播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

平荘湖(加古川市)の空撮パノラマと行者山の石仏

先週末、加古川市にある平荘湖周囲の山並みを歩きましたが、その際にやり損ねたことが2つありました。

一つは、平荘湖全体が写ったパノラマ画像を撮影すること。
もう一つは、行者山の石仏がいつ作られたものか確認すること。

というわけで先週に引き続き、今週末も平荘湖へ出かけることに。

先週歩いた詳細なルートなどは、以下の記事からご覧いただけます。

dfm92431.hatenablog.jp

平荘湖のパノラマを撮る前に行者山に行ったのですが、ほとんどの方は山頂の石仏に興味が無いと思いますので、石仏が作られた時期は後回しにし、まずは平荘湖での空撮パノラマから紹介します。

平荘湖全体を写すのに最適な場所がどこなのか考えた結果、平荘湖に浮かぶ“ひょうたん島”*1の頂上(標高70m)から、ドローンで空撮をすることに決めました。

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「加古川」

地図の中で「P」と表記してあるのは、駐車場の位置です。

駐車場を出て南東へ進むと、下の画像の場所に出会います。
これがひょうたん島への入口。

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▲ひょうたん島への入口

初めのうちは笹の間の明確な道ですが、斜面に入ると分岐がいくつかありますし、藪っぽいところもあります。

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▲初めのうちは明確な道

ひょうたん島の中を通る山道に、道標はありません。
どの道が山頂に続いているのかは、道の向きや雰囲気で判断してください。

ひょうたん島の入口から歩くことおよそ5分、標高70mの山頂に到着しました。
ただの雑木林で展望はありません。

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▲ひょうたん島の最高地点の様子

山頂の少し東で空が開けた場所があったので、そこをドローンの離着陸場所にしました。

撮影できた平荘湖の空撮全天球パノラマはこちら。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/heisouko20200125/virtualtour.html

▲ひょうたん島の上空で撮影した全天球パノラマ

平荘湖のひょうたん島がどんな場所なのか、検索してもほとんど情報が見つかりませんでしたが、本日初めて歩いてみて理由が分かりました。

それは、まったくハイキングに向いていないから。

平荘湖は、周囲を歩くだけにしておいた方が良さそうです。

 

続いては、行者山の山頂にある石仏について。

平荘湖の北西、黒岩山のさらに西にある行者山の山頂には、役行者(えんのぎょうじゃ)像を含む3体の立派な石仏があります。

中央が役行者で、左に写っているのは不動明王、右は蔵王権現。

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▲行者山山頂にある3体の石仏(先週撮影した画像)

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▲行者山の山頂にある役行者像。役行者の右足の下にいるのは後鬼で、左足の下にいるのは前鬼。(先週撮影した画像)

あまり風化しておらず新しさが感じられるので、いつ作られたものなのかが気になり、先週は不動明王像の裏に刻まれた文字を写真に撮って帰宅。

しかし、写真から文字を読み取ろうとしても、よく見えませんでした。

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▲役行者像に向かって左にある不動明王像の背面に刻まれた施主の名前(先週撮影した画像)

本日はこの石仏を再訪し、特殊な撮影技法で文字の部分を撮影。
その後、画像処理をして文字を読みやすくしてみました。

結果は以下の通り。

これらの石仏の施主は後藤長次という方で、昭和8年4月に建立されたことが分かります。

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▲特殊な撮影技法と画像処理により、刻まれた文字を読み取りやすくした画像

役行者像自体の背面には、発起者について文字が刻まれています。これも写真では文字が読みづらい。

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▲役行者像の背面に刻まれている発起者の名前など

こちらも特殊な撮影方法と画像処理を行うと、簡単に読めるようになりました。

発起者は神吉庄吉さんと神吉松次さんであることが分かります。

左端の日付は読み取りにくいですが、「昭和八年四月吉日」と読めます。
(「昭」の上にも文字があるように見えますが、よく分かりません)

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▲特殊な撮影技法と画像処理により、刻まれた文字を読み取りやすくした画像

役行者像の背面には、これを作った石工さんの名前も刻まれています。
これは、画像処理をしなくてもはっきり読み取れました。

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▲役行者像を作った石工さんは、東高室(加西市)の小倉さんという方(先週撮影した画像)

念のため、読みやすく処理した画像も載せておきます。

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▲特殊な撮影技法と画像処理により、刻まれた文字を読み取りやすくした画像

この方法で読み取れた内容をキーワードにしてGoogleで検索したところ、以下のことも分かりました。

『かんきの要覧』によると、「行者山の名前は古くて其の年代は不明である。しかし平成二十二年より三百十二年前(元禄十二年)役の行者の壱千年忌大供養が行われたと古書にある。行者山の峰に役の行者を供養して、石像を有志が建てたが、明治年間に大破して基礎石のみ残った状態であったので、神吉庄吉主催となり神吉村有志と諮り、行者菩薩及び不動明王の石像を再建し、昭和八年四月二十九日開眼供養した」と記されている。

(出典:神戸学院大学 地域研究センター 平成28年度 研究成果報告書「第 1 部 都市近郊農村のよりよい生活環境を目指して ―加古川市東神吉町神吉山を中心とするフィールドワークから―」 神戸学院大学人文学部人文学科地域社会領域 矢 嶋 巌)

先週やり残したことを2つとも実現でき、大満足の一日になりました。

*1:正式名称ではありません。形が瓢箪型なので、勝手にそう呼んでいます。