播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県神崎郡市川町の城山(川辺城跡)

2019年10月24日(木)付の神戸新聞朝刊、「西播」のページに「市川の山城 いざ参らん」と見出しが付けられた記事があり、以下の通り書かれていました。

 市川町の旧4カ村(鶴居、甘地、川辺、瀬加)に残る山城跡をめぐるイベント「いちかわ山城戦国祭り」が11月2~4日に初開催される。川辺城跡(同町東川辺、標高324メートル)の登山道整備が昨年度に完了。
(出典:2019年10月24日(木)付 神戸新聞 朝刊)

ここに紹介されている山城跡のうち、鶴居城と谷城(甘地)は歩いたことがありますが、川辺城と瀬加山城は未踏です。

そこで、新聞記事で最も新しく整備されたと書かれている川辺城跡に行くことにしました。

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▲登山口に立つ川辺城散策案内図

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▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」

155 川辺城(神埼郡市川町東川辺字城山)
【城史】『播磨鑑』によると、城主は大野弾正忠氏、赤松の幕下となり、建武の軍に武功を顕わし、文和年間の神南合戦に赤松一族とともに戦い軍功をたてた。天正の頃は大野七郎左衛門、岩崎六郎左衛門が居城したとある。
(出典:都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻 P221
   兵庫県教育委員会・和歌山県教育委員会編 2003年4月30日発行 ISBN4-88721-446-4)

 川辺城は1352~56年ごろ、赤松氏配下の大野弾正忠氏が築城し、羽柴秀吉の播磨攻めで落ちたと伝わる。約7キロ離れた恒屋城(姫路市香寺町)にのろしを上げる役割があったとされる。
(出典:2019年10月24日(木)付 神戸新聞 朝刊)

09:45
姫路市街の自宅を車で出発。

国道312号線を北上し、市川町に入っておよそ800mのところにある「落合橋東詰」交差点(三叉路)を右折します。
ここからは県道34号線です。

県道34号線を道なりに走ること約1km、「←市川市街」の標識に従って左折。
そのまま600mほど北へ進み、「市川町スポーツセンター→」の標識に出会ったら、それに従って右折します。

かまぼこ形の体育館(市川町立体育館)を目指して坂道を上ると、道は右へ向きを変えます。

体育館の前を素通りして間もなく道は下り坂になりますが、その付近に駐車場へ案内する看板が出ているので、それに従って左折し、駐車場へ入りました。

https://goo.gl/maps/W6WD7MAL7cwDjbEM6

▲市川町スポーツセンターの駐車場の位置

10:26
市川町スポーツセンターの駐車場に到着(地図中「P」)。

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▲武道館横の駐車場に車を置いた

10:38
準備を整えて出発。
駐車場南東隅から坂道に出てそれを登ると、登山口に出会います。

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▲駐車場の南東隅から坂を上る

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▲登山口

登山口からしばらくの間は、軽自動車なら走れそうな広い道(林道跡?)。
斜度は緩やかで楽に歩けます。

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▲林道跡の様な道を登る

やがて石仏が道沿いに数多く出てきます。
麓にお寺があるので、いわゆる八十八箇所巡り的なものでしょう。

道は所々で分岐していますが、太くて上りになっている道を選べば問題ありません。

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▲石仏が並ぶ道を進む

10:45
防獣ゲートに出会いました(地図中「防獣ゲート」)。

鎖が巻いてあったので「カギがかかっている?」と心配になりましたが、ただ巻き付けてあるだけでカギはかかっていませんでした。

防獣ゲートを通過した後は、元通りしっかりとゲートを閉じてください。

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▲防獣ゲート(2つの掛けがねと鎖で閉じられていた)

10:50
防獣ゲートから数分歩いたところで、左から石段の道が合流するのに出会います。
そのすぐ先にあるのは金毘羅さんのお堂(地図中「金毘羅さん」)。
石段の道は参道ということです(どこから登って来ているのかは不明)。

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▲金毘羅さん

今まではなだらかな広い道でしたが、金毘羅さんから先は急な山道に変わります。
でも、金毘羅さんまでの道が良い準備運動になってくれたのか、それほどキツイとは感じませんでした。

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▲金毘羅さんから先は険しい山道

10:54
尾根の肩に出ました(標高190m付近)。
ここからしばらくは、なだらかな道が続きます。

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▲尾根の肩から見た城山山頂(川辺城跡)

10:57
「頂上まであと650m」と書かれたプレートの立つ場所に出会いました(地図中「頂上まで650m地点」)。
展望はありませんが、ベンチがあって休憩できるようになっています。

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▲「頂上まであと650」地点の様子

ここでは休憩せずに通過。

今までは尾根の中心を歩いていたのに、間もなく大きな尾根の左側斜面を歩くようになります。
大きな尾根に乗ったところは標高280m付近で、太い尾根が南東へ延びている場所です。

下山時、この太い尾根に迷い込む人がいるのか、南東方向への道はロープで塞いでありました。

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▲下山時に迷わないようロープが張ってあった(矢印が正しい登山道)

11:04
巨岩に出会いました(地図中「巨岩」)。
これは乗り越えたりする必要はなく、安全に通過できるように道が付いています。

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▲巨岩

巨岩から先は、木々が伐採されて登山道が広くなり、空も開けた開放的な道がしばらく続きます。

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▲巨岩の先は開けた道

11:08
「頂上まであと250m」のプレートが立つ場所を通過(地図中「山頂まで250m地点」)。
ここもベンチがあって休めるようになっていましたが、休憩はせずに通過。

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▲「頂上まであと250m」地点の様子

巨岩から続いていたなだらかな道は、山頂の直前で斜度を増してきます。

まもなく、山城跡らしい平坦な山頂が見えてきました。

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▲山頂は山城跡らしい地形

11:14
山頂に到着(地図中「川辺城跡」)。

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kawanabejo20191027/virtualtour.html

▲山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2019年10月27日。撮影機材:Ricoh THETA Z1)

山頂は東西に細長い郭跡*1になっており、それを取り巻くように細長い帯郭*2のようなものも明確に残っています。

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▲城山の山頂は東西に細長い削平地

細長い郭跡の東端に三等三角点標石(点名:殿所)があり、三角点標石を挟むようにベンチが2つ置いてあります。

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▲山頂の三角点標石周辺の様子

山頂は周囲の雑木によって展望が遮られていますが、三角点の北側だけ窓のようにぽっかりと開いたところがあり、北麓の東川辺や小畑の家並みを見ることができます。
東方面は、深山や日光寺山方面だけが見えました。

それ以外の展望はありません。

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▲山頂から北の風景

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▲東には深山が見える

北の風景が見えるベンチに座り、昼食を楽しみましょう。
本日のメニューは、エスプレッソパスタの「スパゲティ・ペスカトーレ」と、ハインツの「ボストンクラムチャウダー」。

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▲本日の昼食(スパゲティ・ペスカトーレとクラムチャウダー)

山頂は、コオロギのような虫の音が控えめに聞こえてくる以外はほぼ無音で、木の葉が1枚落ちた音まで分かるほど。

本当に何の音もしない空間は落ち着きませんが、虫の音が良い雰囲気を作り出してくれるおかげで、適度な静寂を楽しめました。

12:38
「落ち着くなぁ」と思いながらぼけーっとしていたら、いつものように1時間以上が経過していました。

下山開始。
往路をそのまま引き返して下山しました。

13:07
駐車場に到着。


神戸新聞で紹介されていた市川町の4つの山城跡のうち、鶴居城と谷城については当ブログで過去に紹介しています。

dfm92431.hatenablog.jp

dfm92431.hatenablog.jp

川辺城が狼煙(のろし)を送る相手方とされる恒屋城も城跡を歩いたことがあります。
興味のある方は、以下の記事をご覧下さい。

dfm92431.hatenablog.jp

*1:くるわあと。山城で建物を作ったり戦闘用の陣地にするため作られた平坦な空間。

*2:おびくるわ。細長い郭。