参道」の画像の分岐に戻り、六角坂参道へ。

六角坂に入って間もなく、室町時代に作られた笠塔婆に出会いました(地図中「笠塔婆」)。
いかに歴史の長い道なのかがよく分かります。

六角坂石造笠塔婆
 姫路市指定文化財
 全長約2m、市内の同時代の笠塔婆としては、最大のものである。 宝珠は後補のものであるが、塔身の形状や笠の曲線など室町時代前期の特徴をよくあらわしている。正面には、阿弥陀の種子(キリーク)を刻んでいる。

姫路市教育委員会

(出典:現地の看板)

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▲六角坂に入ると間もなく、古い石造笠塔婆に出迎えられる(矢印が指しているのが笠塔婆)

畜産関係の施設跡(?)や、周囲に塀の跡が残る削平地を左手に見ながら、軽四ならギリギリ走れそうな道を進みます。

08:46
砂防ダムの横を通過(地図中「砂防ダム」)。

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▲砂防ダム

砂防ダムを過ぎると道幅は狭くなりますが、それでも歩きやすくて快適な道。

砂防ダムまでの道が広かったのは、ダム建設工事用に拡幅したためでしょうか。

水の流れる心地よい音が聞こえる沢沿いの六角坂はなだらかで、汗もかかずにどんどん進んでいけました。

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▲六角坂の様子

08:56
炭焼窯跡の横を通過(地図中「炭焼窯跡」)。

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▲炭焼窯跡

南向きに広い谷が延びている場所(地形図で破線が南へ向きを変える場所)は、石積みで補強された削平地と南向きの道がありますが、ロープが張られて通行止めのような雰囲気になっていました。

09:12
北向きに延びる谷の入口で、小さな石の道標に出会いました(地図中「道標」)。

南面に「右しよしゃ」と刻まれていることから登山道は東へ谷沿いに付けられていることが分かりますが、誤って北の谷に入る人がいるのか、北向きの谷の入口はロープでふさがれています。

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▲北向きの広い谷の入口

標高250m付近からは、歩きやすかった今までの道と異なり、普通の山道のような雰囲気に変わります。

例えば、下の写真のような雰囲気。
道の様子が唐突に変わるので、「登山道からはずれてしまったかな?」と不安になりますが、倒木の先に道の続きがあります。

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▲標高250m付近からは道の様子が変わる

石積のある斜面に突き当たって道が左(北)へ向きを変えると、円教寺の境内は間近です。

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▲この石垣に突き当たると、境内はすぐ

09:27
突然幅が広くなった坂道を少し登ると、摩尼殿の下にあるはづき茶屋の横に出てきました(地図中「はづき茶屋」)。

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▲バリケードの奥から出てきた(左はロープウェイ乗り場へ続く一般的な道)

ここは書写山円教寺の建物の中で最も有名かも知れない摩尼殿(まにでん)のすぐ下です。

どのような場所かは、以下の全天球パノラマでご覧下さい*3

パノラマ画面左上のリストから、「摩尼殿下」「石段上」「摩尼殿前」「摩尼殿からの景色」の四種類のパノラマを切り換えてご覧いただけます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20200307-1/virtualtour.html

▲摩尼殿の全天球パノラマ

摩尼殿を見学した後は、摩尼殿の北を通る道に入り、数々の映画やドラマの撮影に使われた三つの堂(大講堂・食堂・常行堂)を見に行きました。

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▲摩尼殿の北側にある白い看板の矢印に従って三つの堂へ向かった

摩尼殿から三つの堂までの距離は、およそ250mです。

どういうわけか途中で道はバリケードで封鎖されていて、バリケードの手前の石段を下り、摩尼殿の下を通って三つの堂に通じる道に合流。

09:57
三つの堂に囲まれた場所に到着しました(地図中「三つの堂」)。

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▲三つの堂

上の画像で最も大きく写っているのが大講堂で、その左が食堂(じきどう)、左端にちらっと写っているのが常行堂(じょうぎょうどう)です。

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▲常行堂

三つの堂を見渡せる場所と、食堂の北にある弁慶の鏡井戸で撮影した全天球パノラマを掲載します。

パノラマ画面左上のリストから、「三つの堂」「弁慶鏡井戸」の2つのパノラマを切り換えてご覧いただけます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20200307-2/virtualtour.html

▲三つの堂の前で撮影した全天球パノラマ

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▲弁慶鏡井戸

弁慶鏡井戸
 書写山には武蔵坊弁慶が少年時代を過ごしたという伝説があり、この鏡井戸や勉強机が今に伝えられている。
 昼寝をしていた弁慶の顔に、喧嘩好きな信濃坊戒円(しなのぼうかいえん)がいたずら書きし、小法師2、30人を呼んで大声で笑った。目を覚ました弁慶は、皆がなぜ笑っているのか分からない。弁慶は、この井戸に映った自分の顔を見て激怒し、喧嘩となる。その喧嘩がもとで大講堂をはじめ山内の建物を焼き尽くしてしまったと言われている。

平成26年3月 姫路市教育委員会

(出典:現地の看板)

弁慶鏡井戸から西へ進んだところには、開山堂があります。

10:07
開山堂に到着(地図中「開山堂」)。
中から木魚の音と読経の声が聞こえてきて、神秘的な雰囲気。これこそお寺の本来の姿ですね。

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▲開山堂

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20200307-3/virtualtour.html

▲開山堂前で撮影した全天球パノラマ

この開山堂には面白い言い伝えがあります。

軒下の四隅に左甚五郎の作と伝えられる力士の彫刻があるが、四力士のうち北西隅の一人は、重さに耐えかねて逃げ出したという伝説がある。

(出典:現地の掲示されている開山堂の説明看板から一部を抜粋)

肝心の「北西隅の一人」は、開山堂の方を向いて入口に立った時右奥にあたる角ですが、開山堂の中からは非常に見づらい位置にあります。
開山堂の外からであれば、何とか力士の像がない状態を確認できます。

開山堂に向かって左側、護法堂拝殿から南へ下る石段があり、この短い石段を下ったところから、本日下山に利用する刀出坂が始まっています。

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▲護法堂拝殿脇の石段から刀出坂の入口を見る

ここでお手洗いに行きたくなったので、石段を下り、刀出坂の入口を無視して直進。
立派な石垣沿いの道を上りました。

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▲展望台・金剛堂方面へ進んだ

10:16
石垣の上にある広い空間には、金剛堂が建っています(地図中「金剛堂」)。

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▲金剛堂

金剛堂
三間四方の小堂で、もとは普賢院という塔頭の持仏堂であった。内部には仏壇を設け、厨子を安置しており、天井には天女などの絵が描かれている。
性空上人は、この地において金剛薩埵にお会いになり、密教の印を授けられたという。
(出典:現地の看板から一部を抜粋)

金剛堂から東へ進むと鐘楼があるのですが、その手前に公衆トイレがあります。
そこで用足し。

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▲鐘楼

鐘楼 国指定重要文化財(昭和25年8月29日指定) 鎌倉時代
袴腰付で腰組をもった正規の鐘楼で、全体の形もよく整っている。
寺伝によれば、鐘楼は元弘2年(1332)に再建、鐘は元亨4年(1324)に再鋳とされる。いずれも確証はないが、形や手法から14世紀前半のものと推定されている。
鎌倉時代後期の様式を残す鐘楼として県下では最古の遺構であり、全国的にも極めて古いものとして貴重である。
銅鐘は、兵庫県指定文化財(昭和25年8月29日指定)で、市内では最古のつり鐘である。
(出典:現地の看板)

トイレを済ませた後は金剛堂のある削平地に戻り、その削平地の南にある展望台へ(地図中「展望台」)。

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▲展望台

展望台と金剛堂のある削平地でも全天球パノラマを撮影しました。

パノラマ画面左上のリストから、「展望台」「金剛堂」の2つのパノラマを切り換えてご覧いただけます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20200307-4/virtualtour.html

▲展望台と金剛堂前で撮影した全天球パノラマ

見ていないところも色々とありますが、一通り円教寺の境内を見たことにして下山開始。

開山堂下の刀出坂入口へ引き返します。

10:32
刀出坂の入口に到着。

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▲刀出坂の入口

下り始めると、次から次へと登ってくるハイカーに出会いました。

登りに使った六角坂と比べて歩く人が多いらしく道はよく整備されており、徒渉地点では靴を濡らさず渡れます(橋があったり、石の上を歩いて渡れるようになっていたりする)。

普通のスニーカーで歩いても問題なさそう。

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▲刀出坂の様子

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▲徒渉地点の橋

斜度がきつい場所(全体がなだらかなので、斜度がきついといっても知れています)は、石畳のようになっていました。

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▲石畳のような所もあった

手すり代わりのロープが張られた徒渉地点を渡ると、道幅は一気に広くなります。

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▲手すり代わりのロープが張られた徒渉地点

11:05
太陽光発電所の南東に出ました。
ここから太陽光発電所の敷地沿いに北へ進み、北東の角からは西へ進みます。

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▲太陽光発電所の敷地沿いに進む

11:08
刀出坂登山口のゲートに到着(地図中「刀出坂ゲート」)。

ここは「登山道出入口」と書かれたプレートが付けられた登山者用の扉を開けて出入りします。

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▲刀出坂登山口にあるゲート

車を通すための大きな扉もありますが、これは外側のかんぬきを外さないと開かず、そのかんぬきは扉の内側からは操作できません。

登山者用の扉は、かんぬきを動かすレバーが扉の両面にあるため、ゲートの外からでも内からでも簡単に開閉できます。

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▲刀出坂登山口のゲートにある登山者用の扉は両面から開閉操作ができる(矢印が指しているのが開閉用レバーで、扉の両面についている)

ゲートを出て左に進むと、すぐに駐車場です。

11:12
駐車場に到着。
来たときには私の車も含めて3台しか止まっていませんでしたが、下山時には10台以上の車がとまっていました。

六角坂も刀出坂もどちらもなだらかで、ほとんど汗をかかず、楽に上り下りすることができました。
こんなに良いルートを今まで歩いたことがなかったなんて、損をしていた気分です。


交通アクセス

公共交通機関を利用される場合は、姫路駅前の神姫バス18番乗り場を発車する41系統または42系統のバスが利用できます。41系統または42系統のバスは、固寧倉の北140mにある「刀出」バス停を通るので、往路は刀出バス停で下車。下山後は刀出バス停から姫路駅へ戻ることができます。

書写山上を東へ縦走し、ロープウェイの山麓駅前のバス停(「書写山ロープウェイ」バス停)から路線バスで姫路駅へ帰ることもできます。

バスの本数は少ないので、あらかじめ神姫バスのWebサイトでバスの時刻を調べてください。

*1:映画「関ヶ原」2017年、映画「本能寺ホテル」2017年、大河ドラマ「軍師官兵衛」2014年、映画「ラストサムライ」2003年など。

*2:川下を向いて川の中に立ったとき、右に見えるのが右岸、左が左岸です。

*3:この記事内の全天球パノラマは、すべてRICOH THETA Z1で撮影したものです。