播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路城 冬の特別公開「太鼓櫓・帯の櫓特別公開」

姫路城では近年、冬の時期の観光客減少への対策として、通常は非公開となっている区画を特別公開しています。

2020年2月の特別公開の対象は、太鼓櫓(たいこやぐら)と帯の櫓(おびのやぐら)の一部。

太鼓櫓・帯の櫓(一部)
姫路城の大天守のふもと、備前丸は、かつて姫路城を築城した池田輝政の御殿があったところです。
その備前丸の南東で、城の防御において射撃などを行う場所として帯曲輪が築かれました。
今回は、普段は公開していない太鼓櫓と帯の櫓(一部)の内部をご覧いただけます。
(出典:姫路城冬の特別公開リーフレット)

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▲太鼓櫓と帯の櫓(喜斎門跡付近から撮影)

イベント名称: 世界遺産・国法 姫路城 冬の特別公開 「太鼓櫓・帯の櫓特別公開」
公開場所: 太鼓櫓・帯の櫓(一部)
公開期間: 2020年2月1日(土)~2020年2月29日(土)
公開時間: 9:00~16:30(最終入城16:00、閉城17:00)
見学料: 無料(別途姫路城の入城料:大人ひとり¥1,000が必要)

特別公開の対象である太鼓櫓と帯の櫓を、他の観光客がいない状態で見学するために、午前9時の開城と同時に一目散に太鼓櫓を目指しました。

登城口から太鼓櫓・帯の櫓への最短ルートは、以下の通りです。

注意!
今回は、特別公開の対象エリアだけを見に行くため、以下のルートで行動しました。
太鼓櫓と帯の櫓は、通常の見学順路を進むと大天守を見た後に訪れることになる場所です。
ここで紹介するルートは太鼓櫓と帯の櫓を見るための最短ルートであり、大天守の中には入れないのでご注意下さい。

登城口で入城券を購入した後、菱の門を抜けます。

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▲菱の門

菱の門をくぐった先ですぐに右へ曲がり、突き当たりのように見える場所の左手にある「るの門」(埋門)をくぐります。

るの門
孔門と呼ばれる形式の門。この門は天守への近道となる門で、門の造られている石垣全体が城内側に若干振られるように造られています。そのため菱の門からは、この門は見えなくなっていて、ここを通る道は「間道」といわれています。
(出典:姫路城公式サイト)

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▲有事には埋めて塞ぐことができる「るの門」

次は右へ進み、修復中の「ぬの門」を抜けてお菊井戸横を通ったら「りの門」をくぐります。

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▲お菊井戸(右手前)と、太鼓櫓のある「りの門」(左奥)

この「りの門」に接している櫓が「太鼓櫓」。

通常の見学順路で歩いた場合は、この北にある帯の櫓の方を先に見学することになるので、太鼓櫓は素通りし、まずは帯の櫓を目指しました。

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▲帯の櫓

帯の櫓(一部公開)
姫路城内で最も高い石垣の上に建つ櫓です。もともとは南側の長屋1棟だけだったものをある時期に北側と東側にもカギ型に櫓を増設したため、平面はコの字型になっています。南側の長屋は数寄屋風の建物で、全3室あり、西室に簀の子天井があり茶室として利用されることがあったとみられます。
(出典:姫路城冬の特別公開リーフレット)

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▲帯の櫓内部(立入禁止)

帯の櫓は外から室内を見るだけで、中には入れませんでした。

昔は帯の櫓の下にある東郭(通称「腹切丸」)へも下りられたのですが、今はこの辺り一帯が立入禁止になっています。
何か危険な要素が見つかったのかも知れません。

続いて「りの門」へ引き返し、太鼓櫓の中へ。

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▲太鼓櫓の出入り口

太鼓櫓(初公開)
江戸時代には、「への櫓」と呼ばれていました。出格子付きの窓がりの門前を見下ろす位置につけられ、同時に上山里曲輪から備前丸へ向かう通路への関門となりました。上山里曲輪東面に対する横矢ともなるカギ型の櫓です。
(出典:姫路城冬の特別公開リーフレット)

太鼓櫓(へノ櫓)
現在は太鼓櫓と俗称されているが、江戸時代はへノ櫓と呼ばれていた。櫓は平屋で、建物は入口から北室・南室・西室と3部屋があり、逆L字状の曲屋になっている。
城外から遠望すると、隅角部に反りのある高石垣の上に建っているため、平屋ながらとても目立つ櫓となっている。
また、北室と南室の窓と石落としの位置から、三の丸から搦手に通じる姫山東側への攻撃が想定できる。
城内では、上山里から東帯曲輪に通じる通路を押さえる位置する。櫓台の石垣は出隅にし、備前丸側の石垣を入隅にして通路を屈曲させた虎口とし、西室と石垣の間をりノ門が塞ぐ。西室には通路に沿って出格子付きの窓が開けられているので、番所の機能もあったのだろう。室内は明治の修理で改変や撤去されたところが多かった。そのため、昭和の大修理の際に、天井や床、窓の引戸などを復旧している。
また、りノ門では軒天井裏面から「慶長四ねん大工五人」の墨書が発見され、慶長4年(1599)、すなわち池田輝政が姫路城主になる前に、この門がすでに築かれていたことになる。この櫓と門のあたりの縄張りは、輝政による築城でも踏襲された可能性がある。
(出典:現地の看板。原文まま)

太鼓櫓には部屋が3つあり、全て立ち入ることができました。

3つの部屋はL字型に並んでおり、出入り口は北室と呼ばれる部屋の北面にあって、その床は四半敷きの瓦。東側の窓から外を見下ろすための、縁側のような武者台も北室には設置されています。

その南に南室があり、その西に広い西室があります。

この西室に太鼓が置かれていたので太鼓櫓と呼ばれるようになったそうですが、太鼓は当初、時刻を知らせるために三の丸付近に設置されていたもので、三の丸の建物を解体した陸軍がここへ移動させたとのことです。その太鼓も、今は失われています。

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▲太鼓櫓の西室

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▲西室からお菊井戸のある二の丸を見る

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▲南室から二の丸(上山里曲輪)東面を見る(石垣を登る敵を側面から攻撃するための「横矢」になっていることが分かる)

太鼓櫓の内部を全天球パノラマで撮影してみました。

パノラマ画面左上のリストで3つの部屋を切り換えたり、画面内の円形アイコンをクリック/タップしてその先の部屋のパノラマへ切り換えることができます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/himejijo20200223/virtualtour.html

▲太鼓櫓の中で撮影した全天球パノラマ(撮影機材:Ricoh THETA Z1)

通常は立ち入ることのできない場所からの眺めを堪能し、姫路城の有料エリアを後にしました。

登城口を出てすぐの場所にはテントがあり、次から次へと人が何かを買っていきます。
「なんだろう?」と思って近づくと、2月の間だけ限定で販売される「御城印」の販売所でした。

せっかくなので、記念に1枚を購入(価格は1枚¥300)。

御城印の発行元は、公益社団法人姫路観光コンベンションビューローです。

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▲御城印を販売するテント

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▲御城印(中央が御城印。左端は御城印が入っていた封筒で、右は説明書き)

特別公開も御城印の販売も2020年2月末までの期間限定ですので、まだ行かれていない方はお急ぎ下さい。