播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

明石公園で流鏑馬を見学してきました

本日は、明石城築城400年記念流鏑馬(やぶさめ。走る馬の上から的を射る儀式。)を見学に行ってきました。

大学生の頃に弓道部に入っていたのと、疾走する馬の迫力や狩装束、堂々とした射手の格好良さが好きということもあり興味はあったのですが、なかなか流鏑馬を直に見られる機会はありません。

ところが、私の持っているJRの通勤定期で行ける範囲でその流鏑馬が行われることが分かり、喜んで出かけてきました。

今日は人混みの後ろからでも見学できるようにと踏み台を用意し、300mmの望遠レンズと一眼レフカメラも準備。

流鏑馬が行われるのは、明石公園の西芝生広場。
JR明石駅の北西から明石公園に入ってすぐの場所です。

https://goo.gl/maps/QgGHQrPwNMxLdBRa8

12:30頃
JR新快速で明石駅に到着し、駅の北西にある「明石公園前」交差点から明石公園の中へ。

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▲明石公園の入口 

西芝生広場には南北に馬場が設けられ、その北端、馬場の東側に神事を行うためのテントが設営されていました。
馬場と的の位置関係を見ると、馬は北から南に向かって走るようです。

馬場のスタート地点は馬場元、ゴール地点は馬場末と呼ばれます。

地形上の制約により馬場の長さが100mほどしかない(本来は200m強)ため、通常3枚の的が使われる流鏑馬ですが、今回は2枚しかありません。

馬場の西側には見学者が大勢カメラを構えて待機しており、東側では流鏑馬の関係者が準備や見学者の対応をされていました。

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▲二の的(右側のネット前にある菱形の木の板が的) 

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▲来賓席(奥に見えているのは明石城坤櫓(左)と巽櫓) 

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▲祭壇が置かれたテント 

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▲馬場の横で見学者の記念撮影の対応をされていた射手(いて) 

12:45頃
13時から始まる神事の参加者がテントに集まり始めました。
私が立っている目の前には、検見役の方が太鼓のバチを持って待機。

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▲検見役(奥には流鏑馬の射手が整列している) 

13:00
定刻に神事が始まりました。

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▲神事の様子(弓渡しの儀) 

ふと上を見ると、坤櫓と巽櫓の間の城壁の上から会場を見下ろしている人たちがいて驚かされました。
距離はあるけど、見えるのかな。

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▲城壁の上から流鏑馬の会場を見下ろす人たち 

13:30過ぎ
テントでの神事が終了し、2頭の馬がテント前に登場。
最初と2番目の射手が馬に跨がり、神楽の奏者を先頭に馬場の北端(馬場元)から南端(馬場末)に向けて歩き始めました。

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▲馬場を進む一団 

一の的と二の的の間で一団は歩を止め、神職が紙吹雪を撒く「切麻散米(きりぬささんまい)」を行った後、「天長地久式(てんちょうちきゅうしき)」が行われました。

天長地久式は、射手が矢を天と地に向けて放つフリをする儀式で、天下泰平、国家安泰、万民息災を祈るためのものです。
最後は、実際に鳴り鏑矢(なりかぶらや)を馬場末の上空に向けて放ちました。
鏑矢の音を聞いたのは初めてかも。

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▲天長地久式で矢を天に向けて放つ動作を行う射手
馬場末まで行った一団が馬場元まで戻ってきた後は、射手が矢を放たずに馬場を駆け抜ける「素馳せり(すばせり)」を行いました。

これは、馬場に慣れつつ、矢を放つタイミングのイメージトレーニングを行うためのものです。

馬の蹄の音は大きいのかと思っていましたが、案外静か。しかし、スピードは思っていた以上に速い!

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▲一の的と、的中の判定をする的奉行(矢印が指し示しているのが木の板でできた的) 

馬場の安全は、馬場元の馬場奉行と馬場末の総奉行の2名により確認されます。
馬場奉行と総奉行はそれぞれ扇を持っており、これでお互いに合図を送るそうです。

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▲大きな扇を掲げる馬場奉行 

14:00頃
最初の射手は、的中を祈願する「揚扇の儀(ようせんのぎ)」を行う権利を持っています。
扇を高く掲げた後、これを放り投げてから走り出します。かっこええ~。

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▲揚扇の儀を行う1番目の射手 

本日の射手は4名。
髭をたくわえた男性射手もいましたが、まるで本物の侍のようで見とれてしまいました。

4名中1名は女性。
狩装束をまとい、疾走する馬の上で勇ましいかけ声をあげながら矢を放つ姿は、男性射手より格好良いかも。

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▲女性の射手 

4名の射手が何度も目の前を疾走していくのですが、動きが速くて撮れた写真はブレブレ。
そのため、馬上で弓を引く射手の姿の写真で、他人様にお見せできるようなものはほとんどありません。

それにしても、2枚の的の両方に命中させる場面はほとんど見られず。
馬場の距離が短く、1枚目の的に命中させても、2枚目の的に到達するまでに次の矢をつがえられないという状況も見られました。
激しく揺れる馬上で、落馬しないように注意しながら矢をつがえるのは至難の業なんでしょうね。

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▲一の的に矢が命中した瞬間の様子(矢印の位置に割れて落ちる的が写っている) 

馬は2頭しかいないので、2頭が走り終わったら、馬場末で待機していた1頭目の射手と2頭目の射手が馬に乗ったまま縦列に並び、観客の拍手を受けながら馬場元へゆっくりと戻ってきます。
そして馬場元で射手が交代し、再び流鏑馬を行うというのが繰り返されます。

その際、的に向けて放たれた矢も一緒に馬場元に戻ってきますが、矢を運ぶのは矢受渡役と呼ばれる人。
これを担当したのは、地元の明石商業高校弓道部の部員です。

弓道部員なら、馬場のすぐ横で流鏑馬を見学出来て、大事な役目も与えてもらって嬉しいだろうなぁ。

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▲矢受渡役(明石商業高校の弓道部員) 

的を交換していた人もあどけなさが残っていたけれど、あの人達も弓道部員かな。 

14:20頃
流鏑馬の本番が終わると、次は「騎射挟物(きしゃはさみもの)」と呼ばれる余興が始まりました。
これは、本番では四角い木の板だった的を扇に交換し、射手は太刀を身につけない略装で行う流鏑馬です。

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▲的として取り付けられた扇 

2つの扇の両方を射抜くまで終了できないというルールだそうです。

「1回で2枚の扇を射抜くのは難しすぎるだろう」と思っていましたが、一度射抜いた扇はそのままにするとのことで、誰かが1枚目の扇を射抜けば、その後の射手は2枚目の扇だけ射ればよいというわけです。

本日は、1枚目の扇は早い段階で射抜かれましたが、2枚目の扇は何名かの射手の矢をかわし、しぶとく生き残っていました。 

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▲すでに射抜かれた1枚目の扇の前を駆け抜ける射手 

14:30頃
2枚の扇の両方が射抜かれて、騎射挟物が終了しました。
この後は、「神禄の授与(じんろくのじゅよ)」です。

神禄の授与は、優秀な成績を収めた射手に旗印を授けるという儀式。
馬場の中央付近で、神職が馬に乗った射手の鞭に旗印を結びつけます。

このとき射手は馬に乗ったままではありますが、片足を鐙(あぶみ)から離して頭を下げます。これは片あぶみの礼という、今で言うところの敬礼だそうです。

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▲旗印が結びつけられた鞭を持って馬場を進む射手 

この後は関係者がまたテントに集まり、神事が行われるようですが、炎天下90分間立ち続けて疲れたので、ここで家路に就きました。

それにしても、日本古来の衣装や武具は格好いいというか、見た目に美しい。

流鏑馬が近場で開催される機会があれば、またぜひ見に行こうと思います。

注:記事内で今回の流鏑馬(小笠原流)について豆知識的なことを書いていますが、これは会場で流れていたアナウンスの音声を何となく覚えて、帰宅後にネットで漢字や詳細を調べて記載したものです。間違いがあるかもしれませんが、その場合はご指摘をいただけると幸いです。