播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

昭和初期の気動車「キハ2号」一般公開イベント「円長寺駅まつり」

兵庫県加古川市には、かつて別府鉄道野口線という路線がありました。
別府川の河口にある多木化学株式会社の工場で作られた肥料を、鉄道輸送するために作られた路線です。

別府鉄道野口線は、当時国鉄加古川駅(現在のJR加古川駅)と国鉄高砂駅(現在は廃止)を結んでいた国鉄高砂線の野口駅(鶴林寺の少し北)から東へ延び、山陽電車別府駅の東を通って多木化学株式会社の工場につながっていました(国鉄高砂線も別府鉄道野口線も、1984年に廃止)。

そこを走っていた車両「キハ2号」は、長らく廃線跡沿いの広場に展示されていますが、長い年月の間風雨にさらされていたため、傷みが酷くなっていました。

そこで「旧別府鉄道キハ2号を守る会」の方々が外観の修復を行い、さらに車両脇に移設された踏切の警報器や遮断機も復元。

その綺麗になった車両と踏切を一般公開するイベントがあることを神戸新聞の記事で知り、出かけてきました。

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▲キハ2号のある円長寺広場の様子

イベント名称: キハ2号一般公開イベント「円長寺駅まつり」
日時: 2019年11月10日(日)10:00~15:00
場所: 円長寺広場

https://goo.gl/maps/ahPVDX8kHipuj9XNA

主催: 旧別府鉄道キハ2号を守る会
備考: 加古川ツーデーマーチの5kmコース沿いに位置しているため、同イベントと同日程で開催。

旧別府鉄道 キハ2号を守る会

旧別府鉄道 キハ2号を守る会は、別府鉄道野口線(現在は 松風こみち)を走っていた 気動車キハ2号の修復を行っています。
 キハ2号は、日本でも最古級(昭和6年製)の歴史的に貴重な半鋼製車輌です。昭和59年の廃線後、円長寺ポケットパークに静態保存されていましたが、その後 長らく放置されたままになり傷みが激しく撤去の危機にありました。
当会では、2014年 車内清掃からはじまりキハ2号の復活に向けた各種活動を行っています。
(出典:現地に掲示されていたポスター)

09:56~10:06
JR姫路駅から新快速で加古川駅へ。

加古川駅の南口を出て西へ進むとレンタサイクル「駅リンくん」があるので、そこで自転車を借りました。
1回のレンタル(翌日午前10時まで)は¥400。

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▲駅リンくん加古川店

レンタサイクルに乗って加古川駅からJRの線路沿いに東へ向かいます。
セブンイレブンのある名前のない交差点を東へ渡り、さらに100mほど進んだ所にある三叉路を右折。

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▲ここを右折する

300mほど南へ進むと国道2号線と交わる「平野東」交差点があり、そこから南は「鶴林新道」と呼ばれる道路になっています。この鶴林新道は、国鉄高砂線の廃線跡(「平野東」交差点から北も廃線跡です)。

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▲緩やかなカーブから廃線跡らしさを感じる鶴林新道(国鉄高砂線跡)

加古川駅から加古川線の線路が東へ延びてすぐ北東へ向きを変えますが、そのカーブから国鉄高砂線は南へ分岐していました。
Googleマップを見ると、今でも住宅街の中にその線路跡の形状が見て取れます。

さて、国鉄高砂線跡の道路は「平野東」交差点から南西に向きを変えますが、そのまま道なりに行くと、加古川市少年愛護センターや神戸地方法務局加古川支局などの役所が建ち並ぶ場所を右手に見ながら進むことになります。

その先で出会うのは、国鉄高砂線の野口駅跡。

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▲気動車の台車がモニュメントとして飾られている野口駅跡

高砂線野口駅の歴史

大正2年12月1日 播州鉄道加古川町~高砂口間開通時に開業
大正10年9月3日 別府軽便鉄道野口駅開業
昭和18年6月1日 播丹鉄道会社線全線鉄道省に買収され高砂線となる
昭和59年11月30日 日本国有鉄道高砂線廃止
昭和63年4月2日 特定地方交通線代替バス輸送転換開始
(出典:現地の看板) 

野口駅跡から鶴林新道を200mほど南西に進んだところにある「安田北」交差点の南東で、タイルで舗装された歩道に出会いました。

この歩道(歩行者と自転車専用)が、かつて野口駅から始まっていた別府鉄道野口線の廃線跡です。

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▲「安田北」交差点(矢印が示しているのが歩道の入口)

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▲廃線跡の歩道は「松風こみち」

松風こみち案内

経過
 別府鉄道(株)は、大正10年8月に野口・別府港間3.6kmを旅客輸送を主目的として創業し利用されてきましたが、大きな社会経済の変化によって昭和59年1月31日に惜しまれながら廃止されました。
 松風こみちは、この別府鉄道跡地を市民に親しまれるアメニティ空間をもった歩行者(自転車)専用道として整備したものです。

事業の概要
 松風こみちは、加古川市中心市街地の官庁街から臨海部の副都心に連絡する歩行者(自転車)専用道です。
 近年の急速な都市化と、モータリゼーションの進展によって、緑のオープンスペースの減少と、車による交通公害が著しいところから、自動車を排除した安全で快適な緑のある歩行者空間と、うるおいとやすらぎのある生活空間を確保するために、沿道および周辺の環境との調和を図りながら、また市内に点在する公園、史跡を結ぶグリーンのネットワークとして建設しました。

事業内容
延長 3,095.0m
幅員 平均7.0m(4.3m~13.0m)
自・歩道幅員 3.0m
植栽 高木 黒松(市木) 530本
   低木 つつじ(市花)6,700本、その他240本
休養施設 旧駅舎跡 4箇所、広場 1箇所
     (シェルター、ベンチ、水のみ場、その他
事業期間 昭和62年度~平成元年度
事業費 約7億6,000万円

(出典:「安田北」交差点に立っている看板。原文まま)

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▲別府鉄道野口線跡を利用した歩道の様子

別府鉄道野口線跡の歩道は2019年11月現在、Googleマップでは緑色の線で表示されています。
この廃線跡の歩道をのんびりとサイクリング。

途中、別府川を渡るところには当時の鉄橋がそのまま残っており、今は歩行者/自転車用の橋として活用されています。

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▲別府川にかかる鉄橋

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▲鉄橋の側面

10:37
鉄橋を渡り、廃線跡を南東に進むことおよそ800m、本日の目的地である「キハ2号」のある円長寺広場に到着。

キハ2号の前には物販のテントが設置されていた他、鉄道模型や鉄道車両の部品(方向幕)が展示されており、修復にあたったグループのメンバーや、本日のイベントを盛り上げるために来られたのであろう鉄道アイドル(「こがちひろ」さんという女性)のファンらしき人たちや、私のようにキハ2号にしか興味がない人たちなどで賑わっていました。

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▲美しく蘇ったキハ2号

 昭和六年七月 日本車輌製。三岐鉄道が客貨分離運転するため、日本車輌から購入した五●ガソリン動車の後身である。昭和三十九年十●月二十四日、三岐鉄道から別府鉄道が譲り受け●主に野口線で使用され、両妻面に装備されている荷台は、行商人の携帯する鮮魚・野菜・自転車等を置くためのものであり、現存する機械式気動車としては、全国的に希少価値がある。

キハ2号の性能諸元表

重量 15.7t
   半鋼製 2軸ボギー
主要寸法 長さ 12.92m
     幅 2.72m
     高さ 3.555m
     車輪幅 127mm
      直径 860mm
     内面距離 990mm
性能 エンジン 日野N80
    DA55 直列6気筒
出力 8●PS
   歯車比 4段
   制動機 空気及び手用
   連結器 シャロン式
    上作用自動連結器
製造 昭和6年7月
   日本車輌製造(株)
  旧番号 5
(出典:現地のパネル。 ●は、パネルの汚損で読み取れない文字を示す。)

  

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▲鉄道アイドルの物販テント(中にご本人がおられました)

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▲キハ2号をモデルにした鉄道模型の展示(子供達が夢中で操作していました)

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▲方向幕の展示(キハ2号とは関係ありませんが、おそらく鉄道好きの方のための展示)

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▲上の方向幕の裏面

会場の様子の写真はこれくらいにして、肝心のキハ2号を見てみましょう。
(注:通常、車内には入れません。今回はイベントのため特別に公開されました。)

昭和初期に作られただけあって、あちこちが木製。
運転台の計器盤まで木の板です。

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▲キハ2号の正面

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▲キハ2号の乗降口

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▲キハ2号の客席(傷んだ部材や修復作業用の資機材が置かれている)

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▲キハ2号の運転台

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▲キハ2号の計器盤

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▲車内には、円長寺駅に掲示されていたと思われる時刻表があった

本日は全天球パノラマ「THETA Z1」で車内を撮影しました。
客席と運転台の2箇所で撮影していますので、パノラマ画面内左上のリストから切り換えてご覧下さい。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kiha2_20191110/virtualtour.html

車輌の下部も見てみましょう。

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▲台車(左端はエンジンとつながっているプロペラシャフト)

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▲キハ2号のエンジン

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▲キハ2号の変速機(中央が「変速機」。左の円筒形部品は「制動筒」。)

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▲ベルト駆動の圧縮機

キハ2号を細部までじっくり眺めた後は、車輌と併せて修復された踏切も見物。

ボタンを押して遮断機を上げ下げしたり、警報音を鳴らしたり警報灯を点滅させられるようになっていたので、子ども達が嬉しそうに何度も動かしていました。

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▲修復された踏切を操作する親子の様子

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▲遮断機の前に置かれていた踏切警報電鈴(昭和57年製造)

踏切の警報音がなんだか懐かしい音。

それに加えて、旧別府鉄道キハ2号を守る会の方がキハ2号の“声”(「守る会」の方がそう表現されていました。)を聞かせてくれました。
それは、キハ2号の警笛。
今も昔も警笛の音は変わりませんが、昭和初期の車輌の“声”だと思うと神妙な気分になるのは何故なんだろう。

11:00頃
加古川ツーデーマーチの参加者の一団が、キハ2号のある円長寺広場前を通過しました。

旧別府鉄道キハ2号を守る会の方々が声を掛けると、ツーデーマーチの参加者も広場に入ってきて、円長寺広場は大賑わい。

この車輌が走っていた当時を知る方々もおられて、当時の思い出話に花を咲かせる様子も見られました。

とてもキハ2号をじっくり見られる状況ではなくなったので、帰ることに…と思いましたが、せっかくなので野口線の終点である多木化学の工場までサイクリングしてみることにしました。

円長寺広場から東へ300m強進んだところで廃線跡と道路が交わっているのですが、ここには踏切のように線路が残されています。

 

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▲廃線跡が道路と交わる場所に残されている線路

明姫幹線(国道250号線)を越えてさらに500mほど東へ進んだところにも、線路が残された場所がありました。

廃線跡には、こういうオブジェが残されているのが面白い。

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▲まっすぐな廃線跡を進む

やがて廃線跡は緩やかに右へ曲がり、その先で山陽電車の線路をこえるのですが、ここは山陽電車の高架下をくぐるようになっています。

山陽電車の線路ができる前に、すでに野口線があったということです。

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▲山陽電車の別府駅の下をくぐる

山陽電車の線路を越えてすぐ、松風こみちは終わってしまいました。
しかし、廃線跡は道路としてさらに南へ延びているので、サイクリングを継続。

山陽電車の別府駅をくぐってからおよそ500mの場所には、「別府鉄道」の看板が立っていて驚きました。
「別府鉄道」は、タクシー会社として存続しているのです。

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▲別府鉄道の看板

さらに廃線跡の道路を南へ進むと「西脇2丁目」交差点に出ますが、ここから南は多木化学の工場。
工場の敷地内になってしまうので、廃線跡を追うことはできません。

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▲西脇2丁目交差点から先は多木化学の敷地

これで、別府鉄道野口線跡を端から端まで味わったことになります。
再び廃線跡をたどって加古川駅へ戻りました。

JR加古川駅からキハ2号のある円長寺広場までの距離は、およそ3.3km。
円長寺広場から多木化学のある「西脇2丁目」交差点までは、およそ2.6km。

往復で12kmほどのサイクリングでした。

12:00頃
レンタサイクルを返却。

12:08~12:17
新快速でJR姫路駅に戻りました。

別府鉄道は、イトーヨーカドーの東付近から東へ分岐し、JR土山駅にもつながっていました(別府鉄道土山線)。

土山線の跡地は、イトーヨーカドーの辺りから大中遺跡までは道路になり、大中遺跡から土山駅までは遊歩道になっています。

大中遺跡近くにある播磨町郷土資料館には、別府鉄道土山線で使われていた機関車(DC302)と客車(ハフ5)が展示されていますので、時間に余裕がある方は、そちらも併せてお楽しみください。

2011年に撮影した古い画像ですが、播磨町郷土資料館の車輌のパノラマも掲載しておきます。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/befu_railway/virtualtour.html